ビーストモード 2.最初の吊り、最初の狩り

 食事のあいだ、会話はあまりはずまなかった。だがシルビアは自分のペースを崩さなかったし、ロウは泰然自若としていた。新来の客の中では、ディーサが一番落ち着いていた。
「さて、みなさん」
船室の中で一番広い食堂に、全員が集まっていた。イレブンは無言で数えた。
――もともとのパーティが、ぼく、カミュ、シルビア、おじいさま、グレイグとアリスさんで六人。お客さんがアーロ、ボー、クラースとディーサで四人。全部で十人か。
「アタシたちはちょっと困った問題を抱えてるわね」
とシルビアが言い始めた。
「人に化ける狼、人狼ちゃんっていうのが本当にいるかどうかはわからないわ。伝説なんですものね?でも、わかっていることがひとつ。誰かが真夜中に森であの鹿を捕まえた。そして甲板へ運んで来て、そこで切り裂いた」
シルビアは全員を見回した。
「ここが肝心なの。そいつは鹿を担いで縄梯子を上ったのよ。両手でね」
ロウがうなった。
「そやつは、人の形をしておるんじゃな?」
「そうよ。それなのにシルビア号に血のマーキングをつけたのよ」
その場に居合わせたただ一人の女、ディーサが身を震わせた。
「そんな恐ろしいものがこの船を自由に出入りしているなんて……」
ごめんなさいねぇ?とシルビアがつぶやいた。
「脅かすわけじゃないんだけど、状況はもっとまずいわ。そいつ、この船にまだいるのかもしれないの」
食堂が静まり返った。
「なんでそんなことがわかるの?」
とイレブンが聞いた。
「もう行っちゃったのかもしれないでしょう」
シルビアは肩をすくめた。
「誰かが船を出て行ったのなら、縄梯子は降りてなきゃならないのよ」
アリスが言い添えた。
「縄梯子は、巻き上げてありやした」
人の姿をした狼、という言葉の意味が、やっとイレブンの頭に入ってきた。
「でも!どこにそんなやつが」
客たち、特に病み上がりのアーロは恐ろしそうに天井や床を眺めまわした。
「そこでなんだけどね。捜索隊をつくろうと思うの」
とシルビアは言った。
「手分けして船内を探すのよ。けっこう広いから探し甲斐があると思うわ。この船の設計士は、アタシがワールドツアーをやっても大丈夫だって言ってたから」
 偉大なるガンバルディの設計によるシルビア号は、ショーボートの機能を備えており、かなり大きかった。特に船倉は大道具を収納することを見越して広めに作ってあった。船室はシルビアのスタッフやキャストが寝起きすることを考慮して、三段ベッドのある大部屋ではなく、広くはないが個室がたくさんある作りになっている。現在アーロが病室にしているのもその一つだった。
 グレイグが手を上げた。
「では、アーロさんを除いて捜索チームを決めよう。あと、ご婦人も除外して」
そう言いかけたとき、クラースが咳払いをした。
「グレイグの旦那、たぶんわかってねえと思うんで、ちっと口をはさんでよろしいですかい、シルビアさんも」
全員の視線が集中した。クラースは真顔だった。
「シルビアさんは、船の隅っこに人狼が潜り込んでると思ってらっしゃるんでしょ?あっしは、それはねえと思いやす」
「どうして?」
クラースはちょっと言い渋ったが、重い口を開いた。
「お招きを受けといて言える義理じゃねえんだが、対応を間違えると皆殺しなんでね、言わせていただきますよ」
物騒な単語を口にしてから、こほん、とクラースは咳払いをした。
「伝説じゃあね、人狼は人に化けるんです。なにせ魔物なんですから。つまり、人狼はこの食堂に今座っている十人のなかにいるかもしれねえってことです」
いきなり気温がさがったような気がした。皆、こわばった顔になり、誰一人口をきく者はいなかった。
 ようやくロウがつぶやいた。
「なるほど。理屈は、その通りじゃな」
ユグノアの先王は鋭い目になった。
「つまり、病人でも婦人でも、人狼が化けているかもしれないと」
アーロは抗議しようとして、ケホケホとむせた。その背をディーサがさすり、ロウをにらみつけた。
「そうですねえ、女の子みたいな顔の坊ちゃんでも、小柄なお年寄りでも、ほんとは人狼かもしれませんよね」
ロウはあえて言い返さずに黙殺した。
「わかったわ」
とシルビアが言った。
「船の捜索はやりましょう。でも、三人一組でどうかしら。人狼がまじっていても、二対一になるわね」
クラースとディーサは顔を見合わせ、それから不承不承うなずいた。
「ご了解、感謝するわ?」
やや皮肉っぽくそう言って、シルビアは続けた。
「じゃあ、そうね、今いる中で、ガチで戦えるのはグレイグ、イレブンちゃん、いちおうアタシの三人だから、それをバラバラにして三組つくりましょう」
こういうときのシルビアは女王の風格だった。頭の中でさっさと組み分けを進めて行った。
 イレブンは、心配そうな顔のカミュに寄り添った。
「大丈夫、ぼくと一緒だよ」
カミュはほっとした顔になった。
「すいません、イレブンさん」
シルビア号に密航して見つかったあと、カミュは同行を申し出たが、実はカミュが落ち着かないのをイレブンは感じていた。特にグレイグがそばに来ると、口実をつけて逃げ出してくる。そして逃亡先は必ずイレブンのところだった。
 別人のようになってしまったカミュは、そんなとき迷子の子犬のようだった。おとなしく隣に座っているカミュは、本当は自分より年上なのだが、肩を抱いて安心させてあげたかった。
 シルビアは食堂で使う黒板にチョークで組分けを書きつけた。
 イレブン、カミュ、アーロが一組。
 グレイグ、ロウ、クラースが一組。
 シルビア、アリス、ボー、ディーサで最後の一組だった。
「これでいいかしら?じゃ、捜索範囲を決めるわね」
「ちょっと待ってくれませんかね」
とディーサが言った。
 ディーサは最初言いにくそうにもじもじしていたが、アリスを指した。
「あたしゃ、このマスクのお兄さんといっしょというのは、どうも、そのう」
え、とアリスがつぶやいた。微妙な雰囲気が流れた。
 ぽんとボーが手を打った。
「そういや、そうだ。朝の血まみれのかっこを見たら、誰だっていやだよな」
「何を言いたいのかしら?」
真顔のシルビアが詰問した。
「言っとくけど、アタシとアリスちゃんは長い付き合いなの。何を疑ってるのか、はっきり言ってちょうだい」
自称オトメだが、シルビアの静かな怒りはかなりの迫力だった。ボーは気圧されたのを押し返すように声を高ぶらせた。
「今朝の鹿は、あんたのとこの整備士が見つけるほんの少し前に殺されたんだ。もっと前に死んだのなら、今朝の寒さだ、全身がカチコチになっていたはずだからな!」
がたんと音を立ててアリスが立ち上がった。
「あっしを疑ってんのかい!」
「あの鹿を殺してないって証明できんのか!」
二人の声がぶつかりあった。
「シルビアさんよ、あんたはこいつと長い付き合いだって言ったが、もし本物のアリスが殺されて代わりにコイツがいるとしたら、どうする」
「それは……そんなバカな」
と言いかけてシルビアが口ごもった。
「とにかく俺は、こいつが一緒は嫌だ!命が惜しい!」
「アナタねえ!」
シルビアが反論しようとしたとき、大きな手が顔の前に突き出された。アリスだった。
「シルビア姐さん。ここはあっしが折れやす」
「アリスちゃん」
アリスは、手にリンドウに似た紫の可憐な花を乗せていた。
「ゆめみの花だ。あっしはこいつを使って自分の部屋で寝ます。外から鍵をかけてくだせえ。それで人狼が見つかれば、俺は無実だってこった」
最後にアリスは、じろっとボーに冷たい目を向けた。

 シルビアは、アリスの部屋の扉を外から閉め、他の全員の前で錠をかけた。片手をドアに押し付け、シルビアがつぶやいた。
「少しの辛抱よ。いい夢を見て待っててちょうだい」
振り返ったシルビアは、決然としていた。
「さ、捜索を始めましょう!」
シルビア号の船内は広く、捜査は一日がかりだった。だが、クラースが予言した通り、最初の十人以外は猫の子一匹見つからなかった。
 イレブンは捜索の後、カミュといっしょにシルビアの部屋を訪れた。船長室は別にあってもっと豪華で大きいのだが、シルビアの個室は他の部屋と大きさも調度も同じだった。先にグレイグが来ていた。
「捜索でわかったことはつまり、まだ人狼は船内にいる、ということだな」
シルビアとグレイグは今日のことを話していたらしかった。
「なんかへんなことになったね」
「ほんとねえ」
とシルビアはつぶやいた。
 ノックの音がした。ロウが顔をのぞかせた。
「お邪魔するぞ?」
「いらっしゃい。パーティだけで話がしたかったのよ」
狭い部屋は満員になった。イレブンたちは自然に声を潜めた。
「俺たちはお互いがお互いに確信を持てる。人狼ではないと」
グレイグが言うと、シルビアがつぶやいた。
「だとすると、昨日やってきたお客さんの誰かが、人狼ってことよね」
「あ、そうか」
「ズバリ聞くわ。誰だと思う?」
イレブンは答えに窮した。シルビアが説明した。
「例えばアーロは病気で弱っているように見えるわね。でも、ずっとベッドにいたっていうのは、自己申告なのよ。逆に一人で何かする時間が一番たくさんあったってことね」
「じゃあ、シルビアさん……」
シルビアは顔の前で大きな手を振った。
「うそうそ。本気じゃないの。でも、嫌な空気だわ」
「そこなんじゃが」
とロウが言った。
「ひと晩時間をもらえんかの。うまくいけば、わしは人狼が誰かわかるかもしれん」
アラ、とシルビアが両手を握りしめた。ロウは咳払いをした。
「ドゥルダにいた時分、占いの基本のき、あたりを教わったことがある。なにせ基本なもので、一度に占えるのは一人だけじゃ。しかもわかるのは、その者が人間かそうでないかだけ、おまけにひと晩がかり。それでもよければなんじゃが」
「すごいわ、ロウちゃん!」
ロウは自慢げに髭をひねりあげた。
「ま、年の功じゃな。そこでなんじゃが、誰を占う?」
きらりとシルビアの目が光った。
「ボー、と言いたいところだけど、私情を挟んじゃダメね」
「では、アーロはどうです」
とグレイグが言った。
「占いでシロと出た者が増えていけば、絞り込みやすくなります」
「引き受けた!」
ロウは胸をたたいた。
「ぼくのおじいさまはやっぱりすごいんだ。ね、カミュ」
横を見て、イレブンはどきりとした。カミュは放心したような表情だった。
「え、あ、ごめんなさい、オレ」
あわててカミュが謝るのをイレブンは遮った。
「いいんだ。気にしないで」
――満月に浮かび上がる狼の紋章、真っ赤な瞳……
突然思い出した昨夜の夢を、イレブンは強く首を振って追い払った。第一セーニャがいないのに“ビーストモード”が発動するわけがない。
「さっそく占いを始めよう。気が散るので一人で部屋ごもりさせてもらおうか。明日の結果を待っていてくれ」
「十分に用心してね、ロウちゃん」
と言ってから、シルビアは仲間を見回した。
「あと、ロウちゃんの占いのことはお客さんにはひとまずナイショにしてね?」
「なぜだ?」
とグレイグが聞いた。
「結果が早く出れば皆も安心するだろう?」
もうっとつぶやいてシルビアは鈍感な幼馴染をにらんだ。
「アタシが人狼だったら、真っ先にロウちゃんを狙うからよ!」

 恐ろしい夜がやってきた。その日の夕方から天気は荒れ模様となった。夜半、本物の雪嵐がクレイモラン地方全体を吹き荒れた。
 人外なる者は部屋から滑り出た。嵐の咆哮は彼ら一族の子守歌、ましてや夜は、狩猟と支配の時間である。
――今夜の獲物は?
人外の者は自分がマーキングした縄張りを楽しげに歩き回った。赤い目が狩りの興奮に煌めいていた。
――こいつにしよう……。
眼をつけられた獲物は声も立てられずに絶命した。

 寝不足で赤くなった目をこすりながらロウが部屋から出てきた。
「イレブン、イレブンはどこじゃ?」
廊下のはしのほうに、パーティが集まっているのが見えた。その中からイレブンがふりむいた。
「ここです、おじいさま」
イレブンは、青ざめていた。
「どうしたんじゃ?お……」
ロウは絶句した。
 旅の仲間と新来の客たちが集まっているのは、アーロの船室の前だった。部屋の中からシルビアが出てきて、首を振った。
「ひぃ」
クラースが泣くような悲鳴を上げた。
 グレイグが毛布にアーロの身体を包んで抱き上げ、部屋から出てきた。もう、その身体から命の灯が消えていることは、だれの目にも明らかだった。
「グレイグ、船の氷室へお願い」
うつむいたシルビアが、低い声で依頼した。
「そうだな」
アーロの遺体を運び出すグレイグを、皆一歩退いて見守った。
「なんということじゃ」
とロウがつぶやいた。
「なんということじゃ!」

 シルビア号の食堂に、全員が集まった。イレブンは周りを見回した。
――パーティが、ぼく、カミュ、シルビア、おじいさま、今はいないけどグレイグで五人。お客さんがボー、クラースとディーサの三人。二人減って、八人か。
「シルビアさん、アーロさんは、その」
ディーサが小さな声で尋ねた。
「病死じゃないわ。アタシ、傷を見たの」
ディーサはがくりと肩を落とし、両手で顔を覆った。
 イレブンちゃん、と小声でシルビアが呼んだ。
「アーロさんをご家族へお返ししたいの。やっぱりルーラしてくれる?シルビア号はちょっと痛むかもしれないけど、アリスちゃんには後からアタシが説明するから」
「わかりました」
ベロニカが伝授してくれた魔法、ルーラは、一度行ったことのある場所まで飛んで行く呪文だった。ルーラが成功すれば、イレブンだけではなく仲間や荷物、シルビア号までいっしょに飛んでくれる。
 イレブンは一人で船の甲板に出た。シルビア号の甲板はかなり広い。見上げると昨夜のブリザードの名残か、粉雪が上空を舞っていた。こんな空を飛んだら、着いた頃にはびしょびしょになっているな、とイレブンは思った。
 イレブンはルーラを発動させた。足もとにふわりとした浮遊感を覚えた。
 次の瞬間、ぱん、と何かが破裂するような音がした。あっと思った時には浮遊感は消えていた。
「なんだろう、これ」
二度、三度と試したが、同じだった。ルーラが、効かない。イレブンは顔がこわばるのを感じた。
「イレブン、どうした?」
グレイグが氷室からもどってきたようだった。
「ルーラしようとしたんです!でも、かき消されました」
「何?」
真顔のイレブンを見て、グレイグも事態を察したようだった。懐を探るとキメラの翼を取りだした。
「これを使ってみてくれ」
「お借りします」
イレブンはキメラの翼を投げ上げた。一瞬のち、キメラの翼はばさりと音を立てて甲板に落ちた。
「こんなバカな」
イレブンはじっと頭上を見上げた。雪雲がちらちらと粉雪を振りまいていた。
「何かがジャマしてます」
唐突にイレブンは悟った。
「あの鹿の血を船につけたのは、縄張りのマーキングをするためだけじゃなくて、一種の結界をつくったのかも」
まるで目に見えない天井を探すかのようにグレイグは雪空を見上げた。
「とにかく、こうしている場合じゃない。シルビアたちに話しにいこう」
グレイグはキメラの翼を拾い上げて大股に食堂へ向かった。
 そのとき、グレイグの服の袖の肘あたりから何かが落ちて、薄雪で白くなった甲板の上に着地した。
 最初、ゴミだと思った。事実、何の気なしに拾い上げたそれは髪の毛に見えた。
「髪の毛?でも……」
グレイグの髪は紫で長めだった。そして亡くなったアーロは白髪だった。だが、それは硬めで短い。毛の根元が白っぽく、毛先に行くにつれて明るい青になっていた。
 アーロが使っていた毛布についていた毛がグレイグの腕に残ったのだ、とイレブンは思った。その毛布に最後に触れたのは、生前のアーロでなければ、アーロを引き裂いた犯人しかいない。
 イレブンは、自分が人狼の獣毛を見つけたことを悟った。
「グレイグさ……」
前を歩くグレイグが振り向いた。
「どうした?」
「いえ、なんでもないです」
胸がどきどきする。イレブンは、獣毛を手の中に握りこんだ。
――アオオオーーーンンンッ。
高らかな遠吠えが耳の奥でこだました。