ベラヌールの守り 4.人知れぬ力

 昼も夜も絶えずさらさらと、さざなみはベラヌールの岸を洗う。
 人影の絶えた深夜、盗賊ラーギーは手下を引き連れてベラヌールの預かり所のようすをうかがっていた。
 若い主人とその妻が、最後に店を閉めて家に入っていくと、あとはただ波の音ばかり。ときおり、どこかで物悲しげな犬の遠吠えがあがる。
 行くぞ、とラーギーは手下どもに合図を出した。その数5名。昨日まで旅の商人ラーギーの如才ない番頭の顔をしていたときとは、面構えからちがっていた。
 打ち合わせどおり、モーガンは預かり所の裏口のかぎを壊してくれたようだった。ラーギーはほくそえんだ。子どものころ、モーガンをちょっと脅せば、お菓子だの小銭だのをもってきた。それが今じゃ、稼ぎのもとになっている。このまま解放してやるのは惜しい、とラーギーは思った。
 ラーギーたちは、モーガンから聞いた通りに倉庫を目指した。鍵は厳重に締まっていたが、あらかじめ取らせておいた型で合鍵をつくってある。
「おまえは見張りだ」
一人残してラーギーは倉庫の中へすべりこんだ。
 内部は教会ほどの広さがあった。預かり物らしいアイテムが整然と置かれた棚が何列も並んでいる。奥が広く、巨大な宝箱がいくつも据えてあった。ひとつだけ蓋がずれている。灯火を向ければ、そこからのぞくのはゴールドの輝きだった。
「やったな!」
手下が歓声を上げた。
「さっさと運び出せ!隣の武器屋だ。なに、ちっとくらい音がしてもかまわん、人が起きてきたらぶっ殺す!」
ラーギーがそう命令したときだった。倉庫の扉が閉じた。
「おい、ガッシュ!」
見張りに残した部下の名を呼ぶと、ガッシュではない声が返事をした。
「ガッシュには眠ってもらったわ」
若い女の声だった。棚と棚の間の暗がりから美しい少女が現れた。
「恨み、遺恨はありません。あなたたち、運が悪いの」
 赤い頭巾の下から白いローブの肩へ、金の髪が流れる。それがふわりとゆれた。美少女は手にした杖を片手で高く掲げ、もう片方の手をのべてかるく指を添えた。舞うような所作だった。
 思わず見とれた次の瞬間、足元から竜巻が噴き上がった。無数の針が頭上へ突き抜けていく激痛!
「悪く思わないでちょうだいね……」
うすいほほえみさえ口元に浮かんでいた。ラーギーはキレた。
「この、あばずれが!」
 自慢の大刀を腰から引き抜いたが、少女は顔色一つ変えない。ラーギーは床を踏み鳴らして襲い掛かった。盗賊家業の間に何度も生き血を吸った刃を少女へ振り下ろした瞬間、ラーギーの腕がしびれた。
「あばずれはないだろう、あばずれは」
ラーギーの刀は、冴え返るような刀身にぶつかって震えていた。ナックルを巨大化したようなデザイン、握りのあたりには緑に金で龍の顔のようにしつらえてある。ドラゴンキラーだった。
 その刃をはさんで相対しているのは、若い男だった。
「アムはれっきとした魔女だ」
若者はにっと笑い、ラーギーは刀ごと突き放された。あわてて踏みとどまった瞬間、ドラゴンキラーが襲ってきた。
「おっ、くっ」
すさまじい勢いで剣先が降り注ぐ。ラーギーはたまらず後ずさりした。反撃のすきもない。避ける以外になかった。ついに宝箱に腰がぶつかった。ラーギーは背中からひっくりかえった。
「もうおしまいか、あ?」
若者はラーギーののどもとに剣をつきつけてせせら笑った。
「雑魚が!」

「なんか、悪役っぽかったよ~」
サリューはうれしそうに笑った。
「サーリュージュ・マールゲム!」
アムはぷりぷりしていた。
「やっと世界樹の葉を見つけて帰ってきたら、いきなり立ち回りをさせられて、それで悪役ですって?」
「ごめんね?」
無心に尻尾を振る子犬のような目つきでサリューはアムを見上げた。アムはためいきをついた。
「かなわないわね」
サリューはうれしそうに頭をこすりよせた。
「でも、元気になってよかった」
アムはそういいながら、栗色の細い髪に指を入れてやさしくかき回した。ロイはおもしろくなさそうな顔をした。
「サマ、おまえ病気治ったんだろう?べたべたするな!」
サリューは従姉におおげさに顔を寄せた。
「アム、なんでロイが怒るの?ロイが怒るとぼく、悲しいのに。もう一回病気になろうかな」
「ばかか、おまえ!」
「あのね、サリューが病気だった間、ロイったら、食欲なくすほど心配してたの。あのロイアルさんがよ?だから病気になるなんて言わないのよ、いい?」
「うん」
 シンディは複雑な気持ちで出発する旅人たちを見ていた。サリューは、見違えるようになっていた。戦闘装備に身を固め、細身の剣を帯び、明るく何の屈託もなく。
 これが数日の間自分がずっと世話をしていた、熱い魂を秘めたはかなげな少年と同一人物なのかと、シンディは思い、なぜかさびしいような気持ちで、アムやロイとふざけあう彼を見ていた。
 清算は終わったようだった。女将がホクホク顔だった。サリューとすっかり顔なじみになった女中たちが総出で見送りにでてきていた。
「また来てくださいよ」
「道中、お元気で」
 あのクレブも姿を見せ、ロイからねぎらいの言葉をもらっている。アムは、いつのまにかできていたファンクラブからとつぜん花束を贈られて、それでも慣れているのか堂々と優雅に受け取っていた。
 とつぜんサリューがその場を離れ、シンディのほうへやってきた。シンディはうろたえた。
「何を考えてたの?」
シンディはとっさに商売へ逃げた。
「あ、その、ベラヌールへおいでのせつは、また当店へおいでくださいませ」
「それだけじゃないでしょ?」
また小首をかしげる。シンディは一度ためらってから、口にした。
「どちらが本当のサリューさんなのか、考えていたんです」
サリューはきょとんとしてから、そっと笑った。
「どっちもぼくだよ。でも、あのときのぼくのことは」
後ろのほうから、ロイが声をかけた。
「行くぞ、サマ!」
サリューはあわてて呼び返した。
「待ってよ!」
そう言ってきびすを返して走っていこうとした。が、くるっと振り向いて、シンディと視線を合わせた。
 そうして、手袋をはめた右手の人差し指を立て、自分の唇にすっと、あてた。
“でも、あのときのぼくのことは、ないしょだよ”
シンディは大きくうなずいた。
 うふふ、と笑い声をあげ、紋章入りの祭服を翻して、サリューは仲間たちのところへ走っていった。