グロッタ地底王国の冒険 2.第ニ話

 その日の半ばを費やして、パーティは神殿の隠し扉を発見した。
「ここから先はモンスターも出そうだ。手強いやつらだったら引き返して準備をする。行けそうなら行く。それでいいな?」
テオの指示におとなしく賛同して、神殿の奥へ一行は進んだ。
 最初に見つけた建物は神殿の形状をしていて大広間の周辺には生活用の設備も多く造られていた。たぶん、王や貴族が敵の目から隠れて生活するための空間で、なかなか贅沢で居心地もよさそうだった。
 だが隠し扉の先はまるで違っていた。むき出しの岩をぶちぬいたトンネルだった。地上のダンジョンと似た感じで壁はごつごつしていたが、通路に分岐がない。しかし人工物である証拠に壁際にところどころ台が残され、松明らしい火の跡があった。
「これもトレジャーハンターたちが造ったのかな?」
とロウがつぶやいた。
「ちがうと思うよ」
とクレイが応え、松明台を指した。
「全部あのモチーフがついてる。でも丸に四対のL、だけじゃなくて大小二つの丸だ」
ロウはしげしげとモチーフを眺めた。雪だるまのような大小二つの丸の、大きい方にL字が四対あり、小さい方には点が二つついている。
「何の印だろうね」
 荒削りな岩肌のトンネルの中をテオ一行は慎重に進んでいった。歩くうちにようすが変わってきた。足場が堅い岩から土、土から泥へ変化した。空気に湿気が混ざる。トンネルはずっとゆるい下り坂だったが、最後に階段があり、のぼりきったところはやはり地底の空洞で、広々とした場所だった。
 最初の空洞と異なるのは、建物ではなく湖があることだった。湖面に影が映る。振り向くとあの神殿が湖を取り巻く丘の上に立っているのが見えた。
「どうしてこんなに明るいんだ?」
一行は天を見上げた。大洞窟の一番上に穴があり、そこから自然光が射しこんでくる。その光がスポットライトのように湖の中央の小島と、そこにぽつんと立つ祠を照らしていた。
「テーオ、テオ、行ってみようよ!」
「ぼくも、中を見たいです!」
ロウとサマルがまとわりついてせがんだ。
「え~、ここはパーティの良心、ジエーゴさんにうかがいたいと思います」
 ひと筋の光に浮かび上がった小島にジエーゴは明らかに目を奪われていたが、テオの問いに赤面してうつむいた。
「オレは、王子の行かれるところにお供するまで」
「じゃ、モーゼフさん」
「見に行きたいのだろう、みな?」
強面を珍しくほころばせ、ゼフは謎の小島を指した。
「行くぞ!ただし、油断はするな」

 小島へ至る橋は相当古そうだったが、つる草や木ではなく、しっかりと石で作られていた。
「この水、流れているな」
橋の手すりをつかんで水面を眺め、ゼフが言った。
「神殿一階の大広間の壁噴水が生きていた。噴水の下の水盤から、水が排水されてきたのかもしれん。他に水は見なかったからな」
 ジエーゴは不思議そうな表情になった。
「あの水は、そもそもどこから来たのでしょうか」
 ゼフも首をかしげた。
「……どう思う、ロウ?おまえの地元だろう」
「だいぶ離れてると思うけどね!」
と文句をつけたが、ロウは答えた。
「ユグノア城の背後には命の大樹から流れ出た水を溜める大きな池があって、それがこの地方を流れる川の源なんだよ。たぶんこの水もそこから流れ出て、地下水になって、壁噴水になって、それからここへ流れたんじゃないかな」
 ゼフはあらためて地底湖を見渡した。
「それにしても広い。ただの排水路にしては壮大すぎる」
「ほんとに、何なのだろうか、ここは」
とクレイもつぶやいた。テオは前方を指した。
「あれのためかな、たぶん」
あれ、というのは、小島の中央に築かれた祭壇だった。淡い金色のカベと優雅な柱で囲み、屋根を乗せたその祭壇に、確かに赤と金の宝箱が載っていた。
 小島はこの地底湖で一番明るい場所だった。物音はほとんどない。地底湖のまわりにある灌木の群れが風でゆらぐ音が聞こえるほどだった。静まり返った空気の中を一行は祭壇に向かって歩いていった。
「しかし、宝物を祭るにしては妙な場所だな」
とテオがつぶやいた。
「宝を隠したいにしては、この場所は死ぬほどわかりやすい。宝を守りたいのなら、あまりにも無防備だ」
「答えはひとつだね」
と隣でクレイがつぶやいた。
「宝をここに置いた者、おそらく古代王国の大臣は、こんなにあけっぴろげに宝を置いておいても、宝は盗まれないという自信があった……つまり、盗賊を逃さないための罠が仕掛けてある」
テオがうなずいた。
「オレもそう思う。みんな気をつけてくれ。どんな行動が罠の発動スイッチになっているかわからないからね」
サマルはきょろきょろした。
「罠のスイッチを踏んじゃうかもしれないんですね!」
大丈夫、とクレイが優しい声でささやいた。
「私が大臣なら、発動スイッチはあの宝箱そのものにするね。箱を開けた時に罠が動き出すように」
後ろでゼフがうむ、とつぶやいた。
「さすが腹黒は腹黒の腹を読めるのだな」
「ひどいね」
さして憤慨したようすでもなく、あっさりとクレイがそう言った。
 何事もなく、一行は祭壇の前に着いた。
「……オレが開ける」
有無を言わせぬ口調でテオは言った。
「万一オレに何かあったら、みんな来た道をたどって逃げてくれ。オレは置いていかれてもルーラで帰れるからな」
テオは、この時代には非常に稀な呪文、ルーラの使い手だった。
「何かあったらって……」
とサマルが言いかけたのを、後ろからそっとジエーゴが肩に手を乗せた。
「テオはああいうヤツですが、仕事の仁義は通します。オレたちの誰かが宝箱を開けてトラップに倒れたら、そのほうがトレジャーハンターとしてはまずいですから。テオの仁義を尊重してやってください」
サマルは最後にはうなずいた。
 基壇から少し上がると宝箱に手が届いた。テオはひと一人分の間を空け、片手を伸ばして蓋に手をかけ、一気にはねあげた。
 別に鍵もなかったらしく、宝箱が開いた。
 テオがゆっくり身をかがめ、中身をのぞきこんだ。
「何か入っているぞ。どうやら箱のようだ」
言いながら手を伸ばし、くすんだ色の木の箱を持ちあげた。
 カタ、とどこかで音がした。やけに軽いその音は、静かな湖面に響き渡った。
「何の音だ!?」
一行はあたりを見回した。カタ、カタ、と連続して音が鳴る。
「あ、水門が!」
サマルの指した方角は、一行が歩いて来た湖岸だった。宝箱と連動しているのか、隠し水門が開いた。みるみるうちに湖の水があふれだした。
「なんであんなところ」
ロウのつぶやきに、クレイが答えた。
「やられたね。ぼくたちがたどってきたトンネルが今、水没したよ」
おい、とゼフが言った。
「それどころじゃない。湖岸を見ろ」
サマルも湖岸に目を向けた。最初は灌木の間で赤い光がチラチラしている、と思った。だが、どこからか吹いて来た風に湖岸の草木があおられたとき、光の正体を知った。
「く、蜘蛛?」
赤い目の蜘蛛がびっしりと湖岸を埋めている。一匹一匹が猟犬ほどの大きさだった。二つの赤い目を光らせた小さめの頭と、左右四対計八本の足を持った大きな腹部。巨大蜘蛛は長い足を操って一斉に小島への橋を目指した。
 サマルはぞっとした。これだけの数のモンスターを撃退できるだろうか。
「そうか。これがトラップなんだ」
クレイだった。
「盗賊が宝箱を開けると、逃げ道が消え、蜘蛛の群れが呼びだされてくる。トラップは人肉の味をおぼえた蜘蛛の群れ……どんな盗賊も逃げられっこない」
淡々とした分析だった。
「ああ、しくじっ……た、な」
低いしゃがれ声だった。
 一瞬、サマルには声の主がわからなかった。いきなりロウがテオに駆け寄った。テオは箱を抱えたままその場にうずくまっている。顔色が青くなり、ひどい声になっていた。
「テオ!」
「マヒ薬、らしい。宝箱の蓋……開ける指に、刺さる、よう……なって……」
「もういいから、しゃべらないで」
ロウが言った。
「に、げ、」
「できないよ!」
きっぱりとロウは言った。
「トンネルは通れなくなっちゃった。テオだってその状態でルーラできるわけないでしょ!みんな、切り抜けよう!」
「やるしかない」
低く答えてゼフは大剣を構えた。
「お供します」
ジエーゴが双剣を抜いた。
 クレイだけは無言だった。クレイは補助系の呪文を得意とする。ラリホー、マヌーサ、ルカナンの三大デバフのほかにメダパニやヘナトス、ボミエを使えるので強敵相手のときは必須の人材だった。おそらくMPはパーティのメンバー中最多を誇る。さらに決め呪文がメラ系という分厚さだった。
 つい心細くて、サマルは声をかけた。
「いっしょに戦ってくれますよね、クレイさん!」
答えたのはロウだった。
「大丈夫だよ。クレイが逃げたりするわけないじゃない」
 いや、とクレイがつぶやいた。
「切ったはったはおまかせするよ。私は逃げ道を探す」
「クレイさん!」
クレイがふりむいた。珍しく真顔だった。
「ごらん」
彼が指したのは、祠の壁だった。宝箱が置かれた祭壇の奥の壁に、奇妙な模様があった。
「あれはパズルだと思わないかい?」
ひどく場違いな言葉を聞いた、とサマルは思った。クレイは確信を込めて語った。
「王だって大臣だって、ここから宝を出すときはトラップを解除しなくちゃならないはずだ。マヒ薬を避けるには、触る位置をあらかじめ知っていればいい。でもトンネルから排水し、蜘蛛を追い返すなんらかの仕掛けが必要だったはずだ。それがたぶんこの露骨に配置されたパズルじゃないかな」
壁の模様は、3×3のマス目でできた区画を横に三列、縦に三行並べて全体で9×9のマス目にしてあった。そのマス目はところどころに数字が書かれていた。
「ほんとに?」
クレイは微笑した。むしろ優しい笑顔だった。
「私は、このパズルがトラップ解除のカギだということに賭ける」
「おもしろい」
とゼフが答えた。
「人食い蜘蛛の群れは俺たちがふせいでやる。そのパズル、解いてみろ」
「でも」
つい、サマルは口にした。
「もう、日が暮れます。あまり暗くなると壁の模様が見えなくなる。早く解かないと」
クレイがパズルの壁の前に立った。サマルの視界には、淡い色合いで雪の結晶の紋章を描いたマントしか見えなくなった。マントをつけたその肩がふるっと揺れた。武者震いだとサマルは悟った。
「それだけあれば、十分。私の腕を信じなさい」

 横九列縦九行、合計81のマス目のうち、20と少しは表面に数字が彫りつけられていた。クレイはカベに近寄ってしげしげと眺め、数字が彫られていない場所に触れた。
「!」
クレイの指が壁にもぐっていた。
「このマス目は、ひとつひとつが穴になっているみたいだね」
クレイはきょろきょろと視線をあたりにくばり、祭壇の下から何か見つけて引きだした。箱状のもので、中に何か入っているらしくガラガラ音がした。
 クレイは中身を一つ取りだした。サマルの目には、それは楔のように見えた。クレイは取りだした楔を、パズルの空白のマス目へ差し込んだ。
「数字だ!」
パズルのマス目の空白に、それまでなかった「5」ができていた。
「これは頭に1から9までの数字を彫った石のピンだね。これを好きな所へはめることでパズルが解ける」
「はめるだけでいいなら、ぼくも手伝います!」
クレイは頭を振った。
「私の考えが当たっていれば、どの数字をどこへはめるかについてはルールがあるんだよ」
「どんな?」
「ひとつの行、ひとつの列の中に、1~9までの数字が二つ以上あってはいけない。だからどの行もどの列も、1~9までの数字がひとつずつ入る。なおかつ、全体を九つに区切っている3×3の区画の中にも、1~9までの数字が二つ以上あってはいけない」
「それ、聞いたことあります」
うん、とクレイはうなずいた。
「昔からある数字パズルだよ。さあ、始めよう。まず、そうだな、『5』かな」
「どうして?」
「最初から彫ってある数字は『5』が4つもある。だからわかりやすい」
左手にピンをいくつもつかみ、右手で次々と『5』の場所を判断して刺していく。その動きは的確で迷いはなかった。
「次は……『1』だ」
思わずサマルは頭に『1』のついたピンをいくつか握って差し出した。クレイはパズルに集中したまま、サマルの顔も見ずにピンを受け取り、すぐ『1』を刺し始めた。
「……すごい」
クレイが、この手のパズルが得意だとサマルは知っていたが、まったく迷うことなく数字を決めていくさまは見事だった。
「左区画の1は中段、右区画の1は下段、だから中央の区画の1は上段に入るべき。一つ下の区画は右行に1があり、もう一つ下の区画は左行に1がある。だからターゲットの区画の上段中央が1」
ぶつぶつとつぶやくのは、思考の過程らしい。
「8と8が交わる行列を除外するとこの区画で8が入るのはここだけだ……」
サマルはあわてて『8』のピンを集めた。
「同じ理屈でこの区画の8は、左行にしか入らない。左行に8、右行にも8、だからこっちの区画の8は中央で、入る場所が残っているのは下段だけだから……」
 サマルの顔に何か冷たいものがかかった。ふと目を上げてぎょっとした。クレイのパズルについ目を奪われていた間に、人食いの死蜘蛛の群れが小島に殺到してきたようだった。
 両手剣でゼフが、双剣でジエーゴが、片手剣と拳法でロウがいちいち退けている。刃で切伏せると体液がしぶきをあげた。サマルは手の甲で蜘蛛の体液をぬぐった。
「サマル、大丈夫?」
ロウだった。
「はい、すいません、ぼうっとして」
ロウは襲ってきた蜘蛛の顔面を、したかかに蹴りとばして言った。
「テオを頼むね。こっちはまだまだ大丈夫」
ロウの向こうでゼフの大剣がうなりをあげ、血しぶきが飛び散っていた。
「はいっ」
サマルはぐったりしたテオの上半身を抱えてクレイの足もとに座り込み、リベホイミをかけた。
「……、すまん」
先ほど使った満月草が少しは効いてきたらしいが、まだうまく口が回らないようだった。
「すぐ脱出ですよ。気絶しないでください」
はげましながら、サマルはぞくぞくしていた。クレイが神殿やトンネルで見つけたモチーフの意味を、今になってようやくサマルは理解していた。
 雪だるまのような大小二つの丸のうち、小さい方が頭、大きい方が腹。頭にかかれた二つの点が眼、腹から突きだした四対のL字が足。この神殿は蜘蛛のモチーフに満ちていた。
――アラクネアは蜘蛛の国なんだ、たぶん。
 たとえばサソリは不快で有毒な害虫だが、サマルのふるさとサマディーでは、過酷な環境で生きのびるタフネスを美点として、いくつかの名門貴族がサソリを家紋に使っていた。蜘蛛を好んで紋章にする王家があってもサマルは不思議とは思わなかった。
 しかし、それだけではないとサマルは思った。この地底の王国でアラクネアの王は巨大蜘蛛を育てていたのではないか。それも、エサとして人肉を与えながら。そうでなかったらこの蜘蛛の群れを盗賊除けのトラップには使えない。
 ぶるっとサマルは身を振るわせた。アラクネアの大臣がトラップを解除しきらなかったのが原因で王がダンジョンの中で行き倒れた、というのなら、その王は自分が育てた蜘蛛に食い殺されたのではないだろうか。
 そして、その大臣がトラップ解除に失敗したのが戦争の混乱のせいではなく、故意だとしたら?それが王殺しだとしたら?でも、なぜ、そんなことを?
「サマル!」
いきなり名を呼ばれてサマルは身を固くした。目の前にあごをいっぱいに開いた大蜘蛛の顔があった。
 とっさに短剣を抜いてサマルは切りつけた。
「シュルルルル……」
飛び下がった大蜘蛛をゼフたちが撃退していた。
「クレイ、急いでください!」
 クレイが、考え込んでいた。
「どうしたんですか!」
しっ、とつぶやいてクレイはパズルをにらんだ。
 目の前のパズルの81のマス目は、もう半分以上埋まっていた。
「決まらない……。『4』が入るべきマス目の候補が同じ区画内に二つある」