バード・オブ・パラダイス 5.騎士は不覚悟を糺し

 靴底で砂がぎしぎし鳴った。ソルティコの浜は細かい白い砂でできている。時々貝殻や、波が運んできた海藻、流木が混じった。
 ボネ師範代のクラスは、その日、水泳の授業をしていた。
「泳ぎを覚えておいて損はない」
とボネは門下生に言った。
「歴史上、濠を泳いで仕掛けた城攻めもあることだ。ソルティコは幸い海が近いからな。今日の目標はあの岩だ」
 ソルティコの港、ポール・ネルセンは、実は湾の中に巨岩が並んでいるので大型船は出入りができない。大型船のための桟橋は、ソルティアナ海岸に造られている。ただ、水泳を学ぶ若者たちにとってはソルティコ湾内の巨岩群はちょうどいい練習目標になっていた。
 授業のためにボネクラスの門下生は服を脱ぎ、下ばき一枚で集合した。
「またでかくなったな」
グレイグとゴリアテの二人がいかにもいたずら小僧らしい悪童だったころから一年が過ぎた。十六歳のグレイグは同級生たちより頭一つ分大きく、しっかりした骨格に分厚い筋肉を乗せるようになっていた。来た当時童顔だった顔立ちもいくぶん面長になってきた。
「バンデルフォンの民はもともと大柄なんだそうだ」
「そんなもんかね」
 晴れて暑い日の水泳はなかなか楽しかった。授業は、沖の岩まで二往復して休憩となった。
「今日は俺が忙しくてな。水泳はここで終わる。勝手に泳ぐなよ?」
とボネは言いつけた。
「各自、後始末をして寄宿舎へ戻るように。昼飯の後は講義だからな」
 まだ湿った髪、泳いだ後のけだるさのまま服をつけ、門下生たちは片付けをしていた。グレイグは、浜辺に一番近い酒場のデッキを支える柱の裏までゴミが落ちていないかと見に回った。
 砂鳴りにまじって、人の声が聞こえた。
 グレイグは立ち止まった。
「ふざけるなっ」
その、声変わりの始まった少年の声に、聞き覚えがあった。
――ゴリアテ?
グレイグはきょろきょろした。酒場の柱の奥は空き樽などの置き場になっている。覗き込むと、ゴリアテと、他に三人ほど少年たちがいた。年齢はたぶん自分と同じぐらいだろうとグレイグは思った
 三人のうち一人は身なりのいい少年だったが、砂地に長々と伸びて、服がぐちゃぐちゃだった。他の二人が前後からゴリアテに襲い掛かった。
「二対一で勝てると思ってるのか」
一人がゴリアテの腕を背後からつかんで動けないようにした。そのすきにもう一人が殴りかかった。
 ゴリアテの足が高く上がり、襲ってきた少年の顎を蹴り上げた。わあっと叫んで蹴られた子は両手で顔を覆った。拘束を片腕だけ振りほどいたゴリアテは半回転してさらに後ろ蹴りを見舞った。
 グレイグは理解した。砂地に伸びている少年もたぶんゴリアテがやったのだろう。その子が一人目、蹴り飛ばされたのが二人目、そしてぽかんとしてゴリアテの腕をつかんでいるのが三人目。
 ゴリアテは三人目を逆に引き寄せ、がら空きの耳下に手刀を叩きこんだ。うめき声をあげて三人目が崩れ落ちた。
 荒い呼吸をしながら、ゴリアテはそのまま立っていた。
「おい!」
グレイグが声をかけると、ゴリアテが顔を向けた。片方の目の下が青黒く変色していた。
「グレイグ?」
「何をやってんだ。出て来いよ」
 ゴリアテは柱の奥から樽を飛び越えて出てきた。
「そいつら、ケンカを売ってきたのか?バカだな」
とグレイグは言った。
 ゴリアテがたたきのめした三人は、身なりからして騎士団の門下生ではないらしい。ソルティコの少年たちのようだった。
「三対一でも、騎士見習いに勝てるわけがない。こっちは毎日体術を訓練してるってのに」
ゴリアテもやっとカルロス師範代のクラスで体術に参加できるようになったとグレイグは聞いている。そして、めきめき上達している、とも。
「そうだね。見くびられたもんだよ」
十三歳のゴリアテは、中性的だった子供の頃に比べるとずっと大人の男に近づいてきた。
 太陽の下に出てくると、目の下と唇のすみに内出血が、ほほとこめかみにすり傷ができているのがわかった。ケンカの間に髪をまとめるリボンがゆるみ、黒髪がバラバラだった。ゴリアテはまだ険しさを残した目で前髪をかきあげた。
 うめき声がした。背後で少年たちが意識を取り戻したようだった。
「くそっ、ゴリアテのやつ!」
「どこ行った?」
ゴリアテは腕組みをした。
「ここにいるよ」
ぎょっとしたような沈黙が訪れた。
「なんだい?さっき見せびらかしたナイフでも使うの?いいよ、おいで、広いところで相手してあげるから。ただし刃物を使うのなら、ちょっとやんちゃでしたじゃ済まないからね。覚悟してきなよ」
 暗がりから三人の少年が恨めしそうにこちらを見ていた。
「短剣が要るのか、ゴリアテ?」
わざとのんびりグレイグは話しかけた。グレイグ自身は完全に声が太くなっている。三人組のいるところから見ると、大人の騎士かと思うほど大きく見えることもわかっていた。
「俺のを貸すよ」
実はグレイグは短剣など持ち歩いていない。それを承知の上でゴリアテが軽やかに答えた。
「ああ、悪いな」
くそっとか言う声や舌打ちの音がした。ゴリアテは鼻で笑った。
「ふん?来ないんだ?じゃ、もう用はないね?行こう、グレイグ」
そう言って先に立った。
 後ろの方で誰かがわめいた。
「何も知らないくせに!」
さきほどまで気絶していた身なりのいい少年だった。
「足もとの罠に引っかかって泣きべそかくなよ、ゴリアテ!」
まくしたてる声は、甲高く、涙声まじりで、ろくにろれつもまわっていない。
「こっちには味方がたくさんいるんだからな!いいかっ、現実見ろ!領主だなんて威張っていても誰もお前ら親子なんか相手にしないぞ。みんなそう言ってるんだっ」
二人が無視して歩くにつれて、耳障りな泣き声は遠くなっていった。
 しばらく二人で坂道を上がっていた。ゴリアテはゆるんだリボンをはずして、唇にくわえた。黙ったまま腕をあげて髪を束ねる彼にグレイグは聞いてみた。
「なんでケンカなんかしたんだ」
髪をまとめたあと、ぽつぽつとゴリアテは話し出した。
「あいつらの一人、カイルっていう子は知り合いなんだ。ずっと先祖をたどれば血も繋がってる」
「カイル?」
「最初砂浜に伸びてた子。ソルティコで大きな商売をしている商人パストルの息子だよ」
一人だけ身なりのいい少年か、とグレイグは思った。
「パパはパストルに協力を求める立場だから、ぼくもカイルを丁重に扱っている。カイルは話があるからってぼくをあそこへ呼びだしたんだ」
「話って?」
ゴリアテは首を振った。
「あいつ、カイルが言うには叙任を望む騎士見習いからお金を取って叙任させる商売をやりたい、言うことを聞け、だってさ」
グレイグは目をむいた。
「きちんと修行していない者を金で叙任?冗談じゃない、そんなことは騎士のプライドにかけてできないぞ!」
「そうさ。もともとカイルの父親のパストルが考え付いて、ぼくのパパに持ちかけたんだって」
「師匠は断っただろう?」
くすくすとゴリアテは笑った。
「けんもほろろに追い払ったよ」
「さすが師匠。あたりまえだ」
「そうしたら、今度はカイルがぼくを抱き込みにきた。言うことを聞かないと顔にキズをつけるぞって、取り巻きの二人からナイフを見せられた」
「バカだなぁ」
心からグレイグは言った。町の女子供や観光客はナイフで脅せても、正規の戦闘訓練を受けている騎士見習いを脅せるわけがない。
「それに、卑怯だ」
うん、とゴリアテは言った。そしてしばらく黙っていた。
「……カイルのやつ、足もとの罠とか味方がいるとか言ってた」
「くやしまぎれじゃないのか?」
「たぶんそうだろうけど」
ゴリアテは真顔で何か考えていた。グレイグが話しかけた。
「とりあえず邸まで帰ろう。……その顔だとケンカしたことがばれるぞ?」
ゴリアテは唇を噛んだ。
「どうしよう。叱られるよね」
「セザールさんに水をもらって冷やすか」
「セザールも驚かせちゃうな。ああ、もうっ!」
グレイグは立ち止まった。
「なんとか治せるかな」
え、とゴリアテが言った。
「いや、もしかしたら俺に回復魔法が使えるかもしれんと思ってな」
「グレイグに?」
ゴリアテはぽかんとしていた。グレイグは苦笑した。
「そんな顔するな。死んだ俺の母は僧侶の家系だったんだ。そのせいか俺の魔法適性は回復系だ」
人には多かれ少なかれ魔力がある。だが、その適性は人さまざまだった。どれほど訓練してもけして使えない魔法分野があり、苦も無く使いこなせる分野もある。そしてどんなに適性があっても魔力、MPそのものがなければ使えない。
 ソルティコ騎士団は剣技や馬術の間に騎士見習いたちの魔法適性も調べ、本人に教えるようにしていた。
 ゴリアテの内出血は色白の肌にくっきりと目立つ。その上にグレイグは慎重に片手をかざした。
「……ホイミ」
最も初歩的な回復魔法を唱えた。グレイグの手の中で魔力の集中を示すきらめきが起こった。だが、期待していたような魔力の渦は認められなかった。
「やっぱりダメだな。許せ」
くすっとゴリアテが微笑んだ。
「なんとなく痛みが引いた気がする。グレイグ、凄いね。戦闘も回復もできるなんて」
「からかうなよ。MPも測っていないんだ。たぶんお前より少ないぞ」
「MPは大人になって増えることもあるらしいよ。ぼくの第一の適性はバギ系なんだって」
「そうか。ゴリアテらしいな」
海岸で会って初めて、ゴリアテは彼らしい笑みを見せた。

 グレイグは、カルロス師範代、ボネ師範代に挟まれて小さくなっていた。三人がいるのはジエーゴ邸の二階の廊下、ジエーゴの私室の扉の前だった。
 あの後、内出血のある顔でゴリアテが帰宅するといきなり大騒ぎになった。正規の騎士たちが動き、グレイグとゴリアテは師範代に海岸での出来事を説明し、それからそろってジエーゴの私室の前に連れてこられた。
 先にゴリアテが中へ呼ばれ、しばらくすると領主の部屋の中から、凄まじい怒声が聞こえてきた。グレイグは生きた心地がしなかった。
「騎士道不覚悟ぉっ!」
室内外をへだてる分厚い扉が震えるのではないかと思うような大音声だった。
「市民と私闘に及ぶたぁ、なんたることだっ!誰がそんなことをやれと言ったっ」
自分が責められているのではないとわかってはいるが、もう少し幼かったら泣きだしていたかもしれない、と十六歳のグレイグは思う。
「三対一だぁ?それがどうしたぁっ!相手は嘴の黄色いヒヨッコ三羽だろうがっ。殴って物事済ませようなんぞ、騎士の風上にもおけねえ!そんな料簡で将来領主が務まるかっ。手ぇ出す前に少しは考えろっ」
さきほどから室内ではゴリアテが怒られている。雷のような大声の主は、ジエーゴだった。
 ボネがつぶやいた。
「ちびりそうなら言え」
「だ、だいじょうぶです」
カルロスがこちらを見て、小声で言った。
「ゴリアテ坊ちゃんは慣れてるよ」
 背後から執事がやってきた。
「今日は大丈夫でございますよ」
セザールはいつものように落ち着いていた。
「ご主人様も、まだ刃物を持ちだしておられませんし」
グレイグは心底ぞっとした。
 しずしずとセザールが扉を開いた。手振りでグレイグたちを室内に招き入れた。
「だいたいがだなぁっ……その顔はどうした」
ジエーゴの口調が少し変わった。
「殴られました」
とゴリアテが答えた。
 ジエーゴは片手を息子の顔にあてた。内出血で変色した部分にそっと触れた。青黒くなった部分をこすり取りたいかのように親指の腹で静かにさすった。低くうめくようにジエーゴはつぶやいた。
「よくも……っ」
大声で怒鳴りつけているときより、ずっと強い怒りがその声の底にひそんでいた。
 ジエーゴが咳払いをした。
「いいか、ケンカさせるために稽古をつけてるわけじゃねえ。大義のない私闘は二度とするな。それから、おまえの言ったチンピラ二人を見つけたら俺の前につれてこい」
ひと呼吸おいてジエーゴは、低い声でうなるように付け加えた。
「首、ねじ切ってやるぜ」
物騒な目つきだった。ゴリアテが父の服の袖を握った。
「パパ、それは……」
矛盾しているだろうとグレイグも思った。
「うるせぇ。おい、セザール、こいつの顔をなんとかしてやれ」
ジエーゴは息子を執事の方へ押しやった。
「かしこまりました。坊ちゃま、少し冷やしましょう」
 ジエーゴは私室の椅子のひとつにどっかりと腰を下ろした。鋭い目がじろりとグレイグたちに向けられた。
「ボネ、カルロス、フロラン、シモン」
フロランとシモンというのは、グレイグたちより先に部屋に入っていた二人の騎士の名だった。この四人の騎士たちは、ソルティコ騎士団に四つある小隊の小隊長たちであり、師範代でもあった。彼らはジエーゴの前に整列した。
「パストルの阿呆の考え付いた“商売”は、成り立つものか?」
 カルロスが咳払いをした。
「もともと騎士の叙任は、先輩騎士の見極めにかかっています。つまり、先輩騎士がよしと言えば、どんな馬の骨でも騎士になれます」
「証拠はいらねえわけか」
ボネが言った。
「強いて言うなら証拠は叙任式の際に与えられる剣と拍車ですが、それも簡単に手に入ります」
「逆に言えば」
とフロランが言った。フロランはカルロスと同じくらいの年配の落ち着いた男だった。
「新人騎士には叙任してくれた先輩騎士が必ずいるはずで、その先輩が“俺は知らない”と言えば叙任は否定できます」
「叙任を金で買う、というのはつまり、先輩騎士を買収することです」
重々しくシモンが言い添えた。シモンは、背は低いががっちりした男で鋭い目をしていた。
「うむ」
とジエーゴは一言うなった。
「つまりは俺たち、ソルティコ騎士団の問題と言うことか」
「パストル殿の商売に乗り気の者が騎士団内部にいるのかもしれないのです。ゴリアテさまが、パストル殿の子息からそのようにも取れる言葉をお聞きになっておいでです」
 気に入らねぇ、とジエーゴはつぶやいた。やや考えた末に結論を下した。
「裏切り者探しは、今はやらん。しかし騎士団全体に今回のことを周知徹底してくれ。不心得者は、俺が直々にシメるつもりだとな」
武闘派領主は椅子のひじかけを平手でたたいた。
「裏切り者など出さないに越したことはない。おめぇらが頼りだ。頼んだぞ」
ジエーゴ麾下の四天王は拳を胸につけて軽く頭を下げた。
 カルロスが口を切った。
「ひとつ、提案をお許しくださいますか」
「なんだ?言ってみろ」
「我々師範代はそれぞれ門下生を預かっておりますが、人数の関係で卒業間近まで従者に抜擢されない弟子もおります。叙任商売の底流にはそのような不満もあるかもしれません。従者抜擢の機会を増やしてはいかがでしょうか」
む、とジエーゴは考え込んだ。
「知識や技術は同級生に劣るとしても、心構えに見どころがあるという者もおります」
「わかった」
とジエーゴは言った。
「創立記念祭のほかにソルティコにはページェントがある。それをもうひとつの機会にできるかどうか、町のやつらと相談してくるぜ。待っていろ」
お願いします、とカルロスが頭を下げた。
「おめぇ、心当たりがあるのか?」
「は?」
「さっき言った、心構えに、ってやつだ」
カルロスはちょっと口元をほころばせた。
「ゴンザレスを覚えておいでですか」
ジエーゴは目を見開いた。
「ああ、あいつか!不器用だが、信念にいちずなやつだ。そうか、まだ従者になっていなかったか」
ジエーゴは顔を上げた。
「そうだな、今年は間に合わんが、来年の創立記念祭にはゴンザレスを俺の従者にする。そう伝えてくれ」
かしこまりました、とカルロスは答えた。
 グレイグは部屋の奥をそっとうかがった。そこではセザールがゴリアテの手当をしていた。こちらから見えるのは、ゴリアテの背中だけだった。
 来年、ゴンゾがジエーゴの従者を務める時、ゴリアテは十四歳になっている。十のころからずっと楽しみにしていた従者役を、ゴリアテは見送らなくてはならないのだ。
 ゴリアテは動かなかった。だが、グレイグには、彼がどんな顔をしているか見当がついた。しかしグレイグには、何と言って慰めればよいかは、見当がつかなかった。