炎のサントハイム 8.宝物庫の対決

宝物庫の対決

それは、日課に近くなっていた。
 引継ぎなどを説明する合間をぬって、かつてアリーナが通っていた下働きが集う場所を巡るのは癖だった。
 この後に及んで自分がどうしたいかも、決心がつかなかった。
 先日言ったラグの言葉が、心でリフレインしている、 ”…本当にそれが、一番大切なんですか?”
(他に、大切なことなんて…あってはいけないんです、ラグさん)
 毎日言い聞かせるように、心でそうつぶやく。
 幸せをただ願うこと。祈ること。それだけが自分にできること。
「あ、クリフトさん、ちょいと聞きました?」
 台所を守る下働きの婦人に、クリフトは意識を外へと戻した。
「どうかしましたか?」
「あのさ、アリーナさまの婚約者、どうなんだい?」
「…よい方だとうかがっておりますが、何か問題でもあったのですか?」
「いやさ、噂なんだけどさ。」
 そう言って女は声をひそめた。
「昨日見た人がいるんだよ、城の中でデイル様が他の女と抱き合ってたって。たいそう綺麗な女の人でね。仲良さそうに抱き合ってたんだってさ。どういうことなんだい?」
 クリフトの思考が止まった。
「今、うちらの間でその話題が持ちきりだよ。もしやデイル様に他に恋人がいるのかい?」
「何かの、見間違いでは?…噂と言うのは無責任なものですから…」
「それがさ、何人か目撃されてるんだよ。一人や二人じゃないんだ。会話までは聞こえなかったけど、女の人は嬉しそうに微笑んでたって話だよ。」
「…もしアリーナ様の耳に届けば、アリーナ様が傷つかれます。ご内密にお願いします。」
 それだけ言うと、クリフトは礼拝堂へと引き返した。
「どうされましたか、クリフト様?」
 そこにいたのはデイルの紹介だと言うクリフトの後任、マクスウェル。
「つかぬ事をお聞きします。…グローサー様に女性のご姉妹はいらっしゃいますか?」
「いえ、デイル様にご兄弟はいらっしゃいませんよ。ご家族とも縁遠くいらっしゃいますから…」
「そうですか変なことを聞いて申し訳ありませんでした。…グローサー様は今、どこにいらっしゃるでしょう?」
「いえ……ちょっと分かりませんね。この城ではあまりお会いしておりませんから。」
「それはそうですね。すみません、少し席をはずします。」
 くるりと引き返す。そうして、デイルを探すために、城内を走った。

 息を切らせて城内を走り、体力がつきかけたころ、一階の廊下でデイルに会った。
「…クリフト様、お探しとのことですが、どうなさいましたか?」
 にっこりとさわやかに笑うデイル。
「申し訳ありません、わざわざ足を運んでいただいて。…少々お尋ねしたいことがありまして。…よろしいでしょうか?」
「それは大丈夫ですけれど…ここではなんですね。これから宝物庫に用事があるのですが、よろしかったらそこでではどうでしょうか?」
 デイルは鍵を見せながらそう言った。クリフトは頷いた。

「それで、ご用件はなんでしょうか?」
 宝物庫は意外なほど広かった。かつてモンスターに荒らされていた頃は、さまざまな物が雑多にあふれていたのだが、今はきちんと整理され、ちょっとした広間くらいのスペースがあった。
「…その…」
 何も考えず走ったせいだろうか。不思議と迷いがなかった。
「グローサー様に女性のご姉妹はいらっしゃいますか?」
「いいえ。」
「…お生まれはどこですか?」
「…どうなさったですか?クリフト様?私の生まれが重要なのですか?身分がつりあわないからでしょうか?」
 デイルの言葉に、クリフトは首を振った。
 本当に不思議なほど心の迷いが晴れていた。
 まだ完成していないパズルのピースを一つ一つ組み合わせていく。
「ずっと、違和感を感じていたのです。最初から、貴方に。」
 デイルは無表情だった。そして、クリフトも無表情だった。…そうして見ると二人はとてもよく似ていた。
「…それは、なんですか?」
 だが、そう言って笑ったデイルの顔は、恐ろしいほどに邪悪だった。

 叩かれた、ノックの音。しばらくの間の後、扉が開く。
「こんにちは…お邪魔します。」
 そういうラグの後ろに、マーニャとミネアがひょっこり顔を出す。
「あら?クリフトさん、今日はいらっしゃらないのね。」
「ねえ、あんた、クリフト知らない?」
 すぐ横にいた神官に、マーニャがそう問いかけながら、近づいた。
「マーニャさん!駄目です!!」
 ラグがマーニャの腕を引き寄せる。そして今までマーニャがいたところに、鋭い爪が通り抜けた。
「翠の髪…白銀の剣…お前は『勇者』だな!!」
 男の言葉にラグは苦笑いをし、マーニャは口笛を吹いた。
「さすがラグ、顔が知れ渡ってるじゃない?」
「顔じゃなくて、容貌みたいですけどね…。僕、あんまり嬉しくないです。」
「ラグがそれだけ頑張った証拠ですわ。」
 のんびりと三人で話しているのを見て、男が逆上した。
「ずいぶんと余裕だな!お前たちはここで死ぬのだぞ!」
「どうして、僕たちに攻撃されたんですか?」
 それはむしろ優しげな声だったが、男の勘に触ったようだった。
「面倒なことになりそうだからだ。気がついているんだろう?」
 その言葉ににやりとマーニャが笑う。
「まあね。」
「調子良いわね、姉さん。ラグに言われるまで気がつかなかったくせに。」
 ミネアのあきれた声は、男には届いていなかった。
「こんな体などこんな計画など最初からするべきではなかったのだ!!こんな忌まわしき人の姿に化けるなどなんという屈辱だったのだ!!もういい、皆の者!本能のままにこの城を攻め潰せ!!」
 神官はそう吼えるように叫んだ。そしてその声が消えぬうちに、人の姿をやめた。

 それは蝙蝠の羽を持った、醜いモンスターだった。
「お前たちも、この王も、あの神官も、姫とやらも全て滅ぼしてやる!!」
 後ろには、城の人間の悲鳴。そしてさまざまなモンスターの吼え声。
「デイルも甘っちょろい。最初からこうしていればよかったのだ!!」
 三人は、その声を聞いていなかった。
「急がないと、お城の人たちが危ないです。」
「そうですわ、早く行かないと!」
「デイルが親玉みたいだしね!!」
 そう言って、三人は構えて、目の前のモンスターへ一気に走った。ラグの剣がマーニャとミネアの呪文がすぐさま炸裂した。
 …そのモンスターが天に召すまで、ほんの一呼吸の間さえなかった。

 平和な王の間。
「どうしたのだ、まったくうっとうしいな、お前は。」
「そりゃ冷たい言葉ですな、王。わしももうすぐ引退なんじゃ、その前に王の側に仕えていてもおかしくはなかろう。老人にそのような冷たい言葉を言わんで欲しいもんじゃな。」
 王の冷たい視線を撥ね退け、ブライはこの数日、常に王の側に侍っていた。
「まったくお前は。都合のいいときだけ老人ぶるのだな。」
「そりゃ失礼ですぞ、王。わしゃ立派な老人じゃ。」
「ならば年寄りの冷や水だ。とっとと隠居しろ。」
 王がそう軽口を叩いたときだった。
 一人の新人兵士が、ゆっくりと王に近づいてきた。
「なんだ?どうした?」
 王がそう言ったとたん、ブライが王の前に立ちふさがった。そうして。
 兵士が姿を変え、吼えると同時に氷の呪文を放っていた。

「な、なんだ、これは。どういうことだ?」
 気がつくと階段口には大勢のモンスター。
「お、王様!兵士たちが…兵士たちがモンスターに!!」
 震えているのは、かつてあの地獄を味わった、兵士たちだった。
「王、王だけでもお逃げください…数々の人間が、モンスターが化けていたものだったようです!せめて王だけでも!」
「静まれ!!」
 不安に震える兵士を一喝したのは、ブライの渋い声だった。
「わしがおる!クリフトがおる!姫がおる!あの時とは違うのじゃ!!」
 そういいながらも、モンスターへの攻撃を緩めない。
「やがて、ここにかの勇者が参る!!あの時と同じにはならん!!してはいかんのだ!!それまでわしらの手で王を守れ!!」
 その様を見て、猛らない男はいなかった。
「はい!!」
 兵士たちの意気はあがる。王を守るもの、モンスターを討ちに行くもの。行動はそれぞれだったが、心は一つだった。
 強い意志を持って立ち向かっていく人間。それはなによりも強かった。

「…私は、様々なところを旅して、世界中の様々な方とお話をしてきました。」
「ああ、先の闘いのことですか。貴方のご活躍はよく知っておりますよ。」
 デイルはにこやかにそう言った。…それでもどこか投げやりだったのはクリフトの気のせいだろうか。
「ええ、たくさんの噂話をして、とても多くの人と話しました。様々なお話がありましたよ。伝説の宝の話、世間話もありましたし…そう、モンスターに関する事も、ね。」
「それはそうでしょう。今ならばともかく、当時のモンスターの勢いは恐ろしかったですからね。わたくしも何度命を落としかけたか…」
 デイルの言葉に、クリフトは頷き話をすすめた。
「ええ、特に頂点にたつ魔王の事は、皆様に恐れられておりましたから、様々な町で話題になっておりました。武道大会のあったエンドール、魔物に支配された城があるこの大陸の方々…様々な方の情報があって、私達はその男に辿り着きました。…貴方も、当然ご存知ですよね?その名を。」
 デイルの目が、鋭く光る。
「…いったい何がおっしゃりたいのでしょう?当然です?元々行商人からスタートしたのですから!人との交流や情報なくして、商売はできない!!それくらいこと知らなくてどうするというのです?!!」
「ええ、貴方は確かにご存知でした。貴方からその名を言っていたのも私は確かに聴きました。『君があの、アリーナ様のお供をし、ピサロを倒したという導かれし者の一人』と、私のことを褒めていただけましたよね。」
 ホッとしたように、デイルは言う。剥がれた化けの皮を戻して。
「ああ、覚えていらっしゃいますね、安心しました。」
 それでも所々、隠し切れない化けの皮が剥がれてきているのが、クリフトにはおかしかった。元々、自分に感じた、デイルの敵意。…そして殺気。それは、全てここに集約する。
「先ほど言いましたね、私は世界中の様々な方とお話しましたと。」
「ええ、それはそうでしょうね。魔物も世界中に圧倒的な力を持って溢れていましたから。世界中を旅しなければ、世界など、とても救えなかったでしょう。」
「ですが、覚えておいて下さい、私は三種類しか知りませんでした。」
「…世界に三種類の人間しか、いないとおっしゃるんですか?クリフト様は。」
 デイルはあざけるように笑う。クリフトは首を振る。
「いいえ、ある言葉を言うものは、私は三種の属性を持つものしか知りません、ということです。」
「三種の…属性…?」
「…属性と言うより、集団と言った方が近いかもしれませんね。一つ目は、私達…勇者の仲間、導かれし者と呼ばれるものです。」
 そうして、クリフトはデイルをみつめた。それは犯人を追い詰める、探偵と同じ目だったかもしれない。
「二つ目は、ロザリーさん。デスピサロの恋人です。それ以外で……グローサー様、魔王デスピサロのことを『ピサロ』と愛称で呼ぶのは、デスピサロに忠誠を誓っていたモンスター以外、私は知りません…ありえませんから。」

「な…」
 うろたえるデイルに、クリフトは畳み掛ける。
「偶然だ、なんて否定はなさらないで下さいね。…あれほど恐れられていた魔王の愛称を呼ぶ…それが偶然なんてありえません。」
 崩した仮面を無理やりに戻しながら、デイルは続ける。
「たったそれだけの事で、貴方はわたくしをモンスターと決め付けると言うのですか?」
「私に答えはわかりません。ですが、ブライ様はこういっしゃいました。”わしらの仕事はまだ終わっていない”と。ですからお聞きしました。貴方の出身地はどこですか?ご家族は、どこにいらっしゃるのですか?」
 きっぱりとクリフトは言い切った。するとそれまでうろたえていたデイルは、表情を変えた。
「ははは…」
 クリフトは構える。
「あははははは!それが、どうしたと言うのです?」
「それは、どういう意味です?」
 さらりと髪を掻き分ける。
「わたくしは今は王にも認められたアリーナの婚約者としての地位がある。そして、なによりアリーナは今、わたくしに夢中でね。」
 勝ち誇ったようにデイルはクリフト告げた。
「お前一人が…いやブライもか。たかが神官とボケた老人の言葉と、信頼に厚い私の言葉。世間は、いいや、アリーナがお前と私のどちらを信用するか、少しは考えてみたらどうだ?」
「そんなの、クリフトに決まってるじゃない。」