ビーストモード 3.占い師と護衛

 ルーラができないと聞いてシルビアの顔色が変わった。
「ということは、アタシたち、ここに閉じ込められたっていうことね」
「しかも、殺人鬼か人狼かわからぬやつといっしょにな」
グレイグが言うと、ボーたちは苦いものを呑みこんだような顔になった。
「おい、誰だよ、誰なんだよ、えっ?」
ボーはイライラしていた。
「落ち着いてちょうだい」
とシルビアは言った。
「言っておきますけど、船から下りたいというんなら、アタシ、止めないわ」
「ようし、わかった!俺は降りる。こんなおっかねえ船に閉じ込められるなんて御免だぜ!」
売り言葉に買い言葉でボーがそう言った。
「待ちなさいよ、ボーさん」
ディーサだった。
「外を見てごらんな。吹雪だよ。こんなときに外を歩くなんて正気かい?地面の上だって寒さでやられるってのに、足もとは流氷、しかも狼は船の中だけじゃなくて外にもうろついているんだよ?シルビアさん、すいません。あたしたちのほうがお世話になってるってのに」
シルビアは両手でほほをはさんだ。
「ディーサちゃん、まあ、アタシの方こそ、どうかしてたわ。こちらがお招きしたのに」
「そうだよ。冷静なりましょう、みなさん。ボー、あんたも頭冷やせ、な?」
クラースに言われ、ボーは浮かせた腰をしぶしぶ下ろした。
 イレブンの隣で、カミュが身じろぎした。いつのまに隣に座っていたのかわからない。だが、昨日からカミュはどこか気持ちが上の空だった。
 視線が合うと、カミュは少し恥ずかしそうになった。
「すいません、つい」
シルビア号の食堂は一人掛けの椅子のほかに収納を兼ねたベンチが置いてあった。イレブンとカミュはそこに腰かけていた。イレブンは、カミュとの間を詰めて寄り添った。
「怖い?」
「……はい」
情けなさそうにカミュは自分の手を見た。
「オレ、戦えないし」
密航発見直後、カミュのレベルは別にさがっていなかった。武器防具は普通に装備できたし、もともと多くはないが知っている呪文はそのまま使えた。だが、かつてのカミュが一番得意としたスキルがまったく使えなくなっていた。そして何よりカミュは、戦おう、勝とうという意志を、なぜか持てないようだった。
「そんなことないよ。キミが本当はどんなに勇敢か、ぼくは知ってるよ。何度もぼくを守って、助けてくれた」
はは、とカミュはせつなそうに笑った。
「夢みたいですね」
カミュに、旅路をずっと共にしてきた相棒にこんな顔をさせるなんて我慢できなかった。
――ぼくがつらかったとき、キミは何も言わずに寄り添ってくれたのに。
「イレブンさん?」
抱きしめる代わりにカミュの片手を取り、そっとつないだ。えへ、のような声を小さくたてて、カミュは握り返し、もたれかかってくれた。寄り添っている側の腕が暖かかった。
 じっと考え込んでいたシルビアがぽつりと言葉を吐いた。
「ロウちゃんの出番ね」
「だが、昨夜は!」
グレイグが言うと、シルビアはため息をついた。
「状況が変わったのよ」
そういうと、ロウにじっと視線を注いだ。
「ロウちゃん今夜は、アタシ、グレイグそれにイレブンちゃんでロウちゃんを守るわ。だから、昨日の占いの結果を教えてちょうだい」
満座の視線を浴びて、ロウは咳払いをした。
「よかろう」
「占いって、なんのことですか」
とクラースが尋ねた。
「わしが若い頃、師匠が修行の一環として筮竹(ぜいちく)の扱いを手ほどきしてくれたんじゃ。夕べひと晩かけて久々にやってみたんじゃよ、占いをな」
ロウがそう言ったとたん、場が静まり返った。
「わ、わかるんですか、狼が化けているのが誰なのか!」
噛み気味に問いかけるクラースに、ロウは首を振った。
「わしにわかるのは、ある人物が人なのか人狼なのか、それだけじゃ。ゆうべわしが占った人物はアーロじゃった。アーロは、まぎれもなく人じゃった」
ふう、というようなため息が一座の間から漏れた。
「それじゃ、振出しに戻ったのと同じじゃねえかよ」
ぼそっとボーが言った。
「人狼は野放しだ」
鋭くシルビアが言い返した。
「アリスちゃんは無実よね!?」
ボーは気まずい顔になった。
「そりゃそうだが、あのおっさんを起こすのは反対だ。人狼があいつを食い殺してなりすましたら、どうするんだ」
シルビアはむっとしたようだが、あえてアリスを目覚めさせるとは言わなかった。
「ボーのいうことも一理あるんじゃ。このままならアリスを白と確定できるからの。さてシルビアや、今夜は誰を占うべきかの?」
ロウが尋ねた。
「え、そうね……」
自然と皆が互いの顔をうかがうようなようすになった。
 突然ボーが言った。
「そのでかい旦那はほんとにヒトかい?それを占ってくれよ、じいさん」
視線がグレイグに集中した。
「俺は……!」
と言ってグレイグは絶句した。
「アナタ、デルカダールのグレイグ将軍を知らないの?人狼じゃないわよ。決まってるじゃないの」
英雄の名を聞いてボーはちょっとたじろいだ。
 意外なことにクラースがシルビアに反論した。
「いやその、グレイグ将軍のお名前は異変前までは有名でしたけどねえ。大樹さまの落ちたこのご時世じゃ誰が本物で誰がニセモノかなんてわかりゃしないんで」
上目遣いにクラースはグレイグを見上げた。
「もしもこのでっかい旦那が人狼だったら、あたしらなんざ、ひとひねりなんでさあ。あんたらはいいんだろうが、こちとらはおっかなくてねえ」
「あーっ、もう、このわからずや!」
びっくりして口もきけないグレイグに代わってシルビアがわめいた。
「体の大きさと人狼かどうかは関係ないでしょ!?アナタたち言ってたじゃない、どんな人間でも人狼の可能性があるって!」
「そりゃそうだが、あんたはどう思う、ディーサさん」
クラースに話を振られたディーサは、なぜか胸を張った。
「私に言わせれば、グレイグさんを占う必要はありませんよ。だってあたし、答えはわかってますから」
ディーサは挑戦的な眼でロウを見た。
「どちらさまか存じませんが、筮竹とおっしゃいました?あたしはプロの占い師ですが、そんなもの、聞いたことありません。本当に占いができるんですか?」
ロウの頬がぴくりとした。
「ドゥルダの里は人里離れた聖地なんじゃ。筮竹を使う占いは確かにある。ただ俗世間には、確かに知られとらんよ」
「俗世間で悪うござんしたねっ」
ディーサは眉を吊り上げた。ディーサは椅子から立ち上がり、両手を腰に当てた。
「それなら言わせていただきますが、グレイグさん、あなたが人狼ですね?」
突然言われて、なっ、と言ったままグレイグは固まった。おそるおそるシルビアが言った。
「ディーサちゃん?何か勘違いをしてない?いちおうアタシ、この人とは子供の頃からつきあいがあるんだけど」
「シルビアさんは騙されてるんですっ!」
ディーサはすごい剣幕だった。
「子供だった頃からずっとご一緒だったわけじゃないですよね?以前と変わった雰囲気はありませんでした?」
「ごつくはなったわよ?でもそれは商売柄しょうがないわよ、要するに兵隊さんなんだもの。グレイグを信じてあげて」
頑なにディーサは言った。
「みなさんは信じられる、あたしらは信じられない。それなら、疑わしきは罰せよ、じゃないですか?」
「罰せず、じゃないの?」
「こういう状況でそんな悠長な!第一、ここまで言っちゃったんだから、この人を今晩自由にしておいたら、明日の朝きっとあたしは殺されてます。責任とれるんですかっ」
「だから!」
ついにシルビアが声を高めたとき、のっそりとグレイグが立ち上がった。
「シルビア、アリスが使ったゆめみの花はまだあるか?」
「グレイグ?」
「このご婦人の勘違いだとわかっているが、こう喚かれては俺の方がたまらん。明日、白と確定したら起こしてくれ」
シルビアは不満そうに腕を組むと、自分の椅子の背にもたれた。が、いいわ、とつぶやいた。
「わかった。ゆめみの花を渡すわ」
グレイグは苦笑交じりにうなずいた。
「今夜はまかせる。ロウさま、お守りできず、申し訳ございません」
「なに、心配なかろう。明日までの辛抱じゃ」
ロウはグレイグをいたわるように声をかけ、そして横目でちらっとディーサを眺めた。

 その夜、ロウの船室の前にシルビアとイレブンは交替で詰めることになった。二人は、どちらか一人がディーサを守ろうか、と提案したのだが、ディーサから断られていた。
「あたしは自分の勘に自信があるんです。今夜はもう、襲撃なんかありませんよ」
ふふん、と言いかねない口調だった。
 しかたなく、シルビアが先、イレブンが後の二交替で、ひと晩ロウを守ることになった。
 自分の船室で真夜中にイレブンは目覚めた。雪嵐はまだ続いている。また明日は甲板の雪かきをしなくては、と思った。服を着こんで廊下に出た。イレブンの部屋の隣はカミュが使っている。ドアの下を見ても漏れる灯りはなく、眠っているのだろうとイレブンは思った。
「すぐ帰ってくるからね」
 イレブンはロウの部屋へ向かった。ドアのすぐそばにシルビアが座り込んでいるのが見えた。
イレブンが近づくと、シルビアは立ち上がった。
「異常なしよ。そちらは?」
「特になかったです」
シルビアはくるまっていた毛布を手渡しながらあくびをした。
「くれぐれも用心してね」
そう言って廊下を歩き出して、一度振り返った。
「これはアタシから」
シルビアが空気を押しやるようなしぐさをした。イレブンの身体は一瞬チラチラする光に包まれた。バイシオンだった。
 ウィンク交じりにお休み、と言ってシルビアは行ってしまった。
イレブンはシルビアの体温が残る毛布を体に巻き付けてドアの脇にうずくまった。念のため剣は鞘ごと足の間に抱えた。
 時間はゆっくり過ぎていった。何度か物音がした、とイレブンは思った。だが、実際に襲われることはなかった。
 夜明けの近い頃、ドアが開く音がしてイレブンはハッとした。
「おお、イレブンか」
ドアはロウが部屋の内側から開いたようだった。
「おじいさま、危ないです。どちらへ?」
「占いの結果がな……」
ロウは何か焦っているようだった。
「ちょっと皆のようすを見にいきたいんじゃ」
「ぼくもいっしょに行きます」
うむ、とうなってロウは足早に歩き出した。そう言えば、とイレブンは思った。今夜祖父は、誰を占っているのだろう。結局昼間、誰を占うべきかという質問に答えは出なかったのだ。
 パーティが使っている船室は一列に並んでいる。客人たちの船室は別の廊下にあった。ロウが向かったのは客人たちの船室の方だった。
 イレブンは立ち止まった。船室の並ぶ廊下はたいそう静かだった。そのまま二人はゆっくり気配を探りながら通り過ぎ、また引き返した。
「おじいさま、何もなかったようですが」
ロウは何か気になるような、微妙な顔をしていた。廊下を歩きながら言い出した。
「シルビアが言っておったじゃろう。人狼ならまっさきにわしを狙うはず、と」
「はい」
「さきの集まりで人狼はわしが占いをたしなむことを知った。じゃが、同時に人狼は、このわしにシルビア、グレイグ、おまえという三人の護衛がつくことも知った。ならば、人狼はどうする?」
命の大樹が落ちた現在、確かにそのリストは物理攻撃に限り人間の世界では最強と言って差し支えない。
「……三対一では分が悪いですよね」
「そのとおり。さて、客人たちはよってたかってグレイグを閉じ込めた。これで二対一じゃ。これを一対一にするには?」
イレブンはぎょっとした。
「シルビアが、噛まれる!」
「行くんじゃ、イレブン!」
ロウが叫んだ。
「わしのことは気にするな、もう夜明けが来る!」
イレブンは走り出した。
――どうして気付かなかった!
イレブンは走りながら自分の鈍感を呪った。グレイグ、シルビア、自分という三人の護衛の中で、見た目で一番強そうなのはグレイグ。そこで真っ先に閉じ込められた。その次に人狼が狙うなら、観察と論理に優れたシルビアに他ならない。
 もしかしたらシルビアは、今夜自分が囮になるつもりで交替にしようと言ったのかもしれないと、やっとイレブンは思いあたった。
 シルビアの船室が近づいた。あと数歩というところで、シルビアの部屋のドアがいきなり開き、何かが猛スピードで飛び出して走り去った。
「!」
あいにくドアそのものが目隠しになって、逃げた者の正体はわからない。だが、十中八九、人狼だとイレブンは思った。イレブンは船室へ飛び込んだ。
シルビアは部屋の奥に、仰向けに倒れていた。その顔が痛みに耐えかねるようにゆがんでいた。
「シルビア、シルビア!」
駆け寄って抱き起した。シルビアの服の背が大きく裂け、傷に沿って血があふれ出していた。シルビアが身じろぎし、うめき声をあげた。イレブンは心からほっとした。
「これなら治る。今、呪文を」
苦しそうな表情でシルビアがイレブンを見上げた。聞き取りにくい声でつぶやいた。
「あいつ、アタシの……」
……アタシの命を吸って、まで聞こえたような気がしたが、シルビアは無念そうに目を閉じ、イレブンの腕の中で気絶してしまった。

 それからまもなく、あたりは明るくなった。だが空はやはり鉛色の雲が垂れこめ、今にも吹雪いてきそうなようすだった。低い雲の下を海鳥が数羽、綺麗な軌跡を描いて飛んでいた。
 食堂に集まった者たちを見て、イレブンはどきりとした。人が少なくなっていた。
――ぼく、おじいさま、カミュ。それにボー、クラースとディーサ。六人しかいないんだ。
最初十人だった乗客はたった二晩で約半分になっていた。
「イレブンさん?」
カミュがこちらを見ていた。心配してくれているようだった。
「オレ、良かったら熱いお茶を淹れましょうか?ほら、なんとなく寒いし」
カミュも今朝の食堂の寒々しさに気づいているようだった。
「ありがとう。お茶碗のあるところ、わかる?」
「わかります。アリスさんがやってるの、見てましたから」
食堂の奥の厨房でカミュはいそいそとお湯を沸かし、茶を淹れる準備を始めた。
 もともとカミュは料理ができたのだとイレブンは思い出した。彼がキャンプでつくる食事は美味しかったし、旅の仲間にも好評だった。仲間から味を褒められると”これしか作れねえんだ”と言っていたが、レパートリーはイレブンより多かった。特に保存食を作るスキルが高く、釣り上げた魚をさばいて油で揚げてぴりっとした香草入りのタレに浸け置きにしたものは、それだけでご馳走だった。
 久しぶりに厨房に入るのは楽しいらしく、カミュの鼻唄が聞こえてきた。
「♪世界中旅して、まだ見ぬあなたを、探していた~いつしか、どこかで、あなたは、優しく、笑いかける♪」
パーティに合流して以来カミュはずっと不安そうで、特にここ数日は放心状態だった。こんなに落ち着いたカミュを見るのは久しぶりだとイレブンは思った。イレブンは懐かしい気持ちでその歌を聞いていた。
「手伝うことない?」
「気にしないでください。オレ、誰かの役に立っていると思うとうれしいんです」
カミュは世話焼きとか世話好きという体質なのだろう。誰かの役に立ちたいという気持ちは戦闘の時にも遺憾なく発揮されていた。頭の中で戦闘の段取りをつけ、仲間のフォローをするのがカミュは上手だった。
――でもシルビア号は、ずっとアリスさんの仕切りだった。
シルビア号のキッチンはアリスの牙城だったので、イレブンもあまり入ったことがない。アリスが許容するのはシルビアまでだった。カミュがうれしいというのは本当かもしれないとイレブンは思った。
――あれ?今はカミュにとって、理想的な状況になってるのか。
アリスとシルビアが不在という、今のカミュが自然に”役に立つ”ことができるこのシチュエーション。
心の奥のどこか敏感なところを、ざらりとしたものでいきなり撫でられたような気がした。
「まさか……」
「お茶がはいりました」
厨房からトレイに湯気のたつマグカップを六つ乗せてカミュが出てきた。そして一人一人にお茶をだし始めた。
「お、ありがとよ」
「温かいものが欲しかったんじゃ」
場は、ややなごんだ。だが、シルビアのよく通る声が今朝は聞こえないというだけで、食堂に集まった六人は妙にまごついていた。