ルプガナの嵐 4.ムーンブルグのお姫様

 ルプガナ市場の顔役だという商人は、はげ頭に太鼓腹の、絵に描いたような五十親父だった。アムが顔役の商人に名前と称号を告げ、アレフガルドへ行きたい、と言うと、男はあわててかしこまった。
「王女様、まことにもうしわけねえんですが、その」
市場には大勢の商人が仕入れに押し寄せてくる。熱気と喧騒がまわりに立ち込めていた。
「船が、ないのかしら?」
 そこは市場の一角にある大きなテントの中だった。テントの外では青物が大量に売りに出ている。樽や麻袋に入ったままの香辛料、束ねて乾燥させた薬草香草、そして台の上に山盛りになっているオレンジやレモン、また鮮やかなトマト、つややかなピーマンやパプリカの色彩。
 大都市ルプガナの市場は、周辺の商品がどっと流れ込む場所でもある。とにかく品揃えがよいのだった。
 陽射しをさえぎるテントの中は意外なほど静かで居心地がいい。顔役はテントの中に簡単な書き物机を置き、その前にどっしりと構えていたが、眉が下がって困りきっているという表情だった。
「実はこのところ精霊ルビス様のご機嫌が悪いみたいなんでごぜえます。立て続けに三隻が嵐にやられまして」
「今日は、晴れているみたいですけど?」
「陸(おか)にいたんじゃわかりませんが、海は大荒れで、特にガライ港のあたりじゃあ外海に出ただけでたいへんなことになりやす」
 親方ぁ、すんません!出入りの商人らしいのがテントへ駆け込んできたが、アムたちの姿を見て口をぽかんと開けて立ち止まった。
「ちょっと待ってろ。おれがお世話になったお方のお嬢様がお見えなんだ!」
びしっと言い切ったが、アムに向き直ったときはまた、へいこらしていた。
「おかげであっしらも荷がさばけねえでえらい難儀をしておりますんですが、商人組合のえれえ人たちが、船は当分出せないと決めましたので」
 ロイが声をかけた。
「そのえらい人たちのなかで一番えらいのは、誰だ?誰がうんと言えば、船が出るんだ?」
顔役はあごひげをしごいた。
「そうですな、たぶん長老の、ベルモントさんでしょうなぁ。ルプガナ一の大金持ちで船持ちですよ。商人組合の組合長さんです」
顔役はぱっと明るい顔になった。
「そうだ、うちの娘のミゼットが、ベルモントさんのお孫さんと仲良しなんですよ。あの旦那は孫娘さんのことは眼の中に入れても痛くないようにしてなさるから、ミゼットに言ってその嬢ちゃんから話をしてもらうってのは、どうでがしょう」
 テントの垂れ幕がぱっとひらいて、気の強そうな娘が顔を突き出した。
「やめてよ、お父ちゃん。あたしもうニコルとはつきあいお断りだからね!」
 ロイはうっとつぶやいた。
「ニコルって言うのか、その孫娘」
「そうよ。あたしたちは、“死にたいニコル”って呼んでるけど」
ロイたちは顔を見合わせた。
「あいつだ」
「あの子だね」
「なんてことかしら!」
ミゼットというらしい商人の娘は、アムのほうを見た。
「なに。知ってるの、ニコルのこと」
アムはうんざりした顔つきになった。
「夕べ、会ったわ。あんまりむかついたんで、“自分で自分をかわいそうがっていたいなら、一人でやんなさいよ”て、言っちゃった」
ミゼットは口笛をふいた。
「言ったねえ、あんた」
父の商人があわてた。
「ミゼット!アマランス様だ」
「アムでけっこうよ。ミゼット、あの子、いつも死にたがってるの?」
「かわいそうがってほしいだけよ」
ミゼットはにやにやした。
「お父ちゃん、あたし先にあがっていい?お客さんたちをニコルのこと知ってる子達に紹介するから」
「おお……よし。けど、ご無礼すんじゃねえぞ?」
ミゼットはきゃはは、と笑った。

 戦士の国ローレシア、歌と占いのサマルトリア、魔法王国ムーンブルグ、そのうちのどの国とも、ルプガナの雰囲気は違っていた。強いて言えばリリザに近いな、とロイは思った。
 サマがまた、派手なくしゃみをした。
「へーっくしゅ!」 
「お客さん、うちのスパイス樽にでも顔つっこんだの?」
「うう、そばを通っただけなのに」
「火炎草のでしょ。人によっちゃ、あちこちかゆくなったり、くしゃみ続きになるんだよ」
「うっ、そうなの?」
ぐしゅっと鼻をおさえて、サマは言った。
 ルプガナ娘たちはくすくすと笑った。
「かわいい~」
 開放的と言うのか遠慮がないというのか、少女たちは指差しかねない雰囲気でけらけら笑っている。サマは涙目で微笑を返した。
「ねー、ハンカチ持ってない?」
悪い娘たちではないのだろう。争って色々な物を取り出し、サマをちやほやしはじめた。
 確かに雰囲気はリリザのような感じだが、ここは海が近い。市場のはずれの広場にいるのだが、街の賑わいに混じって波の音が聞こえてくる。
「ありがと。君は?エイメさん?こっちはポーラちゃん?」
その二人は、ミゼットの遊び仲間だということだった。
「あんたらと、あのニコルって娘と4人で遊びまわっていたんだな?」
ロイが聞くと、ミゼットは肩をすくめた。
「だいぶ前だけどね」
他の二人は口々に言った。
「今じゃぜんぜん誘わないよ」
「だって、うざいんだもんね」
「あの子、おんぼろ小路をまたうろうろしてたんだって?」
「見え見えだよね~、同情を引きたいのが」
ミゼットはアムの背を押して、前に突き出すようにした。
「はあいっ、みなさん。ニコルがどうあがいてもかなわないようなこんな綺麗なお姉さまが夕べあの“死にたい娘”に、勝手に自分をかわいそうがってなさいよ、みたいなことを言ってやったんだってー!」
 とたんに爆笑が起こった。
「やっりー。見たかったわ」
「お姉さま、えらい!」
「誰かがきっちりはっきり言ってやるべきだったのよ」
 ちょっと、ちょっと、とアムは手で押さえるようなしぐさをした。
「あの、待ってくれない?あたしたち、それで困ったことになってしまったの。ニコルのおじい様と言う人に、船を借りる交渉をしなくちゃならないのに」
エイメが顔の前で手をパタパタ振った。
「無理無理。ニコルはね、船がなくて困った、なんていう話、ちっともわかりゃしないから」
「あの子、言っちゃなんだけど頭悪いもんね。いっとき、ミゼットにべったりだったじゃない。なんでもミゼットのまねをして」
「あーっ、あれはうざかったわ!」
 ハンカチで鼻を抑えながら、サマが何か言った。
「なあに?」
ロイが代わりに答えた。
「うざいから仲が悪くなったのか?って」
ルプガナの娘たちは、首をかしげた。
「もともと少しめんどくさい子だったけどね」
「最初はあれほど、疲れる娘じゃなかったんだけどね」
「きっかけねえ」
 ぽん、とポーラが手をたたいた。
「いつだったかなあ。あたしが、家のことでちょっと愚痴っちゃったのよ。あたしの家ね、ルプガナで道具屋をやってるの。ところが近くに似たような物を商う大きな店ができて、お客が減った……なんて話をしてたのよ」
 へえ、とロイは思った。話し方は無作法に近いし、きゃあきゃあとうるさいが、この娘たちは毎日本当にがんばって生きているらしい。
「夏じゃない?ルプガナのお祭が近いころ、港のそばでレモン水を飲みながら」
「そうだよ、うん」
ポーラは、ポニーテールにした髪をちょっと直した。
「ミゼットもエイメも、事情をわかって同情してくれたんだった。でもさあ、ニコルがさあ」
「同情しなかった?」
「ちょっと違う。無関心ての?関係ないわ、みたいな顔でさ。お祭のときに何を着ていくの、みたいなことを言い出したの」
ミゼットが口を挟んだ。
「もちろん、そういう話は好きよ。でも、ニコルはどう見ても、そのときの雰囲気を読んでなかったのよ。そこがカチンと来たな」
「だから、言っちゃったんだよねー」
ルプガナ娘たちはお互いにうなずきあった。
「ルプガナ一のお嬢様には、関係なかったわね、とか」
「下々の苦労なんか、わかりゃしないんでしょうね、とか」
「ベルモントの孫娘さんは、そんなご苦労とは無縁だわよね、とか」
 サマはハンカチを鼻にあてたまま、小さく首を振った。
「それからかなあ!あの子が特にうざったくなったの」
ミゼットは言った。
「“あたしだってかわいそうなの”とか言い始めた。ふざけんじゃないわ、って言いたかったね」
「しょっちゅう“親に嫌われてるの”とか、“家出しようかな”とかね」
「わざわざあたしたちを呼び出してそういう話を聞かすのよ。どうしても冷たくなっちゃったかな」
口々に娘たちは言った。
 今まで黙っていたアムが、小さく咳払いをした。
「あのう、ベルモントの孫娘に生まれたのは、ニコルのせいじゃないと思うんだけど」
ポーラは首を振った。
「そりゃそうよ?あたしらが言いたいのは、あの子がルプガナのお姫様だってことはもう変わらないんだから、せめてもうちょっと、つきあって疲れないような性格に変えればいいのに、ってこと」
 ムーンブルグのお姫様は口を開く前に少しためらったようだった。
「結局、きっかけって、そのことだけ?あの、仲直り、できない?」
娘たちは顔を見合わせた。
「あのままの性格が続くなら、だめ。パス」
うん、うん、と少女たちはうなずく。