犬と鏡とムーンペタ 4.犬のアリバイ

 ロイは宿へ戻っていた。あのあと、後ろからサリューが追いかけてくるのはわかっていた。
「待ってよ、ロイ」
「うるさい、おまえのばかげた思いつきのせいでえらい目にあった!」
「ごめんね。今度はぼくが鏡を持つから王女を探そうよ」
ロイは振り向いて鏡をサリューにつきつけた。
「おれはもうごめんだ!おまえ、やっとけ」
「え、そんな」
「とうぶん、おまえのつらは見たくもないっ」
そう言って、ロイはそのまま宿の自分たちの部屋へ戻ると、寝台にもぐりこみ、ぼろぼろになった体とプライドを癒していたのだった。
ロイが起きたときあたりは暗くなっていた。
「サマ?」
相棒はまだ帰ってきていないようだった。
「あいつ、ずっと探してるのか?」
ロイはためいきをついた。
「ちょっと言い過ぎたかな。どこかで泣いてんじゃないのか、あいつ」
どうしてもう子どもでもない同性の、しかも同じく血を引く従兄弟のことをここまで心配してやらなくてはならないのか、とロイは思ったが、街角にぽつんとたたずんでべそをかいている彼の姿は、頭から消えなかった。
「まったく、手のかかる……」
ロイは、サリューを探しに出た。
 夜の広場は人影が少なかった。居酒屋の灯りだけがきれいに見える。ロイは緑色の祭服姿を求めて、広場を横切っていった。
 難民たちは薪を節約して早く寝についたらしい。テント村は静かだった。そのむこうに、ぽつんと焚き火の灯りが見えた。ロイが歩いていくと、焚き火のそばにいた老人がこちらを見た。ひょいと手を上げて、ロイを手招きした。
「なんだ?」
焚き火まで数歩のところまできたとき、老人のそばにサリューが座っているのが見えた。
「何やってんだ、こんなとこで。心配したんだぞ」
サリューはそろえて立てた膝の間からそっと顔を上げた。思ったとおり、目のあたりが涙で汚れていた。
「だって……」
ロイは隣にすわった。
「悪かったよ。昼間のは」
「怒ってない?」
「ん~、怒っちゃいるが、しょうがないな」
ぐすっとサリューはすすり上げた。
 ロイは焚き火の老人のほうに頭をさげた。
「おれのつれが迷惑をおかけした。こいつを保護してくれたことに、感謝する」
歯のだいぶ抜けた顔で、老人は笑った。
「これはこれは。ローレシアの王太子殿下に頭をさげられては、この年寄りが困ります。お上げくだされ」
ロイはサリューのほうを見た。
「全部、お話したの」
「おまえ、口が軽いぞ」
「ごめんなさい」
「まあ、まあ」
と老人は言った。
「アマランス様が呪いで犬に、とうかがったときは驚きましたが、それなら私もお役に立てるかも知れぬと思いましてな」
「姫を知ってるのか?」
「まさか。個人的に存じ上げるような身分ではありません。父君の行幸に随いて姫もムーンペタへおいでになったことがあります。そのときお姿を拝見したていどでしてな。しかし犬になられては、私にはわかりますまい」
「じゃ、いったい?」
「他の犬のほうです」
年よりは柔和な顔になった。
「犬が、好きでしてな。捨て犬、野良犬にえさをやるのが、隠居して以来の私の日課でござれば。お城が燃えたのは、そう、三ヶ月ほど前でした。それ以前に私がエサを与えていた野良犬は、姫ではありえません」
ロイは、あっと思った。
「おじいさん、凄いんだよ。犬の顔って一匹づつ違うんだって。全部おぼえてるんだって」
と、サリューがつづけた。
「それで調べたら、アリバイのある犬って案外多いの。そうじゃない犬でも、ぼくたちが今日だいぶ試して顔料でしるしつけたでしょ?」
「それじゃずいぶん絞られてくるよな?」
「そうなんだ。あと飼い犬も調べた方がいいかも。ここ3ヶ月で新しく飼われた犬をね」
「それはどうやって調べる?」
「ぼくたちの泊まっている宿の旦那さんが、飼い犬を散歩に連れて行くのを見たことあるよ。口コミで聞いてもらうつもり。新しい飼い犬を誰か飼ってないかって」
「以外に手近だったな」
「それと、もしぼくが姫だったら、犬になって困っちゃって、きっと知り合いを頼ると思う」
「そういや、そうだ。ムーンペタに彼女の知り合いはいるのか?」
「うん、調べてきたよ。昔の家庭教師の婦人が住んでる。それと、王女の母君の侍女だった人が、引退してムーンペタにいるらしいの」
「へえ」
ロイは少々恥ずかしくなった。今日の午後、自分が宿でふてくされていた同じころに、サリューは筋のいい情報をかなり集めていたのだった。
「おまえ、すごいな。おれは……短気起して悪かった」
サリューは、手の甲で涙の残りをぬぐい、えへへ、と笑った。
「ほめてもらっちゃった」

 王女の家庭教師だったという年配の女性は、ムーンペタで老いた母親と二人で暮らしていた。邸宅は立派なもので、かなり裕福らしい。最初、突然訪ねてきた二人の男を警戒していたが、サリューの話術にひきこまれ、王女のことをいろいろと語ってくれた。
「東部で見つかった方が本当にアマランス様だといいのだけれどねぇ」
「先生は違うような気がしていらっしゃるようですが?」
「アマランス様をよく存じ上げていますもの。あの方ならもっと早く、自力でムーンペタへ戻ろうとなさるでしょう。姫御前ながら、正義感の強い方なのです」
鉄色の髪をきつく結った婦人は、唇をふるわせた。
「もしや、と思うと、耐えられません。なんとか、お命があれば……」
サリューは立ち上がり、そっと家庭教師の婦人の肩をだきしめた。
「だいじょうぶ、精霊ルビス様がムーンブルグ王家の姫君をお守りにならないはずがないです。きっとぼくたちが、アマランス様をムーンペタへお戻しいたします」
婦人は目に涙をにじませ、ただうなずくばかりだった。
「案外、優しい人だったね」
「おれは肩がこったよ。ああいう先生タイプのおばさんは、苦手だ」
ロイは王女の家庭教師の邸宅を辞去したあと、こきりと音をたてて首を回した。
「情報はだめだったな。最近になって犬を飼った、ということはない、か。てっきりここだと思ったんだが」
「彼女の性格がわかっただけでもいいよ。かなり熱血なお姫様みたいだね」
サリューは歩きながら羊皮紙のメモをチェックした。
「王女の母君の元侍女、という人は亡くなってたし。どこへいったのかなぁ」
ロイは肩をすくめた。
「あとは、飼い犬のアリバイを地道に調べるか」