花のサマルトリア 5.サマルトリアの舞踏会・前

 日没と同時にサマルトリア王宮の宴が始まった。
 王妃と貴婦人たちは小半日アムを着せ替え人形にしたあげく、袖の長い暗赤色のハイウエストのドレスをみたててくれた。円錐形の帽子は黒で、そこから薄いベールを垂らす。
 ロイにも衣装を用意したらしいのだが、王妃が“それを着て、アマランス姫といっしょにダンスのリードを取っていただきたい”と言ったとたんに、ロイは行方をくらました。
 ダンスは男女とも王族の基礎教養だった。というより娯楽の少ない宮廷生活でダンスができないと、社交の機会が確実に減るのである。アムも幼女のころからダンスと礼儀作法を専門の教師について学んでいた。
 また宴のときは、ダンスの列の先頭に立って踊り始める役を主賓に提供するのが礼儀にかなうこととされていた。サマルトリアの兄弟国であるローレシアとムーンブルグの王族は立派に夜会の主賓である。
「まあ、しょうがないか」
と言ってサリューは首を振った。
「敵前逃亡じゃなかったの?」
「むしろ、ドクターストップかな。あとで帰ってくるって言ってたし」
「どうしてサリューってロイにはあまいかしら!」
 サリューはちゃんと着替えていた。深緑の、ちょうちん袖のついたひざまでのダブレットで、戦場など生まれてから足を踏み入れたこともないような箱入りの王子様に見える。
 ロイが逃げてしまったのでサマルトリアの国王夫妻がダンスをリードした。曲は優雅なメヌエットである。
 サマルトリア城の広間はたくさんの燭台に明るく照らされ、壁にかけた大きなタペストリや、長いテーブルに並んだ銀の器が美しく輝いていた。客は王家と近しい貴族たちや市民の良家の者などが中心で、王の人柄のせいか、わきあいあいとしている。
 食事のあとでアムは隣の席のサリューに5枚のカードの展開法の話をした。
「禁じられた展開法のことはぼくも前に聞いて知っていたよ。でも、5枚っていうのは偶然かもしれないよ」
「占いとなると、ずいぶん慎重ね」
「禁断の展開法を使うとしても、どこにどの紋章をあてはめたらいいのか、わからないんだ。たとえば太陽の紋章は、どうやら太陽のカードのことらしいよね。それは、“助けとなるもの”なの、それとも“妨げるもの”?」
「適当にあてはめちゃだめなの?」
「適当な答えしかでないよ?」
そのとき、小太りの女官がそばへやってきた。
「申し訳ありません、サーリュージュ様、姫様が、どうしても兄上様とダンスをするの、と、たいそうなおむずかりで」
「あ、ぼくが約束したんだ、ダンスに誘うって。アム、ちょっとごめんね」
そう断るとサリューは上座のテーブルから立ち上がった。玉座をはさんでテーブルの反対側に家族席があり、かわいらしいサリーアンが若草色の衣装を着てちょこんと座っていた。
「一緒に踊っていただけますか、サリア姫?」
「おにいちゃん!」
サリーアンは飛び上がるように兄に抱きつき、それから二人で広間の中央に進み出た。
 ほほえましいダンスパートナーに、広間のあちこちから微笑やほめ言葉がたちのぼった。楽師の長が合図をすると、楽師たちがそれぞれ自分の楽器を取り上げ、やがて華やかなメロディがわきあがった。
 向かい合ってお互いに一礼する。サリューは右の、サリーアンは左の足をそれぞれ横へすべらせ、手を差し伸べあって軽く触れる。腰をかがめてから、また反対の足を横へすべらせて元の位置へ戻る。
 幼いながらサリーアンは家庭教師にステップを叩き込まれているらしかった。長いすそを翻してサリーアンは回転し、パートナーとすれちがった。
「あのね、あのね、サリーアンね、お兄ちゃんが大好きなの」
すれちがいざま、興奮にほほを染めて、サリーアンは熱心に言った。
 つまさきをこつんと床につけて、再びすれちがう。
「ぼくだって、サリーアンが大好きだよ」
「ほんと?ほんとね?」
「何があったって、ほんとだよ」
曲が終わった。女官が姫を迎えに来た。サリーアンは両親におやすみなさいを言い、もう一度兄をぎゅっと抱きしめてから、寝室へひきとっていった。
 わたしにも、とアムは思った。サリューのような兄弟がいたらあんなふうだったかしら?心の中でアムは、今はもうなくなってしまったムーンブルグの平和な宮廷に、サリューの姿を重ね合わせていた。
「あの、アマランスさま」
アムは我に帰った。呼びかけたのは、サマルトリアの若い貴族だった。
「新しい曲が始まりますが、ダンスはいかがでしょうか」
断ろうとして、アムはためらった。最期に踊ったのは、去年の彼女自身の誕生日だった。ムーンブルグが壊滅する直前である。まだステップを忘れてはいないかもしれない。アムは席から立った。
「よろこんで」
若者は顔を輝かせて、アムをフロアへ連れ出した。
 曲は『封印されし城のサラバンド』だった。
 ダルシマーとフルートがかなでる荘重な調べにあわせて、深紅のドレスの裾が優雅に揺れる。小さな上靴のとがったつま先をすべらせ、指先まで神経を張り詰めて、円を描くように手首を泳がせる。サマルトリアの宮廷中が注目しているのをアムは意識していた。
 パートナーの若者はうっとりと見とれていたが、それでもなんとかアムをリードして、踊り終わった。
「きれいだったよ、アム。みんなが見てた」
サリューが話し掛けてきた。
「あがっちゃったわ」
「それで、あれだけ上手なの?すごいな。あのへんの若い連中、きっと誘いに来るよ」
アムは思わず笑った。
「こんなの、久しぶりだわ」
 別の若者が、緊張した顔でアムを誘いに来た。もう楽師たちは、おおらかな『王宮のメヌエット』を始めている。
「一曲、お相手を……」
そのあとは、整理しきれないほどの誘いを受けてアムはダンスを楽しんだ。
 クラシックな曲調の『ラダトーム城』のあとは、浮き立つような『海を越えて』とわくわくした気持ちに誘う『王宮のホルン』、深く感情を揺さぶる『広野を行く』と続く。
 数曲が終わると、リズムがだんだん変わった。年配の客たちが疲れて席へ戻り比較的若い者が残ったのである。
 誰か貴族の若者がサリューに話し掛けているの、アムは踊りながら見ていた。サリューは笑って相手にうなずくと、マンドリンを手にして楽師たちの間にすわった。
 客たちの中の若い者がどっと歓声をあげた。サリューが選んだのは、華やかでややテンポの速い『果てしなき世界』だった。
「お、お相手ありがとうございました」
息も絶え絶えにアムのパートナーが言った。
「あら、もう?」
「すいません、つかれちゃって」
すぐに別の若者が入れ替わる。
 ふと気づくと、シーラとカーラも、それぞれピンクと紫のドレスで、パートナーをとっかえ、ひっかえ、踊っていた。形がきれいに決まり、なかなか上手だった。
「サリュー、もっと早いのを演ってちょうだい。こんなステップじゃ、ハエがとまるわっ」
「言ったね?知らないよ?『町の賑わい』を!」
楽師たちはそれぞれの楽器を構え、サリューのピックがすばらしい速さマンドリンの弦をはじき、たちまち曲が始まった。
 演奏のほうもたいへんだが、踊り手も細かいリズムのあいまあいまに小さな跳躍を入れなくてはならない。アムの新しいパートナーが一曲でへたばった。
「あ、足がもつれて」
が、シーラとカーラは容赦しなかった。
「もっと早く!」
二人は火花がはぜるように踊っていた。若い男たちが入れ替わり立ち代り相手をつとめるが、長続きしない。『木漏れ日の里で』と『うたげの広場』でへたばってしまった。
「もうっ、この城に根性のある男はいないの?」
「みんな体力ないんだからっ」
そのときだった。後ろのほうでいきなりやかましい音がして、蛮声が響いてきた。客たちがあわててふりむいた。