ルプガナの嵐 3.ルプガナのお姫様

 ロイは、助け出した少女の顔を見た。
「なんでおまえ、こんなとこでうろうろしてたんだ?」
 少女はびくっとした。
「わからないんです。あたし、どうしても来なくちゃって」
 へっ、と出っ歯の見張りは少女の言い訳をさえぎった。
「この娘さんをつかまえて外へ放り出すのは、これで3度目でね」
「一人遊びなら、もっと安全なところでやってくれや」
 少女はうなだれるだけだった。
「おまえ、なんて名前だ?」
「ニコルです」
「じゃあニコル。送ってやるから、家に帰ろう」
うつむいてぼそぼそと何か言った。
「さあ、こんなところにいちゃ危ないよ。行こうね」
サマはニコルの手を取った。ニコルはびくっとした。サマが手を引いて歩き出した。
「おうち、どこ?」
「上町の方です」
「へえ。あ、そうだ」
サマは見張りの二人組のほうに向き直って、ていねい一礼した。
「勘違いしてごめんなさい。悲鳴が聞こえたので、つい」
見張りは首を振った。
「まあ、よそもんには、事情はわかりにくいわな」
「今度から気をつけてくれや」
ロイも手を振った。
「ああ、早とちりして悪かったな」
 4人で瓦礫を踏み、月明かりを頼りに廃墟を出た。出たところはもう、不夜城ルプガナのにぎやかな歓楽街である。4人は黙ったままルプガナの上町目指して坂を上っていった。
「こっちはお金持ちの商人のおうちが多いんだよね」
サマが話しかけた。
「ニコルもきっと、いいところのお嬢さんなのかな?」
ニコルはあいまいに笑った。
「あの、でも、あたし、あんまり自分の家が好きじゃなくて」
「そうなの?家族なのに」
「あたし、親に嫌われてるんです」
 両親、妹、祖父母、従姉妹そのほか周囲の愛情を一身に受けて育ったサマは、天使の微笑を浮かべた。
「思い込みじゃないの?自分の子供を嫌いな親なんて、いないよ」
ロイ自身はそうでもないだろうという気がする。ニコルは訴える口ぶりになった。
「うちの親、厳しいし、お兄ちゃんとお姉ちゃんはできがいいからかわいがるけど、あたしなんかいてもいなくてもおんなじだし」
ロイは聞いた。
「さっきの、家出のつもりか?」
「そんな、ほんとの家出じゃなくて、ただちょっと家から離れたくて、それでなんとなく」
「なんだ」
ニコルはさっと顔を上げた。
「でもいつか、家出すると思うの!」
後ろからアムが小さく言った。
「やめなさい。きちんとした家があるのなら、ありがたいと思うべきよ」
生まれ育った宮廷どころか帰る家もないアムは、思いやりのかけらもない声音だった。
「でも、家出でもしなかったらあたし」
ニコルは深く息を吸った。
「死んじゃいたい……」
はっ、とアムは横を向いて小さく笑った。
「本気じゃないんでしょ?」
「本気です!見て?」
ニコルは立ち止まり、上品な絹のチュニックの袖をめくりあげた。手首にうっすらと傷がついていた。
「ほらね。自分でやったの」
「だめだよ!」
サマが叫んだ。
「痛かったでしょ、これ。ずいぶん深く切っちゃったんだね」
サマはニコルの細い手首をとらえた。ニコルは、まるでほめられたような表情になった。
「いいの、あたし、もうぼろぼろなんだから」
うっとりとつぶやいた。
「どうせ、いらない娘なんだし」
「ニコルはいらない娘なんかじゃないよ」
「ううん、いいの」
「家族がわかってくれなくてもお友達ならニコルの心を察してくれると思うよ?」
ニコルは、むしろうれしそうに首を振った。
「友達なんて!みんな、恵まれてて幸せなのよ。あたしはいつも仲間はずれで一人ぼっち。しょうがないよね。こんな暗い性格だし」
「だめだよ、ニコル……」
 ぴしゃりとアムが言った。
「ほっときなさい、サリュー」
「アム~」
アムは両袖を組んでいた。目が憤りに燃えている。
「聞いていてむかむかしてきたわ。この娘“かわいそう”て言ってほしいだけよ」
ニコルは硬直していた。
「ひどい」
「ニコルって言ったわね。自分で自分をかわいそうがっていたいなら、一人でやんなさいよ。人の同情をあてにしないでね!」
「なんでそんなこと言うの?あたしは」
 すい、とアムは手を動かした。きらきらと明滅する光がニコルの両手首にまとわりついた。次の瞬間、リストカットの痕跡はきれいになくなっていた。
「家族にも友達にも嫌われてるのね?あらそう。それで?」
ニコルの目に涙が沸いた。
「なんてことするの!ひどい。ひどい、ひどい、ひどい!」
先ほどまで“死にたい”とつびやいていたときとはうってかわった迫力でニコルは地団太を踏んだ。
「とっととお帰り!」
わあああっと泣きながら、ニコルは上町に通じる坂を駆け上っていった。
「あ~あ、泣かせちゃった」
 サマがつぶやくと、アムはふん、と言った。
「ああいう甘ったれた娘、がまんができないの!なによ、この世の不幸を全部背負い込んだみたいな顔して」
「そりゃ、アムみたいな目にあった人はめったにいないよ」
アムは言い返そうとして口ごもった。
「あたしは、そういう意味じゃなくて……」
そのまま、黙ってしまった。
「もういいか?とにかく、どこでもいいから今夜は休もう」
ロイが割って入った。
「で、明日、どうするか、考えないとな」
ぼそぼそとアムは言った。
「この街の市場の商人の中に、昔ムーンブルグ王家に品物を納めていた者がいるはずよ」
「そうか!じゃ、そいつに会いに行こう」
アムはうなずいただけだった。
 なんとなく話しかけにくくて、ロイはサマのほうをむいた。
「あのニコルって娘、ほんとに家族と折り合いが悪いのかもしれないな」
「そうお?」
「おれも、経験あるしな」
「ロイのお父さん、優しそうな人に見えたよ?」
「優しくされたおぼえはねえ。誰にでも公平じゃあ、あったけど」
「王様としちゃ、正しい性質だね」
「ああ。だが、父親としちゃ」
ロイは首を振った。
「いや、どうでもいいな」
くす、とサマが笑った。
「お父さんとしては、“物足らない“?ロイはお母さんいなくて、甘ったれる相手はお父さんだけなのにね」
ロイはこぶしを軽くにぎってサマを殴るまねをした。
「うるせえ。甘えたいとかじゃない。ただ、従兄弟のロナウドは魔法力があるのにおれは……だめだから。親父のほうが、おれのことを物足りねえと思ってんじゃねえかな」
「まさか!」
と言ったのは、アムだった。
「世継ぎの王子に恵まれて、そのうえ不満を言うことなんかないはずだわ」
「姫は自分が立派な魔女だからそう思うのさ」
「ええ、あたしは女よ。ずっと思ってた。お父様は、内心では王子をお望みだったのじゃないかって」
「おれは」
言い返そうとしたとき、くすくすとサマが笑った。
「二人とも、つくづく似てるんだね」
「なんだよ」
「なによ」
サマは笑いながら首を振った。
「鏡に映したみたい。ちょっと妬けちゃうね」