ルプガナの嵐 6.探し物をする亡霊

 笑いすぎて疲れた体を伸ばし、彼女は空を見上げた。
「本当はいやなことばかりじゃなかった。好きなところへ行って、好きなことして。お腹がすいたら何でもあさって」
サマはうなずいた。
「ぼくもね、昔、王子様やるのが窮屈だったころ、猫になる夢をみたことあるよ」
「のんびりやめ。おまえらしいよな」
ロイが言うと、アムは笑った。
「お互い城暮らしだったわよね。王位継承者でしょ、あたしたち?」
「だよなあ。こんなことでもなかったら、おれら、こうやって顔を合わせることなんて一生に何回あったか、って気がする」
「旅ってたいへんだもんね。外にも出してもらえなかったよ、たぶん」
ちーん、と鼻をかんでサマは続けた。
「これからアレフガルドへ行くことになってたでしょ?ぼく、ずっとラダトームに憧れてたんだ。なんたって歴史のある都だからね。父上も祖父上も、ラダトーム、見たことないんだよ。ぼくだけ。ちょっとうれしいな」
「ラダトームか。いいわね。大図書館があるんですってね」
「マイラも魅力だぜ?温泉だよ、温泉」
「秘密の賭場があるってうわさだよ」
 遠くから、カモメの鳴く声が潮騒にまじって聞こえてくる。三人は誰からともなく、アレフガルドのあるという方向へ視線を向けた。海上の東の方は、たしかに鉛色の暗雲に覆われていた。
 そういえば合流して以来こんな話を三人でするのは初めてかもしれない、とロイは思った。ぴりぴりしているアムよりも、今の彼女の方がずっとつきあいやすかった。
「行こうぜ、アレフガルドまで」
ロイはつぶやいた。うん、とサマがうなずく。アムは、立ち上がった。
「じゃ、がんばらなくちゃ」
「がんばるって、何を」
「ニコルを探しに行くのよ」
「え」
アムは振り返り、唇をちょっとほころばせた。
「これだけは信じて。あたし、旅に出ることにしたとき、自分のやりやすい仕事だけやるつもりで来たわけじゃないのよ。ニコルはあたしが説得するわ」
ロイは目をぱちくりした。
「おまえ、本気か」
「本気よ。あの子、ほっとけないのよ。もし『最初に謝れ』、『頭を下げろ』って言うのなら、10回でも20回でも下げてやるわ」
美しい赤い瞳が、じっとロイを見ている。その瞳の中の自分は、まぬけな表情をしていた。
 くちん、と鼻をかんでサマが言った。
「アムってやっぱり、すごい女の子だねっ」
「凄くないわよ、あたし」
そして、ちょっと横を向いて付け加えた。
「自分で自分をかわいそうがるのは、もうやめたの」
サマは何も言わずに近寄り、きゅ、と彼女を抱きしめた。

 おんぼろ小路の見張りの男たちは、ロイたち三人のことをよくおぼえていた。
「悪いな、ニコルがまたいなくなったんだ。ここに入り込んでないか?」
見張りはためいきをついた。
「入り口はけっこうありますんでね。いないとは言い切れませんや」
「ちょっと探してもいいですか?いなかったらすぐに出てくるから」
サリューが言うと、見張りの二人はどうしようか、とお互いの顔を見合った。
「人探しなら、あっしらが行きますが」
「ちょっとわけがあって、おれたちが行きたいんだ」
ロイは真顔になって見張りの二人を見比べた。
「どうしてもダメだって言うんなら、腕にかけて通らせてもらうぜ」
緊張の糸が一本、ぴんと張り切った。
「おい、あんたら……」
 アムは、ほとんど何も考えず前に出て、ロイたちと見張りの間に立った。
 “通しなさい、無礼者”と怒鳴るのは、かんしゃくもちの小娘にもできる。アムはその代わりに、できるだけ無邪気に言った。
「ロイ、この人たちの見張りのおじゃまをするわけにいかないわ」
二人の男は、一瞬ぼうっとアムに見とれた。そのすきに後ろ手を使って従兄弟二人に、先におんぼろ小路へ入れ、と合図をする。とどめに微笑をひとつ。
「お仕事、がんばってね」
そのまま自分もさっとおんぼろ小路へ入ってしまった。
「アム、うまいよっ」
サリューが手放しでほめてくれるのがくすぐったかった。
「さ、時間ないわよ」
 おんぼろ小路は夜も不快な場所だったが、太陽の下の廃墟はまた一段と不気味だった。
 かつてはぼろぼろの洗濯物が風に翻り、おかみさんたちがわめき声を上げ、子供たちが駆け回り、職のない男たちが酔って怒鳴りけんかをしていた街角だったに違いない。そういう騒がしさがすべて失われた今、この街は不自然な静寂の漂う廃墟となっていた。
 人気のない長屋の前に、手足の取れかかった小さな人形が転がっている。ばってんに縫い付けた糸の目が、じっとアムたちを見ていた。
 真昼でも足元はじめじめとして、汚水でぬかるんでいるところもある。場所によっては、強い悪臭がした。
 反対側の家の窓が、少しだけ開いたような気がする。視界の隅で、ヤモリが体をくねらせて、じめじめした土台の亀裂へ消えた。
 上町にあるベルモント一族の大きなお屋敷から、ニコルは消えてしまった、という。アムはルプガナの少女たちと話したときにもらった情報を思い出した。
「あの子、前はうっとおしいほどまとわりついてきたのに、最近寄ってこないの。おんぼろ小路にいるみたい」
 いったい、この街の何がニコルをひきつけられるのだろう。ルプガナの少女たちの話から、アムは、なんとなくだが、ニコルの感じていることがわかるような気がしていた。
 だがニコルの考え方がもしアムの想像の通りなら、自分に同情してくれそうな人間が一人もいない場所など、ニコルにはなんの値打ちもないはずだ。なぜ、ニコルは?
 アムは空を見上げた。今いる場所の認識が狂いそうでしかたがない。サリューが、“迷路みたいなところ”と言う意味がよくわかった。
 奇妙な物音を聞きつけたのは、そのときだった。
「ニコル?なにをやっているのかしら」
それはまるで、何か固い物を床へ放り投げたような音だった。
 アムたちは音を追って歩き出した。どすん、がしゃ、がさがさ。家捜しをするような物音は、だんだん近くなってくる。おかげで一軒の廃屋に、簡単にニコルを発見することができた。
 扉は開け放たれている。ほこりまみれの床の上には、鍋釜やボロ布、陶器の破片などが足の踏み場もないほど積み上げられていた。その中を這いずり回る少女の姿。
「ニコル!」
ニコルは答えなかった。ルプガナ一の大商人の孫娘は床に膝をつき、上品で贅沢な服が裂けて汚れるのを、まったく意識していないらしい。それどころか手でゴミの中をしきりに探っている。水仕事ひとつしたことのないような白い指は傷つき、うっすらと血がにじんでいた。
「ないわ、どこへいっちゃったの……」
同じことをぶつぶつと口の中で繰り返している。その眼の中にどこか狂った光があった。
「やめなさい、ニコル、いくら同情を引きたいからって」
自分の名前を呼ばれたことを、ニコルはまったくわかっていないようだった。
「ニコル!」
言いかけてアムは、はっと口を閉じた。
 ロイがさっと前に出た。
「おい、おまえ怪我してるぞ」
床から抱き起こそうとする。アムは叫んだ。
「ロイ、違うの!」
「何だ?」
それは、確信だった。
 魔法王国ムーンブルグの最後の王女は、幼時から教え込まれたように呼吸を整え、意識を額の辺りに集中させた。“心眼”のあるところ、とされている。
「姫、この子ニコルだろ?何が違うんだ?」
しっ、とサリューがささやいた。
「今、話しかけちゃだめだよ」
やがて、ぽっと額が温まった。同時にそこにいる者の姿が見えてきた。ニコルよりやや年上くらいの若い女だった。髪を振り乱し、うろたえている。ないわ、ないわ、と繰り返しているのは、この女……の亡霊だった。