デルコンダルの黒い旗 3.居酒屋「月の港」

 かつては美しかったであろうデルコンダルの町並みは、見る影もないありさまだった。
 せっかくの石畳のうえに、犬猫の死骸が放置され、ネズミが人を避けようともせずにうろついている。町の広場は大きく立派だが閑散として、屋台店などはひとつもない。
 かわりにいくつも絞首台が立ち、縄で死体が下がっていた。立派な石の建物の間の暗い路地には、見るからに病んだ人々が全財産らしい毛布にくるまってうずくまっている。毛布の下からのぞく顔には、黒いみみずばれができていた。
 扉に赤い十字を描いた家がいくつもあった。とりわけ大きな屋敷は十字の扉が壊され、内部が略奪されたらしく家財道具が引きずり出されている。
 町並みの向こうに、デルコンダル城の高い石壁が威圧するように立っているのが見えた。
 だが、“月の港”は、別の世界にあるようだった。
 静まり返った通りでただ一軒、きらびやかに明かりがもれ、華やかな笑い声と音楽が夜の街に響く店だった。
 ポーチへあがり、スイングドアを両手で押し開いて中へ入ると、喧騒がどっとロイたちにむかっておしよせた。
 テーブルの上に土足で上がって踊っている男女、汗を振り飛ばしてフィドルをかき鳴らす楽士たち、はやしたてる客、手拍子、靴音、酒の匂い、歌のつもりらしい怒号、小さな居酒屋が今にも壊れそうな勢いだった。テーブルから酒がこぼれて床に滴り、床には壊れたゴブレットや皿、食べ物のかすが汚らしく散乱している。それをあさる犬にまじって客が一人二人、酔いつぶれていた。
 傍若無人に酔っ払いをかきわけて、ロイは店の奥にあるバーへやってきた。店の主人らしいでっぷり太った男がそこにいた。声をかけても、とても聞こえない。ロイは背中におった大刀を下ろすと、酒のしみだらけのカウンターに落とした。
 重量のある剣は勢いよくカウンターの天板にぶつかった。その音に、店の主人がびくっとした。
「な、なんだ」
一瞬、店内が静まり返った。
「はい、すいませんね」
サリューとアムが、ロイの切り開いた道をたどってカウンターへたどりついた。ロイは無造作に主人に聞いた。
「黒い獣に一太刀浴びせた男のことを聞かせてくれ」
主人は呆けたような顔をしていたが、突然、叫びだした。
「みんな、笑え、踊れっ。“疫病”が入ってきちまう!」
「待てよ、おれが先だ」
主人のまぶたは小刻みに震えていたが、視線がアムにたどりつくと、急に見開かれた。
「旅人さん、あんたたちだね、身代わりを買って出たっていう酔狂は。死にたくないんだな?あの獣を倒したいよな?」
主人のぶあつい唇がゆがんだ。
「教えてさしあげますよ。でもね、あたしらも、一晩中歌ってさわいでなくちゃならないんだ。だから、手伝ってくれませんかね」
「おれたちにも、踊って騒げ、って?」
へへ、と主人は笑った。
「きれいなお連れさんがいるじゃないですか」
酔客が二、三人、目をぎらぎらさせてアムに寄ってきた。
「さあさあ、そんな頭巾とって。髪を見せなよ」
「足も見せてもらいたいもんだ。高く上げて踊ってくれよ」
「服、長すぎるんじゃないか?」
一人がそろそろと伸ばした手を、アムは払いのけた。
「いいわ、踊ってあげるわよ」
ロイとサリューは、顔を見合わせた。サリューは首を振る。ロイはあきらめて一声かけた。
「ほどほどにしてくれ、アム」
 酔っ払いや店の女たちを視線一つで左右へ追い払い、アムは店の真ん中へ立った。燃えるような目で周囲をねめつけ、両手を組んで胸の前にあわせた。
 アムの呪文の詠唱は秒にも満たない。はっ、と小さく気合を入れ、アムは渦巻きを自分の周囲に生み出した。次の瞬間、店内は悲鳴に満ちた。モンスターさえ、時には一撃で散ることもある、アムの真空の刃である。
「街中で使うもんじゃないよな」
アムは凄い目でロイをにらみつけた。
「何か、言って?」
「いや、なんにも」
ロイとサリューがカウンターへ戻ると、主人の頭がおそるおそる上がってきた。しゃがみこんで震えていたらしい。
「なあ、うちの獰猛なつれを抑えておくから、かわりに情報提供を頼む」
主人は恨みがましいような目を向けた。
「あんたら、何者だ?どうしてこんなことをする」
「やつらが先に彼女を怒らせたんだぜ?酒の上とは言え、デルコンダル人は度胸がいいぜ」
「女王の御前で軽挙妄動はケガのもとです」
ロイたちが言っても、主人は首を振った。
「他の町じゃそうかもしれない。だが、ここじゃ、だめなんだ。何が何でも、楽しくしていないと、おれたちは、黒いしみが腫れになって」
サリューは眉をひそめた。
「“笑い声やバカ騒ぎが病気への抵抗力を高める”って信じてるんですか?それで毎晩、必死で笑って、歌って?」
「ほかに信じられるもんなんてないじゃないか!みんな、何やってんだ、騒ごう、踊ろう!酒ならまだあるんだ!」
だが、風の呪文をまともに浴びた踊り手たちはまだ立ち上がれないようだった。
「だめだ、マスター、うう」
店にいた者は、生々しい憎しみの視線を三人に向けた。
「誰だって、死にたくないんだ!」
「浮かれて遊んでいれば、やり過ごせるかもしれないんだぞ」
「“いけにえ”なら、とっとと死んでこいよっ」
「おまえたちが死ねば、おれたちは助かるかもしれないんだ」
血走ったような目で、口々に言い立てる。ロイはつい、かっとなった。
「なんだと」
そのとき、サリューがロイの肩をおさえた。
「みんな、怖がってるんだよ」
サリューは苦笑を浮かべている。
「助からないかもしれない、って、思うのが怖いから、ついわめいちゃうだけさ」
ロイは肩をすくめ、店の主人の方へ向き直った。
「邪魔したようだな、マスター。例の戦士のことを教えてくれ。そうしたら、出て行くよ」
主人は半ばべそをかいているような顔だった。
「獣を倒すのは無理だとは思うが……ドルクスという男だ。城壁外の、青い家に一人で住んでる」
「どうも」