風雲ユグノア城 3.地下室の攻防

 魔物の方も、先ほどから無双している二人の王への対応を変えたようだった。パワー系モンスターが三頭、一斉に襲い掛かってきた。
 デルカダール王の剣は下から斜め上の軌道を振り切った。その真後ろで炎の戦士がまさに激しい炎を浴びせようとしていた。
「くッ!」
ダメージ覚悟で身構えた王の前に先王ロウが飛びだして、炎の戦士に氷の魔法をぶちまけた。
「大事ないか!」
「そちらこそ」
無事を確認し合っている二人の背後から、別のモンスターが忍び寄っていた。
(あいつらっ!)
影の存在では攻撃はおろか警告することもできない。四人はぞっとした。
 突然誰かが叫んだ。
「ジバリカ!」
範囲限定設置型魔法だった。ぎょっとしてモンスターが振り向いた。その瞬間、何もなかった床から突然鋭い岩塊が突き上げ、モンスターを貫いた。
 巻き上がる土ぼこりと石つぶてを避けて先王ロウとデルカダール王は顔をそむけた。
「間に合いましたか」
サマディー王だった。デルカダール王とロウは立ち上がった。
「無事であったか!」
「はい。クレイモランの近衛兵殿が活路を切り開いてくれましてな。今は私の護衛騎士をつけて、避難させています」
むっちりしたサマディー王の背後に、クレイモラン王の長身があった。
「みな、こちらへ」
そう言うと、襟元から鎖を引きだした。ペンダントトップは金のキャップがついた細いガラスの小瓶のように見えた。クレイモラン王は小瓶の蓋を開けると、中身を自分たちの頭上に振りまいた。
(あれは全体回復薬じゃないか!)
影のロウが驚いてそう言った。
(超貴重品、世界樹の滴にまちがいない。たしかデルカダール王家の秘蔵品だよね。なんでクレイモラン王が持ってるの!?)
 くっくっと影のクレイが笑っていた。
(言ってもいいかい、デルカダールの?)
影のゼフは赤面して横を向いた。
「助かったわい」
ぼろぼろになっていた先王ロウが表情をやわらげた。
「いや、さっきから腰へきてのう。この老骨がいつまでもつか、案じておったのじゃ」
デルカダール王は憮然としていた。
「礼は言っておく」
バカ丁寧にクレイモラン王が応じた。
「もともとおぬしのものじゃ。礼は無用じゃて」
その顔をデルカダール王がじろりとにらんだ。
「四、五十年前に渡したものを、ずっと持っていたのか?」
ふっふっふ、とクレイモラン王は笑うだけだった。
(四、五十年前って言ったら、ぼくらの最近じゃないか。ねえ、クレイ、ゼフ!)
(地底王国から戻った直後に私が彼から巻き上げたのさ)
影のクレイは自分のチュニックの内側から細い金鎖につないだ小瓶をのぞかせて見せた。
(それを、五十年は後のこの時代まで持ってたの?)
(だろうね。姫君から賜ったミンネの証を捨てる騎士はいないよ)
(バカを言うんじゃないっ!!)
影のゼフが大声で言い返そうとしたとき、影のサマルが遮った。
(あちらから、新しいモンスターたちが来ます!)
影の四人はあわてた。表の四人はまだ気づいていない。
(なんとかして、伝えなくちゃ!)
影のロウは自分の手を先王ロウの肩にあてて揺さぶろうとした。が、その手はむなしくめりこんだ。
(あっちを見て!モンスターだよっ、気付け、“ぼく”!)
「ん?誰か呼んだかの?」
先王ロウはきょろきょろとあたりを見回した。
(さすが自分に呼ばれると通じるのかもしれないね。みんな、“自分”に呼びかけてみようか)
影のクレイは真っ先に鶴のような老王に向かった。影のゼフもサマルも未来の自分と向き合った。
――刻限を司る神聖なる光
 もちろん、声など聞こえるはずもない。自然に影の四人は未来の自分の肩や腕をつかもうとした。
――その光、輝き燃ゆる時
 影の四人がそれぞれ対応する自分に接触した瞬間、異変が起きた。
――悠久の彼方に失われしものが大いなる復活を果たさん……
「うわっ」
とロウが叫んだ。
「ロウさん、その身体……」
と言いかけてサマルは、自分の声に驚いていた。
 ゼフは声もなく自分の手を見つめていた。
「受肉したのか、私は」
呆然とクレイがつぶやいた。
 次の瞬間、するどく振り向いて魔法を放った。
「ラリホー!」
背後から切迫してきたモンスターがびくっとして足を止め、そのまま頭を垂れて眠り始めた。
「よくやった!」
ゼフはその手に軽々と両手剣を握り、力任せに振り切った。血しぶきを上げてモンスターの群れが四散した。
「刃こぼれしたなら、剣の峰で殴るまで!」
高齢のデルカダール王と異なり、二十二歳のゼフは疲れもなく、闘志満々だった。
「動ける!ていうか、戦える!ぼくたち、未来の自分の身体を乗っ取ってるのか!」
まだ二十歳のロウは緑のコートの袖をめくりあげ、腕を撫した。クレイはかすかに微笑んでいた。
「いや、乗っ取るというより、共存しているようだね。この王にとっての過去、私にとっての未来がわかる。おもしろいな……」
「クレイさん、今は敵に集中してください!」
片手剣をかまえてサマルが呼びかけた。クレイは無言でスティックをかまえ、試すように振った。
「ロウ、モンスターどもを挑発してこちらへおびき寄せられるか」
と冷静にゼフが言った。
「まかせて。たしかこのへんに……」
ロウはきれいに仕上げた壁内装の一部を蹴り上げた。隠し窪みが開き、中から一対の鋼爪が飛び出した。空中で両手をつっこむようにしてロウはひと息で装備した。
「ドゥルダ流見参!」
調子よく名乗りを上げてロウは飛びだし、正面のモンスターに見事なタイガークローを決めた。
「サマル、近寄るやつは先ほどのジバ系でガンガン削ってくれ」
「わかりました」
「クレイ、やっかいなモンスターにはデバフを頼む」
「了解したよ。あと、横からメラ系で悪戯してもいいかな?」
ふっとゼフは口元をゆるめた。
「好きにしろ」
返り血を浴びたマントを両肩に跳ね上げ、ゼフは大剣を構えなおした。
「行くぞ!」

 襲ってきたアンクルホーンの群れをすべて屠り、ユグノア王アーウィンは肩で息をしていた。
「ハア、ハア……。これで全部倒したようだな。早くエレノアたちを追わなければ……」
 アーウィンが装備しているユグノアの鎧はモンスターの体液でまだらに染まっていた。彼の背後には城外へ脱出する扉がある。そこから逃げた妻と息子、そして他国の幼い姫のために、彼は扉の前を血に染めて死守したのだった。
 その場所は窓のない地下室だった。壁も床も石でできている。すぐそばを地下水路が流れていた。石畳に足音が響いた。誰かが倉庫から早足で駆け降りてくるのだった。
「……マルティナ!マルティナはいるか!?」
「この声は……デルカダール王」
にしてはずいぶんと張りのある若々しい声だった。が、声の若さは剣を取っての久しぶりの戦闘に気がたかぶっているのだろうとアーウィンは思いなおした。
「よかった。王もご無事だったのか!」
 石畳を駆けてくる足音は、ほかにもいくつかあるようだった。味方に合流しようとアーウィンは走り出した。
 地下通路の片隅でアーウィンの足が止まった。誰かが叫んでいた。
「誰だ!」
「ヒト型だけど、モンスター?ぞくぞくする」
「絶対味方じゃないよね」
「私もそう思うよ。みんな気をつけて」
 やはり一人ではないらしい。アーウィンは角を曲がった。視界にまず飛びこんできたのは、背の高い魔法使いだった。
血の気のない白すぎる顔、額から後頭部へつづくたてがみのような赤い髪、その頭の両側から生えた黒い角にもまして、異様なほど強い視線でこちらをねめつけるその眼が、アーウィンに確信を抱かせた。これは人間ではない、と。
 そしてその前にいるのはデルカダール王……の服をまとう若い剣士だった。両手剣を構え、油断のないようすで謎の魔法使いに対峙している。
「こ……これは!?」
 剣士のそばには、三人の若者がいた。先ほどの声の主だろうとアーウィンは思った。
 栗色の長めの髪の若者がこちらを見た。彼が身に着けているのは、アーウィンの義父、ロウのコートだった。
「アーウィン、近寄るな!こいつ、ヤバい!」
「はい!」
と思わず答えてアーウィンは目を瞠った。あとの二人のうち、一人はクレイモランの紋章入りマントと衣を装備した長身長髪の若者、一人はサマディー王の上着とターバン、首飾りをつけた少年だった。
 四大国の王たちの衣装をまとう四人の若者は戦闘態勢を崩さずにじりじり動いて人外の魔法使いを取り巻いていた。
 魔法使いは邪悪な笑みを浮かべた。
「勇者は取り逃がしたか……」
アーウィンは鳥肌が立った。この魔法使いこそ、イレブンを狙った張本人らしい。
「まあよい。すぐに我が手に落ちよう」
「そうはさせるか!」
そう言ってロウのコートの若者が一歩前に出た。
「ユグノアはもう陥ちたも同じ。残り三国のうちのどれかの王を乗っ取れば……」
語尾はくくく、といういやらしい笑いにまぎれた。
「さあ、どれがよいかな?一番影響力があるのは、デルカダールか」
デルカダール王のマントをつけた剣士が武者震いをして剣尖を上げた。魔法使いはにやにやと剣士を眺めた。
 ふとその笑みが消えた。
「おまえは何者だ?」
剣士は気合を入れた。
「モーゼフ・デルカダール。この名を名乗る三人目の王だ」
「まさか。おまえのような若造のはずがない」
「ならば、剣に聞け!」
そのまま刺突の型に構え、石畳を蹴って間合いを詰めた。見ていたアーウィンは思わず剣を握りしめた。
 次の瞬間、魔法使いは霧となって消えた。
「くそっ、失敗か!」
くやしそうなつぶやきが聞こえた。
「聖竜の小細工のさかしらなことよ!だが、見よ。ユグノアは今宵滅ぶぞ!」
わはははは、という耳障りな笑い声を最後に魔法使いは完全に消え去った。
「冗談じゃない!」
ロウのコートの若者がそう吐き捨てた。
「城のみんなが心配だ。ぼくは上にもどるよ」
 彼の眼がアーウィンを捕らえた。
「ユグノア騎士団をもう一度まとめよう!門さえ落ちなければ、まだなんとか押し返せる」
まぎれもなく彼は自分に向かって話しかけていた。その顔立ちは繊細で、どことなく妻のエレノアに通じる面影があった。
「あ、あなたは……」
誰なのかと聞こうとしたとき、上の方から声が響いてきた。
「デルカダール王!いたらお返事を……!デルカダール王!!」
 モーゼフ・デルカダール三世と名乗った若い剣士が呼ばわった。
「俺はここだ!」
足音が響き、まもなく地下通路の入り口に重装の兵士が現れた。
「おお、デルカダール王!」
鎖帷子の上から肩、腕、脚等に重厚な装甲をまとった体格のいい兵士は、ほっとした表情になった。
「王!よくぞご無事で……!到着が遅れ申し訳ありませんでした」
え、とアーウィンは思った。この若い重装兵には、あの若者が高齢の王に見えるのか?アーウィンは振り向いた。
 その場で言葉を失った。
「おまえは……そうだ、グレイグ、か」
そう言ったのは高齢の、しかしれっきとした剣士でもある、大国の名君だった。
 アーウィンは瞬きした。親指と人さし指で左右の目頭をぎゅっと抑えた。再び開いたとき、目の前にユグノアの先王にして妻の父、ロウがいて、アーウィンをのぞきこんでいた。
「アーウィン、どうした?」
小柄なロウの向こうには、仙人めいたクレイモラン王とむっちりした丸顔のサマディー王が見えた。
「いえ、ちょっと、目が」
「疲れたんだろう。むりもない。だが、上が心配……じゃ。もどるぞ?」
は、と答えてアーウィンは姿勢を正した。
 愛剣を鞘に収めて片手に引っ提げ、デルカダール王は歩き出した。
「グレイグ、城門のようすはどうだ?おまえはなぜ、ここに?」
グレイグと呼ばれた重装兵は口元をゆるませていた。
「城内と門前の敵は味方が掃討いたしました」
む、とデルカダール王はつぶやいた。
「見事。おまえの手柄か」
「いえ、我々がグロッタから駆け付けたとき、すでに別の部隊がユグノア城を守っていてくれましたので。デルカダール騎士団の加勢により、敵が崩れました」
「それは、ユグノア騎士団か!?」
思わずアーウィンは口をはさんだ。
 グレイグは敬礼した。
「アーウィンさまですね?いえ、ユグノア騎士団は城内のモンスターと戦っていました。城を守ったのは……論より証拠、どうか城正面へお出ましください!」

 小さなマルティナはしゃくりあげていた。自分の背中を、優しい手がさすってくれた。
「ごめんなさい、エレノアさま、ごめんなさい……」
「泣かないのよ、マルティナ」
いい香りのする胸に顔をおしつけ、マルティナは泣き続けた。
「あのかご、イレブンが……、川に」
 その日の午後、降りだした雨が嵐に変わる中、小さなマルティナはエレノア王妃とともにユグノア城から逃げ出した。走りながら何度もモンスターの群れに襲われた。日が暮れて山道はどんどん暗くなる。エレノアは片手に赤子の籠を抱え、片手で小さなマルティナの手を引き、雨風の荒れ狂う夜をけんめいに駆けた……。
「……イレブンは命の大樹の申し子。きっと大樹さまが助けてくださるわ」
ぎゅっと抱きしめられた。
「マルティナ、あなたのせいじゃないわ。こんな小さな、細い腕で」
 それまで馬の歩みにあわせて揺れていた馬車が止まった。控えめな声が告げた。
「王妃様、姫さま、お城につきました」
エレノアとマルティナを襲ったモンスターを退治して二人を助けてくれた騎士たちの一人がそう声をかけた。馬車は王族の使う高級なものではなく、武器や物資を戦場へ運ぶための幌馬車だった。騎士たちは荷物を自分たちの馬へ積み替え、イレブンを失った二人を馬車に乗せ、二人きりにしてくれていた。
 馬車がとまると小隊長らしい騎士は幌の前に台を置き、うやうやしく手を差し出して貴婦人たちが馬車を降りるのを助けてくれた。
 ユグノア城の前はかがり火がいくつも焚かれ、兵士が大勢いた。
「エレノア!」
大声がした。鎧を装備したアーウィンがまっすぐ走ってくる。
「あなた……」
それまで気丈にマルティナを慰めていたエレノア王妃が、駆け寄ってきた夫の腕の中に崩れ落ちた。
「イレブンが……っ」
食いしばった歯の間から、エレノアは痛恨の訴えを絞り出した。
 二人の周りに人々がどっと押しかけて来た。
「おお、エレノアよ」
ユグノアの先の王、ロウだった。
「お父さま」
エレノア王妃は涙をこらえた。
「モンスターに襲われたとき、籠ごとイレブンは、川へ流されました」
「なんと!」
「私の落ち度です」
ロウは、自分より背の高い娘の手をそっとさすった。
「今は落ち度をうんぬんしているときじゃない。少し、お休み。アーウィン、エレノアを頼んでい……たのむぞよ?」
「かしこまりました」
 マルティナはなんと言っていいかわからずにただエレノアと周りの人々を、惨めな気持ちで見上げていた。
「マルティナ姫?」
さきほどの騎士だった。
「あの、逃げているときに靴が脱げてしまって」
貨物用の馬車の高い台から下りられない。
「失礼いたします」
若い黒髪の、綺麗な顔立ちの騎士はマルティナを抱き上げておろしてくれた。
「お父君のところへお連れいたします」
 父の長身はすぐにわかった。
「マルティナ?マルティナか!おいで」
マルティナは裸足で父に走り寄った。父は腰を落としてマルティナを受け止め、抱きかかえてくれた。
「ごめんなさい、わたし、」
「心配す……案ずるな。おまえが戻ってきた。それだけで俺……わしは十分じゃ」
そう言って頭を撫でてくれた。
 しばらくそうしてから王は立ち上がり、マルティナを連れてきた騎士に声をかけた。
「娘を助けてくれたのか。感謝する。その忠義、忘れぬぞ、ジエーゴ」
黒髪の騎士は片手を胸に当てて一礼した。
「おそれいります。私はジエーゴの子、ゴリアテと申します。父は、そちらに控えております」
デルカダール王は目を瞠り、振り向いた。そこには威厳のある壮年の騎士が立っていた。
「ジエーゴ、お前は……お前か?」
ジエーゴと呼ばれた騎士が、目じりにしわを寄せ、口ひげを動かして、にっと笑った。
「何とか間に合いました、王子」