マイラ一天地六 8.隠者の預かりもの

 翌日の朝はごくおだやかでのんびりしていた。サリューたちの泊まっている客室のあたりは静かにまどろんでいたが、刀御殿の下のほうでは、朝風呂へ行く客の群れと朝食の膳を運び出す女中衆がごっちゃになって、そろそろにぎやかになってきている。
 サリューが目を覚まして外で顔を洗って部屋にもどってくると、庭に面したところに小竜王がぽつねんとすわっていた。
「おはよう。どうしたの?」
おかっぱ頭の小さな竜の少年は、サリューに寄り添った。
「夢で、私の妃と逢った」
「そっか」
夕べはよくお客さんの来る夜だったらしい。
「奥様、元気だった?」
「大事ないようだった。まだとても幼くて、あどけないのだ。きっと殻から出してやると私は約束してきた……妻に」
「大丈夫だよ」
小さな身体を抱きしめて、上からサリューはささやいた。
「ぼくのところにも来てくれた人がいたんだ。きっと卵は取り戻すからね」
小竜王はこくんとうなずき、サリューの服の袖を握り締めた。
 そのとき、よう、と声をかけられた。
「おまえ、夢を見たのか?」
ロイだった。顔を洗ってきたらしい。
「うん。ロイもそうでしょ?」
「リアルな幻が来たぞ」
サリューは従兄弟と顔を見合わせた。ロイはにやっとした。
「お前たちを頼りにしろってさ」
「まかせて」
と言った口から、サリューはつぶやいた。
「夕べ賢者様にもらったと思ったものがあったんだけど、目を覚ましたらなくなっちゃった。どうすればいいかな」
「アムもそんなこと言ってたぞ?」
ふわりといい香りを立てて従姉が次の間から現れた。
「あの、サリューは何を受け取ったの?」
「まず杖でしょ、それからいろいろ」
「キモノは?」
「知らないけど、キモノなんて何に使うの?」
「着るに決まってるわ」
真顔でアムは答えた。
「こんなかっこうじゃ、賭場へ出られないでしょう」
サリューは驚きのあまり眠気が吹っ飛んだ。
「賭場?賭場って言ったよね?じゃあ、壺振りしてくれるんだね?」
アムは微笑んだ。
「賭場でのふるまいはまかせてちょうだいね。あら、でも、本物のサイコロにはまだ触ってないんだわ。あとで女中さんにでも頼んでもってきてもらわなくちゃ。夜までに修行のおさらいをしておくわ」
すぐ傍らでロイが立ち上がった。
「帳場へ言えばいいのか?この部屋まで壺とサイコロをもってきてくれって」
「ええ、お願い」
ロイが部屋を出て行こうとするのをサリューはくっついていった。
「ねえねえ、ロイは何かもらったの?」
ロイは歩きながら首を振った。
「俺は何も、もらってねえ。けど」
「けど?」
ロイはしばらく考え込んだ。
「サマ、おまえ、あれ覚えてないか?マイラの村はずれにじじいがいるはずだよな」
「ロト伝説だね。毒の池の真ん中の小屋に一人で住んでいるおじいさんのことかな」
「それそれ。そこへ行ってみようと思うんだ」
「どうして」
こんどはもっと長くロイは考え込んでいた。
「そうしたほうがいいと思う。おれはゆうべの訪問者からカギをもらったような気がするんだ」
 ときどきサリューは思うのだが、ロイは決して魔法力と縁がないのではない。彼の直感は、今までダンジョン内部で道に迷ったときによく発揮されてきた。魔法とはちょっと違うが、根拠や証明抜きで正解にたどりつく才能をロイは持っている、とサリューは信じている。
 帳場へ立ち寄ってアムの注文を伝えると、そばにいた若い衆に村はずれの小屋のことをサリューは聞いてみた。
「まさか本人は居ないと思うんですけど、その長老様の子孫の方とかお弟子とかはいないでしょうか」
番頭は首をひねった。
「人が住んでいることはいますが、ロトの時代のお人とはどんな関係があるのかわからねえようなやつです。よろしいんで」
「いいです。それでも」
 案内だという若い衆にくっついて、ロイとサリューは宿の外へ出た。マイラの村は、見れば見るほど森の中だった。朝の空気が涼しくて心地よい。遠くの森にうっすらと朝もやがかかっているのがきれいだった。
「あちらでやす」
若い衆が指差したのは、年季の入ったぼろぼろの小屋だった。ジパング系の住民は草で屋根を葺いた木と紙の家を建てるが、この小屋は伝統的なラダトームスタイルに近く、太い丸木を組み合わせたログハウスである。床が少し地面から高くなっているのは、昔毒の池の中に立っていたからだろうか。いまは池は干上がって、ただの荒地になっていた。
「素性の知れないじいさんが一人で住んでますよ。まだ寝てるかもしれねえですね」
若い衆は荒地をどかどかと横切り、数段の階段を上がって遠慮なくドアをたたいた。
「おい、じいさん、いるか?」
たたき続けること10回ばかりにして、やっと内側から声が聞こえた。
「なんじゃ、朝っぱらから!」
「爺さんに用があるって人が来てんだよ。起きてくれ」
しばらくすると、ドアは内側から開いた。
「なんなんだ、まったく」
腰の辺りをぼりぼりとかいている、やせた老人である。
「あー」
とロイは言った。
「あんた、そのう、なんか預かってねえか?」
歯の欠けた口を大きく開いて、はあ?と老人は言った。多少耳が遠いようだった。
「なんだ、あんたら」
「おれはローレシアのロイアル。こいつはサマルトリアのサマ」
老人はじろじろとサリューたちの顔を見比べた。
「ああ、そうか、あんたらか」
サリューは驚いた。
「心当たりがあるんですか?」
「夕べ夢で」
といいかけて老人はごほんと咳払いをした。
「この小屋に古くからでっかい宝箱が置いてある。わしも、わしの前のやつも、中身を開けて売り払っちまおうとしたんだが、いざとなるとどうしてもできん。必ず要るときが来るって気がするんじゃ。それを今日、取りに来るもんがおると、そんな夢を見たんじゃ」
サリューはロイと顔を見合わせた。
「あのう、宝箱には何が入っているんですか?」
「ああん?」
老人は疑り深そうな表情になった。
「知らんのかい?知らんやつには渡せんな」
サリューはむっとした。
「杖は絶対に入ってると思う。それと、キモノがあるでしょう?あとは、いろいろ」
老人はふん、とつぶやいた。
「だいたいは合っとるな」
「じゃあ、下さい」
老人はべえっと顔をしかめた。
「まだじゃ。わしはゆうべ、夢で持ち主から言われたんじゃ。鍵がなくてはあの宝箱の中身は渡すわけにいかん」
「えー」
思い切りブーイングしたが、老人は頑固だった。
「さあ、鍵じゃ。鍵を出しなさい!」
サリューが言い返そうとしたとき、ロイがそっと止めた。
「大丈夫だ、サマ。おれは鍵を持ってる」
ロイは落ち着いていた。
 サリューが一歩下がると、ロイが前に出た。
「あんたの夢に出てきた男は、こんな顔だろ」
ロイはそう言って、ゴーグルつきのレザーヘルメットをはずし、片手で前髪をかきあげた。
「おお!」
老人は片手をこぶしにしてもう片方の掌に打ち付けた。
「そうじゃ、あんたじゃ」
「やっぱりな。じゃあ、鍵を渡すからな」
ロイは老人に一歩近寄った。耳元に顔を近づけると、はっきりと発音した。
「トリト。おまえが夢で見た男の名はトリトだ」
老人は無表情のままで立っていた。それから、くしゃっと顔をゆがめると身を翻して小屋の中へ駆け込んだ。
「おいおい、じいさん」
センゾウ一家の若い衆が声をかけた。その声の終わらぬうちにごろごろと音がして、老人が宝箱をひきずりながら現れた。
 老人の悲鳴のような叫び声が聞こえた。
「お若いの二人!ここまで来なされ!まったく気がきかん、こんな年寄りに大荷物を運べっちゅうんか!」
それは確かに標準的な宝箱の二倍くらいはあった。木製だが四隅に鉄の補強金具を付けてあった。いかにも古めかしいしろものだった。
「うっ、ほこりだらけだよ。これ、いつから置いてあったの?」
老人は首を振った。
「わしもわからん。さ、鍵はもらったからな。開けなされ」
サリューはロイの方を見た。ロイはおもむろに前に出ると、重い蓋に手をかけてぐっと持ち上げた。大きさ以外ダンジョンなどで見かける宝箱と、特別変わったところはないようだった。ロイは片手を中に入れた。その指が弾かれるのをサリューは見た。
「なんだ、これ?」
ロイがそう言った瞬間、宝箱の内側に張ってあった見えない膜のようなものがぷちんと音を立ててはじけた。
「あ……」
色彩鮮やかなキモノ、不気味だが頼もしい杖。欲しかったものがみんな詰め込まれている。たぶん勇者ロトの時代にこの宝箱へ封じ込められて、今まで時間が経過しないままに留め置かれていたらしい。
「ありがとう、ご先祖様」
しみじみとサリューはつぶやいた。

 昨日の賭場の勝負の成り行きはマイラ中に知れ渡っているようだった。賭けは繰り越して今日にも行われる。朝から土蜘蛛一家は、オロチのサシチを中心にぴりぴりしていた。
 賭けの相手方、ロトの末裔の三人もさぞかし、と思ったのだが、女中たちの話によると彼らの泊まっている部屋には朝昼晩普通に食事を運び、皿も茶碗も空っぽになって返ってきたという。
 あっというまに夜は訪れた。シンタは少しどきどきしながら三人を迎えに行った。
「ええ、よろしうございますか」
シンタは障子の外から声をかけた。
「賭場の用意ができやした。お出ましを願います」
障子が開いた。
「時間だな。みんな、行くぞ」
ローレシアの若様だった。昨日賭場を出たときは青ざめた顔をしていたのだが今夜は落ち着いている。覚悟を決めたのかとシンタは思った。
「今日は小道具が多いんだよ。ちょっと待って……うん、全部持った」
サマルトリアの若様が出てきた。かわいらしい顔をしているが、夕べは物怖じせずにセンゾウに物言いをつけ、ついに押し通した剛の者だ。
「ええ、私も準備はいいわ」
奥から声がした。ムーンブルグのおひいさまだ、とシンタは思った。朝のうちに晒し木綿を一反と、壺とサイコロを二つ要求して女中が届けたはずだった。今も同じ女中が部屋の中でこのお姫様のお召しかえを手伝っている。
 衣擦れの音がした。女中の手がうやうやしく次の間の障子を開いた。するすると横へ引き込まれていく障子の陰からムーンブルグのおひいさまが現れた。そのいでたちを見て、シンタはぱかっと口を開いたまま、声が出なくなった。