きみとリリザで 10.そして、リリザで

 王女は思わず叫んだ。
「まったく、子供じゃないんだから!」
「魔法力のこと?自分でも恥ずかしいんだったら。アムは赤ちゃんの頃からちゃんと制御できたんだよね、きっと」
こほん、と王女は咳払いをした。巨大な魔法力を制御できずにしかられた覚えなら、ごまんとある。
「えっと、あたしが言ったのは、伝言はちゃんと残すものだっていうこと。『帰る』だけじゃ、行き先がサマルトリアかキャラバンかかわからないでしょうに」
サリューはちょっと唇をとがらせた。
「でも、最後はちゃんと会えたんだよ?」

 サマルトリア王は、奇妙な表情になった。
「息子が、ロイアル殿を探しにローレシアへ参上した、とおっしゃいますか?」
ロイはうなずいた。
「おれは会えなかったんだが、父が来たと言っていた。ずいぶん派手に暴れてくれたらしい」
サマルトリア城のどこか瀟洒な謁見の間の玉座の上で、王は、隣にいた王妃と顔を見合わせた。
「暴れた……のですか?」
「よくは知らないが、ロウソクをちらかして、甲冑を蹴り倒して、ステンドグラスを叩き割って、あたりを水浸しにしてくれたぞ」
まあ、とつぶやいて、王妃は額を片手にあてた。
「そこまでやるとはあの子はよほど興奮していたのでしょう。ここしばらく、それほど大騒ぎは起こしていなかったのですが」
「なんだ、しょっちゅうやってるのか」
「恥ずかしながら」
「で、その興奮しやすい王子は、どこだ?こっちへ帰ってきているんだろう?」
「いえ、戻っておりませんが」
と、王は言った。
「またかよ……どうしておれは、王子に会えないんだろうな」
王は咳払いをした。
「焦りなさるな、王子。時期がくれば、きっと会えるはず」
「時期って、いつだ?」
王は微笑んだ。
「あの子もあなたを探しているのなら、きっともうじきです」

 小さな壷に羽ペンを浸して、台帳に品物と売れた数、単価と小計を記録していく。ページの最後で合計を出せば、仕事は終わりだった。
 馬車の横に置いた机から立ち上がり、マールはキャラバンリーダーに台帳を見せに行った。
「これでいい?ポーリーさん」
ポーリーは台帳をのぞきこんだ。
「ぴったりだ。ありがとうな、マール。大助かりだよ」
彼はうれしくて微笑んだ。“マール”でいるのは、なかなか悪くなかった。
 リリザの町は今日もにぎやかだった。戦争が近いという噂があちこちに飛び交っているが、かえってそのせいで買出しをする人が多く、荷がよく動いている。
 アリサが前掛けで手をふきながら声をかけた。
「お仕事終わったかい、マール」
「はい」
「一息入れとくれ。今、お茶が入ったから」
キャラバンでは高価な茶葉は使わない。野草の一種の根を干したものを煎じ、蜂蜜をたらして飲むことが多かった。
「ありがとう」
マールはお碗を受け取って一口すすった。
 馬車は教会の庭先を借りて停めてある。そのすぐ前がポーリーたちの屋台店だった。町の目抜き通りは並木道になっている。夏の日差しを浴びて、屋台の頭上で緑の葉がきらめいていた。
 ふと、マールの視線がとまった。見覚えのある人物が、こちらへ向かって歩いてくる。背中に剣を背負った、青い服の若者。ロイだった。
 ロイは、きょろきょろとあたりを見回しながら歩いてきた。その視線が、少しはなれたところにある武器防具商の看板に注がれる。マールには気づいていないようだった。
 どうか、こっちを見ないで。
 ぼくに気がついて。
 矛盾した欲求の板ばさみになって、マールは立ちすくんだ。
 名残惜しげに武器屋の看板から目をそらして、ロイは道を曲がり、宿屋へ入ってしまった。

 アリサはびっくりして立ち止まった。
「ちょいと。どうしたんだい!」
お茶のカップを受け取りに出てみたら、マールが一号馬車にもぐりこんで、何か大騒ぎをしていた。自分の荷物を引っ張り出しているらしい。
「彼が、来たの!」
一号馬車の中から、マールの声がした。
「だから、キャラバンとはさよならなんだ。お世話になりました。ポーリーさんや、みんなによろしく言ってください」
早口にそう言った。
 ガレスがやってきた。
「あの坊主、どうしたんだ?」
「わかんないけど、誰かが来たって言うんだよ」
大荷物を引きずりながら、少年が一号馬車からおりてきた。それからやおら、上着を脱ぎ始めた。
「誰が来たんだね?」
「ぼくの勇者」
紺色の下着だけのかっこうで、荷物を広げながら、忙しげに少年は答えた。
「早く行かなきゃ。また、いなくなっちゃう!」
厳重に包んだ荷物の中から、少年は美しい外衣を引っ張り出して、頭から被った。
 アリサたちには背中を向けているので彼の表情は見えないが、その外衣はそのへんの吟遊詩人の持ち物ではなかった。落ち着いた緑色の、袖と脇縫いのない服である。わき腹の小さなベルトを締め、そこに、まるで剣士のように、刀身の細い剣を吊った。
 さらに庶民の染色技術ではちょっと無理なほど鮮やかな朱色のマントを取り出してはおり、両肩でとめた。
 ガレスは目を見張っていた。
「おい、坊や、マール君よ、あんたいったい」
片手に革製の耳あてをつかみ、反対の手を剣の柄で支え、彼はふりむいた。
「“マール”も、ぼくの本名だけど」
そう言って笑った。
「本当は“サーリュージュ・マールゲム”。長いから、サリューって呼んでもらうんだ」
振り向いたサリューの胸には、まごうかたなきスプレッドラーミアの紋章が描かれていた。
「キャラバンは大好きだよ。でも、ぼくは勇者に招集されたんだ。行かなくちゃ」

 リリザの町の宿屋は、町の中央からまっすぐ伸びる大通りに面していた。サリューはどきどきしながら入り口をくぐった。
「らっしゃいっ」
とたんに声がかかる。だが、サリューはきょろきょろした。気のよさそうな宿屋の男が近寄ってきた。
「お若い剣士さまは、どなたかお探しですかい?」
「うん。青い服の若い男の人が来なかった?」
「あ、お連れさんですか?さきほど宿を取られて、今はお出かけです。部屋は掃除中なんで、食堂で待ってるといいですよ」
宿の男はそう言って、窓際のほうへ手を振った。
 大きな宿でも、昼時が終わって夕食の仕込みにかかる今頃は、ほとんど食堂に人がいなかった。サリューは荷物を引きずって、窓際にあるテーブルのところにすわった。
「なんて言えばいいかなぁ」
だって、たぶん、ぼくがぼくだってこと、知ってるんだし。
 生まれて初めて着たこの紋章入りの祭服が少し気恥ずかしい。うつむいて椅子代わりの樽の上で足をぶらぶらさせると、かかとが樽にぶつかって音をたてた。
「らっしゃい!」
さっと宿の入り口のほうへ顔を向ける。入ってきたのは、ロイだった。サリューは急いで樽から飛び降りた。
「おつれさんが、お待ちですよ」
「つれ?おれの?」
不思議そうな声で言うと、ロイは宿の男の指差すほうを、自分のほうを見た。ちょっと目が大きくなった。そしてゆっくり、窓際へ向かってきた。
 落ち着け、ぼく……
 そう、言うべきことは決っていた。
 サリューは正面から彼を見た。
「ぼくはサマルトリアのサーリュージュです。そして君はローレシアのロイアル王子ですね?」
「あ、ああ。おまえ……」
ロイが何かを言う前に、急いでサリューは続けた。
「ぼくは、ずっと本当の君を探していました。ぼくの命を、君にあげます。力をあわせて、ともに戦いましょう」
 いきなりロイはサリューの両肩をがしっとつかんで顔を引き寄せた。思わず、ひいっとサリューはつぶやいた。ロイはしばらくじっと顔を見てから、言った。
「おまえ、あいつだよな?キャラバンで、ずっといっしょだったよな?」
「う……ごめんなさい」
ロイは、厳しく問い詰めた。
「なんで早く言わなかったんだよ!」
「え?」
「“え”じゃねえよ。おれはずっと探してたんだぞ?」
サリューはロイの腕をふりほどいた。
「ぼくがサーリュージュだって、知ってたんじゃなかったのっ?!」
心の中でサリューは悲鳴をあげていた。だって、勇者の泉で、長老は確かにそう言ったではないか。
「おまえが言わなかったら、おれにわかるわけないじゃないか」
「だって、だって……君、子供の頃、勇者の泉で、長老の孫に会ったの、覚えているんでしょ?」
「ああ」
「長老の孫なら、サマルトリアの王妃の子だって、わかるでしょ?」
「そういうことになるな」
「で、ぼくは君が会った子供と同じ顔してるのに、どうしてわかんないんだよっ」
ロイは面食らったような顔になった。
「おまえが、あのときのガキだったのか?」
「だって、顔が」
ロイは腕組みをした。
「よく見りゃ、似てはいるけどな。おまえとは別人に決ってるじゃないか。昔おれが会ったのは、どっから見ても女の子だったぞ?」
くら、とサリューはめまいを感じた。
「おじいさまの、ばかっ……て言うか、ロイの鈍感……」
がん、という音で、サリューは顔を上げた。ロイが樽を蹴とばしたのだった。
「ま~たこんなに荷物持ちこみやがって。今度は馬車で移動するわけじゃないんだからな。必要最小限に絞るぞ、いいな?」
「え、そんな」
「さっさと来い。今たてば、日暮れまでにはサマルトリアに入れるはずだ。そのでかいぬいぐるみ、ちゃんとおまえの城に置いてくるんだ」
「ええっ」
「リーダーはおれだぞ?言うこと聞け」
「だって、ぼく、無理だよ。疲れちゃうもん」
「“だって”だの、“だもん”だの、言うな、男のくせに」
「馬車乗って行こうよ。モンスターだっているし」
「あったりまえだろうが!おまえまさかずっと、いや、そうだな、ぜんぜん歩いたことないな?」
「外?うん」
「じゃ、まだレベル1かよ!」
「うんっ」
「バカかっ。自慢そうに言うんじゃないっ」
サリューは必死で下唇を噛んだ。
「どうして怒るの?」
「ああ?」
いかにもめんどうくさそうに彼は聞き返した。
「どうしてそんなに、怒るんだよ……ぼくは君が好きだから、いっしょに行くって決めたのに」
「なにぃ!?」
ロイが大声を出したので、宿屋の番頭や従業員、泊り客などが、こちらに顔を向けた。ロイはあわてふためいている。
「ちょっと待てよ、何を言い出すんだ、おまえ」
「君の事、好き。大好き」
 おおおお~、と周囲からどよめきの声が沸き起こった。ロイの顔がさっと青ざめた。口がぱくぱく動くが、声も出ないらしい。
 あ、おもしろいかも。サリューは心の中で、何かとても楽しいものがうごめくのを感じた。
 両手を伸ばして彼の首のまわりに回し、ぎゅっと抱きしめる。ごろごろ、と顔をつけて、母上にするように甘えてみた。
 ひいいいい、とロイが叫んでいる。至近距離から見ると、白目になってしまっていた。このままいじめていると、卒倒するかもしれない。サリューはとどめを刺すことに決め、耳元にささやきかけた。
「命、預けたからね。ぼくの勇者様」

 王女は片手を額に当てた。
「あんた、そんなことしたの、公衆の面前で、男同士で?」
「うん。だめ?」
「そういうことは、しないものなの!」
「どうして?ぼく、ロイが好きなのに」
「世慣れているようで、考えているようで、サリューってば、肝心なところで常識がすっぽり抜けてるんだから……ロイが苦労するはずだわ」
「そんなことないよ。ぼくはちゃんと役に立ってるもん」
「あいつに同情したの、初めてよ」
「ひどいなあ」
 サリューはもう一度、夜空を見上げた。ロイはまだ帰ってこない。道に迷っているんじゃないだろうか。サリューは歌の続きを歌うことにした。
「指を上げ、指し示す 木々の間に 光る海
同じ夢、同じ血を わかちあう、仲間たち
たとえこの道が やがて暗闇に 続くとしても
今はもう 一人きりじゃない。今、旅立つ」