バード・オブ・パラダイス 3.幼子は騎士を夢見て

 グレイグがソルティコへやってきてから一年が過ぎた。グレイグの日常は毎日だいたい同じだった。寄宿舎内で雑用をこなし、大きな食堂で同級生らと食事をして、剣術や馬術の習得に励む。雨の日は馬具の手入れや掃除をして、師範代を中心に屋内で講義を受けることもあった。
 グレイグは十四歳になっていた。
「騎士見習いの本格的な修行は、おおよそ十四、十五歳から始まる」
と師範代のカルロスが説明した。
「昔は、騎士見習いの若者はそのくらいの齢で騎士の従者をつとめ、召使として仕えながら騎士に必要な技術や知識を学んだ。無論、心構えもだ。そうして主人である騎士から“騎士として独り立ちしても問題ない”と見極めをつけてもらえたら、晴れて叙任式を取り行う。従者が先輩騎士の前に跪いて騎士の誓いをたて、先輩騎士は剣の平で従者の肩にふれてから、新たに拍車と剣を与えて騎士の仲間入りしたことを宣言する」
カルロスは眉を上げた。
「騎士の誓いは、わかるな?信念を決して曲げず、国に忠節を尽くす。弱きを助け、強きをくじく。どんな逆境にあっても、正々堂々と立ち向かう。 これが騎士道三の誓いだ」
カルロスはすらすらと説明した。
「我がソルティコ騎士団でも、十四歳という年齢はひとつの区切りだ。諸君のうち十四歳以上の者は先輩騎士の従者に抜擢される資格がある。そのチャンスが一か月後にやってくる」
 門下生たちは熱心に聞いていた。
「ソルティコ騎士団の創立記念祭には、馬揃え、競馬式(こまくらべ)と剣技を競う大会がある」
グレイグは、傍らにいるゴリアテの視線を探った。ゴリアテはそれに気づくと、にっと笑ってうなずいた。
 馬揃えとは、ソルティコ騎士団が馬術、調教術を見せるためのイベントであり、大掛かりな軍事パレードでもあった。そろいの兵装の騎士たちが数十騎で集団をつくり、美しい調教歩様で整然と市内の大通りを行進し、広場では集団演技レプリーズを披露する。
 この馬揃えは三日間の創立記念祭の日程の初日に行われる。二日目は選ばれた騎手たちが馬の速さを競い、最終日は予選を勝ち抜いた騎士や門下生どうしの剣の試合だった。
 グレイグは騎士団創立記念祭のことは知らなかった。が、少し興奮したゴリアテが先日グレイグに熱心に語ったので、カルロスの話はだいたいわかった。
「従者は騎士への第一歩だ。従者に選ばれた者は主人役の騎士について一対一で実技を見学し、実践的な指導を受ける機会が与えられる。抜擢を受けたらぜひ全力を尽くしてもらいたい」
カルロスは口調を改めた。
「まあ、もし今年選ばれなくても十八歳になるまで何度もチャンスはあるから安心してくれ」
 講義が終わり、教室を出るとき、少年たちはざわついていた。
「早ければ十四で従者、十八で騎士か」
「デルカダールへ大手を振って帰れるな!」
「最初から重装兵以上だぜ」
 ゴリアテは、少し隅の方からそのざわめきを眺めていた。腕組みした手の先に教科書を持ち、壁に背をつけたまま、どことなく醒めた表情をしていた。
 ゴリアテ、とグレイグは話しかけた。
「俺も従者にしてもらえるかな!」
もちろん戦場ではないが、本物の騎士の活動に携われる。グレイグは胸が躍っていた。
「それは、ないよ」
あっさりと言われてグレイグはへこんだ。
「そんなにダメか……」
剣術のクラスでは、グレイグは頭角を現していた。ゴリアテとはスタイルは異なるがすでに自分なりの勝ち方を見つけていた。
「ちがうったら。グレイグはパパがデルカダールの王様から直々に預かった弟子だろう?」
「え、ああ」
ゴリアテは肩をすくめた。
「従者になったら、その主人役の騎士が従者を騎士に取り立てることになってるんだ。でもデルカダール王は御自ら、グレイグを騎士に叙任してくださるおつもりだろうってパパが言ってた。だから、ソルティコの騎士たちは王をさしおいてグレイグを従者にするわけにいかないんだ」
 あ、とつぶやいたままグレイグはぽかんとしていた。
「きみが王に取り立ててもらったあと、王がきみの臣従礼(オマージュ)を受け入れてくださればそのままデルカダール騎士の出来上がりさ。きみは例外なんだってば」
 ふとグレイグは聞いてみた。
「お前はジエーゴさまの従者になるんだろう?」
いつだかゴリアテは、そのうち父の従者になっていっしょに戦場へ行くと言っていた。ゴリアテの醒めた、というか、他人事のような表情は、すでに従者として採用先が決まっているためかとグレイグは思った。
 醒めた表情から一転してゴリアテは唇をとがらせた。
「ぼくがにんじんを食べなかったらパパが、“食わず嫌いでセザールを困らせるような奴は従者に取り立ててやらんぞ”って言うんだ」
グレイグはあわてて脇を向いて噴き出すのをこらえた。うらめしそうにこちらを見て、ゴリアテは続けた。
「でも、ソルティコ騎士団団長は、前任の団長から叙任を受けるんだ。パパ以外の誰も、ぼくを従者に出来ないんだからね。あと三年か。早く大きくなりたいよ」
腕組みしたまま、どこか誇らしげに十一歳のゴリアテはそう言い切った。

 祭りはもう、間近に迫っていた。必要な品々の買い出しも始まった。町のあちこち、市場や道具屋等へのつかいも頻繁にあった。
 その日のおつかいは全部で三人だった。グレイグ、いつもセットで動いているゴリアテ、そして少し年長のゴンゾだった。
「出てきてはみたが、道具屋というのはどこにあるんだ?」
途方に暮れてグレイグがつぶやいた。ゴンゾが大きな通りを指さした。
「あっちだよ」
グレイグは感心した。
「ゴンゾは物知りだな。やっぱり一年多く修行しているとちがうもんだな」
グレイグは十四歳だが、ゴンゾは十五、師範代カルロスの担当するクラスから進級して、もっと年長の門下生のためのクラスにいた。
 ゴンゾは歩きながら肩をすくめた。
「俺は地元の出なんだ。だから店の位置ぐらいはわかる。俺がおつかいによく行かされるのは、土地勘があるからだろ」
「えっ、そうなのか!」
グレイグはそう言って、頭をかいた。
「そりゃ、そうだよな。なんとなく、みんなデルカダールから修行に来ているような気がしていた」
 ゴリアテが笑い声をあげた。まだ高めの子供の声だった。背が伸び、長くなった黒髪は首の後ろで黒いリボンで束ねていたが、あいかわらず大きな目につやつやしたほほの少年だった。
「ゴンゾのおじいさまは領主館の薔薇園の庭師で、その娘婿さんが騎士だったのさ。だから、ぼくは生まれたときから知ってる。ね、ゴンゾ?」
「そうだね、坊ちゃん」
そう言ってゴンゾは苦笑した。背がひょろっと高く猫背気味で面長なゴンゾは、どことなく苦労人らしい風貌をしていた。
「坊ちゃん扱いなのか?」
とグレイグが聞くと、ゴンゾは肩をすくめた。
「俺のじいちゃんのお出入り先の若様には違いないからね。親父たちが死んでから、俺の家族はじいちゃんだけなんだ」
「ゴンゾ、今年は従者になるの?」
ゴリアテが聞いた。ゴンゾは首を振った。
「いや、その、またあぶれちゃったよ。先輩方はもっとこう、ぱりっとして見栄えのする従者が欲しいんじゃないかな」
上目遣いにグレイグを眺めた。
「おまえさんくらい、さまになるような見てくれだったらよかったのになぁ」
グレイグは返事に窮した。
 軽く袖を引っ張られてグレイグは振り向いた。
「ねえ、来年はグレイグも一人で用事に出るだろう?教えておいてあげるよ」
とゴリアテが言った。
「いい?海岸と町の門を結ぶこの長い坂道がアベニュー・デ・ソルティコ、それと交差して海岸を走る大通りが、海岸通り」
すっかりおのぼりさんの顔でグレイグはきょろきょろした。
「アベニュー・デ・ソルティコと交差する通りはあと二つあって上からルー・ブランシェとブールバール・デュ・ナプガン。ブールバールとアベニューが十字路で交差する。角にあるソルティコの教会、カテドラール・ダルブル・サクレの鐘楼が目印だよ」
「そうか。ありがとう」
ゴリアテは海を指した。
「ソルティコ湾のこっち側に大きな平たい岩山があるだろう?昔のソルティコは、町の人が“ラロッシュ”って呼ぶあの岩山だけだったんだって」
「ジエーゴさまのお屋敷のあるところか?」
「うん。ていうか、ソルティコは最初、水門と、水門を守る砦しかなかったんだ。長い年月をかけて周りに町ができて、砦は領主館になったの」
 つくづくソルティコは美しい町だとグレイグは思う。町の構造がそもそも風通しよくできている。
 ソルッチャ運河は内海と外海をつなぐ唯一の通路なので、運河を扼すこの町は通行税だけでもたいへん実入りがいいのだとグレイグは聞いている。そして、代々の領主はその収入を惜しみなく使い、運河の保全を図ると共に、リゾート都市ソルティコを作り上げたのだ、とも。
 教会、市場、商店、銀行、劇場等がみな見上げるように大きく、貫録があり、入念に装飾されている。後に、ソルティコとは内海をはさんで反対側にあるダーハルーネがソルティコのライバルとして台頭してきたが、両都市を見比べた者はダーハルーネの活発、軽快に対して、ソルティコの瀟洒、気位を挙げた。ちなみに、豪華、雄大とくればデルカダールの、洗練、伝統ならばユグノアの代名詞である。
 家屋、石畳、手すり等にソルティコ特産の白い大理石を使い、白昼には文字通り光輝くような市街が造られている。ごみ一つない街路の両側には緑滴る樹木を植え、その下に鮮やかな花の花壇を連ねる。光あふれる大通りを、着飾った紳士淑女がコバルトブルーの海を眺めながら散歩する。
「お前は、この町が似合うな」
ソルティコの王子はくすっと笑った。
「当然でしょ?」
ゴンゾはその表情を眩しそうに見ていた。

 道具屋での買い物は手早く終わった。毎年のことで道具屋の主人も慣れているらしかった。
 最初下ってきた坂道を、今度は荷物を抱えて上がっていくことになった。晴れて暑い日で、三人とも汗だくだった。
「ゴリアテ……坊ちゃん、ゆっくり歩くか?」
「だいじょうぶだよっ」
ゴンゾは気を遣うが、十一歳のゴリアテは頑固だった。
「荷物を貸せ。俺が持つ」
ゴリアテは逆らおうとした。が、ふいにきょろきょろした。
「あれ?今、誰か」
ゴリアテが見つけたのは、座り込んで泣いている三、四歳の男の子だった。
「うぁー……」
男児はしゃくりあげるようにして泣いていた。ごめん、とつぶやいてゴリアテは自分の荷物をゴンゾに託した。
「ラニ!一人でどうしたの?あ、迷子になったね?」
ゴリアテはしゃがみこみ、ラニというらしい男の子と目線を合わせた。濃い茶色の髪をした、緑がかった目の幼児だった。
「ぼくのこと、覚えてる?このあいだ、みんなと一緒に砂浜で凧揚げをしただろう?」
泣き声のあいまに男児はうなずいた。
「ぼったま……」
坊ちゃまと言いたいらしかった。警戒しているようすが崩れ、ゴリアテに抱き着いてわあわあ泣き始めた。
「お母さんと来たの?はぐれちゃったのか!」
泣きながらラニはうなずいた。
「この子、武器屋さんの子か?」
とゴンゾが言った。
「そうだよ。よしよし。だいじょうぶだよ。泣かない、泣かない」
大泣きしていた四歳児は、すすり泣きになった。
「おうち、かえる……」
「ぼくといっしょに帰ろうね。みんな心配してるよ」
 ときどきグレイグは思うのだが、ゴリアテはかなり子供好きだった。というよりも、子供たちの方がゴリアテを好いているらしかった。自分なら年下の子供たちなどめんどうくさいと思うのだが、ゴリアテは苦もなく彼らをあやし、楽しませていた。
「あ、シュケットを売ってる!」
記念祭間近のソルティコには客が押し寄せている。裕福な観光客目当てに、菓子売りの屋台が出ていた。
「あれ、美味いんだ。ラニ、知ってる?」
ラニはきょとんとしてゴリアテを見上げた。
 いきなり年齢相応の子供の顔に戻ったゴリアテが飛びだした。
 屋台の主人はゴリアテを見ると笑顔になった。
「おじさん、ひとつおくれ!」
「焼きたてを持っていきな」
作りたてのシュケット(シュークリームの皮)ふたつに、たっぷり砂糖をまぶして手渡した。
「ひとつおまけだよ」
「いいの?」
「このあいだ、うちの子供たちを遊ばせてもらったからね」
「ありがとう!ラニ、ほら!ぼくと半分こだ。こっちはグレイグとゴンゾの」
いきなり焼き菓子を渡されてグレイグは目を白黒させた。
 まわりの人々は、品のいい少年がはしゃぐのを好意的に見ている。向かいの屋台の中年女が声をかけた。
「いっしょにレモン水はいかが?よく冷えてるよ」
 デルカダールではたとえば王家の後継者がこんなふうに地元で買い食いするなどもってのほか、とても許されないだろう。グレイグは粉砂糖をふった菓子をかじりながらハラハラしていた。
「楽しそうだね、坊ちゃん。父上はお元気かい?」
「セザールさんに、今日はいい魚が入ったって伝えておくれよ」
「今つんできたオレンジだ。もっていきな」
 ゴリアテを取り巻く輪の外から彼の人気者っぷりを眺めていると、一人の年寄りがグレイグに話しかけてきた。
「あんた、何かい?坊ちゃんのおともかい?」
どうやら、地元の人間はみなゴリアテが領主の跡取り息子だとわかっているらしい。
「いや、俺は、ただ」
老人はグレイグが身に着けているコートを一瞥した。
「修行のお仲間ってわけかね。ふん、今日はどうやら、坊ちゃんはお元気のようだね」
「ゴリアテは、いつも楽しそうだ」
老人はやれやれと首を振った。
「なにもわかってないね。坊ちゃんは優しすぎるのさ。昔、ジエーゴさまは、奥様をなくしなさった時それは落ち込まれてねえ」
しみじみと老爺はつぶやいた。
「お墓の前にいつまでも座り込んでいらしたんだ。坊ちゃんはまだがんぜないお年頃だったのに、お父上の背を小さなお手で抱え込んで、パパ、パパと何度も呼んでいらしたよ。お慰めしたかったのだろうね。坊ちゃんがいたおかげで、ジエーゴさまはなんとか立ち直ったのさ」
グレイグ自身と同じくゴリアテも母を失ったのだと、初めてグレイグは意識した。思えばゴリアテの口から寂しいという言葉をついぞ聞いたことがなかった。
「お父上のために、いつも理想的な跡取りさんになろうとしているのが不憫でね。ほんとうはああやって、好き勝手にさえずって遊びたいんじゃないのかい、カナリヤみたいに」
老人の視線の先には、小さなラニといっしょに明るく笑っているゴリアテがいた。
 なんとなくグレイグはむっとした。
「ゴリアテが理想的な跡取りでどこが悪い?」
老人は上目遣いにグレイグを見上げた。
「最近、坊ちゃんは歌っているかい?」
――騎士たる者、あんなふうに目立つべきじゃない。ぼくはもう、歌ったりしないよ。
グレイグは言葉を呑みこんだ。老人がつぶやいた。
「坊ちゃんはいつも明るい若様でね。まったくもってソルティコの太陽だよ。でも太陽だって、たまには雲で顔を隠して泣きたいときもあるんじゃないのかね。あんたが友達なら、小さな太陽にやさしくしてやっとくれ」
「あの、あなたは」
老人は首を振った。頼んだよ、とつぶやき、ゴンゾにちょっとうなずいて行ってしまった。
「知り合いなのか?」
「俺のじいちゃんだよ。お屋敷で庭師をやってる」
とゴンゾは答えた。
「孫の俺より、ゴリアテ坊ちゃんのほうがいつも気になるらしい」
かるいため息交じりだった。