ユグノアの子守歌 5.廃墟ユグノア

 ユグノア城の廃墟はグロッタの南西にある。イレブン一行は仮面武闘会が終わると同時に町を出て馬で草原を縦断した。まもなく丘の上に城の残骸が姿を見せた。たどりついたとき、パーティはしばらく声も出なかった。
「こ……こいつは……」
カミュがつぶやいた。
 シルビアは右手で左手の拳を覆った。それは、ロトゼタシア全土で行われる祈りのしぐさだった。
「ここがイレブンちゃんの故郷ユグノア王国ね……。ウワサでは聞いてたけど……ひどいありさま」
イシの村の跡地で、カミュは同じ光景を見ていた。だが、ここははるかに広い面積にわたって破壊され、はるかに長い年月廃墟として放置されていた。
 砕かれ壊され焦がされた石壁はさらに風雨にさらされていた。床だったところから木が生えて窓だったところへと枝をのばし、天井だったところを突き破ってのびている。木箱やツボ、鍋釜食器をはじめ、荷車や馬具などがあちこちに転がって雨にふやけ、苔を生じていた。
 城下町の向こうには城だったらしい部分が残っていた。どんな力が加わったものか、城壁がぶち破られ無残なありさまをさらしている。その下の優雅な半円形通路が原型を保っているのが、かえって痛々しかった。
「十六年前世界一の歴史を誇るユグノア王国は魔物の大軍勢に襲われ、たったひと晩で滅びたそうよ……」
シルビアは祈りの形の手の上にそっと頭を垂れた。
「ユグノア王や王妃……そして偶然訪れていたデルカダールの王女さまも魔物に殺されたと聞いているわ」
ふとシルビアが顔を上げ、イレブンの方を見た。
「もしかして……その王と王妃って、イレブンちゃんのお父さんとお母さん?」
「そうなのかな……」
と、おぼつかなげにイレブンは答えた。
 地下に巣食った大蜘蛛アラクラトロ戦のあと、イレブンはベビーに戻った。そのためか、ユグノアの廃墟に足を踏み入れてからこちら、ずっと心細いような表情になっていた。
 辺りを見回してカミュが言った。
「……にしても仮面武闘会で戦ったあのじいさんと女武闘家はどこにいるんだ?呼びつけておきながらもったいぶりやがって」
パーティがユグノアまでやってきたのは、せっかくイレブンが優勝して手に入れた賞品、虹の枝を、ロウ・マルティナ組が盗み出してここへ来いと伝言を残したからだった。
 ベロニカが廃墟の奥を指した。
「あっ!奥の方にかがり火が見えるわ!もしかしたらあそこにいるんじゃない!?ちょっと行ってみましょうよ!」
 ユグノアを滅ぼした魔物たちの残党なのか、ユグノアの廃墟にはドラゴンがいたるところに巣食っていた。一度は命からがら逃げだした相手だった。うっかりぶつかったりしないように用心しながらパーティは城跡へ向かった。上りきったところに、見覚えのある人影があった。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。おぬしらが来るのを待っておったぞ」
ロウはまったく悪びれることなく泰然としていた。
「一緒にいた姉ちゃんの姿が見えないが、じいさんひとりだけか?」
カミュが尋ねるとロウはうなずいた。
「ゆえあって姫には席を外してもらっている。それにしてもよく来てくれたのう」
「さあ。来いと言うから来てやったぜ。奪った虹色の枝を返してもらおうか?オレたちにはあの枝が必要なんだ」
ロウは目を閉じて白いひげをひねりあげた。
「ふむ……。おぬしたちに必要とな……」
ロウが再び目を見開いたとき、鋭い光が宿っていた。
「それはイレブンが、勇者であるからかの?」
低い声でカミュが尋ねた。
「じいさん、何者だ?」
片手を短剣の柄にかけながらの、半分戦闘態勢だった。
 カミュを素通りしてロウの目はイレブンに向かっていた。
「……十六年前に死んだと思っておったぞ」
イレブンを見る眼は鋭く、哀しく、そして狂おしかった。
「だからグロッタの武闘会で手のアザを見たときは、心の臓が止まるかと思ったわい。イレブンにどうしても見せておきたいものがあったんじゃ。すこしだけこの老人に付き合ってもらうぞ」
有無を言わせぬ口ぶりだった。こっちじゃ、と言いながらロウは背を向けて歩き出した。
 えっ、えっ、とイレブンは戸惑った。パーティが無言で彼の背を押し、ロウのあとについて廃墟の中を進んだ。

 ロウは、城壁の影にひっそりと置かれた墓の前で足を止めた。
「おじいちゃん。このお墓は?」
ベロニカが尋ねた。
「この国の……ユグノアの国王夫妻の墓じゃよ」
驚いてシルビアが手を自分のほほにあてそうになって、指を泳がせた。視線が仲間たちと交わった。何か言いたそうに手を動かし、言うはずだった言葉を掌に握りこんでつぶやいた。
「それってつまり、イレブンちゃんの……」
ロウは、墓石の表面に手をあてた。
「さよう。勇者イレブンの実の両親。すなわち十六年前に亡くなったわしの娘とムコ殿の墓じゃよ」
カミュが身を乗り出した。
「えっ?ということはあんた、イレブンのじいちゃん……?」
墓に向かい合っているロウの背中は小さく縮んで見えた。
「娘も死にムコ殿も死に……それでもわしだけが生き残ったことに意味があると。そう思わなければあまりにもつらすぎた」
ロウは振り向き、イレブンを見上げた。
「だから十六年間、わしは追い求めたのじゃよ。なぜユグノアは滅ぶことになったのか……。その原因を探るのを生きる目的としたのじゃ」
ロウは静かに手を差し出し、イレブンを墓の前にいざなった。握った右手を左手の掌でつつみ、首を垂れる。女たちは体に肘をつけ、男たちは肘を張り、期せずしてその場の全員が同じ祈りのしぐさを行った。
 ロウは墓石を両手でつかんだ。
「エレノアよ、アーウィンよ……。よろこべ。お前たちの息子じゃ。元気に生きておったぞ……」
冷たい墓石に額をつけ、しばらくロウは肩を震わせていた。
 やがてロウはイレブンと向き合った。
「よく戻ってきたな、我が孫よ」
イレブンは大きく目を見張り、何か言おうとして言えないようすだった。
「よくぞ……よくぞ生きていてくれた。こうして十六年ぶりに愛する孫と再会することができたんじゃ。このじいの頼みをきいてくれんかの?ユグノア王家には代々伝えられている鎮魂の儀式があってな。非業の死を遂げたエレノアたちを共にとむらってほしい」
ロウは先に立って進み、振り向いた。
「儀式は城の裏山にある祭壇でおこなう。おぬしも祭壇まで来てくれ」

 祭壇にたどりついたときは、もう日が暮れていた。ユグノア城の背後にある高山から、命の大樹から流れ出る清流が滝となって流れ落ちている。それを見上げる位置に、四隅に柱を立てた祭壇があった。使われている石はどれも古く、彫り込まれている文様もすり減ってわからなくなっていた。
 基壇の上に、あの女武闘家マルティナが立っていた。一行が近づくと、マルティナは片手を喉の下に当ててささやくように言った。
「お待ちしておりました、ロウさま」
マルティナの後ろには大きな板石が立ち、その前の供物台に見える部分に木の枝や香草らしいものが集められていた。
「うむ。支度は済ませてくれたようじゃな。ごくろうであった、姫よ」
ロウがねぎらうとマルティナは静かに一礼した。
 シルビアは人差し指を顎につけた。
「あら、アナタは……」
マルティナは両手を上げて手のひらを見せるようにした。
「皆さん、下がって。鎮魂の儀式はユグノア王家のおふたりのみでおこなわれるので、こちらにどうぞ」
ロウとイレブンのみが祭壇へ近づいた。
「ではイレブンよ、わしのマネをするのじゃ。よいな」
「はい……ロウさま」
 マルティナが身じろぎした。なんとなくカミュには、彼女の気持ちがわかった。“はい、おじいさま”と言ってあげてほしい、そんなところだろうと思った。
――あの独り言を聞いちゃ、そう思うよな。
“あまりにもつらすぎた”、国も城も家族も失った老人が墓の前で漏らした本音は、家族を持たないカミュの心にも響くものがあった。
 ロウは石の供物台の上の香草に松明を近づけ、火をつけた。イレブンも、松明の火を草にうつした。
 草も枝も燃えて、夜の闇が訪れた空へ淡い紫の煙を立ち上らせた。ゆっくりと空へ上っていく紫煙の行方をロウはじっと眺めた。
「人は死ねば皆命の大樹へと還ってゆく。あの大樹の葉1枚1枚が人の魂と言われておる。されど……魔物によって非業の死を遂げた者は未練を残し、この世を迷うという……。そんな魂を救う儀式がこの地に伝わっておる」
静かにロウが語るのをイレブンは黙って聞いていた。
 ふと視界に白いものが入ってきた。眼をやると、それは白く光る蝶だとわかった。
「見よ……。煙の香気につれられて光り輝く蝶たちがやってきおった」
炎を恐れもせず、次から次へと光の蝶はやってきた。香草の煙にまとわりつくように集まってくる蝶の群れは、紫煙と一緒に夜空を目指した。
「この蝶を人の魂と見立て命の大樹へと送る。それをもって死者のなぐさめとするのじゃ」
見上げる夜空は紫紺の色、光の蝶はその空を埋め尽くす大群だった。光の蝶は煙と共に蛇行しながら、夜空に浮かぶ命の大樹を目指して登っていく。まるで白く輝く階段ができたかのようだった。
 カミュをはじめパーティも、光の階段が淡く輝く大樹のコアへ向かうのをしみじみと眺めていた。
 香草が燃え尽きて光の蝶はやっとまばらになってきた。それを見上げてロウが言った。
「イレブン。苦労をかけたな……しかし、ならばこそ、こうしておぬしと出会うこともかなった。ひとえにエレノアの導きであろう」
エレノアの名をつぶやくとき、ロウの声はかすれた。流れ落ちる涙を払うようにロウは首を振り、まだ煙をあげている祭壇の方を向いてしまった。
「ロウさま」
「……すまん。しばらくひとりにしてくれ」
子に先立たれた老人の頭上を、最後の蝶がひらひらと舞い、燃え残りのほの白い煙の中を飛び去って行った。

 死者を悼むロウを残し、イレブンは一人祭壇を離れ、降りてきた。岩にもたれてカミュはその姿を見守っていた。
 イレブンベビーはしょんぼりしていた。カミュと視線をあわせ、“いたたまれないよ”と無言で訴えた。
「おつかれ」
とカミュは低い声でささやいた。
「じいさんと一緒にいるあの女の正体……さっきの話でようやく確信が持てたぜ。たぶんあいつは死んだことになっていたデルカダールの王女、マルティナ姫……そういうことだよな?」
うん、とつぶやいてイレブンはうつむいた。唇をきゅっと結び、妙にかたくなな態度だった。
 カミュは人差し指でイレブンの額を軽くついた。
「おい、お前もっといい子じゃなかったか?」
非難されたと思ったらしく、イレブンは小さい声で抗った。
「ぼくの祖父は、じいじだけだよ」
“人を恨んじゃいけないよ”、そう言い残したイシの村の住人テオを、イレブンは親しみと甘えと感謝を込めてじいじ、と呼んだ。
 カミュはあごで祭壇のほうを指した。
「じいさまの身になってやれよ」
イレブンはうつむいた。
「わかってる。ぼくがいけないんだ」
「ほんとは好きだろ?」
あの抽選会の時、影のイレブンベビーはロウにあれほど懐いていたのだから。イレブンのほほが少し赤くなった。
「うまく言えないよ。ボクの心の中でテオじいじのいる場所が、ほんとはロウさまのいる場所だったなんて。なんか、困る。時間が立てばたぶん、納得できると思う」
「まあ、そうかもな」
「カミュ……」
カミュは手を伸ばし、自分より少しだけ背の高いイレブンの髪をくしゃくしゃかき回した。
「そこらへん、歩いてこいよ。頭冷やせ」
こくんとうなずいてイレブンは歩き出した。
「あんまり遠くへ行くんじゃねえぞ?」
答えはなかった。
 そのままその夜、彼は戻ってこなかった。

 イレブンが目覚めたのは、どこかの小屋のようだった。ベッドの近くに暖炉があり、火が燃えていた。外は暗く、しきりに雨が屋根に当たる音がしていた。
 最初自分がどこにいるのかわからなかった。その日の宵、ユグノアの城跡で両親のために鎮魂の儀式を行い、そのあとマルティナと二人で話をしながら山道を歩いていた。
――そうだ、グレイグ!
 あのとき二人はデルカダール兵に見つかり、追われていた。デルカダール兵を率いていたのはグレイグだった。雨の夜、川の上に突き出した断崖の上でイレブンはグレイグと剣を交え、足もとの土が崩れたために川へ落下した。
 落ちていくイレブンが最後に見たのは、こちらにむかって手を伸ばしながら崖から飛び出したマルティナの姿だった。
 そう言えば彼女はどこに行ったのだろう。まさか捕まったのでは。小屋のドアから出ようとしたとき、外から先にドアが開いた。緑のブーツと巻きスカートの若い女、マルティナだった。彼女は腕に木の枝を大量に抱えていた。暖炉の火も彼女だ、とイレブンはやっと気づいた。
「よかった。気がついたのね、イレブン」
片手を口元に当て、つつましやかにくしゃみをした。
「外はまだ雨よ。服もぬれているし、暖をとりましょう」
 採ってきた木の枝を、マルティナは暖炉に投げ入れ、毛布にくるまって暖炉の前に座った。イレブンも毛布にくるまっていた。ぬくもりがじわりとしみわたった。
「キミを助けられてよかった」
とマルティナが言った。
「十六年前……キミを抱いたエレノアさまに連れられ私はユグノア城を脱出したわ。でも魔物の集団に追いつめられ……。エレノアさまは私にキミを預けるとおとりとなって私を逃がしてくれた。それなのに……!」
マルティナはうつむいた。
「魔物に見つかり、幼く非力だった私は逃げる途中で川に落ち……キミを……手放してしまった……!あの後ロウさまに助けだされたのが私ではなくせめてキミであったなら……と何度も思ったわ」
せつなそうな表情でマルティナは宙を見上げた。
「……ロウさまはお父さまをそそのかしている者が背後にいるはずだとおっしゃっていたわ。お父さまを利用しているのは誰なのか、真実を明らかにするため、私とロウさまは旅に出たのよ」
マルティナは唇を噛んだ。
「でもまさか、グレイグが来るとは……。もしも、もう一度襲われたら次は逃げきれるかどうか……」
ばちっと音を立てて薪が燃え、火の粉を空中にまき散らした。その行方を見つめ、二人は同時にためいきをついた。
「今度はぼくも戦うよ。あの、助けてくれてありがとう」
マルティナは小さく微笑んだ。
「そうね、キミは仮面武闘会のチャンピオンですものね。不思議な気がするわ。十六年の間私にとって、キミは小さな赤ちゃんだったのよ。それが、こんなに大きく、強くなって」
マルティナは首を振った。
「ときどきロウさまと話したわ。キミがどんな男の子に育っているか、って。そんな話をしたあとロウさまは、ああいう方だから隠してはいたけど、やっぱりひどく落ち込んでいらした。キミはもう亡くなったと、心の底ではあきらめをつけようとしたのでしょう。でも、キミは生きていた」
 マルティナは深く息を吐き出した。
「イレブン、お願いするわ。ロウさまのこと、おじいさまと呼んであげてくれないかしら?」
イレブンはためらった。マルティナはじっとイレブンを見ていた。