ペルポイの癒しの歌 9.サリューの謎解き

「あのとき魔法の匂いがしたから、妙だと思ったわ」
アムが言った。
「少しは使うみたいね。私と勝負してみる?」
高貴で無敵でケンカっ早い美女は長い指で杖を支えて優雅に構えた。惚れなおしたぜ、とケトゥは違う意味でぞくっときた。
「勘弁していただこうか。魔法王国の女王のお相手をつとめるには、役者不足だ」
将軍はやや間合いを取って立ち止まった。傍らの犬が頭を低く下げ、歯をむき出して威嚇した。
 将軍は手をかざして犬を下がらせた。
「第一、我がペルポイの内情はあまり好ましいものではない。ロト三国の王族を逮捕するなど、さらに外患を呼び込むに等しい。願い下げにしたいところだ」
閣下、と隊長が叫び、兵士たちが色めきたった。
「静かに!」
将軍は一喝してアムたちに向き直った。
「このままラゴスを渡して、静かに引き取っていただくわけにいかないだろうか」
「あいにくだが」
とロイが言った。大きな剣はまだ片手にひっさげたままだった。
「おれたちも盗賊ラゴスに用がある。解放してやる代わりに代価を受け取ることになっている。やすやすと引き渡すわけにはいかないな」
「ぜひもない」
疲れたような顔で将軍がつぶやいた。同時にロイは両手で剣の柄を握った。目を見張るような緊張が生まれ、みるみるうちに張り詰めていく。ケトゥは息をのんだ。
「じゃ、やらせてもらうわよ?」
アムが微笑んだ。ほとんどうれしそうだった。
「どうぞお先に」
そのときだった。まだ顔をアンナの碑に近付けたまま、サリューが叫んだ。
「ちょっと待って!」
「今、取り込み中よ」
にべもなくアムが答えて杖を高く掲げた。
「だから、それを待ってって言ってるんだったら」
サリューは碑の前から立ち上がり、やっと将軍たちの方を向いた。
「ラゴスを釈放してください。それと、ケトゥくんを含めてぼくたちに、ペルポイの出入りの自由を約束してください。そうしたら」
一度言葉を切ってサリューははっきりと宣言した。
「アンナの宝をあなた方に引き渡します」
将軍は憐れむように微笑んだ。
「サマルトリアのお世継ぎは聡明な若君とうかがっているが、しかしアンナの宝について何を御存じなのかな?」
サリューは微笑み返した。
「二十年以上前にアンナが亡くなって以来、あなた方はアンナの宝を探し続けてる。でも手に入れられない。そのことはわかっています」
「君なら手に入れられるとでも言いたいのかね」
「そのとおりです」
隊長はじめペルポイの兵士たちが目に見えて動揺した。
「待て待て」
将軍が言った。
「大きな口をきいて、あとで後悔しないかね、お若いの?」
「ぼくの謎解きを聞かないで、あとで後悔しませんか、長老様?」
将軍は鋭い目つきでじっとサリューを見つめていた。サリューもただ相手を見返していた。先に目をそらしたのは将軍だった。
「全軍、休め」
兵士たちは剣や杖をおろし、将軍の周りに集まってきた。
「もし君が」
と将軍は言った。
「我々が二十年このかた切望しているアンナの宝を本当にここへ出してみせてくれるなら、盗賊一人の身柄などどうにでもしよう」
「そのお言葉をどうぞお忘れなく。アム、ロイ」
サリューは従兄弟たちに声をかけた。
「こっちへ来て。手伝ってほしいことがあるんだ。ラゴス君もね」
ラゴスはペルポイ人たちとサリューを見比べた。
「まじ、勝算あるのか?おまえほとんど仕込みをしてないだろうが?」
「うん、出たとこ勝負に近いかな。だからフォローを頼むね」
笑ってラゴスにそう言うと、サリューは碑の前に立った。
「最初に確認させてください。このペルポイの町は、アンナと呼ばれる巫女が率いる“古い”人々が作り上げたんですよね?今のペルポイ人は、それを引き継いだ」
「その通り。アンナの一族に比べると我々は無知で不器用だ。それは正直に認めよう。だが我々はこの町で生きていかなくてはならない理由がある。どうしてもアンナの宝が必要なんだ」
熱心に言う将軍の顔を、サリューはむしろ憐れみをこめて見ていた。
「ペルポイの呪いのために、あなた方はもう地上では生きて行かれないから。そうでしょう?」
「えっ?」
ケトゥは思わずサリューの顔を見た。
「おれはあの将軍っていうおっさんが地上で何日も居続けたのをこの目で見てんだぜ?」
「そりゃそうだよ、この人は灰色ケープだもん。灰色ケープと帽子は、ペルポイでもルビス様の祝福を受けた人たちの制服なんだ」
将軍は何か言い返そうとして、肩を落とした。
「私は、小さいころ他の子供たちと一緒に地上へ、あの花の咲く盆地へ連れて行かれた。友達がみんな涙と鼻水でぐじゃぐじゃになって咳きこみ、胸をかきむしって苦しむのを私だけは馬鹿みたいにぽっかりと口を開けて見ていたよ。まったく苦しくなかったのでね」
「灰色ケープの人はみんなそうなんですね。ペルポイに生まれながら地上へ出られるという、稀有な体質の人」
将軍も隊長も、ほかの兵士たちも一種寂しそうな笑顔になった。
「ああ。そういう子供はあまりにも貴重だから、家庭から引き離されて寮に入ることになっている。そこで教育を受けて、灰色の制服を与えられ、行政や司法に携わるのだ」
「でも、普通のペルポイ人の生活はできなくなる」
サリューが言うと将軍はうなずいた。
「修道院のようなものだからな」
やれやれ、と将軍は首を振った。
「ここにいる者でペルポイの公僕としての誇りを持たない者はいないが、もし子供の時に選択できるなら、みな平凡な生活を望んだことだろうよ」
 ケトゥはペルポイの町の中で見た情景を思い出した。不安そうな子供たちの一団、重苦しげに子供たちを見送る父親、母親。ああ、アンナさえいれば、と一人の母親は言わなかっただろうか。
「なあ、それとアンナとどう関係してくるんだ?」
「それはね、普通のペルポイ人でも地上へ出られるような薬をアンナは造ることができたんだと思う」
将軍はうなずいた。
「そうだ。それこそ、アンナの宝だ」
ラゴスが低く口笛を吹くのをケトゥは聞いた。
「薬だったのか!」
将軍はじろっとラゴスの方を見た。
「何を期待していたのか知らんが、その通りだ。ペルポイはアンナを失うと同時に、アンナのつくる薬も失った。十数年前には最後の一滴をめぐって内乱に近い状態にまでなったものだ」
「だから今でもペルポイ全体が緊張している?」
将軍はしわの深い顔に自嘲の笑みを浮かべた。
「アンナの不在にみんな不安がっている。仕方なかろう、町が滅びかかっているんだ。自暴自棄になる市民も多い。私らは気の休まるひまもない」
なあ、とラゴスが言った。
「ペルポイの呪いってのは、薬草や毒消し草じゃ治らないのか?そのくらいあるだろう?」
「薬草の類ならペルポイでも手に入る。ペルポイの呪いにはまったく効き目がないがな」
「何が原因なんだ?」
「わからん。アンナの一族はあるていど推測していたらしい。言い伝えを守っている限りペルポイの内部まで病は広がらないからな」
「聞いてもいいですか?どんな言い伝え?」
「いくつかあるが、水は地下深くからくみ上げて、排水は別の水路へ流すこと。空気は遠い場所から弁の開閉によって持ち込むこと。そして、地上から来た者の体は町へ入る前に必ず一度はたくこと」
ロイが目を見張った。
「はたく?じゃあ、町へ入った時のぽんぽんてのは、身体検査じゃなかったのか」
「体の表面をすべてはたかれただろう?当番の兵士は言い伝えのとおりにやったというわけだ」
「そうか、手抜きじゃなかったのかよ」
サリューは何か考え込んでいたが、とうとつに顔をあげて、言った。
「花粉だ」
「ああ?」
「上の盆地を埋め尽くす、あの薄い黄色い花の花粉だよ」
ケトゥは面食らった。それは名もないただの雑草だった。
「あの花なら、盆地だけじゃなくてあの地方一面に咲いてますよ」
「そんなところへ花粉を拒む体質の子供たちがいきなり連れていかれたら、そりゃ苦しいだろうな」
息を呑んでケトゥは将軍をはじめペルポイ人たちを見つめていた。
「石の町だ、ペルポイは。掘れば掘るほど富をもたらしてくれる」
とサリューは言った。
「けど、この土地に長く居れば居るほど、身体は花粉を拒むようになる。アンナの一族もあとから来た人々も、春が来てあの花が咲くとどうしても地上にいられなくなって、矢も楯もたまらずに地底へ潜ってしまったんだ。地上にペルポイの廃墟を放り出したままでね」
物憂げな地上の情景をケトゥは思い出した。薄い黄色い花で埋め尽くされた広大な盆地には、もう土台石のかけらすら残っていなかった。名もなくかよわい雑草の持つ強靭な根が地中で人の築いた文明の痕跡を抱きしめ、握りつぶしてしまったのかもしれなかった。
「もう、どうしようもないかのかね」
静かに将軍は聞いた。
「ペルポイはこのまま閉じこもって、破壊の神の降臨の前に滅びるしかないのだろうかね」
灰色ケープをまとう集団が軍隊か修道院みたいな組織でペルポイの行政に携わるってことは、と、おそまきながらケトゥは気づいた。この将軍と言う男こそ、ペルポイの王に違いなかった。
 おもむろにサリューが動き出した。祠のそばの短い坂を下って透明な薄い青に輝く湖の岸辺にかがみこんだ。手袋を脱いで、片手を冷たい水に浸した。
「大丈夫です、将軍、大丈夫です。ほら、ここに答えがある」
立ちあがったサリューの手から、ぽたぽたと水が滴り落ちた。
「この水はたぶんロンダルキア台地の雪解け水が、水を通す地層からしみ込んで、ブルーメタル層の上にたまったのだと思います。人の手では掘り崩すことのできないブルーメタルも、長い歳月の間に滴り落ちる水滴によって、ごくわずかづつ削り取られたんじゃないでしょうか?」
「それがどうかしたかね?」
サリューは従兄弟のほうを振り向いた。
「ロイ、ロトの鎧の特性を覚えてる?『その青き鎧を身にまとう者は』」
「『他のどの鎧よりも堅固な身の守りを得、悪しき魔法や竜の炎から守られ、バリア床、毒の沼地にも命を侵されず、一歩ごとに体力を回復する力を得る』」
すらすらとロイは唱えた。ありがと、とサリューは手を振った。
「その性能の源がここにあるんだ。本来ブルーメタルには命を守る癒しの力があるんです。この水を精製したものがおそらく花粉症の特効薬、アンナの宝です」
「なんと!」
将軍は叫んだ。
「この湖が全部薬なのか!精製さえできれば、悲願の至宝、アンナの秘薬が手に入るのか?やり方はわかるか、どうなんだ!」
サリューはラゴスに向かって笑いかけた。
「どうかな?」
「俺にわかるわけがねえ」
「そうかい?だって、ずっとアンナの碑を読んでいたでしょ?」
人々の視線は祠の中の板石に集中した。
「あれは、最後のアンナのお墓ですか?」
「いや」
と将軍が言った。
「ペルポイには人を埋葬するだけの空間がないのだ。遺体は私らが地上へ運び出して共同墓地へ埋める。ルビスの試しを受ける時を除いて、ほとんどのペルポイ人は、死んで初めて地上へ出るのだよ」
将軍は板石を指差した。
「その碑はアンナの一族が大昔この場所に据えたのだ。文字は読めるが、我々にも意味がわからん。暗号なのではないかと思っているが」
「くそっ、やっぱり暗号か?おれはブルーメタルがらみのことが書いてあると思って一生懸命考えたんだが、やっぱりだめだった」
悔しそうにラゴスは言った。
 どれどれ、とサリューは碑にちかよった。灰色ケープの兵士たちは期待を込めてサリューの動きを見守った。
 う~ん、とサリューはうなった。
「読んでみるね。『赤で入れる』、ここで一行開けて、え、何これ」
ぼそぼそと読むサリューの声を聞いて、ロイがはぁ?と言った。
「なんだそりゃ」
アムもつぶやいた。
「ちょっと……よっぽど重々しい古文書でも出てくるかと思ったら」
「だって、そう読めるんだもん。ねえ?」
「だよなあ」
とラゴスが言った。
「暗号なら、キーがあるはずだ。将軍のおっさん、あんた何か知らないのか、本当に」
「知っていたら盗賊が来る前に解読しておるわ」
将軍はにべもなくそう言った。
「なんか、呪文なんじゃないか?」
とロイが言った。
「ないわ、それ」
間髪いれずにアムがダメを出した。
「呪文には呪文なりの文法があるの。こんなでたらめな呪文があるもんですか」
ちっとロイが舌打ちした。
「でもさ」
サリューの緑の瞳はじっと板石を見つめている。
「わざわざここにあるってことは、代々のアンナがこの板石を読んだんだよね。薬の作り方に間違いないんだけどな」
アンナ、アンナとサリューはつぶやいた。
「ねえ」
とアムが言った。
「この前地上で灰色ケープの女の子に会ったでしょ。あの子、アンナのことを、なんて言ってたっけ」
「ええと、ペルポイの古い人たちの最後の一人で、歌を」
サリューが絶句した。
「そうだ、アンナは歌を歌った人だったんだ」
「あら、ヒントになりそう?」
「なるよ、なる!ラゴス!この碑の文章、歌の詞なんじゃないかなっ」
「言われてみると、そうかもしれないな」
がしっと板石を両手でつかみ、サリューは覗き込んだ。
「そうか。わかった。歌えばいい。それから?そうだ、たぶん……」