るぷがな三人露登

 月にむら雲、花に風、のたとえの通り、中天を渡る満月の面を一筋の雲がよぎっていく。その雲が漂って過ぎ去ったとき、るぷがなの町は青い月の光に覆われた。
 天水桶の水面に、金色の月の姿が映った、と思った次の瞬間、水面はいきなり乱れた。誰かが天水桶を荒っぽくつかんだのだった。
「どなたか、お助けぇ……!」
 まだ初々しい娘である。紫の地に手まりを描いた振袖に、お定まりの黒の半襟、赤い手柄で髪を結い、同じ色の袖口で口元を覆っている。
 巨大な爪の生えた鬼の手が、いきなり娘につかみかかった。娘は天水桶を必死に突きとばし、その向こうへ逃れた。
「お助けくださいまし、あれぇ!」
助けを求めて飛び出した先には、もう一体の鬼が待ち構えていた。
 娘はへなへなと崩れ落ちた。鬼どもはほくそ笑みながら娘に近寄った。
 そのときだった。しゃらん、と何かが鳴った。鬼どもは辺りを見回した。黒板塀の続く夜の町だった。塀の中から松が太い枝を差し出している。枝は月光をさえぎって路上にわずかな陰を作っていた。其の陰の中から、法師が一人、現れた。
 しゃらん、と錫杖が鳴った。
「巡礼に、御報謝」
「なんだてめえは!」
鬼どもは其の姿をあなどったか、居丈高に怒鳴りつけた。
「坊主に用はねえ。とっとと失せろ!」
 法師は鶸色の衣に鶯色の袈裟をつけ、薄墨色の鉢巻をしている。何のつもりか、首には数珠ではなく長い鎖を巻きつけていた。
 しゃらしゃらと音を立てて法師は鎖を解いた。
「ふざけんじゃねえ」
法師らしからぬ口調だった。
「てめえらがうるせえもんだから、うちのお嬢のご機嫌が悪くってしょうがねえ。どうしてくれるんだと言ってんだよ」
「なんだと、この野郎」
「てめえ、坊主のクセに女連れか」
有髪の僧は、人並みの身長で、鬼どもの巨体に比べると低かった。上目遣いになると、双眸が赤く染まって見えた。
「知らねえってのは、おっかねえもんだ。“女連れ“?ま、女には違いねえけどな」
 春も終わりのるぷがなは、夜風も快い。どこか艶めいたその空気が、いきなり変化した。鬼どもが棒立ちになった。
「かまいたちか!」
ひゅっと空気を切り裂く音がした。
「あ~あ、来ちまったぜ。こりゃ、血ぃ見るな」
其の言葉が早いか、最初の鬼の腕が片方、血しぶきを上げて宙に舞うのが早いか。
「きさまぁあああっ」
けっ、と法師は首を振り、後ろも見ずに言った。
「いきなりって法があるかよ」
 闇の中から答えがあった。
「うるさいね」
 ひたひたと歩く音がする。それは袂を薄紅に染めた白い衣、朱赤の頭巾の巫女だった。
「すけがぐずぐずしてるからだろ」
すけ、と呼ばれた法師は肩をすくめた。
「おれはほっとくつもりだったんだ。こいつら、どうすんだ、お嬢」
ふん!と巫女はつぶやき、脇差を抜いた。が、軽くふらついている。酒の香りが漂った。腕を失った鬼が歯を食いしばってささやいた。
「あきれた巫女だ。酒かっくらうわ、いきなり魔法ぶっぱなすわ」
「なんだえ?酔っ払いが珍しいかえ?」
くすくすと巫女は笑った。
「じゃあ、こいつらお嬢にまかせるからな」
醒めた口調で法師が言う。
「ああ。すけはすっこんでな。いい酔い覚ましだよ」
其の姿勢からタメも何もない。無造作に脇差を振ると、衝撃波が鬼を襲った。
「この尼ぁ!」
二体同時に、きゃしゃな巫女に腕を伸ばす。
「おう、かかってきな!」
さっと巫女は逃れると、毛むくじゃらな巨大な手のひとつを、思い切り地べたへ串刺しにした。鬼は耐え切れずにのた打ち回った。
「何をしやがる、でたらめ尼の破れかぶれがっ」
「口の利き方に気をおつけ」
巫女はせせら笑った。
「旅の巫女は世を忍ぶ仮の姿、本懐遂げれば直ちに月影城主、明菜御前と名乗る身だ。てめえらのキタネえ手で触るんじゃないよ」
「“あきな”だと?それに、“すけ”か!さてはきさまら」
興味もなさそうに板塀のそばに座り込み、煙管をふかしていた法師が顔を上げた。
「おれたちの素性に心当たりがあるのか?さてはきさまら、覇権の与類よな」
「そういうきさまは、露登の末裔か!」
ぽん、と音を立てて法師は煙管から灰を落とした。
「いかにも。残念だが、露登の紋所を記した印籠は、別のヤツが持ってるんで見せられねえが、正真正銘、露登の一族だ。佐丸酉阿の里の若頭、すけさんとはおれがことよ」
「ここであったが百年目」
鬼はうれしそうに法師にむかって、無事な方の手を伸ばした。にっと法師が笑った。
 ぶん、と鎖が風を切った。毛の生えた太い指が飛び散った。一呼吸で立ち上がった彼は、首の鎖をはずして操っていたのだった。長い鎖の先には、いかにも鋭い鎌がとりつけられていた。
「うおおおぉぉぉ!」
兄弟!と叫んでもう一体の鬼がとんできた。
「だいじょうぶか!」
「ああ、油断したぜ。そっちのは鎖鎌使いだ。しょうがねえ、娘をやれ。脇差はもうねえんだ、丸腰だろう」
「よしわかった」
「甘くみてくれたもんじゃないか」
あきなは薄く笑った。白魚の指を組むと、さっと印を結ぶ。いくつか印を重ね、最後に合掌した。
「貴様らの不細工なツラも見飽きたよ。引導渡してやるから覚悟しな!くらえ、威雄奈寸!」
一瞬あたりが白熱して、真昼の輝きを放った。鬼どもに追われていた娘は袖で頭を抱えてつっぷした。
「ひえええぇ」
一体の鬼が完全に黒焦げになって地べたへころがった。
「き、兄弟!」
もう一体も、逃げ腰だった。
「お嬢、こいつ、どうする?」
「覇権に御注進に及ぶってんなら、ここで殺っちまったほうがあとくされがなくっていいよ」
「相変わらず言うことが堅気じゃねえなあ」
へらへらとすけさんが笑った。ひいっと声を立てて、鬼はきびすを返した。
「どこへいく」
 声は頭上から降ってきた。鬼はきょろきょろした。すぐそばの松の木の太い枝に、誰か立っている。青い手巾で頭を覆い、同じ色の短い衣をつけていた。袖をきりりとたすきで絞り上げ、胸の前で腕を組んで、その男は枝の上に立ち、まっすぐ鬼を見下ろしていた。
「ぎゃあっ」
ふっと男の姿が消えた。次の瞬間、鬼は斜め十字に両肩から切り下げられていた。血の絡んだ喉がいやな音をたて、鬼は地べたへ転がった。
 一滴の血がぴっと飛んで、天水桶のそばの娘の顔にかかった。娘は恐ろしさのあまり、声も出なかった。
「なんだ、いたのか、じらいや」
すけさんが言った。
「姿が見えなかったから、先行っちまったのかと思ったぜ」
「匂い」
とだけ、じらいやと呼ばれた忍びは答えた。
「なんだって、ああ?」
 あきなは鬼の腕を踏まえて、ぐっと自分の脇差を引き抜き、脇差を振って鬼の血を振り払った。
「血の匂いがしたんで見に来た、と言ってるのさ、こいつは」
じらいやは、どこ吹く風という顔だった。
「そうやって黙って突っ立ってれば、成田屋に似た二枚目なんだけどねえ」
「はん!言葉が足りねえんだ、こいつは」
ついでに脳みそも、とすけさんはつぶやきかけて、肩をすくめた。
「さて、行くか。宿はもう、決めてあるんだ」
「ちょいとお待ち」
「なんだ、お嬢?」
「あんたじゃない、そこのお娘だよ」
紫の振袖の町娘は、ぎくりとした。
「命を助けてもらったんだ、挨拶のひとつもしちゃあどうだい、え?」
「そ、その……」
娘はあごががくがくして、しゃべりにくいようだった。
「ありがとう、ぞんじました……」
「かっちけねえの、ありがてえので終わるかってんだよ!」
あきなは容赦なくたたみかけた。
「ふところにしまの財布をあっためてるんじゃないのかえ?それを、およこし」
「え、これは、その」
「ええ、よこさねえか、この小娘が」
「あれ、ご無体な」
あきなは町娘の襟元をつかみあげた。
「あたら花の命を散らすこともなかろうに」
「ひえ、お助け」
底光りのする目であきなは町娘をねめつけた。
「月も朧に白魚の、篝もかすむ春の空、と、唱えて欲しいかえ?」
「おいおい、そりゃ、黙阿弥のセリフだ」
黙阿弥の書いた芝居のなかの、お嬢吉三が夜鷹を殺して金を奪う一場である。すけさんが苦笑いをして割って入った。
「娘さん、こちらの巫女さんはとうてい堅気じゃねえ。悪いことは言わねえから、ふところのもんを何でもいいからここへ出してみな」
「いえ、あの、ほんに、小僧と連れ立ってきたものですから、何も持ってはおりません。けれど、お店までおいでいただければ、きっと御礼をいたします。どうぞ命ばかりはお助けを」
ちっとあきなは舌打ちをした。
「しょうがねえ、この小娘、りりざあたりで売り飛ばすか」
伝法な口調であきなは吐き捨てた。
「待ちねぇ、もっといい手がある」
「あ?」
すけさんは片手で錫杖を取りあげ、町並みの向こうを指差した。
「おれにまかせな。あいつを手に入れてやろうから」
 黒い瓦が続く街並みの向こうには、るぷがな一の大商人(あきんど)の持ち物である千石船の高い帆柱が、再び顔を出した月に照らされていた。

 白髪頭のかっぷくのいい年寄りが口元をひきつらせて帳場から出てきてかしこまった。番頭、手代、丁稚などは一か所にかたまって震えあがっている。
 店は大店だった。紺地に白で大きく浜松屋と染め抜いた大きなのれんが店先にかかっている。間口も広く、新しい畳の香りがする。浜松屋はるぷがなでそれと知られた廻船問屋だった。船主でもあり、船頭、水夫をたくさん抱えていた。
「おじい様!」
紫の振袖の娘はこの大店の主人の孫娘なのだった。あきなは長いたもとで振袖の娘をかいこむようにした。その袖の下で脇差をつきつけているのはあきらかだった。
「お武家さま」
震えながら浜松屋の主は言いかけた。
「私が浜松屋善衛門でございます。孫のおしのをお助け下さいまして、まことにありがとうございます」
「それだけかえ?」
底光りのする目でそう言われて、善衛門は委縮した。
 ひい、という泣き声がした。店のすみで浜松屋の女房と息子夫婦がおしののほうを見ている。泣き声をあげたのはおしのの母親だった。
「ど、どうか、お武家さま、なんでもいたします。娘だけは」
「おっかさん!」
「黙んな」
「お嬢、まあ、待ちなって」
壁際を埋め尽くす大福帳を眺めてつったっていたすけさんがのんびりと声をかけた。
「うちのお嬢はちょいと酒癖が悪い。酒気さえぬけりゃあ気のいいお姫さまなんでさ。大丈夫、お娘は無事お返ししますよ」
くっくっとすけさんは笑った。
「あ、ありがとうぞんじます。もう夜も更けております。道中さぞお疲れでございましょう。ただいま別室にて粗餐をさしあげますので」
ほっとした空気が流れた。
 すけさんは、何を思ったかそのままどっかりと店の上り框に腰をおろした。懐からおもむろにさきほどふかしていた煙管を取りだした。
「火を貸しておくんなせえ」
手代の一人がおそるおそる煙草盆を差し出した。すけさんは悠々と一服した。
「こちとら旅慣れたもんでねえ。夜も昼もねえや。じっくり談判いたしやしょう」
「談判とおっしゃいますと」
親指で煙管をおさえてすけさんは煙を吐いた。
「浜松屋さん、初めて拝見したがいいお店だねえ。広いし、普請が立派だ。あの大黒柱、檜じゃありませんか。さすが浜善さんだ」
「いえ、その」
憑かれたような赤い目ですけさんは商人を見て笑った。浜松屋は何事か飲み込んだようだった。
「当家は代々、旅の方には何がしか御喜捨をさせていただくことになっております。新しいゴールド小判で御用意いたしましょう」
すけさんは煙管の灰を払った。
「いやいや、千両箱は重いわかさばるわで、御遠慮申します。でえいち、痩せても枯れても露登の末裔だ。なあ?」
 隣にいたじらいやは、こくんとうなずいた。土間に立ってのれんを片手でかかげ、まっすぐ外を指さして一言。
「ふね」
いたってまじめな表情だった。
「は?」
くすくすとあきなが笑った。
「お聞きの通りですよ。あいつはどうも言葉が足りなくてねえ」
「し、しかし、船と言うとまさかうちの千石船の千鳥丸で」
「“千鳥丸”たあ、縁起がいい」
うきうきとすけさんが言った。
「当家の紋どころも鳥なんでね。こいつぁどうしたって精霊留美須様のお導きにちげえねえ。千鳥丸はいただくと決まった」
「いや、それは!」
あきなは袖の下に隠した脇差をぐっとおしのへおしつけた。おしのはうっと言ってのけぞった。
「おしの!」
おしのの父親が叫んだ。
「おとっつぁん、船なんざ、付け船でいいじゃありませんか。千鳥丸は使っていただきましょう!」
「どうか、どうか、おしのを」
おしのの祖母と母親が手をすり合わせた。

未完