バード・オブ・パラダイス 4.悪童の驕りの夏に

 グレイグはかなり重い剣を片手で握り、じっとチャンスをうかがった。
 グレイグは十五歳になり、カルロス師範代のクラスから、ボネ師範代の教えるもっと年長のクラスへ進んだばかりだった。
 試合相手のディオンという若者は攻めあぐねているようだった。
「しっかりしろよ」
年長クラスの門下生たちが声を上げた。
「ディオン、押していけ!」
 師範代のボネは恰幅のいい赤ら顔の騎士だった。じっとグレイグの戦い方を眺めていた。
 ディオンが小さく舌打ちして打ちかかった。剣で、また反対の腕に装備した盾で、グレイグは攻撃を次々と弾き返し、防御した。思ったほど攻撃は重くなかった。同じカルロスグループから昨年進級していたアルノーたちが、背後でにやにやしながらディオンの焦り顔を見ているのがわかった。
 ガンガン攻めていたディオンの息があがってきた。それまで防戦一方のグレイグは剣を握りなおした。
 疲れたらしく、ディオンが一歩引いた。その呼吸に合わせてグレイグが一歩前に出た。グレイグはディオンより少し背が高い。その高さから剣を振り上げ、打ち下ろした。
「うわっ」
あわてたディオンが自分の剣を振りまわした。もろい、とグレイグは思い、相手の手首を軽くたたいた。ディオンはたまらずに剣を取り落とした。
「そこまで」
ボネが言った。
「うむ。カルロスがおまえを褒めていたが、なかなかのもんだ」
グレイグは元の場所に戻って一礼した。
 ボネのグループは十八歳までの若者たちを預かっているが、十五のグレイグは最年少であり、たぶん一番大柄な門下生だった。
「ガキだと思ったら……やられたよ」
とディオンが言った。
「おまえ、デルカダール王のお声がかりなんだって?さすがだな」
「いや、そんなことは」
グレイグは照れた。
 アルノーが話しかけた。
「一年見なかった間に腕を上げたな!無敵なんじゃないか、おまえ」
「む、無敵なんて」
注目を浴びすぎてグレイグは恥ずかしさが先に立っていた。
 後ろから肩をたたかれた。
「久しぶり」
顔を上げると、昨年一緒に買い出しにいったゴンゾだった。ゴンゾ、と言おうとしてグレイグは兄弟子への礼儀と本名をやっと思い出した。
「ええと、ゴンザレスさん」
「ゴンゾでいいさ。あんたと坊ちゃん、ずっと二人一組だっただろう。あんたが一人でこっちのクラスへ来ちゃって、坊ちゃんは大丈夫かい」
 ゴリアテはジエーゴ邸で寝起きしていて、寄宿舎住まいではなかった。彼には騎士の修行のほかに次期領主として学ぶこともたくさんあった。クラスが分かれてしまうとなかなか会えない。
「少なくとも、試合はできなくなるかな」
「あんた、坊ちゃん負かせるのかい?」
「あいつと試合をすると、お互い負けないけど勝てないよ。進級前に最後のひと試合をやったけど、やっぱり引き分けだった」
ははっとゴンゾは笑った。
「そういや、いつも引き分けだったな」
 ボネが号令をかけた。
「今日はここまでだ。持ち物を整理して片づけてくれ。年少クラスが剣術場を使う予定だからな」
このあとボネのグループは馬場へ出ることになっていた。
 まもなくカルロスが師範代を務めるグループが、石畳を敷いた修行場へやってきた。入門したてから十四歳までの少年たち十名弱で白い縁取りの青いコートを身につけたおそろいのかっこうだった。
 先頭に立っているのはゴリアテだった。まだ十二歳だが、背後に同級生の一群を従えてこちらへ歩いてくる。
いかにも華奢な少年だったころとは、体つきもすこし変わった。姿勢を正し、大股に歩くと、コートの裾が翻る。片手に木剣を提げ、これから始まる疑似戦闘に闘志を燃やすのか、ぐっと顎を上げて彼は歩いて来た。
 グレイグは、ゴリアテから目が離せなかった。他の少年たちと同じ服装をしているのに、彼だけがくっきりと浮き上がって見える。姿の佳さもさることながら、何か独特の気を放っていた。
 グレイグが進級する前、年少クラスにも門下生が増えた。なかにはゴリアテと同じ年の子供たちもいた。ゴリアテはすぐに彼らに囲まれ、いつも誰かしらそばにいるようになった。
 次期領主で、天才少年で、快活で明るい子。ひとなつこく話しかけてきて、新入りにはいろいろと世話を焼いてくれる優等生。人気者になってあたりまえだった。
 今もゴリアテは斜め後ろの同級生に何か話しかけられ、笑いながら振り向き、歯切れのいい返事を返している。いたずらっぽい表情、明るい瞳、十二歳の男の子らしい屈託のないようすだった。
――あいつは、寂しくないのか。
裏切られたと思っていい理由など何一つない。それでもグレイグの胸の中に何かしらもやもやと渦巻く感情があった。
 ふとゴリアテがこちらを見た。口元をほころばせ、グレイグたちに片手を振った。グレイグとゴンゾは手を上げて応えた。ただそれだけで軽くなる自分の心がおかしい、とグレイグは思った。
「あいかわらず王子さまだな、坊ちゃんは」
ゴンゾがつぶやいた。
 なんとなくグレイグはどきりとした。ゴンゾにとっては途中からやってきてゴリアテとセット扱いされてきたグレイグも、妬みの対象だったのだろうか。いつものぼやきのように聞こえたが、それにしては奇妙に粘りのある口調だった。

 ゴンゾはかたくなな態度で首を振った。
「ジエーゴさまの指示は明確だ。今日は外出禁止」
「ひどいよ、ゴンゾ!」
両手を拳にして振りながらゴリアテは抗議していた。
「午後から創立祭予選の抽選会だって、知ってるだろ?!」
 その場所はジエーゴ邸のすぐ外だった。ゴリアテは青みがかった緑色の絹地でつくった、袖のふくらんだ上着と白いタイツという上流階級の子弟の見本のような姿だった。
 今年も創立祭が近づいている。その日の昼、恒例行事としてジエーゴは領主館にソルティコの名士たちを集め、創立祭の行事のための協力を依頼していた。
 ジエーゴはいつもの戦闘用のチェーンメイルとチュニックではなく、濃紺のプールポワンを着てその上から銀の縁取りのある袖のない上着を重ねるという領主らしいかっこうだった。ゴリアテはその嫡子として父の傍に控えていた。
 会合は成功だったらしい。だがその日の午後からジエーゴは港湾長に頼まれて港の視察に行くことになった。集まった客の前で主人役が先に退出する詫びを述べた後、ジエーゴは嫡子に言いつけた。
「お客の見送りはまかせたぞ。セザール、こいつが最後まできちんとやるように見ていてくれ。終わるまで外出禁止だ、いいな、ゴリアテ」
領主名代はゴリアテがもっと幼いころからやっていることだった。
「はい……父上」
最近ゴリアテが人前ではパパと言わなくなったことにグレイグは気付いた。
 ジエーゴと港湾長が先に館を出ると、ゴリアテとセザールが客の挨拶を受け、一組ずつ丁寧に送り出した。
 その日の会合の間、グレイグを含むボネ師範代の門下生たちはジエーゴ邸の警備を務めていた。
「警備はこれで終了する」
最後の客が屋敷を辞去したあと、ボネは宣言した。
「みんな覚えているだろうが、創立祭の最終日にやる剣術大会の、予選のための抽選が本日だ。大会参加を希望する者は抽選会場へ集合してくれ。知っての通り、寄宿舎の食堂だ」
 騎士団の創立記念祭は、初日が馬揃え、二日目が競馬式(こまくらべ)、三日目が剣術大会だった。馬揃えは正規の騎士限定だが、競馬式と剣術大会は騎士門下生の区別なしで参加できることになっていた。特に剣術大会は予選を抜ければ年少クラスの門下生でも出場できる。
 グレイグは、その日、ゴリアテを予選に誘おうと考えていた。うまくすれば久しぶりに彼と剣を合わせることになる。
 ゴリアテも同じことを考えていたらしく、客たちが帰った後屋敷の玄関先でグレイグに声をかけた。
「ちょっと待っててよ。すぐ着替えてくるから」
 ゴンゾが割って入ったのはそのときだった。
「今日は外出禁止だよ、坊ちゃん」
「もう、お見送りは終わったよ?」
ゴンゾは首を振った。
「俺はそんなこと聞いてない。外に行ってはダメだよ」
 グレイグが話しかけた。
「ゴンゾは予選いいのか?」
ふいっとゴンゾは横を向き、ぼそっとつぶやいた。
「出ない」
「なんで」
「俺はあんたらみたいに強くないんだよ。ほっといてくれ!」
 後ろでセザールがおろおろしていた。だが、ボネ師範代も他の門下生も抽選を行う寄宿舎へ行ってしまっている。そしてセザール自身の権限は屋敷内の勝手向きに限られていた。
「ゴンゾ、どうして意地悪するの?」
ぽつりとゴリアテがつぶやいた。ゴンゾは少し赤くなって脇を向いた。
「俺が気に入らないならさっさとぶん殴って越えていけばいいだろう。あんたら、強いんだから」
「そんなことできないよ。どうして」
ゴンゾは聞こうとしなかった。
「できないって?やっぱり坊ちゃん方はお上品だよな。お上品を通したいなら、ここはそっちが大人になって予選を諦めればいいじゃないか」
 グレイグはむっとした。ゴンゾがひがみやすい性質だと知ってはいたが、自分の弱さを盾にするようなやり方は卑怯だと思った。
「いやだ。諦めない」
とゴリアテが言った。理不尽な嫌がらせに対して、まだ十二歳のゴリアテは両手を握りしめ、顎を引き、目を見開いていた。
「ここでぼくが“大人になって”諦めたりしたら、ゴンゾが弱くてずるいってことになるじゃないか。ぼくは、いやだ。諦めないからねっ」
「勝手にすればいいさ」
自嘲交じりにそう言うと、ゴンゾはまた頑固に言い張った。
「俺はここで見張ってるからな」
そう言って背を向けた。
 グレイグはゴンゾに声をかけようとしたが、くやしくてやめた。
「待ってろ、ゴリアテ、今ボネ先生に言って」
ゴリアテが片手をあげて止めた。
「グレイグ、ちょっと来て」
柳葉のような細い眉が美しい曲線を描いている。その下の目を半眼閉じて、ゴリアテは独特の表情をしていた。

 その日、少なくとも年長クラスの者はほとんど剣術大会の抽選に行っていたので、クラスとしては何も予定されていなかった。抽選に行かない者にとっては、半日の休みとなる。
 ゴンゾには特に計画はなかった。劣等感から突発的にゴリアテに嫌がらせをしてしまったものの、もともと気の小さいゴンゾは今頃になって心臓がばくばくしていた。
 ゴリアテの性格からして、ボネやジエーゴに言いつけて自分を処罰させる、という心配は、ゴンゾはしていなかった。……第一、そんな心配のあるような他の同級生や先輩には、こんな嫌がらせは怖くてできない。つくづく自分は小さい、と思ってゴンゾは自分にうんざりした。
 それにこの件はいずれ屋敷で働いている者たちから祖父にばれて、きっと大目玉をくらうとゴンゾは思っている。
「なんでこうなっちまったのか……」
何より、“どうして意地悪するの”と聞いたときのゴリアテの表情がゴンゾの胸に刺さっている。やっと歩けるような年から“ごんじょ”と呼んでまとわりついてきた無邪気なゴリアテの笑顔に比べると辛かった。
 あいつが、グレイグが悪い、とゴンゾは思う。いつのまにかやってきてゴリアテを独占してしまったのだ。ゴリアテもゴリアテで、自分と実力の釣りあうグレイグを気に入ったらしく、心を許している。
 いつだか見てしまった。あぐらをかいたグレイグにゴリアテがもたれかかりその胸に柔らかなほほを預け、すやすやと寝息をたてているのを。
 あんな顔を見ていいのはジエーゴさまとセザールさんくらいのものだ、とゴンゾは思った。
 グレイグの方は、のしかかってくる無邪気な暴君のために動くこともできず、おたおたしていた。
――もともと暴君なのだ、あの生き物は。
小生意気で、自分が魅力的だと百も承知で、皮肉屋で、気が強い。そしてそれに見合う力を身につけつつある。
 ゴンゾの同級生や師範代も、同じ教室や練習場にゴリアテが現れると一斉に視線を向ける。彼だけが何か特別な光を放っているかのようだった。その眩しさに耐えきれず、意地悪をしてしまったのかもしれないとゴンゾは思った。
 ゴンゾはため息をついた。やり始めてしまった以上、少なくとも抽選会が終わるまでここにいなくてはならない。
 実は暇なゴンゾはしばらくうずくまっていたが、ふとあたりを見回した。
「掃除でもするか」
ジエーゴ邸の入り口は立派な門があり、そこから広い前庭が続くつくりだった。ところどころに太い角柱を置き、その上にテラコッタのプランターを置いていた。
 前庭で使っている石材は輝くような白い石が多い。いかにもソルティコらしい建材だが、けっこう汚れも目立った。
 ゴンゾはジエーゴ邸の脇の井戸から木のバケツに水をくみ上げ、長い柄のついたデッキブラシを取り上げた。濡らしたブラシでこすってからざっと水をかけて汚れを洗い流してやるつもりだった。
白い角柱は上の方に飾り彫りの入っているものも多かった。デッキブラシより細かいところを掃除する道具が必要だった。
「ええと、タワシ、タワシ」
井戸の脇の棚に茶色いタワシがいくつか並んでいた。何の気なしにゴンゾは一番はじにあったタワシを掴んだ。
 ふにゃ、とタワシは手の中でつぶれた。
 妙に柔らかいタワシだとゴンゾは思った。
 タワシが手の中でジタバタ暴れた。なぜか鳴き声もした。
 妙な事もあるもんだな、と考えた。
 持ったまま一二歩進んでから、ゴンゾはタワシに視線を落とした。
 タワシと目があった。
「ギャアアアアアアッ」
ゴンゾはタワシ……のように見えた茶色いネズミを手から振り落として叫んだ。
「わーっ、あっち行け、行けよおっ」
どういうわけか子供の頃から、ゴンゾはネズミが大嫌いだった。バケツを放り出し、手のひらを服にぐしぐしこすりつけ、デッキブラシを振りまわした。が、なぜかネズミはちゅーちゅー鳴きながらゴンゾに近寄ってきた。
「うわああっ」
デッキブラシをネズミに投げつけ、ついにゴンゾはその場を逃げ出した。
「ぼくの勝ちだよ、ゴンゾ!」
後ろからまだ高い少年の声が聞こえた。

 物陰から見ていた少年たちは半ば呆れてつぶやいた。
「ここまで効くとは思わなかった」
あれからグレイグとゴリアテは屋敷の厨房へ戻り、ネズミ捕りの箱を見つけ、捕まっていた茶色のネズミを引きだした。さらにナッツを与えて井戸の脇の棚へ乗せておいた。
「ゴンゾの前をチョロチョロして注意を引いてくれるだけでよかったんだけどなあ」
「ゴンゾ、戻ってくるかもしれないぞ?」
とグレイグが言った。
「今のうちだ、行こう」
うん、とつぶやいてゴリアテも寄宿舎へ向かった。
 前を行くゴリアテの肩が小刻みに揺れていた。
「おい、ゴリアテ!」
「わかってるよ」
とゴリアテは言った。
「ぼくは身分をかさに着たのでもなく、腕力に訴えたのでもなく、あの場からゴンゾをどかしたんだ」
と答える声は、まだまじめだった。
「あとでそう言ってゴンゾとは話をつける。でも、でもさ、つかんだタワシがネズミだって気付いた瞬間の、あの、顔が!」
忍び笑いを我慢できずに、ついにゴリアテは笑いだした。
「かわいそうだろ、笑ってやるなよ」
とグレイグはたしなめた。が、ネズミと見つめ合うゴンゾの姿を思い出した瞬間、グレイグは笑いのツボへはまった。
「わ、笑うな、いいな?!」
「グレイグだって笑ってるじゃないかっ」
「くっ、くくくっ、くそっ」
寄宿舎に着くまで、二人の悪童はずっと笑い続けていた。