風雲ユグノア城 1.四大国会議・影

 焚き火の炎は楽しそうにパチパチ音を立てて燃えていた。その上に乗せた鍋の中からいい匂いが漂ってきた。西にある山の端へ太陽は沈み、背後の森からはふくろうの鳴き声が聞こえてきた。星明りに照らされて風もなく、気持ちのいい夜だった。
 マントをまとった、サラサラした淡い茶髪の若者が、紫の袖なしコートを着た男に皿を並べながら話しかけた。
「テオ、さっきネルセンの宿で食糧の買い出しした時に、女将さんから手紙をもらってたよね」
テオと呼ばれた男はかるく咳払いをした。
「ロウ、誤解を招くような言い方するなよ」
「何が誤解なの?」
茶髪の若者、ロウはにやにやしていた。テオと呼ばれた男はさっと手を振った。
「艶っぽい話じゃないって。デルカダールでつきあいのある道具屋がネルセンの宿付けで俺によこした手紙だよ」
ロウはピンときたようすだった。
「あ、もしかして、あの鏡のこと?」
少し前のこと、彼らはスリルのある地下帝国を探検してきた。戦利品は見るからに尋常ならざるオーラを発する古代鏡だった。
「その通り。手紙の主は、一介の道具屋だが、魔法アイテムとその流通に詳しい親父でな。オレは信用している」
とテオが答えた。
 数か月前まで、テオは宝を探して自由気ままにロトゼタシアを放浪するトレジャーハンターだった。それが何の因果か、とんでもない旅の引率を引き受けることになってしまった。このロトゼタシアに五つある大国のうち四国の王子を引き連れて、王子たちの見聞を広め、ひいては立派な王を育成する目的で、世界の七不思議を見てまわれ……。
 俺一人で王子たちのお守りかよ!と、最初は運命のいたずらにテオはむかついた。だが、今ではトレジャーハンター志願の兄弟がいたらこんなもんかな、と思う余裕ができた。金に困った経験のない者たちばかりなので、好奇心が物欲を上回り、卑しいところがない。探索の結果が金貨でも宝石でもなく鏡一個という時、本職のトレジャーハンターの中には失望して荒れるような者もいるとテオは知っていた。
「これはこの状態で遺跡の中から見つかった」
テオは木箱を開け、詰め物の中から布包みごと鏡を取りだした。布は絹製らしいが、色は褪せ、糸は擦り切れ、ぼろぼろになっていた。
 王子ブラザーズの長男、クレイが真顔になった。
「この箱の上書きは古代文字かな。残念、色あせすぎて読めないね」
彼は北国クレイモランの王太子で、たいへんな博識だった。本当は国王になるより学問を究めたいと、いつだかぽろっと本音をもらしたことがある。象牙の塔からこのツアーへ引きずり出されたのが面白くないようで最初は少々毒を吐いていたが、最近は素の顔も見せてくれるようになった。魔法学のさかんな国の王族らしく、真名は名乗らない。テオはクレイと呼んでいた。
 テオは絹の袋の口をしばる金襴の紐をほどき、古代鏡を引きだした。
「古文書に“やたの鏡”の名で登場するものと同じ鏡か?」
王子ブラザーズの次男、ゼフことモーゼフがそう言った。出身国デルカダールの尚武の風にふさわしく幼少の頃から剣技を磨いてきたため、プリンスというより古武士の風格がある。なかなか整った顔立ちなのだがニコリともしない強面の上に口調がぶっきらぼうで、一見して怖いという印象があった。
「いや、道具屋の親父によると、“やたの鏡”はちゃんとホムラの里にあり、毎年の祭りには披露されている。最後に確認されたのは昨年だそうだ」
「“やたの鏡”じゃなくても、れっきとした古代鏡だよね。いいなあ。何かこう、雰囲気がある」
 ユグノア王子、ロウが声をあげた。王子ブラザーズの三男で伝説の勇者ローシュゆかりの王国ユグノアの次期支配者である。ユグノアの伝統にのっとり、六歳から最近までドゥルダ郷で拳法修行をしていた。サラサラした長めの髪や美少女めいた顔立ちの、見るからに王子さまだが、修行中の禁欲生活の反動で今は何を見ても楽しくてたまらないらしい。ある意味、テオとは一番気が合うのだが、世間知らずなところも目に付いた。
「触ってみてもいいですか……?あ、ダメですよね、ごめんなさい」
 王子ブラザーズの末っ子、サマディー王子サマルが手を出しかけてすぐにひっこめた。いつもどことなくおどおどしているが、長男次男よりずっと素直でわかりやすい。だが、これでも騎士の国サマディーのれっきとした王位継承者だった。本名がキラキラネームすぎて、“サマルと呼んでください”と本人が言っていた。
「ダメなんてことないさ。ほら、持ってみる?」
テオが古代鏡を手渡すと、サマルは嬉しそうに受け取った。鏡をのぞきこむと、隣にいたジエーゴの顔もいっしょに映りこんだ。
「いっしょに見ましょうよ、師匠」
サマルは、二つ年上のジエーゴを師匠と呼んで慕っていた。
「では、お言葉に甘えて」
ジエーゴは王子の身分ではないが、彼の父はソルティコの領主であり、現デルカダール王の右腕と呼ばれる高名な騎士だった。ジエーゴはそのただ一人の後継者で、幼い頃からモーゼフ王子に仕え、忠義を尽くしていた。
 パーティの中でサマルとジエーゴの二人だけが十代の少年だった。かわいい顔がふたつならんで鏡に映っていた。
「古い鏡なのに、綺麗に映るもんですね」
「やはり魔法アイテムなんでしょう」
 テオが羊皮紙とペンを取りだした。
「実は道具屋のおやじに頼まれてな、その鏡の裏面に彫りつけられたルーン文字を書きとって送ることになってるんだ。クレイ、読めるか?」
サマルがクレイに鏡を渡すと、くるりとひっくり返した。
「……『失われた時の化身が守りしは』」
クレイにしてはとつとつと、そう読み始めた。
「『刻限を司る神聖なる光……その光、輝き燃ゆる時、悠久の彼方に失われしものが大いなる復活を果たさん』、かな」
「よくわかるね!」
感心したようすでロウがのぞきこんだ。
「ああ、私はこれを見たことがあるのだよ。クレイモランの古代図書館に、誰にも読めないぼろぼろの古文書があってね。わずかに解読できる個所に、この鏡の文言と同じ単語がでてくるのでね」
「古代図書館と同じくらい古いものなのですか?」
感心したのか、サマルがつぶやいた。
「ほとんど神話時代の鏡なんですね」
 テオが羊皮紙を傍らに置いて声をかけた。
「貸してもらっていいか?裏面の歯車の模様をスケッチしたいんだ」
クレイはひょいとテオに鏡を手渡した。
 ねえ!とロウが言った。
「『失われし時の化身』て、七不思議に入ってたっけ?」
「俺は知らんぞ」
とゼフが言った。
 テオたちの旅は、大国の後継ぎたちの修行としてロトゼタシアの七不思議を巡るグランドツアーだった。海底王国の海賊船、プチャラオ村の謎かけの岩、グロッタの地底洞窟、バンデルフォンの呪いの歌劇、ホムラの里の神隠し、ナギムナーの青い真珠、そしてゼーランダ山の龍つかいの笛である。
「クレイモランだと、七不思議に命の大樹の水源というのが入って、ホムラの神隠しがぬけるかな?」
とクレイが答えた。
「ソルティコに伝わってる話だと、龍使いの笛がなくて海上の光の柱が七不思議です」
とジエーゴが言った。
「案外、ちがうもんだね」
うきうきとロウが言った。
「国どうしで七不思議をくらべるなんてめったにないから、楽しいよ。ツアーに出てきてよかった」
「ぼくもです!」
とサマルが言った。
「ずっと大人になってからも、ぼく、この旅のことを忘れないと思います」
ゼフは無言で大きな手をサマルの頭に乗せた。
「ですよね、モーゼフさん?」
笑ってサマルが彼を見上げた。黙って見下ろし、だがかすかに口元をゆるませて、ゼフはうなずいた。
 テオはずっとペンを動かしていたが、よし、おわった、とつぶやいた。
「スケッチはこれでいい。袋をくれ。またしまって」
おこう、と続けようとしてテオは鏡に目を向けた。
「なんだ、これは」
一行は自然に古代鏡を見た。
 鏡が光っていた。焚き火の明かりを反射しているのではない、もっとほの白い光が鏡面そのものから発せられ、薄青い光の粒子が舞い、ぱちぱちと弾けていた。
「何が起きた!」
ゼフが手を伸ばしてつかもうとした。
 その瞬間、純白の光が噴き出した。一行が思わず顔をおおうほど凶暴な明るさだった。同時にきつい耳鳴りが襲ってきた。
「鏡を見るな!暗い方へ!」
誰もが視界をうばわれたまま手探りで逃げようとした。
 ようやく光が薄れてきた。
「みんな、いる?」
「俺はここだ」
「私も無事だよ」
「ぼく、大丈夫です」
そろそろとサマルは目を開けた。
「あれ、師匠は?」
すぐそばにいたはずのジエーゴがいなくなっていた。
「冒険者殿もいないようだね」
クレイがそうつぶやいた。
「というより、ここはどこだ?」
ゼフはあたりを見回していた。あたりはどう見ても森の中のキャンプ地ではなかった。
 サマルの目に映ったのは、豪華かつ瀟洒な王宮の内部だった。天井から床まで天地いっぱいの大窓がいくつも並んでいる。淡い金の飾り枠をつけた壁は美しく、白い大柱には金の装飾が施されていた。
「どう見ても、どこかの城だぞ」
ゼフ、クレイ、サマルの三人は驚いてあたりを眺めていた。
「ここがどこかって?」
ロウだった。芝居がかったしぐさで彼は三人に向かって振り向いた。
「決まってるじゃないか!この装飾、この調度、この間取り!ここは、ユグノア城だよ!」

 王子たちはあたりを見回した。
「なんでユグノアに来たんだ?」
「ついさっきまで森にいたのに」
ゼフが声をかけた。
「ロウ、とにかく、テオとジエーゴを探そう。城の兵士か召使に聞いてみてくれないか」
「それが早そうだね」
とロウが言ったとたん、制服姿のメイドが二人、銀盆に菓子を載せて早足でやってきた。
「ちょっと聞きたいんだけど、きみたち」
驚くべきことに二人のメイドは、王子を無視した。
「まったく、さっきお茶とお菓子を追加したばかりなのに」
「しょうがないわよ、お客さん多いから」
最初のメイドがトレイを捧げたまま器用に肩をすくめた。
「まあ、王子さまのご誕生ですもんね。人がおしかけても無理ないわ」
 クレイが首をひねってロウを見た。
「ユグノアの……。だいぶおさかんだとは知っていたが、その年でお子ができたのかい?」
「子供!?ぼくと本屋の売り子のケリーちゃんはまだ清らかな愛をはぐくんでいるところだ!ねえ、きみたち、王子って」
言いかけてロウは固まった。二人のメイドは縦一列になってすたすたと歩いてくる。ぶつかる!と思った瞬間、彼女たちはロウと重なり、そのまま通り抜けた。ロウは声もたてられずに硬直していた。
「おい」
とゼフがつぶやいた。
「どういうことだ?」
サマルは青ざめた。
「ぼくたち、幽霊になったんですか!?」
四人は互いの顔を見合わせた。
「確かめに行こう。ロウ、あのメイドたちはどこへ行ったと思う?」
「客がたくさん来てるなら、大広間だ。行こう!」

 大広間へ至る前に、一行は気になるものを見つけた。
「兵士が多いですね」
とサマルがつぶやいた。
 とある廊下だけ、兵士たちが厳重に警護していた。ロウは不思議そうな顔になった。
「あの先は会議室だ。いつもはこんなことないのに」
「なぜデルカダール兵がユグノアにいるんだ?」
とゼフが言った。
「しかも、あっちはクレイモラン、あちらはサマディーの兵士じゃないか」
 鎖帷子の上につけるコートの色が国によって異なるため、兵士たちの所属を判断するのは簡単だった。デルカダールの青、クレイモランの紫、サマディーの黄色、そしてユグノアの緑のコートの兵士がそろっていた。
 クレイは真顔になった。
「あそこにいるクレイモラン兵は、国王の近衛兵の装備だね。近衛兵はめったなことでは王のそばを離れたりしないはず」
クレイは廊下のつきあたりの大きな扉を指した。
「あそこにクレイモラン王がいる。それしか考えられない」
「同感だ」
とゼフが言った。
「たぶん、デルカダールの王も来ている。サマディーもな」
ロウがつぶやいた。
「どうしてバンデルフォン兵がいないんだろう?」
ゼフは会議室にむかって顎を動かした。
「確かめればわかる」
そう言って歩きだした。
「……怒られませんか?」
おずおずとサマルが言った。お気楽な調子でロウが答えた。
「大丈夫、ぼくたち今幽霊だから」
「言い方……」
「じゃ、『影』だ。実体のない影だから、誰にもわからないよ」
兵士のなかでも勘のいい者は時々きょろきょろしたが、結局『影』の四人は誰にも見とがめられずに会議室へ入ることができた。

 降りだした雨は雨脚を強めていた。ユグノア城会議室の、尖頭アーチ型の窓からは稲妻の光が見えた。
(なに、この雰囲気?重くない?)
と影のロウがつぶやいた。
 遠い雷鳴と雨の音しか聞こえない静かで緊迫した会議室の中へ、金でユグノアの紋章をいれた赤いコートを身につけた男が、幼子を抱いて進み出た。赤いコートの男は、頭上に正式なユグノア王の冠を戴いていた。
「あの子が、そうなのか?」
円卓にいた白い髭の男が鋭い眼を上げてそうつぶやいた。その男はもっと年上で、黒い羽根飾りのある高い王冠を被っていた。
(あれは、デルカダールの王冠だ)
と影のゼフが声を上げた。が、会議の出席者は誰も反応しなかった。おそらく聞こえないのだろう。
(デルカダールの、あれは、お父上では?)
モーゼフ・デルカダール二世ではないかと影のクレイに言われてゼフはじっと目を凝らした。
(衣装は伝統的なデルカダール王のものだ。あの羽飾りの冠も、メダルで留めるマントも。だが、違うと思う。父にしては、こう……)
「あのアザがある。間違いあるまい……」
円卓に座を占めるもう一人の人物がそう応じた。小柄でまるっこい身体にユグノアの紋章入りの、緑のコートをつけ、簡略化した王冠を被っている。年齢のためか頭髪がなくなって卵のようになった頭とハの字型の立派な口ひげのおかげでなんとなくコミカルな印象だが、その双眼は真剣だった。
(あの赤子が生まれたばかりの王子か。アザだって?あ、ほんとだ)
影のロウは、じっと幼子を観察していた。両手を握り合わせて眠る幼子の左手の甲には、極小サイズの勇者の紋章が確かにあった。
(うわ、本物見ちゃった。この子、勇者じゃないか!)
影のサマルは心細げに尋ねた。
(勇者といえば、ローシュさまですよね?ぼくたち、過去へ来たんですか?)
影のロウが首を振った。
(ローシュさまは勇者でユグノア王国の開祖だけど、王子じゃなかったんだ。あの子はいったい……?)
赤いコートの男は軽い籠の中に幼子をそっと寝かせ、円卓の上に籠を乗せた。
 緑のコートの老人がもろ手を広げ、すらすらと暗唱した。
「『暗黒の深淵にたゆたう邪悪の神。凍てつく黒き闇をまといて母なる大樹に迫りし時……。光の紋章を携えし勇者、聖なるつるぎで邪悪の神を討ち……閃光となりてロトゼタシアの地を光で照らさん……』」
「ローシュ戦記終わりの詩か……」
デルカダールの冠をつけた王がにこりともせずにつぶやいた。うむ、と緑のコートの老人がうなずいた。
「戦記いわく……邪悪の神はいにしえの勇者によって滅ぼされ世界は平和になったはず。しかし、以前に比べロトゼタシア各地に魔物が増えたこと、皆も気づいておろう?」
赤いコートの男が答えた。
「ロウさま、アーサー王率いるバンデルフォン王国は邪悪な魔物に襲われ滅びたと聞いています」
(なんだと!)
ゼフの一言がすべてを言い尽くしていた。影の四人は声も出せなかった。
(ごらん。誰も異を唱えてない。バンデルフォンの滅亡は、出席者たちにとって周知の事実のようだよ)
聞こえないらしいとわかっていても、クレイは声を押し殺してささやいた。