妖精たちのポルカ 7.幽霊少女

  ベロニカはおとなしくミリガン先生の算数の授業を聞きながら、アイリスのことを考え続けていた。授業が終わると同時にベロニカは教室を出ようとした。
「ベロニカちゃん?」
ふりむくと、茶髪の髪を外はねにした少女がいた。
「ええと」
「あたしゃ給食委員長のメイジーだわさ。ちょっと話があるんだけど」
断ろうかと思ったのだが、なんとなくメイジーの態度が気になった。
「どうしたの?」
「キーラちゃんから聞いたんだけど、なんか妙な子を探してるって?」
「ええ、まあ、そうね」
「それ、見つかった?」
「まだよ?心当たりがあるの?」
メイジーはちょっとためらった。
「その妙な子って、何人くらいいるの?」
は?とベロニカはつぶやいた。
「一人だと思う」
メイジーはうなった。
「この学校の生徒の数が、いつのまにか増えてんだわさ」
「なんですって?」
メイジーはあわてたようだった。
「あたしが言ってんじゃなくて、食堂のドーソンさんがそう言ったんだわ。いつもの食材で作っているのに、足りないって」
 ベロニカは心を決めた。
「ドーソンさんに話を聞きたいわ。食堂までいっしょに来てくれない?」
「聞いてくれる?そりゃありがたい!」
ベロニカとメイジーが厨房へ来た時、ドーソンはせっせと給食の下ごしらえをしていた。
「ドーソンさん、こちらがベロニカちゃんだわさ」
貫録のある栄養士ドーソンは手を止めた。
「このお嬢ちゃんが?」
うん、とメイジーはうなずき、ベロニカに説明を始めた。
「二三日前、あたしゃドーソンさんに文句をつけにきたんだわさ。お料理の盛りが少なくなったって。上級生の中にはダイエットのためにわざと少なく食べるお姉さまたちがいてね。そういうのかと思ったんで、あたしの分は普通盛りにしてくれって言ったんだわ」
ドーソンは呆れた顔になった。
「メイジーちゃん、アンタねえ、ほかの女の子たちの胃袋がギガンテス並みなら、アンタの胃袋はブオーンなんだからね?アンタの普通盛りは大盛りなんだよ。でもね、確かにここ数日大盛りにしてあげるほどお料理の量がないんだよ」
 ベロニカはぴくんとした。
「どういうことですか?」
「食材はちゃんと買ってるよ。それなのに料理が足りない」
「つまり、食べる人数が増えている?でもそれ、あたしたちが来たからでは?」
「そこは織り込み済みさ。男の子がいるからよく食べるのかとも思ったけど、それも考えて食材を手配しているからね。それでわたしゃ、洗ったお皿の数を勘定してみたんだよ」
ドーソンは食器棚を指した。
「そうしたら、こちらが心得ている人数よりもお皿のほうが多いのさ。ちょうど、二人分」
思わずベロニカは声を上げた。
「ふたり?」
ドーソンとメイジーは同時にうなずいた。
「誰が増えたの?」
「それを確認しようと思って校長先生に名簿をお借りしたいと言ったんだけど、名簿は新しいのを作成中だって言って借りられなかったのさ」
ドーソンは目を閉じて首を振った。
「わたしも耄碌したもんだよ。昔は新しい生徒が来たら、上から言われる前に顔を見てわかったんだけどねえ」
それは洗脳だ、とベロニカは気付いた。増えた“生徒”は、ドーソンの心を操って“この子は前から学校にいる子だ”と思わせているのだろう。
「それであたしゃ、ベロニカちゃんが探している子がその余分の胃袋……じゃない、新しい生徒なのかと思ったんだわ」
ベロニカは記憶をたどった。
“ちょうど昨夜、古い方の名簿を廃棄したところだったのです。今は新しい名簿の原稿をつくってもらうために生徒会長に資料を渡しておりますな”とメダル校長は言っていた。
――生徒会長って、アイリス?!
ベロニカは愕然とした。

 メイジーと栄養士ドーソンから聞いた話を、ベロニカはその日の昼休みにパーティに話した。生徒たちでにぎわう食堂ではなく、パーティは吹き抜けホールの中の濠に囲まれた校長室の敷地にあつまっていた。
「二人多い、ってどうなってるんだろうね」
イレブンがつぶやいた。
 たしかにそれは奇妙だった。今までパ―ティは、黒犬にとりついてメダ女へ侵入した魔物は一匹と考えていた。その魔物は黒犬の身体を離れて女子生徒に憑きなおしたので、物理的な増員はないはずだった。
「可能性はふたつね」
とシルビアが言い出した。
「ひとつ、増えた二人は、黒犬に憑いてきた魔物とまったく無関係だった」
ベロニカは首を振った。
「それはないわ。たぶんそいつらはドーソンさんの心を操って、自分たちが前からいる生徒だと思わせているんだもの。そんなことできるような人間とか魔物が、ここ数日でこのメダ女に集中するって偶然すぎるでしょ」
「だとするともうひとつ。黒犬に憑いて来た魔物が、あと二人を呼び寄せた」
 一同はしばらく黙っていた。
「あり得るよね」
とイレブンは言った。
「覚えてる?ぼくらが初めて校長室へ来たとき、グレース先生は校舎の上に紫の雲が出たって言いに来たよね」
「あのときね!」
とマルティナは言った。
「でも、魔物が召喚するならやはり魔物じゃないの?霊体でやってきて誰かに憑いたのでは?」
「マルティナさん、そうだとしたら、メイジーが不満をもつほど料理が減ったりしないと思う。召喚された魔物は実体を持って、生徒に化けてご飯を食べてるの」
「それもそうか。でも、霊体じゃなく実体があるとしたら、どんなかっこうをしているの?」
「たぶん、メダ女の生徒。それで食堂に出入りしているのよ」
 待った、とカミュが言った。
「それじゃその増えた二人は、制服が必要だったはずだな?衣装管理室のヤツか?」
ロウが首を振った。
「それはギリアムが守っとるはずじゃ」
「じゃあどこから手に入れた?」
「リボンだけでもたいへんなはずなのにね」
 増えた謎に一同は沈黙した。
「困ったね」
とイレブンは言った。
「ぼくたちが最初に白だと思ったオレルオラル姉妹とワイズダリア組を白にできなくなっちゃった。コンビで侵入してるなら、互いに違和感がなくてあたりまえなんだから」
「ハンナのダチ二人もそうだな」
とカミュが言った。
「そう言えば、気になることって何だったの?」
イレブンが聞くと、んーとカミュはうなった。
「昨日はハンナがあの二人をリードしてるように見えたんだが、今日はあの二人がハンナをパシリにしてるみてぇ。あいつがなんかみじめっぽい顔してるんで話しかけたら、スケバン仲間のことだからほっといてくれって言われちまった。それだけだ」
 マルティナは疲労を感じていた。
「とにかく、最初からやり直しね」
 そうだ、とベロニカがつぶやいた。
「新しいバージョンの名簿を手に入れなくちゃ。名簿と実際にいる子をつきあわせていけば、誰が増えた子なのかわかるじゃない?」
「その名簿は、アイリスが持ってるのね?」
とマルティナは言った。
「もしも、もしもよ?アイリスが当の魔物憑きだったら、当然自分が召喚した二人を名簿に載せたいでしょうね。だからそうする前に名簿を取り返す必要があるわ」
「マルティナさま……」
セーニャは何か言いたそうだった。
「だから、万が一ということよ。わかってちょうだい、セーニャ。校長先生に頼んで、アイリスからもらう?」
 あ、とイレブンはつぶやいた。
「最初の授業の日、シルビア、古い名簿を見たって言わなかった?」
アラ、とシルビアが言った。
「ええ、でも一瞬だけね。名簿を開いて目を通していたら、回収しますって言われて渡しちゃったの」
「それ、覚えてないよねえ」
シルビアは派手な動作で肩をすくめた。
「学校全体の名簿を暗記するなんて、いくらアタシでも」
と言いかけてシルビアは目を見開いた。
「そうでもないわ!あの名簿、ちょっとおもしろい特徴があって」
言いかけたとき、校舎の上からギリアムの鳴らすチャイムの音が響き渡った。
 シルビアが腰を浮かせた。
「いいところでレッスンだわ。アタシ、行かなきゃ」
「いってらっしゃい」
シルビアは銀縁の伊達眼鏡をかけ、気取ったようすで歩いていった。生徒たちが数名、“先生!”と叫んで駆け寄っていく。シルビアは笑って相手をしていた。
「意外なほどまっとうに“教師”をやっとるのう」
「ロウさま、シルビアはもともと先生に向いているのだと思います」
ロウは音を立てて肩を回し、ためいきをついた。
「まあよい。みな、クラスに戻るんじゃ。名簿の件はわしが校長にかけあってみよう」

 日が暮れて少女たちは寄宿舎へ戻った。夕餉の賑わいも終わると、アーチ形の瀟洒な窓からひとつひとつ灯が消えていった。
 真夜中、寄宿舎から移動する人影があった。マルティナ、セーニャ、ベロニカの三人は、足音を忍ばせてメダル女学園の自習室を目指していた。
 先頭のセーニャが闇を透かし見て震えた。
「なんだかドキドキしますわ!」
「やめてよ……怖くないの?」
とマルティナはつぶやいた。
「ちょっと怖い気はしますけど、でも、もしかしたらアイリスさまの無罪を証明する手がかりがあるかもしれないじゃないですか」
夜の自習室を探検するプランは、本当はセーニャが一人で行くと言い張ったのだった。さすがにそれは危ないので、マルティナとベロニカが同行することになった。
「けっこう頑固よね、セーニャって」
と、ベロニカはつぶやいた。
 マルティナは唇の前に人さし指を立てた。
「見て、自習室にまだ灯がついてる」
こんな時間に誰かが勉強しているのだろうか。三人はそっと近寄った。
 自習室の扉が開いた。中から、修道女姿の女性が出てきた。
「ノエル先生」
メダル女学園の住人たちに霊的指導を行う責任者、ノエル先生は神秘的な微笑みを浮かべた。
「どうなさいました、このような夜更けに?もし教会にご用なら、お勤めをいたしますが」
メダル女学園でお祈りをするときは、彼女が冒険の書を書きこんでくれる。
「いえ、そういうことではないのですが」
マルティナは説明に困った。
「先生、質問があります」
真面目な顔でセーニャが言った。
「なんでしょう」
「この自習室に、夜だけやってくる生徒さんがいるそうです。ご存知ですか?」
ぴったりした頭巾の下でノエル先生は微笑んだ。
「学校は若人たちの生命力に満ちています。時にその強いチカラは命がつきてもなお思い出の場所に留まりつづける……そうこの教室のように……ね」
「命がつきてもって、あの、その」
マルティナはどうにも居心地が悪かった。
「マルティナさん、どうかお気になさらぬように。セーニャさん、もしあなたが望むならその生徒に会えるし、望まないのならこの教室は無人のままでしょう」
マルティナたちに会釈をして、ノエル先生は教室を出て行った。
「せーにゃ」
マルティナは声が震えるのを抑えきれなかった。
 しっとつぶやいてセーニャは真夜中の教室の中央に立った。
「どなたでしょう、そこにいるのは」
セーニャの目が何か追いかけている。ある一点でぴたりと止まった。
「ひっ」
とマルティナはつぶやいた。ベロニカはマルティナの背をなだめるようにたたいた。
「しっ、セーニャにまかせよう、ね、マルティナさん」
姉妹だけあって、ベロニカは慣れているらしい。
「わ、わかったわ」
 窓際へセーニャは近寄り、両膝をそろえて座り込んだ。
「こんばんわ」
何気ない挨拶だった。セーニャが微笑んだ。両手をほほにあて“十歳?”とつぶやいた。首をかしげた。うんうん、とうなずいた。
「ベロニカ、あの子何やってるの……」
たいへんいい笑顔でセーニャが振り向いた。
「ローズさまですって」
「はい?」
「こわがらなくても大丈夫だそうですわ」
がくがくする顎を抑え、マルティナは尋ねた。
「つ、つまり、何かいるのね?」
はい、とまじめにセーニャはうなずいた。
「心残りがあるために成仏できないのだそうです」
 ごく、とマルティナは唾液を呑みこんだ。
「トキのことを聞いてみて」
セーニャは見えない何かに話しかけた。
「この学校の初級の生徒で、トキという女の子をご存知ですか?」
しばらく黙っていたセーニャが、通訳してくれた。
「ご存知だそうですよ。遊びに来るのを待っているとか」
「そ、そう」
裏は取れた。これでトキは容疑リストから外れた。
「最近、夜に校舎をうろうろしている子がいないか聞いてみて」
セーニャは真面目に質問を繰り返した。
「……」
「え?」
今までと違う声でセーニャがつぶやいた。
「どんなモノですか?禍々しい、嫌なモノ……?そのモノはなんという名前ですか?いつから?三日前で間違いないのですね?」
すっくとセーニャは立ち上がった。
「マルティナさま、お姉さま、ローズさまがおっしゃるには、三日前からこの学校に禍々しいモノが入り込んでいるそうです。名前は不明、トキさまに夜出歩くなら気をつけてほしい、とおっしゃっています」
パーティの推理が裏付けられた瞬間だった。マルティナとベロニカは顔を見合わせた。
「待って、セーニャ、その禍々しいモノって、何匹いる?」
セーニャは振り向いた。そしてうなずいて、はっきりと告げた。
「三匹です」

 “彼女”は、真夜中の校舎の吹き抜けホールの隅に立って、自称留学生の女子三人が寄宿舎へもどっていくのを見届けた。
 自称留学生たちが実は勇者とそのパーティだと、“彼女”はとっくに知っていた。忘れたくても忘れられない苦い記憶がある。神話時代の大昔、“彼女”はその光の波動を受けたことがあった。
 当時の勇者と当時のパーティによって“彼女”は封印を受け、すべてを奪われ、無力無防備にされてしまった。その憎悪、その憤怒にはやり場がない。
 あれから気も遠くなるような歳月が経過した。それだけの時間をかけてようやく回復した力で生き物に憑依し、たまたまあの黒犬を寄生先に選んだ。勇者とその一行は、どのような手段をもってか“彼女”が身を隠した黒犬を見つけ、追いつめた。最後の瞬間に全力を振り絞って今の身体、この女子生徒に乗り移った。再憑依と眷属二体の召喚でなけなしの体力はほとんど尽きてしまい、今の“彼女”はほとんど無力だった。
「許サナイ」
女子生徒の一人の体の中で、“彼女”はそう考えていた。
 何より、勇者一行をこのままにしておくと、いつか正体を暴かれてしまう。暴かれたら最後だった。抵抗する力など残っていない。昨日の抜き打ち服装検査は本当に危ないところだった。少なくともあと数年はこのガッコウとやらにいて、それから誰からも怪しまれることなく外の世界へ出て行きたいというのに。
 “彼女”はふりむいた。召喚しておいた眷属が二人忍び寄ってきた。“彼女”はうなずいた。
「用意ハヨイカ。コレヨリ魔法陣ヲ構成シ、描画スル」
三人がかりで校内の数か所に魔法陣を描くつもりだった。パーティがそこへ足を踏み込めばこっちのもの。少なくとも無力化できるはずだった。
「夜ハ短イ。始メルゾ、邪神の子ラヨ」
二人の眷属は、丁寧に一礼した。

 その日の朝、授業が始まる前に吹き抜けホールでメダル校長はアイリスを呼び止めた。
「アイリスくん、先日お渡しした名簿新版の作成は進んでおりますかな?」
アイリスは眼鏡の奥から微笑みかけ、手にした教科書とノートの間から淡い緑の上質紙の台紙に白い紐で留めた名簿を取りだした。
「すみません、生徒総会の資料作成を先行しておりましたので、校正はまだですわ」
「おお、そうですか。急に入用になりましてな。その原稿をこちらへいただけないじゃろうか」
アイリスはにっこりした。
「わかりました。校正を済ませ次第、校長室へお持ちします」
むむ、とメダル校長はうなった。
「いや、今預かりを」
と言って手を伸ばしかけたとき、チャイムが鳴った。
「まあ、私としたことが、これでは遅刻になりかねませんわ。失礼します、校長先生」
さっと名簿を取り上げて言い返す隙を与えず、アイリスは行ってしまった。
「申し訳ない、みなさん」
校長は吹き抜けホールの隅に戻ってくるとそう言った。
 パーティは額を集めて相談していた。ロウは髭をひねりあげて考え込んだ。
「仕方ありませんな。あまりしつこく言って警戒されるのも考えものじゃ」
沈黙が漂った。
「オレの出番か」
とカミュが言った。指無しグローブをはめた手でぽきぽきと指を鳴らした。
「生徒会長サマの持ってる緑の名簿、オレが掏り取ってやるよ」
「大丈夫?」
とベロニカが言った。
「誰かがアイリスに話しかけてスキを作らせたら?どこかで大きな音を立てるとか」
ふんとカミュは言った。
「いらねーよ、陽動なんか」
イレブンが話しかけた。
「アイリスは女の子の格好をしてるけど、魔王かもしれないんだよ?」
「モンスターの一種なら、そいつから盗むのはやっぱりオレの仕事だろ?」
右手を腰に当て、左手のひらを天井に向けて、肩越しにカミュはちょっと笑った。