マイラ一天地六 4.オロチのサシチ

 緋鯉のシンタがこの道で生きると心に決め、土蜘蛛のセンゾウ親分に杯をもらったのは、つい最近のことだった。
 座布団運びや庭掃除、案内係などをせっせと務め、最近シンタはやっと仲間内の賭けで中盆(壺振りの補助スタッフ)をやらせてもらえるようになっていた。 夢は親分のような立派な壺振りである。そのために痛いのを我慢して、マイラの刺青師に頼んで滝をさかのぼる緋鯉の彫り物を背中に入れてもらったのだ。
 今夜の賭場では、ラダトームからロトの末裔がセンゾウ親分を名指しで勝負しに来たという、めったにない大事な勝負がある。ここでうまく務めれば、一人前として認められるかもしれない。シンタはかなりはりきっていた。
「おれだって、いつか親分やオロチの兄貴みてえに……」
 今、盆茣蓙では兄貴分のサシチ、通称をオロチのサシチというのが常連客を相手に壺を振っている。壺をあやつって好きな目を出せる、しかも百発百中、と言われるほどの、組の看板壺振りだった。サシチは胸には晒しを巻き、もろ肌脱いでいた。いかさまをする道具を何も持っていないという証拠に、この上半身裸に近いかっこうでサシチは壺を振るのだが、それ以外にも理由がある。
 暑いのだという。実際には片膝立てて坐った姿勢で壺にさいころを二つ入れて振り上げ、盆茣蓙の上に伏せる、それだけの運動なのだが、壺を伏せた瞬間に、
「丁!」
「半!」
客から一斉に熱気のこもった声がかかる。
 駆け出しのころのシンタは、初めてその獣が吠え掛かるような雄たけびじみた丁半を聞いたとき、文字通り飛び上がったものだった。盆茣蓙の上には、駒札(チップ)がびしばしと置かれる。賭け金だった。マイラ近辺で取れる木材を使ったもので、地色と文字色の組み合わせで価値が違う。最低で十ゴールド、一番高い駒札は千ゴールドだった。
 白い盆茣蓙が欲望の熱気にさらされて、真ん中にゆらゆらと陽炎が立ち上がるようにさえ見える。オロチのサシチはそぎ落としたような筋肉質の身体に、あだ名の元になったヤマタノオロチを彫っているが、額にも彩りも鮮やかなその背中にも、大きなしずくになって汗が浮いていた。
 サシチはさっと左右に目を走らせた。中盆二人が丁に賭けられている金額と半に賭けられている金額をチェックしている。
「さあ、丁ないか、丁!」
中盆の一人が叫んだ。丁目が少なかったらしい。中盆は計算スタッフである。丁半同額になるようにするのが仕事のひとつだった。
 客の数名が丁目に賭けてくれたので、どうやら目が整ったようだった。サシチは静かに壺を持ち上げた。
「グニの半」
息苦しいまでの緊張が解けて、うめき声と歓声が同時に上がった。
「ねえねえ」
誰かがシンタを呼んだ。振り返ると、緑の服を来たまだ子供のような若い旅人がすぐ後ろに坐って盆茣蓙をのぞきこんでいた。親分と勝負をしに来たロトの末裔の仲間らしい。
「グニの半ってなんですか?」
「かたっぽのさいころの目が5、もうかたっぽが2ですから、5-2。縮めて言うときはグニ。でもって5+2は7で奇数ですから半。グニの半です」
へええ、と緑の少年は感心したようにつぶやいた。
「半は全部半じゃないの?計算で行くなら、1-4とか、3-6とかも同じ半だよねえ」
シンタは笑った。
「そりゃあお客さん、ここの賭場はマイラルールですから」
「マイラルールっていうのがあるの?」
「……ていうか、ここにおいでのお客さん方、盆茣蓙でお遊びになって丁か半か、あたったとしたら、いくら儲かるかご存知で?」
ううん、と少年は首を振った。
「100ゴールドの駒札を賭けて買ったら、配当としてもう一枚同じ駒札をもらえます。あとで金に換えれば200ゴールド。100ゴールドの儲けです」
「負けたら?」
「賭けた駒札はもどってきません。勝ったお客にさしあげます。だから丁半に賭けた金額が同じじゃなきゃならねえんで」
「じゃあ、お客にとっては二倍になるか、ゼロになるかどっちかだね」
「いえ、それじゃあこの賭場の儲けがでませんので。勝ったお客さんから寺銭をいただきます」
「寺銭?経費と利益の分?」
「さいです。賽(サイコロ)の目が4-3、シソウの半か、4-6、シロクの丁になったときは、お客さんは勝っても賭けた駒札が帰ってくるだけで配当がつきません。配当の分の駒札は賭場……センゾウ旦那のもんになります」
「そっか。じゃあ、せっかく半に賭けて半が出ても、4-3だとプラマイ0なんだ。勝った人はがっかりだね」
「へえ。シソウ、シロクは胴元にはうれしいんですがね。これがマイラの掟、マイラルールです。他にもマイラにゃ、賭けを面白くするための特別ルールがありやすよ」
「どんなの?」
「お客がうれしい目といやあ、6-6、ロクゾロの丁です。これが出たら配当が二倍になりやす」
「元の駒札のほかに同じのが二枚もらえることだよね?わあ、いいねえ」
緑の少年は目をきらきらと輝かせた。シンタはなんとなくうれしくなった。
「めったに出やしねえんですが。それから負けたお客がほっとする目があって」
「うん、うん」
「サンミチの丁ってんですが、大金賭けたお客さんは、もし半じゃなかったらサンミチになってくれと祈るんです」
 そこまで説明したときだった。
「サマ!そろそろやるぞ!」
少年はぱっと振り向いた。
「今行くよ!従兄が呼んでるから行くね。いろいろ教えてくれてありがとう」
「どうぞ楽しくお遊びなすって」
賭場らしい挨拶に笑顔を返し、サマと呼ばれた少年はつれのところへもどっていった。

 どうしてこんなに暑いの。アムは膝をそろえてすわったままそう考えていた。気温はそれほど高いわけではない。この部屋も人は多かったが快適である。
「ふう」
頭巾を後ろにずらせてアムは唇を噛んだ。答えはわかっている。自分の身体の中に蓄えた膨大な魔法力がこの賭場に反応しているのだ。その証拠に、一番熱を持っているのは自分の額だった。
「どちらさんも、よろしうございますか」
 背中にヤマタノオロチの刺青を彫った男が壺と賽を手に持って、低い声で賭客にささやいた。盆茣蓙の熱気があがってくる。
 アムはちらりとロイの方を見た。MP0の彼は単純に壺振りを見ているだけだ。手の中には駒札が数枚ある。さきほどセンゾウから買った駒札を持って賭けに加わり、ビギナーズラックのせいかちょっと増えているのだ。ロイはすっかり気をよくしているのだが、アムは不安に浸されていた。
 この男だわ、とアムは思った。サシチというらしい壺振りの目が賭客を眺め回すたびに、たいまつの炎を顔の前につきつけられたような火照りが来る。アムは片手の袖口でそっと汗をぬぐった。
 サシチはもろ肌脱ぎで上半身裸だった。白い細長い布を腹から胸近くまできっちりと巻きつけている。片膝立てた状態なので足のほとんどが見えている。足袋ひとつなので、腿、膝、すねまでむきだしだった。
 サシチは黙ったまま視線だけで賭場の期待をあおっている。右手に壺、左手には人差し指、中指、薬指に二つのサイコロをはさんで高く掲げるというかっこうだった。客の誰かがごくりを唾を呑んだ。
 いきなりサシチは壺の中へサイコロを投げ入れ、頭上へ振り上げた。盆茣蓙のまわりは静まり返っている。
 からからと音を立ててサイコロはまわっている。暑い。アムは片手で長い髪を手繰り寄せてつかみ、息苦しさにあえいだ。何人もの人間が発する欲望の熱気に、彼女自身の魔法力の中枢がかき乱されている。
 ゴッと音がした。サシチが壺を盆茣蓙へ伏せたのだった。
「丁!」
その瞬間に誰かが叫んだ。半拍遅れて誰かが張った。
「半!」
どちらかの目へ賭ける声が騒々しく沸きあがり、むきだしの執着が火柱のように立ち上る。アムは、飢えて叫ぶフレイムの群れの中へ放り出されたような気分だった。
 ひととおり賭けが済むと、サシチはおもむろに壺を開けた。片方の目は3、そしてもうひとつのサイコロも3だった。
「サンゾロの丁」
と告げるのと、半に賭けていた客の悲鳴が重なった。
 くふぅ、とサシチがつぶやき、手の甲で汗をぬぐうのをアムはぼんやりと見ていた。負けた客から駒札を回収し、計算して勝った客へ手渡しているのは二人の中盆だった。中盆は忙しそうだが、サシチはあごから汗をしたたらせ、肩で息をしてうずくまっている。だが、その表情がどこか恍惚としていた。
「また勝った!」
うれしそうにロイが言った。
「見ろよ、最初に持ってきた駒札が倍になってる。おれ、けっこうギャンブルいけるよ。な?」
うれしそうなロイに、アムはようやく微笑み返した。
「すごいわね」
へへ、と笑った後、ロイは言った。
「おい、どうした。調子悪いか?」
「ううん、ちょっと蒸し暑いのよ」
「そうか?おれはなんともねえ」
やはりMPが原因らしい。アムはくらくらしていた。
「今夜は若様にツキがきているようで」
 余裕のある壮年の男の声がした。ロイとアムが振り向くと、土蜘蛛のセンゾウがすぐそばに来ていた。
「おう!悪いな、今夜の勝負はおれがいただくぜ」
にやにやとセンゾウは笑った。
「お手柔らかにお願いいたしますよ、ローレシアの若様」
アムは眉をひそめた。この勝負はだめ、と直感が告げている。ロイに声をかけようとしたのだが、すぐに喉がかすれていることに気がついた。
「では、と。そろそろ、いかがですか」
「よし。受けて立つぜ」
センゾウは腰を上げ、壺振りのすぐ隣に正座をした。
「お客さん方」
客はうれしそうに駒札を数えたり財布の中を覗き込んだりしていたが、すぐにセンゾウの方を向いた。
「楽しくお遊びのところ申し訳ありやせんが、次の勝負、私とこちらのお若い方のサシとさせていただきます」
言葉つきだけは柔らかく、賭客を追い出しにかかった。
 ロイとの勝負の話は知れ渡っていたのだろう。どの客も意外そうな顔ひとつせずに盆茣蓙の周りから下がったが、興味津々で眺めていた。
「ロイ」
ようやくアムは声をかけた。
 “だめよ、乗せられたわ。あいつら、ロイにわざと勝たせて、勝負は簡単だと思わせているのよ”。そう言おうとしたのだが、暑さで目がくらみ、とてもすらすらと話ができない。
「なんだよ、いったい?」
「サリューを」
サリューなら見抜いているはず。ロイに忠告してもらえれば、とアムは思った。
「ああ、あいつ、どこで遊んでんだ?サマ!そろそろやるぞ!」
ロイが声をかけると、賭場の反対の隅から今行く、と声をかけてきた。土蜘蛛一家の若い衆と話し込んでいたらしい。
「おそろいのようですな」
センゾウはまたにやりとした。
「壺振りはこちらの身内でよろしいですか」
「こっちに壺振りなんてできるやつはいないからな。いいぜ?」
ロイが言うと、サシチはきちんと座りなおして折り目正しく頭を下げた。が、顔を上げるとき、唇が皮肉にゆがんでいるのをアムは見た。
「だらだら賭けるのもほかのお客様のご迷惑だ。ローレシアの若様、ひととつ一本勝負でいきましょう」
「よし、わかった!それと俺の名はロイアル。ロイでいい」
ロイの安請け合いを聞いてアムはくらくらする頭を片手で抑えて顔をしかめた。
「センゾウさん」
声をかけたのはサリューだった。
「二人とも同じ目に賭けちゃったらどうなるんですか?」
「早い者勝ちです、サマルトリアの若様。つまり、先に声をかけたほうが丁なら、あとは半に張るしかありません」
「そうなの?」
「それがこの賭場の掟、マイラルールです」