クレイモランの白鳥 4.智将戦場へ

 デルカコスタ平野は、ゆっくりめざめようとしていた。夜空が後退し東側の丘陵の端に日がのぼると、平野を埋める大群がキラキラと陽光を弾いた。
 左翼、右翼に四百ずつ、中央に三百のモンスターが、デルカダール神殿参道入り口を中心に半円を描くように草地にうずくまっていた。彼らは、攻撃衝動はあるがあまり頭はよくない。だが、食事も休養も睡眠もいらない兵士であり、待つことをまったくいとわない忍耐力を備えていた。
 彼らは命じられた通り、南側の小山の上に立てこもった男グレイグを殺す予定だった。その攻撃はもう一人の男ホメロスが戦場に姿を現した時に始まるのだと教えられていた。
 だから、彼らは待った。一晩中待っていた。
 時々地元のモンスター、大きな帽子を被った豚や青い小鬼などがうろちょろしたが、鎧の騎士の大群を見るとどこかへ逃げて行った。
 デルカコスタ平野全体が明るくなってきたころ、小さな異変が起こった。平野の西側にいる右翼部隊の側面に矢が射かけられた。矢はヒトの使うボウガンのもので、そのていどでは鎧の騎士は倒せない。右翼側面の鎧の騎士たちは軽いとまどいを覚えた。総攻撃の引き金となるべき男ホメロスの姿はまだ見えないのに、動いてもよいのだろうか。
 再度、ボウガンが放たれた。鎧の騎士たちは敵を認識した。馬に乗ったヒトが十体ほどやってきている。十人が一斉にボウガンを発射すると、鎧の騎士は“痛い”と感じた。
 矢が当たったモンスターは、十騎のほうへ向き直った。すると、さっと騎馬は逃げた。が、しばらくすると離れたところからボウガンを射かけて来た。
 やっと死神の騎士が決断を下した。
「ツカマエロ。アヤツラ、ほめろすノ居場所ヲ知ッテイルカモシレン」
右翼部隊のうち、三十体ばかりの鎧の騎士がぞろぞろ動き出した。
 ボウガンを持った十騎は、あきらめたようすで逃げだした。が、鎧の騎士たちは追いかけた。デルカコスタ平野の西側は丘でふさがれ、二本の小道だけが開けている。小道のひとつは大きな滝へ、もうひとつは川沿いの細長い土地へ続いていた。ボウガンを持った十騎は川の方を目指しているようだった。
 馬は確かに早いが、十分に追いつけると鎧の騎士たちは思った。平野は尽き、木立となり、すぐに丘と丘の間の道が現れた。馬尾を振り立てて人間たちは小道へ逃げ込んだ。モンスターが追いかけた。
 道は細く、両側は切り立った崖だった。鎧の騎士たちはほとんど二列縦隊のような形で突入していた。もう少しで川が見えるというとき、前方に何か降ってきた。
 もし、成長した勇者がそれを見たなら、最後の砦と呼ばれた村の入り口の逆茂木、すなわち戦端を鋭くとがらせた丸太を並べて縄で結び合わせたものと同じだと悟っただろう。この逆茂木はスパッツォ隊に同行した工兵部隊の作品だった。
 前を塞がれた鎧の騎士たちはとまどった。前には進めない。後戻りをしようにも、仲間が後ろから詰めかけて戻れない。彼らは混乱していた。
 最後尾からドサッという音がした。別の逆茂木が退路を塞いだのだった。
「狙え」
その声は頭上から聞こえた。細い小道の両側の崖の上に誰かいた。弓を構えたヒトに見えた。その正体は、スパッツォ隊所属のロングボウ部隊だった。斜め上から鋭い矢じりがギラギラと鎧の騎士たちを狙っている。
 頭の回転が鈍めのモンスターにも、何が起こるか理解できた。
「撃て!」
トネリコで作った長弓、ロングボウが一斉にうなりをあげた。矢じりは堅く、頭上からの急角度もある。鎧の騎士たちのプレートメールが貫かれた。
「手を止めるな、どんどん撃て!」
そして何より、ロングボウのメリットは速射性だった。無慈悲な矢の雨が降りそそぎ、青空を覆い隠した。悲鳴をあげるひまさえなく、鎧の騎士たちはハリネズミのようになり、すぐに紫の霧へと還っていった。

 平野の西側の丘の上に赤い旗が立ち、くるくると振られた。視力の良さを誇るフラッグ係の兵士が報告した。
「ホメロスさま、スパッツォ隊、初回成功のようです」
小さくホメロスは拳を握りしめた。このデルカコスタ平野は、独特の形をしている。地形を利用して両端へ誘い込み、右翼左翼を削ぎ取り中央だけにしてしまえば、勝機が見えてくると思った。
「よし。このまま続行。おびき出し役の軽装騎兵には十分注意をさせろ」
フラッグ係の兵士は敬礼した。
「直ちに連絡します。あ、東の森から青旗です。ノッジ隊も始めました」

 デルカコスタ平野の東には、北東にそびえる岩山のつらなりが伸びている。ただ一か所だけ切り開かれ、そこにある森を抜けると海に囲まれた草地へ出られるようになっていた。草地の先は石橋で、その先の小島には古い、開かずの祠がひとつあるだけという寂しい場所だった。
 森の始まる小道の両脇に工兵隊は、刈り取った草を頭から被って潜んでいた。平地中央からノッジ隊の軽装騎兵が走ってくるのが見えた。あまり早いとモンスターが追ってこられない、遅すぎるととっつかまる。ぎりぎりの速さで、いかにも追われてあわてている風を装って、軽装騎兵たちが駆け込んできた。
 まだまだ、と工兵部隊は息をひそめた。鎧の騎士たちが追いかけて来た。馬ほど早くないが、重さのあまり地響きをたて、土煙を巻き上げて走ってくる。眼の前で金属製の巨大な足がいくつも動いて通り過ぎるのを、工兵たちは心臓をばくばくいわせながら見ていた。
「よし、今だ!」
モンスターの一群が通り過ぎた瞬間工兵たちは飛びだした。小道の入り口に生えていた樹の幹にはあらかじめ深くのこぎりをいれてある。最後のひと引きふた引きで樹は切り倒され、その場にどっと倒れ込んだ。
 一斉に工兵は退いた。その場をロングボウ部隊が埋めた。弓を引き絞って森の中へ狙いをつけた。
 森の小道の反対側にある草地には昨夜のうちに船で運んでおいたバリスタを並べてある。ガンガン打ち込んでいる音が聞こえた。バリスタは数人がかりでカタパルトを操作し、矢というより槍を発射する大型の弩で、おそらく鎧の騎士はひとたまりもない。ロングボウはこちらへ引き返してくる個体を仕留めるためだった。が、一体も返ってこなかった。
 グヮ、ゴゴッという悲鳴とも怒声ともつかない声が森の中からしばらく聞こえていた。が、やがて途絶えた。
「工兵、幹を取り除いてくれ。また使うからな。フラッグ係、ホメロスさまへ報告してくれ」

 早朝から始まった作戦は次第に効果を見せている。平野を見渡して、ホメロスは深くうなずいた。
ホメロスの率いる軽装騎兵四十は昨夜のうちに移動して、平野をはさんでデルカダール神殿とは反対側にある小高い丘のふもとに潜んでいた。
デルカコスタ西のスパッツォ隊、東のノッジ隊がそれぞれおびき出しを繰り返した結果、明け方には三翼あった敵軍から右翼左翼が消えた。最初千体以上いた鎧系モンスターは中央のみ、おそらく三百ていどまで減っていた。
スパッツォ、ノッジの両隊から、これ以上は危険、と連絡があった。おそらく次に挑発にいけば、中央の三百がこぞって襲ってくるだろう。小道に閉じ込めきれなければ、いくら飛び道具があっても危険だった。
 ホメロスは、時が来たのを悟った。
「私の馬を」
馬が引かれてきた。直率の四十騎はすでに待機していた。勝負はここからだった。
「前進!」
北の丘から神殿前の敵軍を目指してホメロス率いる軽装騎兵が動き出した。
「ボウガン狙え、撃て!」
敵軍の背後に沿って走り抜けながら矢を浴びせていく。
ホメロスはわざわざヘルメットを脱いで、顔をさらしたまま先頭に立っていた。
――この顔の男を殺せと言われたのではないのか?
来てやったぞと言わんばかりに走っていくと、すぐに鎧の騎士たちが反応した。
「よし、くいついた!全体、続け!」
もし真上から見ていた者がいたら、ホメロス率いる小隊が時計回りで楕円を描くように動いているとわかっただろう。北の丘へ引き返すホメロス隊を、鈍足ながら確実に鎧の騎士たちが追っていた。
 追われながらホメロスは北の丘を見上げた。この丘は背後に海を控える小高い丘陵だった。その中腹で、金属が反射した。
「待たせたな!」
ホメロスは片手を手綱からはなし、親指で背後を指した。
「仕事だ、砲術長!」
 ホメロス隊所属の砲兵たちはいつも王都のあちこちに設置してある大砲四門を、昨夜この丘のすぐ脇の浜から船で密かに持ち込み、闇に乗じて丘の上へ運び上げ、おびき出し作戦の間ずっと準備していた。
 8ポンド砲を覆っていた木の枝や草などが取り除けられた。
「弾ごめ、よし、炸薬、よし!」
「目標モンスター群、発射!」
砲術長の号令にあわせ、軽装騎兵たちの頭上をうなりをあげて弾丸が飛んだ。
「着弾、敵中央!」
砲兵から、そして軽装騎兵たちから歓声があがった。
 思いがけない砲撃を浴びてモンスターの足が止まった。が、霧に還る仲間たちを踏んで後続のモンスターどもが向かってきた。ロングボウと異なり、8ポンド砲は一度発射してから第二射までの時間は長かった。
「どれだけ減った?」
砲撃の間にホメロスたちは北の丘の隠れ場所へ飛びこんだ。
 フラッグ係の兵士は硝煙を見透かそうとしていた。
「……半分くらいです。ざっとですが、残り百五十ほど」
「百まで減らしたかったが、しかたがない」
ホメロスは馬からおり、押し寄せる敵に向き直った。
「ホメロスさま……」
人の体格をはるかにしのぐ鎧の騎士系モンスターが、地響きを上げて襲ってくる。軽装騎兵たちはあおざめていた。
 フン、と口癖をホメロスはつぶやいた。
「砲撃、続行。フラッグ係、丘の頂上で旗を振れ。一番大きな旗だ」
敵が迫る。先頭に立つ赤い鎧の死神の騎士の、戦斧の模様さえ見える近さだった。
「さあ、この戦場へゲストを迎えよう」
敵に向かってホメロスは、きざな仕草で両手を広げた。
「デルカダール王国軍主力部隊のお出ましだ」

 昨夜ホメロス隊の待機所を訪れたのは、グレイグ隊に所属する重装兵たちだった。
「ホメロスさま、お願いがあります。明日の作戦にどうか我々も参加させてください。グレイグ将軍が危機だというのに、安閑としてはいられません!」
小隊長の一人がそう訴えた。
「断る」
にべもなくホメロスは言った。
「しかし!」
「明日の作戦は早さが物を言う。人馬ともにアーマーをつけている君たちグレイグ隊重装騎兵は、その重さのためにホメロス隊の軽装騎兵に比べて速度で劣る。足手まといだ」
帰れ、と手で促したが、小隊長たちは食い下がった。
「では、我々を金床にしてください」
「なに?」
「我々は隊列を組み、動かずにじっとしています。そこにモンスターを追いこんでくれたら、一斉に槍を突きだしてせん滅します」
ホメロスは片眉を吊り上げた。
「白兵戦で鎧の騎士に勝てると?」
小隊長は胸を張った。
「モンスター一体に我々三名の割合なら勝てます」
「三対一か」
ホメロスは考え込んだ。
「ひとつ聞くが、指示があるまで戦場に伏して隠れていられるか?馬の足音やいななきも抑えておけるか?」
小隊長たちは口々に言った。
「問題ありません」
「我が隊の鉄の規律をお見せします」
 ついにホメロスは手を伸ばしてデルカコスタ地方の地図を取った。
「では、待機場所を指示する」
小隊長たちは目を輝かせて地図に見入った。
「今夜のうちに大滝まで前進。そこで敵に悟られないように待機すること」
ホメロスは、連絡フラッグのやりとりについて細かい打ち合わせを始めた。

 デルカダール神殿から見て北東の方角にある丘の上に、旗が翻った。赤の地に金の双頭の鷲。それはデルカダールの国旗だった。
「よし、出るぞ」
 その日の朝から戦闘が始まったのはわかっていた。が、神殿参道前には敵が居座っていた。ようすが変わったのは昼過ぎだった。見張りが戻ってきて、敵が神殿に背を向け北へ向かっていると報告した。参道前はがら空きだ、と。
 ほとんど同時に、デルカダールへ残して来た部下たちが続々と神殿へあがってきた。
「グレイグさま、よくご無事で!」
仲間と合流してグレイグ隊の士気は一気に上がった。
「ホメロスさまから伝言です。北東の丘の上にデルカダールの旗が上がったら突撃、とのことです」
 今、目の前に双頭の鷲が翻っている。
「重装歩兵はこの場でベルトラン殿ご一家を守れ。重装騎兵、槍を装備して騎乗!」
たちまち神殿正門前に、重装騎兵百騎が整列した。その先頭でグレイグは手綱をつかみなおした。
「一気に北進して敵の背後を衝く。続け!」
――今行く、ホメロス!

――さっさと来い、グレイグ!
 二度目、三度目の大砲斉射でまた少し鎧の騎士たちが減った。が、恐怖や痛みは、彼らにとってひどく鈍い感覚であるらしい。巻き上がる土ぼこりの中、モンスターの群れは無言のまま着実に北の丘へ迫ってきた。
 ホメロス隊所属の軽装騎兵たちは、抜刀してそれを眺めていた。余裕など、なかった。
「ホメロスさまは負けない、ま、負けるような戦をしない」
「大丈夫だ。ホメロスさまなら、たぶん」
 そのホメロスは腕組みをしたまま、迫ってくるモンスターの密集陣形の前に立ちはだかっていた。
 おもむろに片手を伸ばし、魔力を放った。
「ドルマ」
黒紫の魔法弾が先頭に立つ死神の騎士の顔面を直撃した。死神の騎士は一度足を止めて顔をのけぞらせたが、何事もなかったかのように歩を進めた。
 チッとホメロスは舌打ちした。
「闇系魔法と悪魔系モンスターは相性がかみあわんな。おまけに頑丈だ。羨ましいほどだな」
「ホメロスさま、お逃げ下さい」
ついに軽装騎兵の一人がそう口走った。
「いや、あのバカは必ず来る。それまで持ちこたえる」
理性ではそう承知している。だが、ドッドッドッと地響きを上げてせまってくる巨体の密集陣形は、神経にこたえる眺めだった。
「でも、もし間に合わなかったら」
うるさい、と怒鳴りつけようとして、ホメロスは口をつぐんだ。
 地鳴りが聞こえた。
 ダダダダダ……と聞こえるそれは、鉄の蹄が大地を踏み鳴らす音だった。
――来た。
膝が笑うほどの安堵に圧倒され、ホメロスは天を仰いで哄笑した。

 グレイグは自分の訓練した重装騎兵を10×10の陣形に編成し、自ら先頭に立っていた。馬鎧で覆った軍馬はそれ自体が武器だった。その上に高い防御力を持つ重装騎士を乗せ、騎士はそれぞれ身長の数倍の槍を抱えている。
「槍先、おろせ」
 槍の穂先は方向十二時、仰角0、それが、疾走する馬の勢いをつけて突進する。比類なき貫通力を誇る、デルカダールの決戦主力部隊だった。
 十六年後このデルカコスタ丘陵の崖を逆落としに駆け下りてみせたグレイグ隊は、神殿正面参道の長い石段を苦もなく馬で下った。
 参道が尽きるとあっという間に草地になった。グレイグの目には、平野の北東にある丘へ迫るモンスターどもの背が見えた。
 たしかに彼らはきちんと統率され、密集陣形を造っていた。だが、この陣形は正面からの攻撃には強いが、側面背面からの攻撃に弱い。
 グレイグの視界で鎧の騎士たちの背がどんどん大きくなっていく。何体か、地鳴りに気づいて振り向いた者がいた。
 第一撃はグレイグの剣だった。肉厚の刃が騎士の頭部を横殴りに殴り飛ばした。
「食い破れっ!」
重装騎兵隊が一斉に槍を繰り出した。第一列の十騎が槍衾をつくり、小気味よいほどグサグサと獲物を貫いた。それに耐えたモンスターも、第二列、第三列の槍にかかった。
 何体か、悪魔の騎士がその中に交じっていた。のろのろと戦斧をかかげ、反撃を試みた。
「駆けぬけろ!」
速度と重量を最大限に生かして重装騎兵が走り抜ける。その勢いにモンスターの方がはねとばされた。
 何度目かの大砲斉射でモンスターは百ちょっとまで減っていた。グレイグ隊の最初の突撃でさらにその半数が滅んだ。
 グレイグは敵軍中央を突破すると隊の進行方向を半回転させた。
「負傷した者は最後列につけ。穴は後列から埋めてくれ。俺に続け!」
 もうモンスターたちは陣形を保っていられないようだった。グレイグは前方を見据えた。
「槍先おろせ!」
今度は横から、重装騎兵の突撃がくわえられようとしていた。敵の残りはもう密集陣形ではなく、五十とちょっとの、浮足立った烏合の衆だった。