アクロバットスター 3.正真正銘のバケモン

 ダーハルーネ郊外にある霊水の洞くつへは、馬で移動することになった。ヤヒムのために早く薬をつくってやりたい、特にセーニャがそう主張していた。ヤヒムのためにあのツンツンした黒髪の男の子ラッドが、ベロニカの杖を盗もうとしたことは承知の上で、セーニャはそう言った。
 いろいろとトロい妹ではあるが、こういうところは絶対に筋を曲げないわね、とベロニカは思った。
 騎馬の列は長く続いた。先頭はリーダーのイレブン、その後ろが気をはやらせたセーニャだった。シルビアの馬はイレブン、セーニャのすぐそばを走っていた。が、しばらくすると一馬身ほど下がって来た。
「カミュちゃん?」
「おう」
「ダンジョンよね」
「ああ」
「バトルメンバーに入るでしょ?」
カミュは手綱を短めに握って横を見た。
「何が言いたいんだ、おっさん」
「こう言いたいのよ、カミュちゃんはイレブンちゃんの暴走を食い止める安全弁なのよって」
とっさに声が出なかった。シルビアは真顔だった。
「シルビアさん、見えるの?」
ずばりとベロニカが聞いた。ベロニカはカミュの乗っている馬の鞍の後ろにまたがり、カミュの背につかまっていた。
 シルビアは首を振った。
「いいえ、ベロニカちゃんが見えているようなものは見えないわ。魔力が違うんでしょうね。でもイレブンちゃんの性格が入れ替わることはわかるわ。戦ってるときはなんか、違うでしょ?」
カミュは咳払いをした。
「オレはあいつを『サイコ』って呼んでる。はっきり言って、血に飢えた戦闘狂いだ。ヤツは守りも回復も知らない。とにかく目の前にあるもんを倒すまで攻撃し続ける」
「それで戦いが終わったとたん、『ふぅ』みたいな声をあげて元のあの、ぷにぷにぽてぽてした生き物に戻るわね」
やっぱり観察していたらしかった。
「そいつは『ベビー』だ。最初は剣を持つことさえ嫌がった。剣術が下手なんじゃなく、敵でも殺したくないらしい。幸い素直なタチなんで、教えればちゃんと戦えるようになった」
 前を行くイレブンは『ベビー』状態であるらしく、ときどき地図を眺めながらごく落ち着いているようだった。
「何がきっかけで入れ替わるの?」
「戦闘の時、というか、自分のレベルに比べて強いと感じる敵の時はまちがいなく『サイコ』が出る。けど、このあいだ青蜂が暴走したときも交代していたから、戦闘だけが条件じゃない」
ふ~ん、とシルビアは鞍上で考え込んだ。
「あれはどういうことだったの?」
とベロニカが言った。
「戦闘じゃないのに『ベビー』と『サイコ』が交代したなんて」
「あいつが出るのは戦闘中とは限らねえよ」
とカミュが振り向いて言った。
「初めて『サイコ』を見たときは、脱獄中だった。まあ、兵士とかドラゴンとかに命を脅かされて続けたわけだが」
「けどダーハラ湿原じゃ、イレブンの命は別に危険じゃなかったのに」
う~ん、とカミュがうなった。
「パーティが脅かされてもイレブンは人格交代するってことかな。覚えておいた方がいいな」
あのね、とシルビアが言った。
「こうは考えられない?あの子は、自分の手に余る事態になったと思った時、解決のために人格を交替するんだ、と」
「手に余る、ねえ」
「そうよ。で、その結果、やみくもに攻撃しまくる。でももう一度ベビーに戻ると、傷つけたことを後悔して悲しくなる」
カミュは片手の指を後頭部の髪にさしいれてわしわしとかいた。
「なんで後悔するんだろうな。怖ぇ、やべぇと思ったらとにかくぶちかます、これはアリだろ?先手必勝ってやつ。この年までオレはそうやって生きてきたぜ」
「カミュちゃんだって、最初は怖くなかった?」
とシルビアは言った。
「まあな。けど、たった一人で生きていくってのは、そういうことだ。いつのまにか慣れたな。これはこれで一つの勇気だろ?」
シルビアは首を振った。
「今のイレブンちゃんの、あれは勇気じゃない、相手をねじ伏せようと言う血に飢えた意志なのよ。あのままじゃあの子、戦うたびに少しずつ憎悪で狂っていくんじゃないかしら」
「それはちょっと困るんだけど」
せっかく見つけた勇者が、とベロニカは思う。
「さっき、カミュが暴走の安全弁だって言いましたよね」
「そうなのよ。イレブンちゃんは心の中で、カミュちゃんがいればだいたい解決してくれる、と思ってるんじゃないかしら。湿原のときは、カミュちゃんがセーニャちゃんとベロニカちゃんを助け出したとたんにおとなしくなったもの」
そうかもしれない、とベロニカは思う。
「だからカミュちゃんは、可能な限りイレブンちゃんのそばにいてあげて」
「オレはあいつの母ちゃんじゃねえ」
「相棒でしょ」
「そりゃ、まあ」
 前の方からイレブンの声が聞こえてきた。
「カミュ~、洞窟行く前に、あっちのキラキラ見てきてもいい?」
寄り道大好き勇者は、心の底から楽しそうだった。
「すぐ戻って来いよ~」
とカミュは声をかけた。
 この時点でパーティは、この先すぐに勇者の安全弁が消えうせる事態になるとは、思ってもみなかった。

 ヤヒムたちの依頼で霊水の洞くつへ“さえずりのみつ”を作りに出かけたのは、前日のことだった。キャンプで一泊しただけだというのに、ダーハルーネへ戻ってくると街は雰囲気が一変していた。
「まあ……ちょっと見ない間に町はすっかりコンテストの雰囲気ですわね!イレブンさま、ほらご覧ください!」
 町はにぎやかに飾り付けられていた。中央正面のコンテスト会場は赤と白のらせん模様の柱がいくつも立って華やかになり、運営側の人々が集まってさかんに何かやっていた。そして観光客も増え、それを目当てに土産物屋も増え、すっかりお祭り気分となっていた。
 シルビアはぎゅっと両手を握りしめた。
「や~んロマンチックじゃない♪もうすぐあのステージの上にイイ男たちが勢ぞろいするのね」
シルビアは振り向いた。
「ねえイレブンちゃん、カミュちゃん。ヤヒムちゃんの顔も見たいしさえずりのみつはアタシたち女3人で届けてくるわね」
「え~と」
答えに窮したイレブンに、シルビアはにこ、と笑った。
「その代りアナタとカミュちゃんにコンテストの場所取りをしておいてほしいの。イイ男がよく見える場所を取っておいてね」
当たり前のように歩き出し、セーニャ達もついていった。
 カミュは、あきれたときの癖で後頭部をかいた。
「面倒くさい仕事は全部男まかせかよ……。まあいいや。やることもないし。とりあえず広場まで行ってみようぜ」
 大通りの両側では屋台の前でさかんに客引きが呼びこんでいる。人の流れに乗るようにしてイレブンとカミュは大通りを奥まで歩いていった。
 ステージへ近づいたとき、商人風の男が話しかけてきた。
「おやそちらのお兄さんたち!おふたりともサラサラツンツンと髪型が決まっていて男前ですねぇ~!そんなに男前なのに見物とはもったいない!ぜひ海の男コンテストに参加してください!」
なぜか拳を握って力説してきた。
 カミュは片手を腰に当て、もう片方の手を広げた。
「おいおいオッサン。オレたちはコンテストなんかに付き合ってる場合じゃ……」
カミュはふと顔を上げた。
 ステージの上からこちらを見ている者がいた。銀の鎧、赤いマントの男だった。
「……おいイレブン、あの男怪しくないか…?」
銀の軍靴がステージを踏む。鋭い目つきの若い男だった。片手で金の前髪をはねあげ、眩しそうに目を細めた時、酷薄な表情になった。
「……フッ。逃亡者は人混みに紛れるもの。このコンテストを利用し貴様をあぶりだそうと画策していたがその必要はなかったようだ。まさか人目もはばからず堂々とコンテスト会場にやってくるとはな」
カミュは背筋が逆立つのを感じた。
「ヤツのあの鎧……まさか……」
英雄グレイグの黒の鎧と対になる、白の胸甲に金の鷲を描いた鎧は、グレイグと共に双頭の鷲と謳われる知将、ホメロスのそれだった。
 ホメロスはいきなり両手を広げ、声を張り上げた。
「聞き給え、ダーハルーネの民よ!私はデルカダール王の右腕、軍師ホメロス!そして……」
海の男コンテストのために集まっていた人々が何事かと耳をそばだてた。
 ホメロスはまっすぐイレブンを指さした。
「あの者こそ悪魔の子イレブン!ユグノア王国を滅ぼした災いを呼ぶ者だ!」
浮かれ気分は雲散霧消した。
「ちっ……逃げるぞ、イレブン!」
二人が踵を返そうとしたとき、デルカダール兵が剣を抜いて集まってきた。総勢十人ほど。戦うか、逃げるか。迷っている間に二人はじりじりとステージの上に追い詰められた。ステージ上にいたホメロスが歓迎するように両手を広げた。真横からもデルカダール兵が飛び出して来た。兵士たちは二人を取り囲んだ。
 ホメロスの掌が上がり、人さし指がイレブンへ向いた。
「さあ忌まわしき悪魔の子イレブンよ!おとなしく我が手中に落ちるがいい!」
仲間はいない、本格的な戦闘の用意なんかしていない。
「おいおいマジか……?」
一人が斬りかかってきた。
「落ち着け、イレブン!」
カミュは声をかけた。
「デルカダール兵と戦うのは、これが初めてじゃないだろう!一人ずつ片づければいける!」
「わかった!」
頭上の刃をイレブンは盾で受け止めて跳ね返した。
 戦闘そのものはそれほど苦しくはなかった。が、兵は十名どころではなかった。
「くそっ……!!いくら倒してもキリがねえっ」
短剣の柄が血で滑りそうになった。
「むだなあがきはやめるんだな。さあ、おとなしく……」
そうホメロスが言った時だった。
「まちなさぁ~いっ!!」
妙に浮かれた感じの声がかかった。ホメロスがあたりを見回した。町の大通りにベロニカとシルビアの凸凹コンビが立ちはだかっていた。
 シルビアはホメロスに指をつきつけた。
「アタシのイレブンちゃんにおイタする子はお仕置きよっ!」
同じポーズでベロニカが叫んだ。
「お仕置きよっ!!」
 カミュは、こんなときだが、ほほが緩んで笑いたくなった。どう見てもイロモノコンビだった。たぶんホメロスには、あの二人の恐ろしさはわからないだろう。
「おいなんだあいつらは!警備の者たちは何をやっている!!」
追い払え、とホメロスは部下に命じた。
 そのわずかな時間でベロニカは両手の中に火球を生み出していた。
「昔の魔法使いはいいこと言ったわ」
ノリノリのシルビアが煽った。
「ランク落として数で勝負よ、ベロニカちゃん!」
聖地ラムダの天才少女がメラの乱れ撃ちを始めた。
「ほらほらっ!サッサとどかないとヤケドするわよっ」
 兵士たちはあわてふためいた。乱舞する火球に当たればダメージ、良くてヤケドである。剣でどうにかなる相手ではかった。
「どわああああーっ」
ホメロスが舌打ちした。
「……チッ。まだ仲間がいたとはな」
ようやくホメロスは、相手がただの小娘と道化師ではないと気づいたらしい。
「さっさと取り押さえろ!」
兵士たちを連れてホメロスが前に出た。イレブンとカミュは、逆にじりじりとあとずさりした。
 階段下からセーニャが顔を出して手を振った。人差し指を唇の前に立ててからささやいた。
「さあイレブンさま、カミュさま、こちらにお逃げください」
ちら、とイレブンはホメロスを見た。完全に背を向けていた。今だ、と二人はうなずきあって逃げ出した。
 セーニャを先頭にイレブン、カミュの順で三人は灯台の方へ走っていた。カミュが振り向いた。ステージの上のホメロスがこちらを見ていた。気付かれた、と思った時、ホメロスの手の中に紫の魔法弾が生まれようとしていた。
「イレブン、あぶねぇっ!」
ドルマ系の魔法弾がうなりをあげて進んでいく。カミュはその軌道へ飛び出し、身をもって遮った。紫の魔力はカミュの胸で爆発した。その場にカミュの身体が転がった。
 ホメロスは舌打ちした。あごをしゃくると部下のデルカダール兵が一斉に捕獲に走りだした。
「カミュさまっ」
セーニャが悲鳴を上げた。おろおろしながらイレブンが手をさし出した。
「は、早く」
カミュはその手を払いのけた。
「オレのことはかまうんじゃない!イレブンお前だけでも逃げるんだ!」
 セーニャがうなずいた。いきなりイレブンの手をつかんで走り出した。ひきずられるように走りながら、イレブンが振り向いた。泣きそうな顔をしていた。
 デルカダール兵士が集まって来た。両手首が背中へねじあげられた。
「抵抗すれば殺す!」
身体を押さえつけられながら、次第に遠ざかっていくイレブンを一回だけ見上げ、カミュはほっと安堵の息を吐き出した。

 いかにも汚らわしいと言う表情でデルカダールのホメロスは、白い鎧の手甲から絹の手巾で汚れをぬぐった。
 勇者イレブンの居場所について、捕らえた盗賊は頑として口を割らなかった。ついにホメロスは指先まで覆う金属の手甲で、若い盗賊の顔を平手打ちにしたのだった。
 口の中を切ったらしく、若者の唇に血がにじんだ。手甲にも手巾にもその血がついていた。
「理解できんな」
冷たくホメロスは言った。
「なぜあの小僧をかばう。おとなしく吐けば解放してやるというのに」
両側からデルカダール兵士に腕を拘束された盗賊の若者は、いためつけられた身体をかばうかのように前のめりになっていた。
「ごめんだね」
低い声でイレブンの仲間は答えた。
「カミュと言ったな。イレブンとは牢獄で隣だった、それだけの縁が、それほどに大事か」
「あんたが気に食わないだけだ」
ホメロスはもう一度平手打ちを見舞った。歯の一つ二つ、ぐらついているかもしれない。
「まあいい。おまえが意地を張ろうと張るまいと同じことだ。今、私の部下が町中を捜索している。部下たちにはイレブンに聞こえるように、出頭しなければおまえを殺すとふれまわらせた」
ぴく、とカミュが身じろぎして、かすかに顔を上げた。
「フッ……。どうした、怖いか?勇者に見捨てられるのが」
クククク、とホメロスは笑った。
「いまごろあいつは悩んでいるだろうな。それとも、一緒にいた仲間とともに逃げる算段をしているのかもしれないな。無駄なことだ。今のダーハルーネはデルカダールの支配下にある」
 野生動物のような底光りのする目で、カミュは上目遣いにホメロスを見上げていた。
「そうだ、明日の朝までにイレブンが出てこなければ、おまえはこのステージの上で首を斬ってやろう。それがいやなら、あいつに聞こえるように叫んでみろ、『助けてくれ、見捨てないでくれ』とな」
カミュの唇が動いた。
「何と言った?」
ホメロスはわずかに顔を寄せた。
「バーカ」
ホメロスは絶句した。カミュは、笑っていた。
「きさま!」
カミュはせせら笑った。
「あのな、お前が今呼び寄せようとしているのは、正真正銘のバケモンだぞ」
ホメロスはむっとした。
「もともと悪魔の子なのだ」
「あんた、本当は信じてないよな、それ。まあ楽しみにしてろよ。仲間のオレたちだってやっとこさでコントロールしてるんだ、アレは」
ホメロスは薄笑いで応じた。
「若いな。勇者が頭に血をのぼらせているならそのほうが捉えやすいのだ。勢いだけでどうにかなると思うか」
「勢いだけじゃねえ。パーティには俺の他にもう一人、あいつをコントロールできるやつがいるんだ。首を洗って待ってろよ、軍師の旦那」
ホメロスはこぶしをつくって何度目かにカミュの腹へ叩き込んだ。うっとうめいてカミュがうつむいた。
「キャンキャンうるさいぞ。おい、こいつを縛り付けろ。勇者たちからよく見えるようにな」
 カミュは改めて縄で柱のひとつに縛り付けられた。荒縄が上腕にくいこむのを感じながら、イレブンのことを考えた。
 街はデルカダールの支配下にある、とホメロスは言っていた。逃げ切るのは事実上不可能だろう。おそらくイレブンは来る。問題は、あいつの安全弁、つまり自分が、今パーティにいないということだった。
――なんとかあいつの正気をもたせてくれ、たのむ、シルビア。