風雲ユグノア城 2.ユグノア城強襲

 影のロウはつぶやいた。
(ねえ、今、あの人、ロウ?ロウって言った?)
(落ち着け。ユグノア王家にはよくある名だろう!)
ゼフが一喝したが、影のロウはまっすぐ緑のコートの小柄な禿頭の老人の前に立ち、じろじろ眺めまわした。
ロウと呼ばれた老人はうなずいた。
「このような事態の中、勇者と同じアザを持つ赤子が生まれた。これが何を意味するのか……。聡明なる王たちの見解を問いたいと思う」
 会議室には沈黙が漂い、ひときわ大きな雷鳴がとどろいた。
「一言、よろしいでしょうか」
口を切ったのは、むっちりした体型の丸顔の王だった。ロウという老人よりやや若く見えた。砂漠の王国サマディーの王らしく、上半身は半裸の上に金色の上着を羽織っているだけだった。その胸にナギムナー産の黒真珠を連ね、サマディー産の黒曜石をいくつもさげたアクセサリがかかっているのが見えた。
 サマルが息を呑んだ。
(あれは!)
(どうしたの?)
仲間に問われてサマルは自分の服の襟元をつかんで広げて見せた。
(あの人がつけてる首飾りは、これです)
まったく同じアクセサリがサマルの鎖骨の下にあった。
(ちょっと待ってよ)
というロウのつぶやきと、ロウという老人の声が重なった。
「どうぞ、サマディー王アラサド陛下。いや、騎士の国の王よ」
(“アラサド”?そんな名前知らない……けど、今の名前よりもいいかもしれない)
とサマルはつぶやいた。
 サマディー王は邪気のない笑顔になった。
「邪悪な神だとか魔物が増えたとかいろいろおっしゃりますがねえ。どんなに不穏な影が世界をおおうとも、こうして伝説の勇者が誕生したのですぞ!勇者がいる限りこの世界の平和は約束されているではありませんか?」
 かっかっか……!と笑い声があがった。列席者の一人で、やはり王なのだろう。かなりの高齢らしい。見事な白鬚に白い眉、鷲鼻の、鶴のような長身と賢者の風格の持ち主である。冠の下の長い白髪は三つ編みにして背に流していた。身にまとう長衣とマントに描かれているのは、氷の結晶を象ったクレイモランの紋章だった。
 クレイが珍しく絶句した。
(なんてことだ。あれは、私か)
ロウはまじまじと二十八歳のクレイと白衣の老人を見比べた。
(マジで?)
「何かご意見かな?クレイモラン王クラディウス五世陛下」
ロウという老人は司会らしい。老人がそう尋ねるかたわらで、クレイはかたい物を呑みこんだような顔になった。
(ああ、名前で確信した。“マジ”だよ)
クラディウス五世は、皮肉っぽいまなざしのままうそぶいた。
「なるほどのう。勇者がいる限り平和は約束される……か」
そして意味深長な視線を横へ向けた。
「……ロウ殿も人が悪い。先ほど語ったローシュ戦記……肝心な部分が抜けておったようじゃが?」
(ああ、うん、うん。この言い方。絶対クレイだ)
(人に言われるとカチンとくるね)
 影のゼフが尋ねた。
(その緑のコートの年寄りが、ロウ、おまえの未来の姿だとしたら、同じユグノアの紋章をつけているあちらの赤いコートの男はおまえの息子ということ か?)
(え~?実の息子が“ロウさま”って言うかな)
ロウは、最初に赤子を抱いて入ってきた赤いコートの王をじっと見て首をかしげた。
「始まりの詩……ローシュ戦記の第一章」
と、瞑目してデルカダール王が言った。その言葉に影のゼフのあえぐような言葉が重なった。
(あのサマディー王がサマルでクレイモラン王が腹黒なら、この男は、俺か!)
「勇者の誕生が記された序言だ。『……生命を紡ぐ命の大樹。その息吹より生まれし光の勇者』」
デルカダール王はゆっくりと目を開いた。
「『勇者の光尽きることなきまばゆさで果ては漆黒の影を生みださん。影の名は混沌を統べる邪悪の神なり……』」
赤いコートの男が片手をあげて発言した。
「それでは伝説の勇者自身が邪神を誕生させたと……?」
クレイモラン王は円卓に両肘をつき、手を握り合わせた。知的で穏やかなその瞳が、どこか不穏な光を放っていた。
「夜の暗闇がなければ星がかがやけぬように、光がなければ闇も生まれない。太古の昔より定められた摂理じゃて。光と闇は常に表裏一体……。勇者の誕生は命の大樹の福音か、邪神の目覚めの暗示か、果たして……」
 ぱん、と音を立てて赤いコートの男は円卓に手をついた。
「言葉が過ぎますよ、クレイモラン王!勇者が悪と同等の存在などと……!」
クレイモラン王はきっと眉を上げて問い返した。
「勇者が善い存在だとなぜ言いきれる?……不吉な影は魔物だけではないぞ。最近になって夜空をかがやく勇者の星がにぶい光を放つようになったじゃろう。御子息の誕生と同時に起きた異変じゃ」
(うわー、いいがかりですよね)
と影のサマルがつぶやいた。
(だよねえ。とにかくユグノアでは昔から、勇者ディスるのは一発アウトなんだけどな。この人がクレイなら、知ってるはずなのに)
と影のロウが答えた。
(もちろん、私は知っているよ。もう少し聞こう)
と影のクレイがささやいた。
「なんということを……!」
赤いコートの男は立ち上がった。父の勢いに驚いたのか、勇者の紋章の幼子が籠の中で泣き出した。
「わしには聴こえるのじゃよ……」
不興げに目を細め、クレイモラン王が言った。
「まがまがしいかがやきの中勇者の星が歌う、ロトゼタシアを混沌へ導く破滅の唄が!」
会議室の窓から不吉な光が輝き、直後に雷鳴がとどろいた。
「……一理あるな」
と誰かがつぶやいた。
「デルカダール王……!」
それまで腕組みをしたままほとんどうつむいていたデルカダール王は、目の前の燭台をにらんで話し出した。
「緩やかに、だが確実に世界にはまがまがしい足音が近づいている。その兆しが各地で起こっているのは真実だ。我々は上に立つ者としてロトゼタシアに住むすべての民のためにその元凶を絶たねばなるまい」
(いったい何を言ってるんだ、“俺”は?)
信じられない、という口調で影のゼフがつぶやいた。
 それを知ってか知らずか、老王の鷹のように鋭い視線が赤いコートの男へ向けられた。
「……たとえそれが伝説の勇者であってもな」
 つるしあげられた父親は、尋ねた。
「……それは、この子を亡き者にしろ。そう言っておられるのでしょうか?」
無慈悲な雷鳴が運命のように鳴り響いて消えた。その後は重い雨脚が屋根をたたく音だけが会議室に聞こえていた。誰も何も言わない。司会らしい老人、ロウはため息をつき、首を振った。
「息子イレブンが生を授かる直前……。命の大樹から聖なる光が発せられ夜明け前の空をまばゆく照らしました。その直後その光に共鳴するように、光り輝くアザをその手に携えたイレブンが生まれたのです」
赤いコートの男は大国の王たちを見回した。
「この子はまごうことなき伝説の勇者。大いなる闇を晴らすチカラとして命の大樹が与えてくださった希望の光です」
(いいぞ、もっと言え!)
ロウとサマルは無音の拍手を送った。赤いコートの男はぐっと右手を握った。
「光と闇は、表裏一体などではない!命の大樹の申し子である勇者の聖なる光は必ずや闇を消し去る……私はそう信じます!」
 ぱち、ぱち、ぱち、と拍手の音がした。デルカダール王の大きな手が手を鳴らしていた。
「よくぞ言った、アーウィンよ!」
(え、あれ?)
影の四人はきょとんとしていた。
 デルカダール王の常に鋭い瞳には、珍しいことに笑いがきらめいている。白い口ひげで覆われた口もにやりとしていた。
「もしも我らの意見に賛同していたら、即刻勇者を引きとるところだったぞ!」
(そういうことか……脅かすな、“俺”)
影のゼフはようやく肩の力を抜いた。アーウィンと呼ばれた赤いコートの若い父親は、呆けたような顔で口を開きかけ、また閉じた。デルカダール王は自分の席から勢いよく立ち上がった。
「勇者イレブンは命の大樹の意志。我々に与えられた光のチカラだ。全力で守らなければなるまい」
若き日の本人が見守る前で、拳をにぎって語るデルカダール王は、大国の名君の貫録をあますところなく見せつけていた。
(やっぱりお茶目だ、ゼフ、ぼくは信じてたよ!)
 クレイモラン王も眉を下げ、表情をやわらげた。
「ちといじわるが過ぎたかのう?おぬしのまことの心を知りたかったんじゃ。許せ、アーウィン殿!」
かっかっかっか……と笑い声をあげた。
(やっぱりクレイだね。この年までちゃんと陰険だなんて、一周まわって感動ものだよね)
(あとでじっくり話そうか、ユグノアの?)
ひと芝居を終えたクレイモラン王はやれやれと肩をすくめた。
「それにしても、わしが何も言わぬのにモーゼフ殿がすぐに乗ってきた。若い者いびりの好きな年寄りは困ったものだのう」
(まったくねえ。いやはや)
憤然とデルカダール王が応じた。
「なんの、おぬしに言われとうはないぞ、腹黒殿」
(おい、ふざけるな!)
影と表の両方で舌戦をしている二人を見て、影のロウがにやにやした。
(二人とも、全然変わってないよね!)
 影にいるロウの服を、サマルがそっと引いた。
(笑ってる場合じゃないと思います)
(そう?)
(ぼくたち、甘いお菓子を少し控えた方がいいのかも)
ユグノア先王とサマディー王の体型のことだった。
(……うん。あと髪の手入れも、これから毎日やるよ、ぼく)
 デルカダール王はアーウィンに片手を差し出した。
「わが国は勇者への支援を約束する。イレブンが十六歳になった暁にはデルカダールで修練を積ませよう。イレブンにはいち早く我々を導く力をつけてもらわんとな!」
 信じられないという表情でアーウィンはまわりを見回した。
「デルカダール王。皆さん……ありがとうございます!」
王はわざわざアーウィンに歩み寄り、その手を取った。二人はしっかりと握手を交わした。
 それまでハラハラしながら成り行きを眺めていたサマディー王がやっと肩から力を抜いた。
「これにて一件落着ですか。相変わらずですな、クラディウスさま。それにモーゼフさまも。はっはっは……!」
デルカダール王はサマディー王に、にやりとした笑顔を向けた。
「では結論は出たようだな。我らの心はひとつとなった……!」
アーウィンは籠の中からイレブンを抱き上げた。泣いていた赤子は父に高く差し上げられ、笑顔になった。
「すべては命の大樹の導きのもとに!」
デルカダール王は、若い父親と赤子に優しいまなざしを向けた。
「さあ、これで四大国会議は仕舞いだ。勇者を待ちわびている者たちにイレブンの顔を見せにいかれよ」
アーウィンはデルカダール王に一礼した。
「デルカダール王……!ありがとうございます……!」
王たちに向き直り、礼儀正しくあいさつした。
「……それでは皆さん。長々とありがとうございました。四大国会議はこれにて……」
 突然、背後の扉が荒々しく圧し開かれた。
「あ、アーウィンさま……!」
ユグノアの一般兵だった。兵士は一二歩すすんで、腹を抱えて膝をついた。
「どうした!?」
兵士は王が差し伸べた手を掴んだ。
「み、皆さま!お逃げください!魔物が我が城に……ぐ、ぐふっ……!!」
言葉の途中で兵士はうめき、そのまま横倒しに倒れた。
 王たちはあわてて窓の外を見た。降りしきる雨の中、稲妻がモンスターの大群を照らし出した。
「皆さん、大変です!多くの魔物がこちらに向かっています。どうかここからお逃げください!」
アーウィンは客である王たちに早口でそう指示した。嵐の空を飛行する大軍を眺め、クレイモラン王は茫然とつぶやいた。
「なんということだ!伝説の勇者を捕らえるために、魔物どもめ、国ごと滅ぼすつもりか!?命の大樹よ、その聖なる息吹で我々をお守りくだされ……!」
王の近衛兵たちは緊張の面持ちで扉をにらみつけていた。
 サマディー王はきょろきょろとあたりを見回した。
「だ、誰だ、勇者がいれば大丈夫なんて言ったやつは!?全然大丈夫じゃないじゃないか!」
おろおろする王を、サマディー騎士が守っていた。
「サマディー王、ご安心ください!ここであなたを失うワケにはいかない!我が命に代えてもお守りします!」

 ユグノア城内にはモンスターが乱入していた。剣を構えたユグノアの重装兵士が剣で打ちかかったが、アンクルホーンは一撃で振り払った。
「グハハハハ……!勇者はどこだ!?勇者を出せ!!」
吹っ飛ばされた重装兵の向こうに三人の王が身構えていた。
「くっ。数が多いな……」
腕に覚えのあるデルカダール王は抜刀していた。
「しかし悪しき異形の者どもに勇者を渡すわけにはゆかぬ」
そのかたわらではロウが油断なく身構えていた。ロウの構えは、かのドゥルダの里のニマ大師仕込みだった。
 デルカダール王がアンクルホーンとの距離を詰めた。イレブンを腕に抱いたアーウィンが続く。デルカダール王は振り向いた。
「ここは私とロウが引き受けた。そなたはイレブンを連れてエレノアと共に城の外に逃げろ!」
「デルカダール王!しかしこの数では……!」
アーウィンが言いかけたとき、アンクルホーンが飛びかかった。人外のチカラで繰り出すパンチがデルカダール王を狙った。
 一撃に剣を合わせて受け流し、その勢いで回転するとデルカダール王は真一文字に斬りはらった。間髪入れずに袈裟懸けに斬り下ろす。アンクルホーンは眼を剥いたがそのままあおむけに倒れ、紫の霧へと還っていった。
「案ずるな。この程度の魔物に不覚をとるほど老いぼれてはおらぬわ。私も後から必ず追う……さあ行け!」
 彼方で新しい悲鳴が上がった。デルカダール王とロウが飛び出した。その背を見送って、アーウィンは心を決めた。
「デルカダール王、ロウさま……。ここは頼みます!」
赤子を抱きしめてアーウィンは走り出した。

 魔物たちはパワー系を先頭におしたてて乱入してきた。各所でユグノア騎士団が応戦しているらしい。激しい物音が絶え間なく聞こえていた。
「アーウィンが向かったのは玉座の間か?無事だといいが……」
「お前の婿殿は信用できるのだな?」
厳しい口調でデルカダール王がユグノアの先王ロウにたずねた。
「おう。エレノアが見込んだ男じゃ。エレノアは母親のケリーと同じく、男を見る眼は一流じゃ」
「さらっとのろけるでない」
(アーウィン王はお婿らしいね、ユグノアの。つまりきみがケリー嬢と結婚してエレノアなる姫を授かった。アーウィン王はその姫の背の君というわけだ)
影のクレイがさらさらと解説してくれた。影のロウの顔がぱっと明るくなった。
(今日聞いた中で最高の話だ。ぼく、この戦が終わったら、彼女にプロポーズするんだ……)
(変なこと言わないでください)
と影のサマルが泣き声まじりに言った。
(この状況、かなりまずいですよ)
二人の王がいるのは階段を上ったところにある長い廊下の途中だった。生まれたばかりの勇者が少しでも遠くへ逃げのびられるように、二人はそこで魔物の群れを食い止めるつもりらしい。
 緑のコートの老人、ユグノアの先王ロウが言った。
「まちがいなく、おぬしのところの小さなマルティナ姫もアーウィンが保護していよう。そのことは案ずるな」
(マルティナ姫とは、俺の娘なのか?)
小声で影のゼフがつぶやいた。
「しかし、まずいの」
ロウは魔物のようすを探りながら、肩で息をしていた。
「アーウィンをイレブンたちの避難にあてると、ユグノア騎士団全体の指揮をとる者がおらん。これほどの敵に部隊ごとのバラバラで戦わねばならんとは」
(だいじょうぶかな、“ぼく”。もうはあはあ言ってるよ。限界来てるな)
(だが、あの年にしては見事な動きだ)
意外にも影のゼフが褒めていた。
「戦とはいつも最悪の状態で起こるものよ」
隣で両手剣をかまえたデルカダール王がつぶやいて、襲ってきたアンクルホーンを一撃で切伏せた。
(あの“きみ”もまだ最前線の剣士だね)
(だが疲れが出てるな。俺にはわかる。敵の数が多いし、一頭一頭がたいしたパワーだ。くっ……)
「くっ……いくら倒しても次から次へと魔物が現れる。この数、ふせぎきれるか……!?」
そうつぶやくデルカダール王のマントは、モンスターの返り血を浴びて壮絶なありさまになっていた。
「デルカダール騎士団は?」
言葉少なく先王ロウが尋ねた。
(デルカダール王は身の周りの護衛兵の他に、常に用心のため別動隊を近くに置いておくんだ。おそらくそのことだろう)
と影のゼフがつぶやいた。
「ユグノアで何かあったときは、今グロッタにいる部隊が駆け付けることになっておる。うまく伝令が行けば、わしが目をかけている二人の騎士のうちの一人が手勢をひきいてくるだろう。ロウよ、もう少し持ちこたえてくれ」
とデルカダール王が答えた。
「おぬしもな」
デルカダール王は、眉をしかめて苦笑いをした。
「実は先ほどからこの剣は刃こぼれがしてな。わしも、老いた」
ロウがにやりとした。
「よく言うのう、それだけ暴れておいて」