炎のサントハイム 6.一番大切なのは

一番大切なのは

少しずつ城内が変わっていった。
アリーナの結婚の準備。
クリフトの留学の準備。
ブライの移転の準備。さまざまな引継ぎがなされ城の中がにわかに活気付いた。人も増え始める。

「お父様、ほめてたわ、デイルのこと。優秀だって。私なんかよりずっとすごいって言ってた。」
「いえ、アリーナの教え方がよろしいのですよ。それにアリーナが側にいてくれることで、私も頑張れます。」
そういって笑うデイルの顔は、本当にクリフトに良く似ていた。
あれから半月が過ぎようとしていた。ゆっくりと着実に結婚に向かって進んでいているのを感じ、正直アリーナはあせっていた。
「でもデイルもいいの?商売のお仕事あったんでしょう?」
「いえ、問題ありませんよ。親から引き継いだわけではありませんからね。いうなれば自分の趣味です。」
「でもデイルは、結構大きな商人だって聞いたわ。部下だっていたんじゃないの?」
「はい、ですがほとんど、サントハイム王が請け負ってくださいました。婚礼には人がいるからと。私も首にしなくてすんで、ほっとしております。」
「あ、新しく入ってきた人って、デイルの部下だった人なのね。デイルが紹介した人材、みんなとっても使えるってお父様言ってたわ。この間、デイルが紹介してくれた兵士も、とっても強かったし。」
「あれはうちで警護をやっていた者たちです。…こちらに来て首にするのは忍びない、とサントハイム王が言ってくださいって、その御好意に甘えてしまいました。」
「ううん、そんなの当然よ!気にしないで…」
ふと気がつくと、もう、後戻りができない状態になっていた。
考える余裕もなく。デイルに対する気持ちが何か、分かる余裕もなく。
着々と結婚の準備が近づいていた。
「初めてお眼にかかります、クリフト様。私が貴方の後任のマクスウェルと申します。高名なクリフト様の後任が勤まる自信はありませんが、どうぞ短い間、ご指導お願いいたします。」
誠実そうな神官だった。見覚えのない顔だ。
「いえ、こちらこそ、まだまだ未熟ですが、よろしくお願いします。」
そういって下げたクリフトの頭の中は、正直放心状態だった。
まだまだ時間がかかると思っていたのだ、新しい人が見つかるまでは。城勤めと言うとめったな人を雇えない。ゆえに、誰かの紹介か選考ということになるのだが…
「マクスウェル様は、どなたかの紹介ですか?」
これだけ早いとなると、おそらく誰かの紹介だろう。
「はい、グローサー様の紹介です。前にグローサー様の商売の手伝いをさせていただいたことがありまして。… でも、あのグローサー様が王族になられるとは思ってもみませんでした。」
「そう、ですか・・・」
「ええ、グローサー様ならきっと素晴らしい国政をなさいますよ。」
マクスウェルはそう笑顔で言った。その言葉にあいまいに言葉を返した。マクスウェルが去っていったのをみて、ため息をつく。
少しずつ、時が動いているのを感じている。もうあと戻りはできないこと痛感する。
ただ、実感がない。…もうアリーナと遠く離れてしまうことの実感が。
小さな頃から、ずっと側にあったのに。…それが『遠い』思い出になってしまうなど想像したことすらもなかったのに。そして、たとえ遠くにあったとしても、心は側にと、ずっと誓っていたのに。
(もう、それすら許されないのでしょうか…)
クリフトにとって、アリーナがいて、ブライがいることが『日常』だった。たとえ旅に出ても、城に誰もいなくなっても、この人たちとなら、自分の全てをかけて生きていけると思っていた。その思いこそがクリフトにとっての日常だった。
(私は、これからどうすればいいのでしょうか…どう生きていくことが、正しいのでしょうか…)
神はもはや遠く、女神に声は届かない。

祈りを中断する。遠慮されたノックの音に、クリフトは立ち上がった。
「はい、礼拝堂は開いておりますよ。」
「失礼します。」
少しずつ、光が漏れる。逆行で扉の向こうにいる人物は見えなかった。が、その声は忘れない。クリフトがアリーナ以外で、唯一命をかけられる相手だった。
「ラグさん!どうされたんですか…」
その名もラグ。先の戦いで世界を救った勇者であり、導かれし者たちのリーダーであった少年だった。
「お久しぶりです、クリフトさん。何も連絡せずにたずねてきてしまって、申し訳ありません。」
「いいえ、ラグさんなら大歓迎です。今日は、どうされたんですか?」
あの戦いから二年が過ぎ、ラグは19歳になっていた。以前よりは自信を持ち、堂々とした青年になっていたが、謙虚なところは変わっていないようだった。
「えと、特に用があるわけじゃないんですけど…。なんだか研修に行かれるとか…?」
「あ、はい。より神学を深く学ぶために、ゴットサイドに勉強させていただくことになりました…。とてもありがたい話だと思っております…。」
その言葉に、ラグが首をかしげる。
「クリフトさんは、行きたくないんですか?」
ずばりと聞かれた。クリフトは苦笑する。こういうところは変わっていない。
「そう…ですね、ずっとここにいるつもりでしたから。…嫌だとか行きたくないとかより戸惑っているのだと思います。」
「アリーナさんのことは…」
そう言いかけたラグの言葉を、クリフトはとめた。
「ラグさん!!」
そのきつい口調に、ラグは驚いた。
「あ、はい…?」
「アリーナ様は、婚約なさいました。喜ばしい、ことです。…私はその結婚式を執り行うために、学びに参ります。…ですから、どうかそれ以上は…。」
言葉とは裏腹の、哀しそうな表情だった。それを見ながらラグは優しく言った。
「僕は、クリフトさんが良いならそれでもいいです。」
「ええ。私はアリーナ様の幸せを願っているのです。アリーナ様が幸せなら…私は…それで、十分です。」
そう言って口を閉ざした。それは、事実なのに、どこか食い違っているような。
手に入れたかったわけではない。なにより大切だったのは…アリーナの、幸せなのだから。
そう言って黙ると、ラグは優しく笑いながら立ち上がった。
「僕、今日はこれで帰りますね。」
「あ、申し訳ありません、お茶もお出しできないで。」
「いえ、僕が勝手に来たんですから。」
そうして戸口に向かおうとして、ラグは振り向く。
「…クリフトさん。」
突然ラグが真顔に戻った。まっすぐ目を見て、クリフトに言う。
「クリフトさんが、一番したかったことって何ですか?一番大切なのは、何ですか?」
「それは、アリーナ様の幸せ…です。どなたと一緒でも、かまいません。私は、その方との幸せを望みます…」
そのクリフトの言葉は、あえぐように発せられた。優しい目で、ラグはそれを見つめた。
「僕は、クリフトさんが好きです。とても大切です。ですからクリフトさんの幸せのために、何かしてあげたいとそう思っています。…それがクリフトさんの一番大切なことなら…僕も応援したいと思います。…本当にそれが、一番大切なんですか?」
「…ラグ…さん…」
ラグのその目には、真実しか映らないよう気がした。そしてもう一度聞き返されると、答えられなくて。
翠の髪が去っていく姿を、ただ目で追っていた。