妖精たちのポルカ 三十路の教師たち

シルビア先生のダンスレッスン

 シルビアは教師のガウンを脱いで白いシャツの袖口をめくりあげ、チョーク片手にさらさらと板書していた。
「これがヒトの重心の図解。見ての通り、キレイに立つと重心は腰にあるの」
シルビアは矢印を腰のあたりに書き加えた。
「重心を押し出す感じで歩いてね。この間言った通り一本の線の上を歩くイメージよ?覚えているかしら?歩くときはももとももがふれあうように。膝は曲げないこと。もちろんつま先はまっすぐよ?そのために、片足だけで体重のすべてを支えるだけの筋肉をつけましょうね」
生徒たちは熱心に聞いていた。
 ぱん、と手をたたいてシルビアは指からチョークの粉をはたき落とした。
「さ、今日はゲストに来てもらったの。実際のパーティでダンスに誘う/誘われる場面を想定してお稽古してみましょう。イレブンちゃん、カミュちゃん、お願い」
呼ばれた2人が教室に入ってきた時、ダンスクラスの少女たちの間に興奮したようなざわめきがおこった。
「う~ん、二人とも制服姿が凛々しくてステキ。とっても紳士よ?じゃ、イレブンちゃん、ダンスに誘ってみてね」
 デスクを脇に片付け、広くなったクラスの中に7~8名の少女たちがくすくす笑ってほほを染め、誘いを待っていた。
「いいこと、みなさん?」
こほんとシルビアが咳払いをした。
「男の子がダンスを申し込むのはけっこう勇気がいるものなの。だからまず、パーティ会場内にいる知り合いに女性を紹介してもらうことから始めます。でも、あいにく共通の知り合いがいないこともあるわね。そういうときはまず目当ての女性と目を合わせるようにします。イレブンちゃん、品のいい笑顔でね?」
イレブンはプリンススマイルで一番近くの女子生徒に近寄った。
「社交界デビューした女の子には付き添い人がいるはずだから、まずそちらに声をかけ、ダンスを申し込んでいいか尋ねます。できたら自己紹介もね。許可をもらったら彼女に一礼して手を差し伸べて」
片手を胸に当て片足を引いて頭を下げ、掌を上にしてイレブンは差し出した。
「ぼくと踊っていただけませんか?」
 誘われた少女は真っ赤になった。
「はいそこ!あがらない!」
とたんにシルビアからダメ出しが飛んだ。
「彼の手を取って歩き出して。ダンスフロアに連れだしてもらうあいだにホールドしやすいように体勢を整えてね。なにせパーティ会場では、履いてる靴の高さが違うのよ?根性出さないとここで転んじゃうわ」
ハイヒールではなく学園の上履きだったのだが、ものの見事にその女子は足をもつれさせた。
「上がりすぎよ、ダイヤモンドちゃん」
“大丈夫?”と声をかけてイレブンは相手の少女を助け起こした。彼女は過呼吸ぎみだった。
「練習はあとでみっちりやるとしても、まずは見本だわねぇ。マルティナちゃん、お願いできるかしら?」
マルティナは前に出た。
「見本になるかどうかわかりませんけど」
イレブンが片手を差し伸べた。
「一曲、お相手を」
イレブンの掌にマルティナが手を預けた。
「喜んで」
イレブンは右手でマルティナの背を支え、マルティナの左手がイレブンの肩にかかった。互いを見つめながら優雅にワルツへと滑り出すと、クラスじゅうからため息が沸き起こった。

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このダンスレッスンを投稿した後、面白かったので教員を二名ほど追加しました。

グレイグ先生の乗馬教室

 学園の前庭にある運動場では、その日乗馬レッスンが行われていた。黒の乗馬服に黒いブーツ、白手袋のグレイグ先生はクラスに向き直った。
「今日は実際に馬に乗って歩かせる。騎乗のやり方は前回やった通りだ。手綱と鞍をつかみ、手前の鐙に足をかけてまたがる」
乗馬クラスの生徒たちは伝統的な乗馬服姿で整列し、おとなしく聞いていた。体育教師のグレイグ先生は、遅刻や怠慢を絶対に勘弁してくれない厳しい教師だった。特に馬の世話をさぼると長いお説教と罰掃除等が待っていた。
「初めて馬に乗るときは、緊張して当たり前だ。だが、乗り手がカチコチになっていては、馬に指示がつたわりにくいし、乗馬姿勢も悪くなる」
 グレイグ先生は話しながら、一頭の馬を引きだして踏み段の前に連れてきた。
「よしよし」
グレイグ先生、三十六歳。馬術の腕前はピカイチで、あのサマディーの王立競馬場でいくつもトロフィーを取った経歴の持ち主である。デルカダール王国へ戻れば正規軍の上級管理職という、たいそうな実力者だった。
 だが、乗馬訓練用に飼われているおとなしい雌馬をなだめる口調はとても優しかった。
「いい子だな、今日も頼むぞ?」
ハシバミ色の目で馬はグレイグを見つめ、鼻面をこすりつけた。
「こらこら」
甘える馬にグレイグ先生が微笑みかけた。
「先生!」
女子生徒が手を上げた。
「乗り方がわかりません!抱っこして支えてください」
え、と言ってグレイグ先生が硬直した。
「私もお願いします!」
「あたしもー」
「先生、抱っこして~」
 こほん、とグレイグ先生は咳払いをした。
「ま、待ちなさい」
ちょっと顔が赤くなっている。厳しくはあったが、この、純情でちょろい大男の教師が、乗馬クラスの生徒たちはみんな好きだった。

ホメロス先生の数Ⅱクラス

 黒板には直角三角形が描かれていた。直角はC、他の二つの角はそれぞれA、Bと名付けられていた。
 その三角形の脇に立って、ガウン姿のホメロス先生は黒板に背中を預けた。無粋に太い黒ぶち眼鏡の上で細い眉がぴくぴくしていた。
 昼下がりの光線がレースのカーテンを通じて教室に入ってくる。柔らかい光はホメロス先生のプラチナブロンドを輝かせた。
「A角をθ、辺ABをh、辺BCをa、辺ACをbとするとき、正弦定理、余弦定理の式を求めよ、と私は言ったのだよ」
女子生徒は、う、とつぶやいて目を伏せた。
「君の解答はなんとも神がかっているな」
ホメロス先生は教卓の上から一枚の紙を取り上げて目を走らせた。
「この設問について君の答えはこうだ。『そんなことわかったって、なんの役にも立たないじゃないですか』」
嫌味たっぷりにそう読み上げて、ホメロス先生は薄く微笑んだ。
「なんとも哲学的だ」
「ええと、そのう」
生徒は口ごもった。
「残念ながら、ここは数学のクラスだ。きみの深淵な思想はこのクラスにはもったいない……ちがうかね?」
 他の女子生徒たちは視線を交わしてほとんど無音の会話していた。
「あと十分は続くわね」
「あのネチネチはたまんないわ~」
「でも楽しそうねえ、ホメロス先生」
「いびってる時が一番生き生きしてるもんね」
「あの皮肉な口元。今日もお美しいわ」
 生徒の一人がため息を吐きだした。
「あたしも今度、トンデモ解答してみようかしら。そしたらいびってくださるかしら」
「怖いけど……悪くないかも」
 じろっとホメロス先生の氷の視線がクラスを薙ぎ払った。生徒たちはたちまち神妙な顔で座りなおした。
「……」
 ホメロス先生は学園で一番勘がよかった。
「あの、先生、私、反省して……」
最初の生徒が言い出すのに被せて、ホメロス先生は早口で告げた。
「直角三角形による三角関数の定義を明日までにノートにすべて書いて提出のこと。以上だ。今日の授業を始める。座ってよろしい。諸君、教科書を開いて」
 がたがたと音を立てて生徒たちは準備を始めた。
「それから、テストの時には余計なことを考えるんじゃない!」
ちっと舌打ちする音があちこちから聞こえてきた。