マイラ一天地六 11.竜王夫婦杯

「ふざけんじゃねえ!」
センゾウは怒鳴った。
「玄人のつもりか、ええ、オロチの!誰にもわからないと思って魔法で壺ン中のサイコロを動かして、それで真っ白な盆茣蓙の前によく坐ってられたもんだ!」
最初ぎくりとして顔を上げたオロチのサシチは、次第にうつむき、やがて怒りか恥ずかしさか、震え始めた。
「精霊留美須様に恥ずかしくねえのかっ」
「へい」
消え入るような声でサシチは言った。
「へい、へい、へい……」
言い続けながら、次第に涙声になり、その場に前のめりになり、畳に顔がつくまでうずくまってしまった。サシチの嗚咽だけが、寝静まった部屋に響いた。
 センゾウは懐に呑んでいた短刀をつかみだした。正式な、客を入れての賭場でイカサマをやった場合、賭場の持ち主は自分の顔に泥を塗った壺振りを、客への体面上許すことはできない。片腕を斬る、というのがイカサマ壺振りに与えられる罰だった。
「ぐずぐず泣いてんじゃねえ。賭場の掟は知ってるな。その盆茣蓙がまな板にちょうどいい。たたき切ってやるから、手を出せ!」
サシチはふるえあがった。
「センゾウさん」
そのとき、アムが声をかけた。
「サシチさんの片腕、あたしたちに預からせてくださいな」
センゾウはふりかえった。すぐそばにアムが座っていた。
「渡世の掟は心得ています。けれども、土蜘蛛の親分さんとロイの勝負、まだついちゃいません」
「だが、こんな不始末しでかした野郎に壺を振らせるわけにはいきません」
「そこをどうか」
畳に三つ指突いてアムは深々と頭を下げた。
「おひいさまにそんなことをされちゃあ困ります」
後ろからロイが来た。
「おれからも頼む。正直、このままあんたにサシチの腕を切らせたら、おれたちの寝覚めが悪いんだ。なあ、サシチ」
呼びかけられたサシチは顔を上げた。
「へえ」
「もう壺振りはやらないんだろ?」
サシチは寂しそうに笑った。
「てめえの器ってもんに見切りをつけました。明日から死ぬまでサイコロにはさわらねえつもりです」
「じゃあ、今夜が最後だ。な、センゾウ、いや、土蜘蛛の親分。こいつに最後の勝負の壺振りをさせてやってくれ。もちろん、いかさまぬきで」
センゾウは深く息を吐いた。
「おかしなお人だ、ロイさん。こっちの身内が不始末をしたんだ、本当ならこの勝負はそちらの勝ちで、あの卵どころか何を持っていかれてもこっちは文句の言えない立場だ。それなのに、勝負をしたいんですかい?」
「ああ、したい。自分のものでもないものを、勝手に取り上げちゃあ勇者がすたる。先祖に顔向けできねえ」
真剣な口調でロイは言った。
「この勝負でそちらが負けたら、ロトの剣、こちらにいただきますよ?」
「あんたなら大事にしてくれるだろうし、もともと今晩負けたら卵のことも全部打ち明けて頼み込むつもりだったんだ」
サリューが従兄弟の横にならんだ。
「ぼくたちの目的は最初から公平な勝負、それだけです。不戦勝じゃありません」
センゾウは目の前の若い三人の顔をかわるがわる見比べた。
「わかりやした。そのお申し出、ありがたく呑みましょう。おいサシチ。賭場の掟と言ったが、その賭場をここまで盛り上げてくれたのはほかならぬ、おめえさんだ。最後の最後だ。いい勝負をさせてくれ」
サシチはどきりとした顔つきになり、それからぐいっとこぶしで顔をぬぐった。
「へい……つとめさせていただきやす」
 気合を入れなおすと、サシチは再び半座へ坐った。ロイとセンゾウ、賭けの当事者二人も盆茣蓙の前に座りなおした。少し下がったところにアムとサリューが控えた。
「どちらさまも、よろしうございますね?」
これを最後とサシチが壺を手に取った。

 何度か歩いたことのある古い街道の脇にロイたちはたたずんでいた。時々、旅人の一行や荷馬車が通っていく。大陸のこのあたりはベラヌールの町が近いので、人通りもなかなか多かった。
 お天気のいい、風のない午後だった。このあたりのモンスターでは、もうそろそろレベル上げの役には立たない。パーティがモンスター駆除をやっているのは、旅人の安全のため、かつ、今夜の宿代のためだった。
 三人がいるあたりはモンスターが出ない、とわかっているので、背後の木陰では荷馬車がわざわざ停まり、薪を集めて湯などわかし、弁当を開けている。
「いい匂いだな。おれ、腹がへったよ」
はあ、とサリューがためいきをついた。
「辛抱してよ。あともうちょっとだから」
ロイは首を振った。
「だいぶ殺ったような気がするんだがなあ」
「でも、お金足りないんだよ。野宿いやでしょ?MPだって回復したいし」
さきほどからかんしゃくをおこして、アムは爆裂呪文を連発している。アムは頭巾の下の額をそっとぬぐった。
「ねえ、ご先祖様からのプレゼント、ちょっともったいないけど売ってお金に換えない?」
「そのつもりだったんだけどねえ」
サリューはもう一度深いため息をついた。
「魔封じの杖も妖精の笛も、高く売れると思ったんだよ。だからそれをあてにして、手持ちのお金と銀行にあずけてあったのを全部足して、ミンクのコート買っちゃったんだってば」
サリューは泣きたくなった。
「まさか、気がついたら袋の中から消えてた、なんて……ご先祖様の、バカ」
アムも力なくつぶやいた。
「あたしの賭場の衣装もなくなっちゃったわ」
「さあさあ!」
とロイが言った。
「ないもんはないんだ。せいぜい、稼ごうぜ。おまえ、水でも飲んで来いよ。そしたらまたイオナズンしてくれ」
アムは音を立てて首を回し、そうね、と言った。
「じゃ、そうさせてもらうわ。あたしが来るまで、モンスター捕まえないでね」
アムは弁当を食べている馬車の連中の脇を抜けて奥の水場へ歩いていった。
「なんかさあ」
とサリューは言った。
「センゾウさんにかっこいいこと言っちゃったけど、もっと甘えればよかったのかな」
「甘えるっておまえ」
「だって、勇者がすたるとか言っちゃって、ひとんちの壺とかあさるのは先祖代々やってるじゃない」
「う~」
「だから、持ってけって言われたあれ、もらえばよかったかな、って」
横目で従兄弟を見た。ロイは疲れた顔で笑った。
「大枚のゴールドに、食糧だろ?もったいなかったかもな。確かにかっこつけすぎた」
マイラを出てくるとき、センゾウと土蜘蛛一家は女王卵に加えて破格の餞別をロイたちに差し出そうとしたのだった。
「けど、マイラを出て行くサシチのほうが金もパンも必要だったんだ。しょうがねえさ」
「サシチさん、今頃どうしてるかな」
「言われたとおり、ラダトームへ行ったんじゃねえ?おまえがコーネリアス宛の紹介状を持たせたんだろ?」
コーネリアスはラダトーム城の警備隊長である。サリューはサシチを推薦するという内容の手紙を書いて、サシチに渡したのだった。
「うまく行ったら、魔法使いか僧侶の修行ができるかもしれない。きっとラダトームで必要な人材になるよね」
「だといいな」
しばらく会話がとぎれた。
 目の前をキャラバンが通っていく。その向こう側を逆方向へ行く旅人の群れ。一人旅はほとんどいない。
「あの卵、かえったのかな」
「わかんねえ」
ぼそっとロイは言った。
「よく考えると、あいつらすげえ寿命が長いだろ?人間なら十月十日で生まれてくるが、竜族は十年ぐらいかかるのかもしれない」
「よかったねえ、勝って。悪くしたら、センゾウさんちのジパング庭園で、十年卵の見張り番だよ」
「あ~、まったくだ。とにかくちび竜王との約束は守ったし、あいつも安心しただろう」
「ていうか、すごく喜んでたみたい」
つややかで大きな女王卵を見た瞬間、小竜王はなんともいえない顔をしたのだった。少し泣きそうな表情で何も言わずに竜の卵に寄り添い、そっと額をおしあて、指でさすっていた。
 センゾウが不思議そうにそのようすを見ていたので、サリューはことのいきさつをうちあけた。イシュタル島まで船を出そうかと言ってくれたのだが、誇り高き小竜王はそれを断り、リカント族を指揮して大事そうに卵を刀御殿から運び出していった。
「あら!」
ぼうっとしていたサリューは、思わず目を上げた。アムが戻ってきたのだった。彼女は遠くの方に目を凝らしていた。
「なに?」
アムは無言で街道を指差した。サリューとロイは、そろってその方角を見つめた。
 子供のような若い旅人だった。戦士ではなく、魔法使いのように見えた。キャラバンにもパーティにも混じらず、一人で歩いてくる。正確には一人ではなく、腕に幼い子供を抱えていた。
 髪はおかっぱに切りそろえた黒、身につけているのは縁取りのある黒いローブである。
「ちび竜王じゃねえか」
小竜王は人間で言えばやっと12か13の年頃に見える。その腕の中の子供はさらに幼く、ほとんど一歳ぐらいの赤ん坊だった。小竜王は胸を張った。
「私の妃を見せにきた」
「孵ったのか、あの卵!」
小竜王はやはりうれしそうだった。顔はまじめな表情だが、うれしくてしかたがないようすである。
「かわいいねえ」
赤子の顔を覗き込んで、思わずサリューは言った。
「ずいぶん早く育つのね」
新生児のはずだが、赤子は一歳近いように見えた。
 赤子は不思議そうな目でサリューたちを眺めた。ちゃんと竜族の金の目をしている。ぽやぽやした黒髪は巻き毛で、その間に生えかけの乳歯のような角がぽっちりと顔を出していた。
 サリューは手袋を取って自分の手を差し出した。赤子はもみじのような手でサリューの指をつかみ、うれしそうに笑った。小さな鼻の穴がぷくりと広がって、たいへん満足そうな顔だった。
「お妃様のお名前はなんとおっしゃるの?」
アムが聞くと小竜王は肩をすくめた。
「言えない。私の本名もそうだが、竜族の本当の名前は竜形でなくては発音できぬのだ。この子は便宜上『しっぽ姫』と呼んでいる」
そう言って小竜王はしっぽ姫を地面におろした。しっぽ姫は小竜王の服のすそにつかまって一生懸命立ち上がった。両足と、そして白いワンピース状の赤ちゃん服のすそからはみ出したしっぽを地面につけて身体を支えていた。
「あぅう!」
よだれまじりにうれしそうに叫ぶと、しっぽ姫はたいへん偉そうにふんぞりかえった。目がきらきらしている。とても褒めてもらえるようなすごいことをやった、と自分で思っているらしかった。
 サリューはその場へしゃがみこんだ。
「しっぽ姫、お見事です」
「だーぅう!」
しっぽ姫は片手を未来の夫の服から離すと、サリューのほうへ向かって手を伸ばした。だっこしてくれ、という意味らしい。
「光栄に存じます」
サリューは赤ん坊娘を抱き上げてやった。しっぽ姫は得意満面だった。
「赤ちゃんの匂いがする~」
アムは小竜王のほうにふりかえった。
「あの、婚約者さんの、その、オムツ代えたりとかって、誰がやっているの?」
ん、とつぶやいて小竜王は軽く後ろをふり向いた。
 土ぼこりを巻き上げるようにして、誰かが走ってくる。マイラで小竜王にずっと付き従っていたリカントだった。
「お妃様!」
リカントは片手にオムツ、片手におくるみをしっかりとつかんでいる。
「陛下、お妃様を抑えてくださいませ」
「よしっ」
だが、しっぽ姫のほうが早かった。サリューの腕から暴れるようにして飛び出すと、短い足でたったっと逃げ出した。
「待ちなさい、姫!」
「お妃様!」
サリューたちの見ている前でしっぽ姫は見事にべちゃっと転倒した。白いワンピースのすそがめくれて、かぼちゃ型のパンツが丸見えだった。
「ほら、走るなと言っただろう!」
びーっとしっぽ姫は泣き出した。リカントが追いついて抱え上げた。
「オムツを替えたら、背の君様に甘えてもけっこうです。が、今はだめですよ」
すっかり乳母が板についているようだった。
「まあ、なんだ。子育てがんばれよ」
「子育てっていうか、お嫁さんなんだよね?」
「そうだ」
リカントの腕の中でまだじたばたしているしっぽ姫を見ながら小竜王は言った。
「この子はそのうち、ちゃんと竜の姫になるのだ。いつかは上の世界におられた竜の女王のように美しい貴婦人になる。と、思う」
貴婦人予定のしっぽ姫はかぼちゃパンツのままでリカントから逃げ回っている。
「結婚式もあるんでしょ?」
うむ、と小竜王は少しほほを染めてうなずいた。
「しっぽ姫が大人になったらな。おまえたちにも、その、世話になったと思う。いろいろと大儀であった。だから、結婚式には招待したい」
「ほんとに?!」
アムがうれしそうに言った。
「もちろん、本当だ。五百年ほど先の今日当たり、予定をあけておけ。招待状を送るであろう」
サリューたちは顔を見合わせた。
「そう……書いとこうかな、手帳にでも」
小竜王は悠然と歩き去った。あとからリカントがしっぽ姫を抱き上げてついていった。
「いやー、なんていうか、長生きしないと」
「そうだな……」
はー、とロイはためいきをついた。
「ま、いいや。それより今夜の宿だ」
アムがやっと硬直から解けた。
「あら、お金できたわよ?」
アムはふところから金貨のつまった袋を出してみせた。
「え、あの、まさか」
アムはあごで背後の森の旅人たちを示した。
「あそこで軽くサイコロを転がしてきたの」
どうやら身包みはいできたらしい。
「アム……」
「向こうから声かけてきたのよ。このあたしをカモろうなんて、百年早いわ」
ふっと鼻で笑った。
「さ、宿を取りましょ。私、お風呂に入りたいの」
そう言うとさっさと歩き出した。
 サリューとロイは顔を見合わせて後についていった。
「困ったねー。未来のムーンブルグの女王が妙なものにはまっちゃった」
「あのようすじゃあ、ハーゴン相手に賭けでもやりそうだな」
「ぼくの勘じゃ、勝つね、アムが」
「ラスボス戦、それで行くか」
「うまくいったら楽でいーねー」
頭巾の下に金髪を収め、杖を振るようにしてさっそうと王女は歩いていく。その姿をたのもしげに眺め、従兄弟二人はいそいそとくっついていった。