きみとリリザで 1.少年時代、勇者の泉

 サマルトリアの王子サリューはあくびをひとつして、砂漠の向こうの日没の名残を退屈そうに眺めていた。人っ子一人いない。 パーティは一面の砂の中を歩きぬいて、やっとこのオアシスに到達したのだった。今夜はオアシス泊まりになる。
「指を上げ、指し示す 木々の間に 光る海
同じ夢、同じ血を わかちあう、仲間たち」
東の地平線はもう夜空に溶けて見分けがつかない。サリューの歌う声だけが静かに流れた。
「それ、歌?」
木の陰から、アマランス王女がたずねた。体の大半は水の中にある。日の暮れるのを待って、ひとり、水浴びをしていたのだった。砂漠のほうへ目を向けたまま、サリューは答えた。
「古い歌だよ。以前、ロイに出会った頃に、人に教えてもらったの」
当のロイは、王女が水浴びをすると言い出すや否や、あわてて“見回り”に行ってしまった。ロイとはムーンペタで合流してからこっち、いまだにぎくしゃくしている。王女はため息をついた。
「あいつ、昔からああなの?」
くす、とサリューは笑った。
「初めて会ったときは子供だったけど、うん、あんな感じだったかな?」

 巨大な岩の洞窟の高い天井のあたりから、一滴の水が滴り落ちた。はるか下の澄んだ翡翠色の水面へとまっすぐに落ちていく。水滴は、鏡のような面へと吸い込まれ、次の瞬間、クラウンを生み出し、壊れ、波紋となって広がった。
ぴちょん……
「おまえ、誰だ」
 一人の男の子のひざのあたりに、波紋が届いた。同じ水の輪が、別の子供のむきだしの足にも触れていた。
 不思議な光に満たされた地底の泉の中に立って、二人の子供はお互いを見つめていた。
 二人とも7つか8つくらいだった。一人はいかにもきかんきそうな、太い眉に大きな目の、黒髪の子供。きちんと旅装束を身に着けている。
 もう一人は、水遊びをしていたらしく、白い麻のブラウスだけだった。やわらかそうな栗色の髪をした、色の白い、女の子のような顔立ちの子供だった。その目は二人の立つ泉の色が映りこんでいるかのような 綺麗な緑色だった。
 老人は泉の中へ足を踏み入れた。気配に気づいたのか、緑の目の少年がふりむき、ぱしゃぱしゃと水を蹴って老人の背中へ隠れた。
「おじいさま!」
「よし、よし」
黒髪の子供は老人を見上げた。
「そいつ、なんだ?ここで何してるんだ」
「私の孫でございます。ローレシアのロイアル様でいらっしゃいますな?御家来衆が、あちらで探しておいででしたぞ」
老人の後ろから緑の目の子供が、おそるおそる、ロイアルと呼ばれた子供のほうをうかがっている。
「そうか」
そう言ってロイアルは、きびすを返した。子供ながらおおまたに歩き、岸へとあがっていく。老人の腰の辺りに隠れて、もう一人の子が息を詰めてそのようすを見ていた。老人はふりむいた。
「もうよろしうございますよ、サーリュージュさま」
 老人は勇者の泉を守る一族の長老だった。長老の娘はその気立てと美貌と、母方から占い師の血を継いだ魔力の高さをのぞまれて、今の国王に嫁いで王妃となり、この男の子を産んでいた。ちいさな王子は王妃によく似ている。かわいくてならない孫だった。
「おじいさま、あの子は、誰?」
「ローレシア王国のお世継ぎ、ロイアル様。サリュー様とは、同い年の王子様です」
サリューは祖父の服に額を押し付けて、つぶやいた。
「なんだか、怖かったの」
長老はそっとサリューの頭をなでた。この子の直感に驚かされるのは、これが初めてではなかった。
「ロイアル様は、特別なお方ゆえ」
「特別って?」
「サリュー様はいくつになられました。『大魔王問答』は習っておいでですか?あのなかに、勇者が出てまいりますね。サリュー様の遠いご先祖さまですよ。勇者様はご自分の末裔に、魔王が来たら退治するようにお命じになったのです。ロイアル様は、その直系でいらっしゃる」
「だから、強いの?」
「強くなくてはならないのですよ。この世の運命は勇者にかかっているのですからね。ローレシアの王子は代々、勇者候補として半生を送るのです。自分が結婚して、子どもをもうけ、その子が戦闘可能になってはじめて、その役目を降りることになります」
「じゃあ、あの子は?」
「まだ、お小さいようですが、あと10年もすれば」
長老は少し迷った。が、サリューは利発な子供だった。ここはごまかさずに話そうと長老は思った。長老は孫息子を抱き上げた。
「さあ、さあ。あの方を怖がってばかりではいけません。もしこの世に何か起こったときは、サリュー様はあの方にお命を預けることになるのですから」
びくっと子供は震えた。
「どうして?」
「この世に再び勇者の立てる時、われらもまた勇者の下に集わん。 勇者が立ち上がるときは、仲間が必要だからです。勇者に従い、盾となって戦う者が。ごらんなされ」
長老は、孫を高く抱き上げた。岩の陰から、ローレシアから来た騎士の一行が見えた。その中心に小さいロイアルがいた。祈りをささげ、壷のような容れものに泉の水を汲み入れているようだった。
「あの方です。サリューさま、覚えていてくだされ。南の国ではロンダルキア平原が一夜にして隆起し、人を寄せ付けぬ魔の大地となりもうした。何かが起ころうとしております。この世はいま、冬の時代。恐ろしい世の中が来るのかもしれません。あのお方は、唯一の希望です。そして、サリューさま、あなたさまも」
だが、サリューは、老人の腕の中で、小さく縮こまってふるえていた。
「こわいよ、ぼく、こわい」
 長老は立場上、サマルトリア王家の子が要求される役割について、知る機会があった。勇者の盾にして、最終兵器である。この冬の時代には珍しく、なまじ高い魔力を備えて生まれついた孫を、長老は愛惜をこめて抱きしめた。
「サリュー様、この時代にあなた様が勇者に召集されることがなければ、どれほどよいか!ですが、いざとなったら、あの方はあなたをもらい受けにおいでになる。それを逃れる方法は、ないのです」