ラムダの祈り 2.ベロニカの杖

 旅立ちの前、ベロニカはファナードに呼ばれ、一人で大聖堂を訪れた。
「忙しいところをすまんの」
とファナードは言った。
「ううん、父さんも母さんも、泣いたり笑ったりして興奮しすぎなのよ。セーニャはセーニャでのんびりしすぎだし。ちょうどよかったわ。何か話があるのでしょ?」
ファナードはうなずいた。
「ベロニカや、そなたに話しておかねばならぬことがあるのじゃよ」
十六歳のベロニカのほうが腰の曲がっているファナードより、よほど背が高い。ベロニカは老人を労わりながら大聖堂の中の聖画のひとつに寄った。清らかな聖母子を描いたその絵は「降誕」だった。
「長いこと、わしは里の衆にこう言い続けてきた。ベロニカとセーニャは賢者セニカさまの生まれ変わり、二人で一人の賢者なのです、と」
「ええ、そうよ?何か違うの?」
長老は首を振った。
「ベロニカや、そなたとセーニャは、おそらく、ヒトではないんじゃ」
ベロニカは息を呑んだ。
「なにそれ。あたしたち、捨て子だったんでしょ?二人で並んで静寂の森の樹の下で泣いてたんじゃないの?」
「十六年前の朝、わしが森で見つけたのは、リンゴに似た大きな果実じゃった」
「果実って、じゃ、あたしたちは何なの?」
「そもそもあの朝わしが静寂の森へ出向いたのは、夢見のおかげでの。夢の中で命の大樹から光の滴がこぼれて静寂の森へ落ちたのを見てのう。それを拾いにいったら、そこにあったのはリンゴのような形の、薄く光る果実じゃった。それが目の前でずんずん大きくなり、二つに分かれ、あっというまに二人の赤子となったわけじゃ」
ベロニカは驚きのあまり、しばらく口もきけなかった。
「じゃ、なんで」
「ディルとアニスにそなたたちを預けるにあたって、元はリンゴでしたと言うわけにいかんじゃろう。捨て子、と偽ったのじゃ」
「じゃ、じゃあ、あたしたち、セニカさまの生まれ変わりじゃないの?」
長老はひげをしごいてうなった。
「そこは微妙での」
 ファナードは、神語りの里の長老にふさわしくすらすらと引用した。
「『命の大樹の息吹、聖なる山の頂に愛の祈りを響かせん。祈りを受けて生まれし赤子、その者の名はセニカ。勇者を守る聖賢の乙女なり』」
「ローシュ戦記よね。それで?」
「ローシュ戦記にはセニカさまの家族の話が出てこないのじゃ。もしセニカさまが捨て子だったとしたら、そなたたちと同じいきさつでこの里で育ったのかもしれん」
「セニカさまも命の大樹からこぼれた果実だったってこと?」
ふむ、と長老は言った。
「以前ラムダの里に虹色の枝があったという話を知っておるかの?」
いきなり話が変わり、ベロニカはめんくらった。
「知ってるわ。その当時の里の長さまが、ご子息を助けてくれた旅人たちに礼として与えてしまったのでしょ?公私混同よね」
いやいや、と長老は首を振った。
「わしはそのころ、新米神官じゃった。長さまは、夢で大樹さまから、虹の枝を里の外へ出すべきだ、とお告げがあったと言っておられた」
「長さまは夢見だったの?」
「いや。じゃが、ラムダの里人は本職の夢見ほどではなくてもまれに予知夢を見る。ベロニカや、そなたもその一人じゃとにらんでおるのじゃが、どうかの?」
ベロニカはあっけにとられた。
「長老さま、知ってたの?」
「やはりな」
「どうして」
 こほん、と長老は咳払いをした。
「それは後ほどな。さて、あのときラムダを出た虹色の枝、どこから来たと思う?」
「どこって……命の大樹でしょ?」
「空から降ってきたかの?」
ベロニカは、あっと言った。
「もしかして、光の果実にくっついて里へ落ちてきたの?」
「ふむ。枝のついた果実は二度落ちたのではないかと考えておる。神話の時代に落ちた果実はセニカさまとなり、枝は虹色の枝として里に残った。そして十六年前にもう一度果実が落ち、それはベロニカとセーニャとなった」
「あたしたちのときの枝も里にあるの?」
「うむ。ただ、その枝は別に虹色の光はもっておらんかったが。それでわしは、杖職人をやっとる幼なじみに渡したんじゃ、杖の素材にしてくれ、と言って」
 信じらんない、とつぶやいてベロニカは壁に寄りかかった。
「まあ、ラムダの里はそういうことの起こる里じゃ、ということかもしれん」
優しい口調でファナード長老は言った。
「ヒトであろうとなかろうと、そなたとセーニャは賢者となるべき存在であり、ラムダの大事な双葉のひとつなのじゃ」
ベロニカはちょっと笑顔になった。
「ありがとう、長老さま。ねえ、さっきの話もしてよ。あたしが予知夢を見るっていう話」
おお、と言って長老はベロニカを見上げた。
「そなたとセーニャが十歳になるころ、二人でゼーランダ山へ迷い込んだことがあったじゃろう?」
「迷ったわけじゃないけど、ええ、あったわね。あれでセーニャはやっと呪文を使えるようになったんだわ」
長老は眉毛の下の目を細めた。
「おぼえておらんかのう、そなた、あの事件の起こる前に、予言していたんじゃよ」
「何を?」
長老はよちよちと大聖堂の中の祭壇へ行き、その裏から古い大きな帳簿のようなものを取りだしてページをめくった。
「ここじゃな。事件の一年前のことじゃ。『夢の中で、でたらめな場面がでたらめにでてくるのよ。うまく説明できないんだけど、ひとつはあたしが暗い森の中で、スライムナイトの腰につかまって緑色のスライムに乗っかってるところなの』と言っておった」
ベロニカは片手で口元を覆った。
「その本、何?!」
「わしはこの里の衆が語った夢を記録しておるのじゃ。わしの前の夢見も、そのまた前の夢見もな。おお、続きがあるぞ。『もうひとつはそれほどヘンな夢じゃないの。嵐のときみたいに空が光るの。雨は降ってないけどお日様がなくて、空がヘンな緑色になって、まわりに紫の光が降りそそいで、なのに上の方が真っ白に光るのよ。稲妻なら見たことあるけど、筋ができるのじゃないの。空そのものがギラギラしてた』」
 いきなりベロニカの身体に震えが走った。
「あたし、知ってる」
む?と長老がつぶやいた。
「その夢、見たことある。っていうか、今でも繰り返し、それを見るわ」
ほほう、とつぶやいて長老は夢の記録簿に何か書きこんだ。
「もしまた同じ夢を見たら教えてくれんか」
「そうねえ、旅から帰ったらでいい?」
「おお、そうじゃ。これから旅立ちだった。大事な時に、悪かったの。嵐の夢など振り捨てていくがよい。きっと勇者さまを見つけておくれ」
ベロニカはなんとか笑顔をつくった。
「ええ、まかせておいて」
この時のベロニカは長老に言えなかった。どういうわけか自分はその夢が怖い、不吉で、いやな感じがする、と。

 ベロニカは赤子の頃からからラムダの里の雑貨屋をよく知っていた。店主も女将も、姉妹をずっと可愛がってくれた人たちだった。
「いよいよだねえ。準備はしっかりしておいき。旅の最初はゼーランダの山道だろう。足ごしらえは大丈夫かい?靴が合わないと泣きを見るよ?」
ベロニカは心配性のおかみさんに笑いかけた。
「大丈夫ですってば。薬草も毒消し草もストックしたわ。母さんが、下界の人たちみたいな服を縫ってくれてるの。あたしたち、すっかり普通の旅人に見えるのよ」
 隣でセーニャが嬉しそうにうなずいた。
「お姉さまは赤で、私は緑の服です。いつもの白い服じゃないだけでなんだかドキドキします」
「セーニャちゃんはいつも幸せそうだねえ」
なかば、おかみは呆れていた。
「ま、お姉ちゃんがしっかりしてるからね」
「はい、もちろんです!」
セーニャは満面の笑みを浮かべていた。
 ベロニカは咳払いをした。
「あの、お父さんが『護身用に杖を買いなさい』って、お金をくれたんだけど、あたしにも買えるような両手杖はありますか?」
おかみは店主を振り返った。店主は両手杖の在庫をながめた。
「ベロニカちゃんが使うんなら、あまり重いのはダメだね。ちょっと待っとくれ。倉庫に何かあるか見てあげるよ」
そう言って店の奥へ引っ込んだ。
「セーニャちゃんはいいの?」
「私、お母さんが前に使っていたスティックを持っていきます。かわいいんですもの」
 はぁ、と誰かがため息をついた。
「セーニャ、武器はかわいいからって選ぶものじゃないわよ?」
ラムダの里人の着る白い服の娘が店の中にいた。ベロニカとセーニャと同じ学校に通う少女で、クララと呼ばれていた。
「ほんとにあんた、旅に出るの?大丈夫?」
クララは、大聖堂の教室の中ではベロニカの次に攻撃魔法が上手だった。とはいえ、この一番と二番の間にはたいへんな差があった。そのせいかクララはいつもどことなくこの姉妹に対してつっかかるような態度をとっていた。
「はい、大丈夫です」
不思議そうにセーニャは答えた。そして、セーニャにはクララの不作法と意地悪がまったく通用しなかった。
 ベロニカは腕を組み、人さし指でひじのあたりをこつこつたたいた。スティックの選び方については、クララはまったく正しい。だが、双子の妹を馬鹿にするやつはただじゃおかないというのが、ベロニカが十六年間貫いて来たポリシーだった。
「こんにちわ、クララ。出発前に挨拶したかったのよ」
「あらベロニカ。このたびは大変ね。勇者を探すなんて。おまけに妹のお守りなんて」
クララの口調も表情も、ねぎらいを装った嘲笑そのものだった。
「……やりがいはたっぷりあるわね」
とベロニカは言わざるを得なかった。セーニャはニコニコしていた。
「ですよねっ、お姉さま」
ベロニカは片手で眼を覆ってため息をついた。
 くっくっとクララが笑った。
「まあ、ベロニカのことだから、そつなくこなすんでしょ?」
そして、妙にしみじみ、いいわよねえ、とつぶやいた。
「何よ」
「クレトがね、あんたにあこがれてるんだって」
「はぁ?」
クレトは、クララの年の離れた弟だった。
「凄い魔法使いになりたいんだってさ」
クララ・クレト姉弟の親は、ラムダの里の標準から言っても実力のある魔法使いだった。
「なれそうなの?」
「相性で言うと炎系が一番よくて、それから光系だって。ま、あたしと同じね」
「ふうん。姉弟して修行すりゃいいじゃない」
クララはけだるげに肩をすくめた。
「あたしは治癒魔法のほうがいいの。楽して人に感謝されるって最高じゃない」
ぱっとセーニャが微笑んだ。
「そうですよね、元気になった方がもう痛くないよ、って言ってくださるとうれしいです」
今度はクララが複雑な顔でうめいた。
「クララ、あんた、変わらないわね。毒舌もしばらくは聞き納めになるわね」
クララはふんとつぶやいた。
「どうせ毒よ。とっとと勇者とやらを探しに行くといいわ」
「あんたに言われなくてもそうするわよ」
 店の表から店主が両手杖を何本も抱えて入ってきた。入れ替わりにクララは外へ出た。
「がんばんなさいよ、ベロニカ」
えっとベロニカは聞き返したが、クララは足早に店から離れて行ってしまった。
「どうしたい、ベロニカちゃん?今、うちに置いているのはこんなもんだ。代金は気にしないでくれ」
ベロニカは杖を一本ずつ持ちあげて軽く振ってみた。
「う~ん、これかしら」
「お姉さま、これがかわいいです」
「ちょっと黙ってようか」
セーニャはウズウズするらしく、横から手を出して杖を弄っている。だめよ、と言おうとしてベロニカは驚きのあまり目を見開いた。
 杖が光っていた。てっぺんに赤い魔石を四つ爪で支えた杖が、セーニャの手の中で金色に光っていた。
「あんた、その杖どうしたの!」
セーニャは不思議そうな顔になった。
「お店の在庫ですけれど」
店主も女将も、わかっていないらしい。自分だけに見える、とベロニカは気付いた。
「それ、貸して」
「はい」
杖そのものは明るい茶色、むしろ朱赤に近い色合いの、まっすぐで細めのデザインだった。自分の手の中に引きとっても魔石の光は薄れなかったし、それどころか魔石からさらにあふれ、床にまでこぼれていた。
 しげしげと眺めていると、やがてあふれ出る輝きがまとまってきた。ベロニカの目には、金色の光の塊が三つ、魔石の中に行儀よく収まっているのが見えた。
「ああ、その杖は、いわく付きでね」
と店主は言った。
「その中には、三つの魔法がこめられているそうだよ」
セーニャは片手を口元にあてた。
「まあ、何でしょう?」
店主は頭をかいた。
「この杖を作った職人は長老のファナードさまの友だちで、里の杖職人の親方だった名人なんだ」
十六年前に落ちた果実についていた枝は、ではファナード長老からその親方の手へ渡ったのか、とベロニカは気付いた。
「酒好きで気さくな爺様でしょっちゅう冗談を言っていたんだが、これを造ってまもなく亡くなったんだよ。そのせいで、三つの魔法ってのがなんの冗談だかわからなくなっちまってね」
 声もなくベロニカは杖に見入っていた。どうしようもなく心が惹きつけられる。魔石は内部に炎を宿すかのように輝いていた。その輝きをじっと見ていると吸い込まれそうだった。
「ベロニカちゃん、この杖、なかなかお似合いだよ」
わかっているのかいないのか、店主はそう断言した。
「そうね、この子まるで……」
え?と店主が聞いた。
「なんでもないわ、おじさん。ええと、気に入ったわ。これ、もらいます」
「はい、ありがとう!そういやあ、杖職人の親方が酔ったひょうしに “こいつはめったな客には売らないでくれ”と言ってたよ。ベロニカちゃんなら、じいさんも文句はないだろう。双賢の姉妹だものな!」
ゴールド金貨を手渡しながら、ベロニカはぎこちなく笑っていた。
 店を出てから、魔石の中の三つの光はようやく落ち着いてきた。セーニャが不思議そうに杖を見ていた。
「魔法がこめられている、って、本当でしょうか?」
――輝く光球が三つ……。
「ホントだと思うわ」
「どうしてですか、お姉さま?」
魔石の光は、たぶんセーニャには見えなかったのだろう。そしてセーニャは自分たち姉妹が光る果実だったことを知らない。この杖の素材はその果実の枝だったことも、だからセーニャには意味がない。うまく説明できずにベロニカは言葉を濁した。
「え~と見た瞬間にそう思ったの。ヘンかな」
「そんなことありません!お姉さまの直感が正しいのですわ」
いろいろとトロい妹ではあるが、こういうときセーニャは間違えたことがない。そして、この杖を“目覚め”させたのは間違いなくセーニャだとベロニカは思った。
「ありがと」
ベロニカは手にした杖を振ってみた。使い勝手はよさそうだった。
「ま、杖は決まったわ。さあ、家でまた荷物をまとめましょ」
「はい、お姉さま!」
姉妹の旅立ちは翌朝に迫っていた。

 ベロニカは巨大な鏡に向かって自分の杖を鋭く振るった。
「追いかけられるですって?よ~く見なさい。セーニャはこのあたしのために、生まれてはじめてホイミを成功させたんだから」
鏡の中の像がいきなり切り替わった。そこは真夜中の森だった。せまりくるごうけつ熊に立ち向かう二人の少女がいる。小さなセーニャの手から白金の光が湧き上がり、ベロニカを覆った。
 ベロニカは鏡を指して反論した。
「小さい頃からセーニャのチカラならあたしはよく承知してたし、見下した覚えなんかない。時が来たらセーニャはどんどん回復魔法を覚えていったわ。あたしとセーニャは得意なことの分野が違ってたけど、二人で一人の賢者なんだからそれでよかったのよ」
 やれやれとホメロスは首を振った。
「ホイミひとつで賢者気取りか」
ベロニカはその問いを冷笑で迎えた。
「そっちこそ、そのていどで揺さぶりのつもり?魔軍司令の肩書が泣くわよ?ホイミ、キアリー、スカラ、マヌーサ」
セーニャの呪文を列挙しながら、ベロニカは杖を振って強調した。
「基本的だけど、ラムダの里の人たちにとって何よりありがたい呪文なの。みんながセーニャに感謝して、あたしまで鼻が高かった」
巨大天秤のホメロス側の秤皿の上に、赤みがかった金の光が生まれた。紫の鬼火と金の炎はどうやら釣り合っているらしく、ベロニカ側への傾きがゆっくり水平へ戻っていった。

 その村は、荒野の果てに突然現れた。あたりは命の気配の乏しい、岩と雑草の荒野だった。周辺は高い崖に囲まれているが、崖の開けたところからは遠くに海を見渡すことができた。荒野を見下ろすのは炎の流れ出る黒い巨大な火山だった。時おり大地から熱い湯が噴き上がる。流れる川さえ、湯気をあげていた。
 その川に、小さな橋があり、そこを渡ってしばらく行くと木でできた大きな門が建っていた。
「ほんとにあった……」
ベロニカはその門を見上げてつぶやいた。
「ね、思った通りでしたわ、お姉さま」
セーニャは嬉しそうだった。
「あたしはいつだって、セーニャの勘は信用してるわよ」
 ラムダの里を旅立った姉妹は、はるか南の地へやってきていた。“お姉さま、きっとあっちに勇者さまがいます!”、そう言ってセーニャが譲らなかったのだ。姉妹は船を駆使して南下を続け、サマディー王国にたどりついた。“あっちの方角にきっと何かあります”とセーニャは言い張った。そして今、その通り、二人の目の前に村の入り口が現れた。
「『ホムラの里』ね。いいわ、入ってみましょう」