花のサマルトリア 7.幸せの王子

 思ったより疲れていたらしい。アムは、自分の客室へ戻る廊下さえ、長く感じた。
「なあ」
横を歩いていたロイが、不意に言った。
「サマのことだけどな。ここへ、置いてかないか?」
アムは驚いて立ち止まった。
「どうして?」
「あいつ、すごく幸せそうだったじゃないか。家族や、友達に囲まれてさ」
ロイの言う意味が、アムにはわかった。
「そうね。あたしとは、ちがうわ」
どんなに血みどろの死闘のあとでもサリューはどこかのほほんとしている。世界の終わりも、命の削り合いも、サリューには影響を与えないように見えるのだ。
今夜のように、たくさんの人に囲まれて、はしゃぎ、笑い、歌っているのが、彼にはふさわしい。
「やつの抜けた分は、おれががんばる。アムは回復に徹してくれればいい」
「蘇生魔法、きっと覚えるわ。誰か一人は、使えないとね」
「ああ」
 そのまま二人とも何も言わずに真夜中の長い廊下を歩いた。そのつきあたりに、誰かが待っていた。
「サマ?」
サリューは柱に背中をもたれて立っていた。
「ロイもアムも、何か、つまんないこと、考えてたでしょう?」
「その……」
「ぼくは、幸せに見える?」
「見えるわ。そうじゃないの?」
声を高めるでもなく、静かにサリューが聞き返した。
「どうしてぼくが幸せでいられるの?」
サリューはゆっくりと身を起こして、二人のすぐ前にやってきた。片手をロイに、片手をアムに回して、サリューは二人の肩の間に自分の額を埋めた。
「もしも世界が滅びるなら、こうやっていても、なにもかも、なくなってしまうのに」
痛いほどの力で、サリューの指がアムの肩にすがりついていた。
 いくらのほほんとしているように見えても、滅びの運命が影響を与えないわけがない。この“幸せの王子”が己の内側に溜め続けてきた絶望や恐怖の大きさを、すがりつく指の痛みに換えて、アムはやっと知った。
「サマ」
ロイは、ためらいがちに手をあげ、サリューの背中をそっとたたいた。
「わかった。俺が悪かった」
「おいてきぼり、だめだからね?」
「しねえよ」
「アムも?」
「サリューが本当に、いいのなら」
サリューはさっと顔をあげた。
「いいさ!ぼくは、君たちと一緒に行く。誰かががんばらないと、世界は終わってしまうんだ。道は閉ざされて」
いきなりサリューは黙り込んだ。
 ゆっくりと腕をほどいた。サリューは自分の手のひらを額にあてた。
「どうしたの」
「ごめん、アム。君が正しい」
「はい?」
「5枚のカードを使う、禁じられた展開法のこと。そうだよ、あれは、今使うべき占いなんだ」
「ああ?だから、なんなんだ?」
サリューの顔は生気を取り戻して、生き生きと輝いた。
「考えて!誰かが、今日この状況を予測していた。そうして、あの展開法で占いをした。その結果、つまり占譜が、あの五つの紋章なんだよ」
「ちょっと待ってね。占譜っていうのは、カードと、意味を持った位置の集合だったわね?で、どの位置にどのカードを置くか、わからないんじゃなかった?」
子供のようにサリューは笑った。
「簡単だよ。あの展開法は、ぼくたちの、まさにこのクエストのために用意されたんだ。つまり、ぼくたちが見つけた順番で読めばいいんだ」

 翌日、ロイとアムはサリューと一緒に、リーヤの部屋まで出向いた。すでにサマルトリアの国王夫妻とサリーアン、サリューの祖母の大占い師、それにシーラとカーラが集まっていた。
「お集まりいただきまして、ありがとうございます。これから、五つの紋章の謎を解き明かしたいと思います」
人々の顔を見回して、サリューは明確な口調で言った。
 リーヤの部屋は、貴婦人の私室らしく飾りつけられた部屋だった。むきだしの壁を神秘的な意匠の壁掛けで覆い、つめものをした大きないすが壁に沿って並べられている。中央に丸いテーブルがありサリューはその前に立っていた。
「残念ながら、五つの紋章は、いまだに見つかっていません。けれど、ぼくたちはいろいろな点を考えて、紋章はすなわち、ぼくたちのためになされた一つの予言だ、という結論に達しました」
サリューはテーブルの上にタロットカードの束を置いた。すべて裏向きである。
「ヒントは二つありました。ひとつは、山彦の笛。あれのおかげで、紋章とタロットの間に、何かつながりがある、とわかりました。もうひとつは、占い師の間に伝わる、5枚のカードを用いた禁断の展開法です。それは『この世が滅びに瀕し、道の閉ざされた時にのみ用いるべし』ということになっていて、実用にはならない占い方でした」
シーラとカーラがうなずいた。さすがの二人も緊張しているようだった。
「なんのためにこんな展開法が代々伝えられてきたんでしょうか?これが予言だからだ、とぼくは思います。ロイの率いるクエストは今まさに道を閉ざされています。そうだね、ロイ?」
ロイは、壁際のいすのひとつに座っていた。
「ああ。ハーゴンの城までは行ったが、おれたちはそこから先へ進めないところだ」
「ロイの気持ちはわかるよ。けど、紋章はこの状況を打開するために誰かが残してくれた、占譜の形をした予言なんだ」
リーヤは専門的興味をかきたてられたようだった。
「待って。じゃ、誰かが今日あるを予想してすでに占った結果があの紋章だと言うことね?誰なの?」
「見当はついているけどちょっとそれは置いておいてくださいますか、叔母上。とにかく、この展開法に合わせてカードを置いていきたいと思います」
リーヤが眉を上げた。
「どれを、どこに?」
「これがぼくたちのために残された予言なら、ぼくたちが見つけた順序に配置すればいいはず。最初は、星の紋章だったよね」
「小島に立つ塔の中のだったわ」
アムが言うと、サリューはタロットの中から17番の“星”を見つけてテーブルの上端に置いた。
「次が、旅の扉のたくさんある祠で見つけた、あれは、太陽だったかしら」
19番の“太陽”が、“星”の真下に置かれた。
「太陽はなんか偶然見つけたんだ。次にデルコンダルへ行ったときに、王様から“月”をまきあげた」
デルコンダル王の人となりを思い出したのか、ロイは眉をひそめた。サリューはテーブルの左端に18番の“月”を配置した。
「そのあとだいぶ長いこと紋章はなくて、でも、“水”を見つけたよね」
サリューは“月”の対称位置に14番の“節制”を並べた。
「で、あの気色悪いダンジョンに、“命”があった。これで全部だ」
アムはふと気がついた。最期の紋章、“命”だけは、どのカードと対応するのかサリューは何も言っていない。