マイラ一天地六 1.マイラの中の異国

 夜の海峡は暗く、波が立ち騒ぐばかりだった。
 北にはラダトーム。千年の王城がそびえたち、対岸のここからでも膝元の城下町の賑わいがわかる。そこばかり明るい灯火が集まり、風向きが変われば夜のこの時間でもさんざめく人々の声や高歌放吟の調べが漂ってくる。
 北西にはガライ。さすがにここまで賑わいが聞こえてくることはないが、このアレフガルド多島海の都市のひとつで、音楽家、演奏家、吟遊詩人の聖地だった。
 西にはドムドーラ。それはもう、砂の下の静かな墓所と化している。
 南にはメルキド。ラダトームに次ぐ規模の都市だが、守りの巨人は眠りについて久しかった。
 東にはリムルダール。メルキドと並ぶ町のひとつで東の島の中心都市。今は王家の派遣した部隊がそこを守っている。
 そして東北。
 大きな目のこうもりが一匹、海を渡る夜風に乗ってやってきた。
「来たか」
主のつぶやきが聞こえたのか、こうもりはまっすぐにこちらをめざしてきた。片手を差し伸べると、その上でホバリングして、うやうやしく腕に止まった。
「忠実なるドラキーよ、報告せよ」
きぃ、とドラキーは鳴いた。きぃきぃという耳障りな言葉は、彼の頭のなかで文章として再構成される。
「マイラでございます、陛下!」
ドラキーは興奮しているようだった。
「まことか」
「お探しの漁師と同じ人相の者が、マイラへ立ち寄ったときに件の品を売り渡したと、買い取った当の商人が申しておりました」
「では、今はマイラか。マイラのどこか?」
「内部へ潜入した者がまもなく戻るでございましょう」
 その予言にかぶせるかのように、誰かが闇の中から声をかけた。
「御前に控えております」
それはまっとうな、人間の使う言葉だった。
「ドラキーよ、そのような姿のままで御前へまかり出るなど、はしたなし」
 ドラキーはぱっと主の手を離れ、空中で雲散霧消した、と思うと同じ場所に黒髪に目玉の大きな小男があらわれ、主の前に平伏した。
 そのかたわらに、毛皮の上着を着た細身の男が歩み出た。
「マイラのようすを探りましてございます」
「くだくだしいことは聞かぬ。リカントよ、あれは、どこだ」
リカントは片ひざをついて、小柄な主を見上げる格好になった。
「めぐりめぐって土地の無頼を束ねる男が、その、それを手に入れました」
くっと主はつぶやいた。
「手に入れただと!人間づれが、竜族の女王卵を所有すると言うか!世も末にちがいない」
 ドラキーとリカントは、無言で頭をたれた。夜更けの海峡を渡る風はいっそう激しくイシュタル島へ吹きつけてくる。竜王城の廃墟は風の啼く声に満ちた。
「なんとしても取り返す」
「御意」
リカントは顔をあげた。
「陛下のご命令とあらば、わが一族は身命を賭してもお妃様をお連れ申し上げます」
陛下と呼ばれたのは、まだ少年だった。12かそこらのほっそりした男の子で、黒いローブを身に着けている。黒髪は細くしなやかで、おかっぱに切りそろえていた。そして頭の両側に小さな白い角がちょこんと突き出していた。
 少年は首を振った。
「リカント族は残り少ない。一族のためにも、無理をするでない」
「しかし!」
「そなた、この小竜王の言うことを聞けぬと申すか」
「めっそうもない」
「ならばよし。一族はいたわってつかわせ」
リカントは口惜しそうに顔をゆがめた。
「情けのうございます」
「ゴーレム、ゴールドマン、大サソリ、ドロル、メーダ、キメラ……どれも個体数が減っているのだ。我がドラゴン一族も例外ではない」
「お言葉ですが!」
ドラキーが叫んだ。
「ドラキー族、そしてスライム族は数が多うございます。もちろん、一人ひとりは力なく、か弱いものですが、ですが、きっと!」
ドラキーの声は、竜王城下の岸壁に打ち寄せる波の音に消されてしまった。小竜王は小さく首を振った。
「そなたの忠義、うれしく思う。だが、いかに数がいるとは言え、マイラの町をドラキーだけで襲うことはできぬ」
「ですが、お妃様は」
小竜王はこぶしを握り締めた。
「私が行く。あの女王卵は、私の未来の妃だ。私が行かずしてどうする」
リカントたちはあわてた。
「竜王様がお一人でおでましなど」
「お供をお連れになってください」
「誰を連れて行けというのだ。私のほかに」
言いかけて小竜王はためらった。
「そう、あれが、いるな」
小竜王は片手をあげて、手首の腕輪を見た。まだ腕輪には鎖の切れ端がくっついていた。
「あれならば、もとより人の子である。マイラの中を案内させるか」
小竜王はドラキーを手招きした。
「伝言を運べ」
ドラキーはかしこまった。
「竜殺しの末裔どもに、我が元へまいれと伝えよ」
一度ためらって小竜王はつけくわえた。
「疾くまいれ、そして我を助けよ、と」

 夜空に炎の華が咲いた。貴重な火薬を使った“花火”である。
 マイラの村の人々は、ひとつ打ち上げられるたびに歓声をあげて花火師の業をたたえた。
「たーまやーっ」
というのが、伝統的なほめ言葉であるらしい。
 またひとつ、真紅の星が天頂目指して駆け上がっていく。輝く大輪が大空一杯に繰り広げられ、途中から色を変えると花びらのようにひらひらと散っていった。
「さすがジパング渡りの花火だ」
「色がいいし、でっかいよなあ」
 マイラの店はどこも今夜は深夜営業を続けている。年に一度の祭りの夜は、観光都市マイラではかきいれどきだった。
 周囲を森林で覆われているので林業は盛んだが、マイラ最大の産業は観光事業だった。アレフガルド多島海のみならず、ローラの門の向こうの世界を見渡してもマイラにしかないものがある。マイラは世界でたったひとつの温泉地だった。
 ちゃんか、ちゃんか、ちゃんか、ちゃんか……ガライのそれとはまったく異なる系統の琴の音がにぎやかに響いてきた。襟に打ち合わせのある衣装、キモノを着た女たちがそろって踊りながら練り歩いてくる。道端には朱色の柱の小さな社をいくつも立て、紙製のランプ、「ちょうちん」をつりさげて華やかにしてあった。
「ジパング美人だな」
旅人たちは道沿いの居酒屋の前に出したベンチに座って酒を飲みながら、女たちのエキゾチックな踊りを楽しんでいた。
「マイラの人たちでしょう?」
若い旅人が問いかけた。
「あんたら、ここは初めてかい?」
「着いたばかりです」
気のいい旅人は地酒の入ったマグから一口酒をあおった。
「あのおねえちゃんたちは、みんなマイラ生まれだよ。でも、ご先祖がジパング人なんだ」
最初の旅人の連れらしい少女が口をはさんだ。
「ジパングは“上の世界”でしょう?」
「そうだよ?だけど、知らないか?ギアガの大穴を通ってマイラへやってきたジパングの刀鍛冶がいたんだ」
「そうか!」
もう一人の若者がつぶやいた。
「オリハルコンの塊から、勇者ロトのために王者の剣を鍛えだした刀鍛冶……ムラクだ」
げぷっと酒飲みはつぶやいた。
「このマイラじゃ、ムラク様と呼ばれてるよ。刀鍛冶ムラクとその一族の子孫は、ずっとマイラに住んでやっぱり刀作りをやっていた」
 どーんと音がして、またひとつ大きな花火が空に上がった。夜のマイラの街が一瞬真昼のように明るくなる。
「見な」
酒飲みは道のずっと先を指差した。
「あのでっかい家が見えるかい?あれが刀御殿だよ」
「なんだ、ありゃ」
若い旅人の一人が、驚いたようにつぶやいた。
「マイラのジパング人で一番成功した男が作らせたのさ。どうにもこうにもジパング風だろう」
 “刀御殿”は、村の奥のほうに一軒だけ離れて建っていた。四、五階建てのまさに御殿で、優美に反り返った屋根を持っている。各階には回廊をめぐらせて柱で支えているのだが、朱色に塗った柱や彫刻をほどこした手すりなどが異国風に見えた。祭りの夜らしく、刀御殿は大量のちょうちんを下げて光り輝いていた。
「大きいなあ。その人、一人で住んでるんですか?」
酒飲みは笑い出した。
「いやいや!あの刀御殿は、温泉なんだよ。あれが有名なマイラの温泉なのさ」
「あれ、だって、露天風呂じゃなかったっけ」
「そのほかに内風呂を作ったんだそうだよ」
 アレフガルド中から訪れる入浴客がいそいそと刀御殿へ向かう。ものめずらしそうに御殿を指差し、踊る女たちや太鼓をたたく男たちを眺め、浮かれた気分で歩いていくと、ジパング風のキモノを来た女たちが居並んで笑顔で客を迎えた。
「いらっしゃいませ~」
 刀御殿の大戸が開くと、入り口の広い土間の向こう、一段高くなったところに大きなついたてが置いてあるのが見えた。金の地に大輪の赤い花一輪を描いた大胆な意匠のついたてで、その奥の部屋は床が草でできていた。
 女たちは歌うようにさえずり、ひっきりなしに動き回っている。
 ちゃんか、ちゃんか、と琴が鳴り、どおん、どおんと太鼓が響く。
 マイラの村は、酔うような祭りの気分で盛り上がっていた。
 酒飲みはマグを干して立ち上がった。
「さあ、一風呂浴びに行くかな」
「小父さん、お風呂好きなんですか?」
わっはっはぁと男は笑った。
「まあ、お子様にはわからんお楽しみがたくさんあるんだよ、マイラの温泉にはな」
男は千鳥足で刀御殿のほうへ歩いていった。
「どうやら、あそこみたいだね」
と、声をかけた若い旅人……サマルトリアのサリューがパーティに話しかけた。
「とにかく、交渉してみましょうよ」
と連れの少女……ムーンブルグのアマランスが言った。
「いざとなったら、力づくだな」
たった今話に出た王者の剣、今はロトの剣の柄を握り締めて、ローレシアのロイアルはつぶやいた。