背水の覚悟 2.王のテント

 王の身辺警護にあたる重装兵が、来訪者を招く声が聞こえた。
「お待ちしておりました、勇者さま。こちらはデルカダール王のテントです。デルカダール王は先ほど目を覚まされ、あなたがお戻りになったと知るとすぐにお会いしたいと申しておりました」
デルカダール国王、モーゼフ・デルカダール三世は、寝台の上に腰を下ろし、しわの寄った手で両膝を掴んだ。
 テントの入り口の厚い布が開かれ、誰かが入ってきた。待ちわびていた時が、そして恐れていた時が、来た。王は顔を上げた。
 テントの入り口に立っているのは十代の若者だった。王を畏れるようすもなく、かといって憎悪をほとばしらせるようでもなく、無表情に、冷静にイシのイレブンは歩いて来た。王は目を見開いた。
――なんと……
王にとっては数日前、だが本当は十六年も昔、王はユグノア城にいて、突如現れたモンスターの大群に襲撃されていた。目の前の若者はそのときユグノア王の腕に抱かれていた赤子だった。
 ユグノア王アーウィン、王妃エレノアの若々しいロイヤルカップルは記憶に新しい。目の前にいる若者は、繊細な顔立ちと美しい髪を母から、真摯なまなざしと戦士の体格を父から受け継いだようだった。
「……無事で……あったか」
ユグノア王家が全滅したことを王はグレイグから聞いていた。そして、記憶にはないが、成長したイレブンが自分の宮廷を訪れ、ほかならぬ自分がイレブンを悪魔の子と呼んで投獄したことも。
 イレブンには自分、デルカダール王の非を鳴らし、糾弾する資格がある。王は寝台の上で居住まいを正した。
「わしは長いことおそろしい夢を見ておったようだ。そなたが生まれたあの日から……。わしの所業は聞いた。……民にも……そなたにも本当に申し訳ないことをした」
その瞬間、なぜかイレブンは身を固くした。無表情なことに変わりはないが、どこか身構え、じっとこちらを見ていた。
 老いたりとはいえ、王は剣士だった。イレブンが放つ気は底冷えするほど冷ややかだった。これは殺気だ、と王は思った。
 是非もないことだった。命乞いをする気はないが、ここで自分が死んでは、この若者の方が砦から追放されかねない。王は腹をくくった。
「……許してくれ、とは言わん。この業は民たちを守ることで返していくつもりだ……」
そして“すべてが終わったらわしの命はそなたに任せよう”と付け加えようとした。
 やおらイレブンが口を開いた。
「あなたは大樹での出来事を覚えているのか?」
 王は返事の言葉に迷った。大樹と言えば命の大樹以外にはない。やっとグレイグの話してくれたことを王は思い出した。
――ホメロスの行動を不審に思い、私は、王よ、ご一緒に命の大樹までホメロスのあとをつけたのです。ホメロスはその場で勇者一行を襲いました。あとから駆け付けた時、申し上げにくいことながら、我が王よ、あなたさまの身体から魔王が姿を現し、ホメロスをねぎらい、勇者と大樹の魂を、手にかけました……。
「……わしは何も思い出せぬのだ。ただわしに取り憑いていた何者かが抜けていったような……。そして気を失い、目が覚めた時にはこの砦に運ばれた後であった……」
 そのとき、空気が変わった。王は顔を上げた。痛いほどだった殺気が急速に薄れていく。イレブンは一度目を閉じ、また開いた。そこに立っているのは、殺気をまとう戦士ではなく、一人の旅人だった。
「のう……イレブン。ひとつだけ聞かせてくれ」
先ほどに比べれば穏やかと言ってよいほど冷静になったイレブンに、つい王は問いかけた。
「我が娘……マルティナは生きておるか?」
妃の忘れ形見、幼い一人娘。グレイグから、勇者の一行には二十代の女性に成長したマルティナが加わっていると聞いた。
「マルティナは……」
言いかけてイレブンは視線をそらした。答えがないことが答えだった。王はうめいた。
「……そうか」
 テントの外で馬のいななきがした。すぐに重装兵が走りこんできた。兵士は一礼して告げた。
「報告いたしますっ!……英雄の帰還です!今回もっ……逃げおくれていた民を……救いだしたようですっ!!」
王は大きくうなずいた。
「さて我らが英雄殿がお帰りか」
先ほどの殺気を王は思い出した。投獄せよと命じた自分をあれほど憎んでいるなら、英雄グレイグにも相当含むものがあるに違いない。
「……望まぬことやもしれぬが、そなたもあやつを出むかえてやってくれ」
断るかと思ったのだが、むしろイレブンは冷静に、はい、と言った。

 デルカダール王国軍グレイグ将軍麾下の兵士たちは、一糸乱れぬ歩調で行進していた。
 グレイグ隊は訓練の厳しいことで有名であり、剣術、馬術、体術はデルカダール一だった。操兵、戦術についてはホメロス隊に一目譲るが、英雄王ネルセンの国バンデルフォンと、勇者ゆかりの国ユグノアのない今、グレイグ隊に匹敵する部隊などないと言ってよかった。
「英雄に続け!」
それがグレイグ隊の合言葉だった。
 グレイグが気絶した王の身体をデルカダールまで運んできたとき、すでに国民の大半が命を落とし、残りの者は逃げ去っていた。だが、グレイグがさらに南へ落ちのびていくと、その道中で部下たちが次々と集まってきた。
「英雄に続け!」
今も彼らは王国支給の兵装をきちんと装備している。
 だが、グレイグは黒のデルカダールメイルを脱いでいた。
――英雄と書いてバカと読む。
芥子色のインナーに青の濃淡の市松模様のチュニックを着て、グレイグは身軽な姿だった。使いこんだ大剣だけを背に負っていた。
 グレイグの黒の鎧はホメロスの白の鎧と対になっていた。胸甲に王国の紋章、双頭の鷲を描いたその鎧は、王のはからいで王国一二の武具職人がデザインを受け取って制作し、二人の将軍にそれぞれ捧げられたものだった。
 いや、とグレイグは心中つぶやいた。
「あの魔王のはからいだ」
だから、最後の砦で待つ王は、あの鎧のことを知らない。
 グレイグは無言で進みながら、己を嘲笑った。
――俺は王の中にウルノーガがいたことにまったく気づかなかった!
ホメロスもウルノーガも、さぞかし可笑しかっただろうとグレイグは思う。魔王を主君と信じ、あれこれと空回りをしつづけ、勇者を獄につなぎ、脱走され、追跡して、剣を交えて……。
 少なくともあの少年は、徹頭徹尾、勇者だった。俺は何だ?そう自分に問い、自分で答えた。俺は道化だ。
――ホメロス、教えてくれないか。
彼は子供の頃から自分よりずっと頭がよかった。操兵の匠、戦術の天才、王国一の智将。グレイグには手の届かない称号をほしいままにしていた。
 そのホメロスが魔王ウルノーガに臣従し、自分はデルカダールの民の元に残った。
――俺は正しいことをしているのか?ホメロス、教えてくれ。
 くすくす、と幼馴染の声が耳の中で聞こえた。
“間違っているに決まっているだろう。”
――何を間違ったのだ?
“わからないのか?だからおまえはバンデルフォンに続き、デルカダールも守れなかったのだ。”
グレイグは歯を食いしばった。
「何が英雄だ……。みんな俺に何を期待しているんだ。俺はただのバカ者だぞ」
 前方から呼ばわる声が聞こえてきた。
「開門!グレイグ隊帰還!」
逆茂木で守りを固めた両側に兵士たちが整列した。重装兵が走っていくのが見えた。おそらく、王への伝令だろうと思った。
――英雄と書いてバカと読む。
今頃王は、バカが帰ってきたと知らせを受け取ったころだろう。一瞬グレイグは、身をひるがえして逃げたくなった。王にも民にも合わせる顔がない。道化、バカ者、失敗者。
――ホメロス、帰ってきてくれ。
自分だけではどうにもならないところへ首まではまり込んだことをグレイグは自覚している。こんなとき、怜悧で有能な友の助けが心底欲しかった。
 なんとかしてあいつに会う方法はないか。自分が説得すれば、ホメロスも後悔して昔のように友達になってくれるのではないか。日夜、そのことをグレイグは考えている。千々に乱れた心を抱えたまま、グレイグは最後の砦へ入った。
 疲れた中にも明るい表情を浮かべ、砦の人々が集まってきた。兵士たちも無事を知って安心したようだった。
――どうか、そんなに俺に期待をかけないでくれ。
グレイグは笑い返すことができなかった。
 さまよう視線が、ふと一人の若者の上でとまった。思わずグレイグは足を止めた。
 紫の袖なしコートを着け二剣を携えた、美少女めいた顔立ちと鋭く見据える視線の持ち主。
――悪魔の子……。
「……生きて、いたのか」
思わず、そう声が出た。イレブンは特に返事をしなかったが、じっと自分を見ていた。
 周りを取り巻く人々の後ろから、重装兵一人を従えて王が現れた。魔王が身体から抜け出して以来、王は痩せて見えるようになった。特に動き出すと歩く動作がおぼつかないようで、老い、衰えが目立つ。グレイグは痛ましくてならず、黙って頭を下げた。
「よくぞ戻ったな、グレイグ。……して、成果は?」
主君に対する礼として、グレイグは右手の拳を心臓に当て、姿勢を正した。
「デルカダール城になにやら不穏な動きが……」
生き残りを探して回っているとき、デルカダールの城下町跡地にアンデッド系モンスターが続々と集結するさまをグレイグ隊は目撃していた。
「闇に乗じてなにかが起きましょう。王よ、民たちを安全な場所へ……」
王は了解したしるしにうなずいた。王がうろたえたようすがないことが、今のグレイグには救いだった。
 グレイグは村人や兵士たちに向かって呼ばわった。
「皆聞け!じき、魔物どもが来るっ!」
顔をこわばらせる者、逃げ腰になる者、さまざまだった。
「戦いにそなえよ!かがり火をたけ!」
――戦場へ戻ろう。
大異変の前後で唯一変わらないことがあるとすれば、自分の居所は戦場だということだけだとグレイグは思った。

 デルカダール王は小さく首を振った。
「悪く思わないでくれ。グレイグほどの男でも、いまだこれまでのことを整理できておらん」
 グレイグ隊は、調査・救出行で疲れているはずだが、疲労を見せずにきびきびと動いていた。隊長であるグレイグの闘志が彼らを鼓舞しているのかもしれないと王は思った。
「別に」
とイレブンはつぶやいた。
「あやつは自分の失敗を許せぬのだろう。近頃のあやつは、まるでおのれを痛めつけるように戦っておる」
「どうしてそんなことを?」
ぽつりとイレブンは言った。
「希望のなくなったこの世界で、あの人はみんなに頼られる英雄なのに」
そう言うイレブンこそ、希望の潰えた世界でただ一人の勇者なのだが。
 王は考え込んだ。
「……わしには見ておれん。これ以上あやつをひとりで戦わせたくないのだ。頼む。そなたの力を貸してやってくれ」
「ぼくはデルカダールの兵士ではありません」
にべもなくイレブンは答えた。そして右手で左手の甲をつかんだ。イレブンの左手は包帯を巻きつけてあった。ケガのために戦いをためらっているのか、と王は思った。
「そなたの怒りももっともじゃ。だが今あやつを支えてやれるのはそなたのほかにおらぬ」
イレブンは何か考えていた。王の方を見たとき、独特の表情になっていた。
「グレイグは将軍です。一番後ろで指揮をとるはず。“ひとりで戦う”わけじゃない」
いや、と王は首を振った。
「あやつは昔から最前線で戦うのじゃ。そなたと青髪の盗賊を追うときも必ず矢面に立っていたはずじゃ」
何を思ったか、イレブンはうなずいた。
「戦場へ行きます」
ぞく、とデルカダール王は身震いした。隣に立つ若者から、再び殺気が漂ってきた。
「そして戦います。英雄グレイグのそばで。それで満足ですか?」
イレブンは冷たい視線でそう言い、そのままの歩調で歩いていった。
 グレイグ隊とモンスターの大群がぶつかる戦場は確実に乱戦となる。将軍を守る部隊は乱され、常に先頭に立つグレイグは敵陣内へ突出するだろう。そのときグレイグのそばにイレブンがいたとしたら、その刃は誰に向かう?
 遠ざかる紫のコートの人影は、その背に妖気をゆらめかせているように見えた。

 濃密な霧に覆われて昼も夜も区別はつきにくかった。だが、襲ってくる部隊がアンデッド系なら、確実に太陽を嫌うはず。襲撃は日没後と考えて、それまでの時間で最後の砦はさらに守りを固めていた。
 砦の正面で防衛線を受け持つのはグレイグ隊だった。メンバーはデルカダール人ばかりだが、義勇兵数名がその中に交じって戦うことになっていた。
 グレイグ隊付の事務方の兵士は、名簿を手にあたりを見回していた。義勇兵を集め、不足なく前線へ送り出すのが仕事だった。
「みんな集まったか?」
と、兵士の一人が聞いて来た。
「いや、まだ一人見つからない。イシのイレブンてのは、どこにいるんだ?この村の出だっていうから、がっちりした農夫か何かだろうと思うんだが」
事務方は居住区を眺めてきょろきょろした。
「そいつなら、剣士だぞ」
と兵士は言った。
「俺が見張りをしているときに砦へ来た若い男だ。けっこう使うぞ?なにせデルカコスタからここまでモンスターを蹴散らして一人旅をしてきたらしい」
「デルカコスタっていやぁ、大陸の反対のはしじゃないか。気に入った。花形ポジションへ送り込むか。おーい、イレブンさんとやら、どこにいるんだ?」
年配の重装兵が顔を出した。
「イシのイレブンて、そいつは、あく……、勇者さまだろ?さっきまでここにいたよ。いや、なんとなく悲観的になってな、十六年前にマルティナ姫が行方不明になったときからデルカダールはすでに太陽を失ってたんだ、なんて愚痴を言ってたのさ。妙に親身になって聞いてくれたよ」
「で、どこへ行った?」
「ほら、あそこにいる」
と重装兵は砦の奥を指さした。
「あの楽師の前で歌を聞いている若いのだよ」
 そこは兵士、避難民共通の食堂になっているテントの前だった。楽師が数名集まって音楽を奏で、歌を聞かせていた。不安そうな民をなだめるつもりなのか、無邪気で明るい旋律だった。
 音楽家たちの前には結構な数の聴衆がいた。平和な時代に聞いた歌を耳にして幸せだったころを思い返しているのだろう。砦では時々、明るい歌を聞いて泣く者がいた。
 一曲終わると聴衆から拍手の音があがった。紫の袖なしコートを着た若者が楽師に話しかけた。
「その歌、聞いたことがある」
楽師は楽器をしまいながら答えた。
「でしょうね。ちょっと前にロトゼタシア内海じゅうで流行った歌ですから」
事務方の兵士が寄っていくと、義勇兵の集合時間だとイレブンは気付いたようだった。
「思えばいい時代だったなあ。そうだ、以前、あの旅芸人のシルビアがサマディーのサーカスで流行らせたんですよ」
そう楽師が言った。そちらを振り向くこともなく、歩きながらイレブンは答えた。
「知ってるよ」

 砦の外にはグレイグ隊が整列していた。かがり火は赤々と焚かれていたが、どの兵士も緊張しているようで、じっと北方をにらんでいた。
「よぉ!新入り!ウワサは聞いたぜ」
事務方の兵士は、イシのイレブンに声をかけた。
「大陸のはしっこからたったひとりで砦に辿りついたんだって?やるじゃねえか!ウデっぷしは確か、運もある……か。うん!アンタは見どころがありそうだ」
「だから何なんだ」
気難しい口調、不機嫌な顔で若い剣士はそう言った。だがそんなものをいちいち気にしていては、徴兵事務は務まらない。
「ちょっと俺についてきてくれよ!」
イレブンはため息をついた。
「なっ、いいだろ?」
言い返そうとしたイレブンが、ふと目を見開いた。
「酒の匂いがする」
事務方の兵士はあわてて袖を鼻に近づけた。
「ちっ、厨房係と酒のあまりをちびちびなめてただけなのに、匂いがついちまったか。あんた、さといんだな」
話しながら歩き出すとイレブンがついてきた。
「……知り合いが、同じ酒を好きだった」
「へえ。ダチかい?好みが渋いね」
それはあるていど年配の者が好む酒だった。イレブンはつぶやいた。
「祖父だ」
兵士は首を振った。この砦の避難民は家族を失った者が多かった。
「よし!ついたぜ。アンタの持ち場はここだ」
 戦場の花形ポジションとは、すなわち最前線だった。
「今日こそ魔物どもをケチらしてやろうぜ。最後の最後まで戦い抜こうな!」
景気よくそう言った。
 イレブンは最前列を眺めた。
「あれは?」
「よくぞ聞いてくれました!あれこそデルカダールの誇る英雄グレイグさまと、愛馬リタリフォンだ。超有名人のお隣という人もうらやむベストポジだ。はりきってくれよ!」
まわりでグレイグ隊の隊士たちがにやついているのがわかった。ド素人をグレイグの隣に配置するのはいわば被害担当だった。“まだ子供じゃないか、かわいそうなことをするなあ”、“大丈夫、いざ混戦となったら砦へ逃げ帰るさ”などというざわめきが聞こえた。
 イレブンは無言で動き出した。バカ正直にグレイグの隣へ進んだ。
 新入りに気付いたのか、馬上からグレイグが無言で見下ろした。イレブンは一度視線を合わせ、それから前を向いた。グレイグもまた、前方を注視した。その手の中で手綱がきつく握られた。