花のサマルトリア 1.アラミアの花咲く城

 咆哮をあげる雪嵐に、小さな祠は今にも吹き飛ばされそうに思えた。眠りにくいほどの大音響で雪つぶての混じった烈風が、屋根を、壁を、ゆすり続けている。
 祠の主である年寄りの神父とちょっと年齢のわからない尼僧は階上の寝室へ引き取ったらしい。あの二人は、こんな嵐に慣れているのだろうか。たたきつけてくるブリザードは憎悪と悪意に満ちていた。
 かすかな音を立てて燃えさしが崩れた。
 ささやかなぬくもりを放つ暖炉の前、毛布に包まって、ローレシアのロイアル、サマルトリアのサーリュージュ、ムーンブルグのアマランスの3人は、じっと火を見守っていた。
「ロイ、あれは、ローレシアだったの?」
アマランスが聞いた。
「そんはずがないんだ」
まだ炎に眼をやったまま、ロイは答えた。
 その日、朝は珍しく晴れて無風だった。朝日の射すロンダルキアの大雪原は見渡す限り白く、荘厳で、人を寄せ付けぬ美しさがあった。パーティは雪原深く入っていき、ついにハーゴンの居城に到達した。
 足を一歩踏み入れて言葉を失った。あまりのおざましさに、ではない。そこは平和な城下町に見えた。あまりにも人間くさい、ありふれた、そしてロイにとっては馴染み深い場所だった。
 ハーゴンの城―故郷のローレシアにうりふたつの城で、父にそっくりの王から思ってもみなかった言葉を聞かされ、ロイは……混乱した。
 雪原へよろめき出た彼を追いかけて、サーリュージュとアマランスも、不本意ながら祠へ戻ってきたのだった。
「あれはローレシアじゃないよ」
横顔に淡い炎の照り返しを受けてサーリュージュが言った。
「今、下界じゃ霊鳥の月だろ?アムは知らないかな、サマルトリアでもローレシアでも、アラミアの樹に花が咲いて街中真っ白になる時期なんだ。それなのにぼくたちの見たあのローレシアは夏の情景だった。ロイがこのクエストに出発した季節だ」
アムはちょっと驚いた。カレンダーを気にしなくなってから、どれだけたっただろう。
「ロンダルキアに長居をすると季節はわからなくて。サリュー、どうやってわかったの?」
「日記をつけてるからね。今日は霊鳥の月の九日めだよ」
ロイはためいきをついた。
「本物じゃないとは思った。けど、まいった。あれじゃ進めん」
三人は黙り込んだ。ここへきて、ここまで追い詰めて、パーティは大神官ハーゴンに指一本触れることができないのだった。
「あーっ!」
いきなりサリューが大声を上げた。
「な、なに?」
サリューは立ち上がった。
「ぼく、帰らなきゃ」
サリューはぱっと立ち上がると、自分の荷物を手当たりしだい袋へ放り込み始めた。
「ちょっと、待て!サマ、いったい、どうしたんだ?」
「ごめん、実家で用があるの、すっかり忘れてた!2,3日行ってくるね」
ロイとアムは顔を見合わせた。サマの少々の奇行ではもう二人とも驚かなくなっていたが、今回はとうとつだった。
「まてよ、ロンダルキアはきついんだ。一人抜けられても困る!」
アムもあわてて説得にかかった。
「なんだかよくわからないけど、実家ってその、大事なことなの?」
「大事だよ、すっごく大事」
荷物袋をしょい上げて、サリューはさっさと旅の扉へ入ろうとした。
「そんなに大事なことなら、おれたちもつきあうよ、だから」
サリューの顔がぱっと輝いた。
「ほんと?!」
じゃあ、行こ、いっしょに行こ、と騒ぎ立てるサリューをなだめながら、二人は大急ぎで荷をつくった。
「覚悟は決めたわ。さあ、いいわよ」
「早く、早くっ」
「ったく、いったい何なんだよ」
ロイがぼやいた。いっせーの、で旅の扉へ飛び込む直前、うれしそうな声でサリューは答えた。
「あのね、もうすぐ妹の誕生日が来るんだ!」

 そよ風が吹くたびに、アラミアの白い花が枝を離れてはらはらと舞う。サマルトリアの城下町は牡丹雪がふるようだった。
 旅の扉と船を駆使してこの町へ到着したのはロンダルキアを出た翌々日だった。サマルトリア領へ入ったときから人々は妙に浮かれていた。今まで旅してきたどの地方も人々は重苦しい不安の下でやっと息をしているようだったのが、サマルトリアは違った。
「まあ、きれいだわ」
アムが思わずつぶやいたほどだった。
 城下町を行く人々の、みなりである。ふだんは茶色や灰色、よくて暗い紫か緑ばかりの市民の服装が、実にカラフルになっていた。
 上着といわず、ズボンといわず、被り物といわず、ブーツといわず、鮮やかな原色の地を用い、その上から金糸銀糸を含む色糸で花や鳥を華麗な曲線で縫い取りしてある。
 伊達男は羽を飾った黒い帽子をかっこうよく決め、粋な女は白いレースの頭巾をちょいとかぶって人目を引く。兵士たちの鎖帷子もかぶとも磨き上げられてぴかぴかになり、上へ羽織る サーコートもま新しい。
「妹さんの誕生日は、お祭りなの?」
「今度のは特別」
とサリューが答えた。
「誰かが新しく占い師に加わるときっていうのは、こんなふうににぎやかになるんだよ。妹は今度10歳だから、占い師の修行を始めるんだ」
「ローレシアも?」
アムが聞くと、ロイは首を振った。
「そういう風習はないな」
「ぼくの母の母が大占い師様でね。サマルトリア王家とは関係ないんだ」
るん、るん、となにやら鼻歌を歌いながらサリューは歩いていく。
「おい」
とロイが言った。
「なあに?」
「サマルトリア、初めてだったか?」
「え、一度みんなで来たじゃない?」
ロイはなんともいえない表情をしていた。
「あんときゃ、後宮へは行かなかったよな。初めてだと、笑うぞ」
「なんなのよ」
「まあ見てろ。今にわかるから」
 どこか瀟洒なつくりの城門を入ると、そこは見覚えのある大きな中庭だった。いかにも肥沃な黒土に真珠色の花が縁取りのように植えられている。アラミアの並木道があり、あたり一面、白い花びらが散っていた。
 並木道の向こうに堂々として立派な主殿があった。その手前にあずまやがひとつ。すかしのある塀からのぞきこむと、清らかな泉水があり、泉守らしい老人が立っているのが見えた。横手には大きな平屋の建物があり、忙しそうに人々が立ち働いていた。
 だがサリューはそのどれへも向かわず、中庭を通り抜け、不思議となまめかしい雰囲気の一棟をめざした。
 兵士は誰何もせずにサリューたちを通してくれた。客あしらいに現れたのは、丸々太った女官だった。
「まあ、サリュー様!」
女官はくるりと振り向くと、ソプラノで叫んだ。
「姫様、姫様、大好きな兄上様がお帰りでございますよ!」
とたんに奥のほうで足音がした。
 白い石をアーチ型に組んだ入り口を抜けて、10歳くらいの少女が一人、可愛い手でドレスの裾を持ち上げて、いっしょうけんめいに走ってきた。
「おにいちゃん!」
まあ、とアムはつぶやいた。
 くるぶしへ届こうかというほど長い、ふわふわした巻き毛の。
 大きな緑の目の。
 抜けるように白い肌の。
 キスをせがむような唇の。
 アムは思わず横目で、サリューを見た。この兄妹は、実によく似ていた。
「これ!姫御前の、あられもない!」
女官にしかられて、少女は不承不承たちどまった。長い指でスカートのはしをつまみ、おませなようすで一礼した。
「お帰りなさいませ、兄上様。いらせられませ、ローレシアのロイアル様」
サリューはよくできたね、という笑顔を妹に向けた。
「ぼくの妹で、サリア・アンナ・マールディア・オブ・サマルトリア。サリーアン、こちらはムーンブルグのアマランス様」
サリーアンは大きな目をアムに向けた。
「はじめまして、アマランス様」
アムは思わずこぼれてくる笑いを、サリーアンのプライドのために一生懸命抑えた。が、ぬいぐるみのウサギがまじめくさって挨拶しているようで、なんともかわいらしかった。
「どうぞ、お見知りおきを、サリア姫」
サリーアンは訴えるように兄を見上げた。サリューが腕を軽く広げると、サリーアンは顔を輝かせてその中へ飛び込んだ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
小淑女をかなぐり捨てて、むしゃぶりつく。
「ただいま、いい子のサリーアン。明日はお誕生日だね」
「おにいちゃん、おぼえてた。うれしいの~」
そう言って、ばら色のやわらかいほっぺを無造作にこすりつけた。
「サリーアンの誕生日、一日だって忘れてなかったよ」
たしか一昨日思い出したんじゃなかったかとアムは思ったが、何も言わなかった。