炎のサントハイム 2.クリフトの憂鬱

クリフトの憂鬱

 下働きが行き交う廊下。年も性別も違う召使いや兵士達が群れていた。
「アリーナ姫様に婚約者が現れたんだって?」
「へえ、あのおてんば姫にねえ。」
「でも実際、アリーナ様綺麗だし、優しいし…なんといってもお姫様だし…。」
「そりゃそうよ。けどまさかあのアリーナ様が、貴公子と結婚なさるなんて。」
「そうだよ、あたしゃ絶対どこかの剣士と結婚するかと思ってたよ。」
「そうそう、誕生日当日に来られた、あのごつい戦士、あんなのかと思ったよ。いい男だし、なにより強そうだ。」
「いやいや、それよりも翠の髪をした男の子。きれーな顔してたけど、俺にはわかる。ありゃ使い手だぜ。」
「噂話は感心しませんね。」
そこに割り込んだ声。そこには黒い髪の城付き神官…クリフトが居た。
だが、そんな言葉に黙り込む下働き達ではなかった。皆知っているのだ。クリフトがアリーナに親しく、そして自分達下々の者にも優しいという事を。…つまりクリフトは下働き達にとって、貴重な情報源なのだ。
「おや、じゃあクリフトさん。あたしたちに教えておくれよ。本当の所はどうなんだい?」
「え?」
「え?じゃないよ。あたしたちはよく判らないから憶測を語り合ってた。真実がわかれば噂なんてしないよ。ささ、教えておくれ。アリーナ姫は婚約されたのかい?相手はどんな方なんだい?」
おそらく調理場を仕切っているおばさんだろう。その言葉に打ち合わせをしたようなタイミングで皆が頷く。
「いえ、私も、よくは判りませんが…」
実の所、ここしばらくアリーナに逢っていない。一つは王から遠まわしにあまり逢わないように告げられた事。 …年頃の男がアリーナの周りに居たらグローサー氏も気を悪くするだろう、とのことで。
もう一つは、アリーナが抜け出して逢いに来なくなった事…そう、グローサー氏との会話に夢中なのである。
「まだ婚約したと言う事ではないようです。話している内容もあまり、その、なんといいますか…」
「アリーナ様らしい内容なんだね?」
「まあ、そのようです。」
実の所、クリフトは自分の力をフル活用してアリーナの情報を集めていた。そもそも神官は情報が集まりやすい地位であるゆえ、たやすい事ではあったが。
「なーんだ、つまらないねえ。」
ためいきをつく婦人に、クリフトは少し声を上げる。
「つまらないと言う問題ではありませんよ。国家の運命が決まるかもしれない時なのです。」
はーい、などといいながら全員が散らばっていく。
それを見て、クリフトはため息をつく。
(ここにも…いなかったか…)
アリーナはよくここに出入りしていた。つまみ食いをしたり、お菓子の作り方を教えてもらったり。だから下働きの皆も寂しいのだろう。
…そして暇さえあれば、アリーナがよくいた場所を巡っている自分も、そうとう参っているのだと、クリフトは思う。
…たった一目でもいい。言葉が話せなくてもかまわない。…ただ、あの目を、あの髪を見ないと自分はとても、落ち着かなくなるから。

「でもデイルさん。いつ私のことを知ったの?しかも戦っている時なんて…?」
勉強用にこしらえられたアリーナ用の小さな執務室。
「そう、あれはまだこのサントハイムが廃墟だった時です。ロザリーヒルのよろずやへ物資を届けに行った途中の森の中でした。」
そこで魔物の集団に出会い、絶対絶命の時にアリーナを見たという。もっともすぐ物陰で腰を抜かしていたので、自分の事は知らないだろう、とつけたした。
「本当は、このパーティーに招待されてはいたものの、私は王族との結婚に興味はありませんでした。アリーナ姫という方も評判に聞いていただけでしたし。ですが、一目見てあの時の武闘家だと分かった時、わたくしの口からあのような言葉が飛び出していたのです。」
事実、デイルとの出会いはアリーナには記憶がなかった。あの旅でモンスターを倒した事など、数えきれないほどあるのである。
「今ももちろんお美しいですが、あの時のアリーナ様は、なににも勝るほどお美しゅうありました。凛とした瞳、完成された構え。まるで剣士の太刀筋のように一直線に走る軌道。そして振り下ろされる爪。そこから溢れる炎。…それがすべて一つの芸術のように、わたくしには見えました。」
アリーナはうっとりと聞き入っている。アリーナにとって最上級の褒め言葉だった。
「ありがとう、デイルさん。」
「いえ…」
そこで口を止め、ゆっくりと言った。
「姫様がわたくしとの結婚を考えていらっしゃらないのはわかっています。…それでも、少しだけ頭に入れてくださるように、わたくしは頑張りたいと思っています。…かまいませんか?」
どうやら自分の考えを見透かされていたようだと、アリーナは思いながら笑う。
「うーん、まあいいわよ。お父さまも上機嫌だし。」
「はい、ありがとうございます。」
「ところで、デイルさん?」
「デイル、で結構ですよ、アリーナ様。なんでしょう?」
「あなた、強い?」
その言葉に、デイルはこの上なく嬉しそうに笑った。口を、半月型にゆがめながら。
「ご期待に、添えられる自信はありませんが。」

それから、アリーナはデイルと格闘をした。お互い刃物や真剣を使わない闘いだったが、デイルは確かにここの兵士よりは強かった。…しかし、アリーナに勝てるほどではなかったが。
「なかなか強いじゃない。」
一本を取ったアリーナはにっこりと笑う。確かに冒険の最中にライアンたちと訓練した時や、モンスターと戦った時ほどではないが、この城に来てから、一番満足行く一本だった。
「いえ、アリーナ様が手加減してくださったからですよ。」
意外なほど上品に笑う。その笑顔は神官のようにすがすがしかった。
「そんな事ないわ。一瞬本気になっちゃったもの。貴方の気迫、凄かったわ。これから訓練すれば、きっともっと強くなれる。」
「ありがとうございます。ですが、わたくしは今は強くなる事より、もっと大切な事がありますから。」
「へえ、それは何?神学?」
「いいえ…?…神など私は信じられませんから。」
「え…そうなの?なんだか、意外ね…?」
デイルは不思議そうな目でアリーナを見た。
「神の話なんてしたことがなかったと思うのですが…どうしてそうお思いになりました?」
「…どうしてかしらね?」
アリーナも首をかしげた。そもそも貴族や商人は神への信仰など持っているほうが珍しいと言える。サントハイムは今、神学へ力を入れているので表立って言う人間はいないが、神官をバカにしている貴族すらいるだろう。
それでもなぜかデイルは神を信じているだろうと、アリーナは思い込んでいた。考えてみればそんな話は一度もしたことがない。
「うーん、雰囲気がそうなのかもしれないわね。…デイルはどうして神を信じないの?」
「…とても、大切な方を、亡くしたんです。そこで思いました…やはり神などいないのだと。」
「ごめんなさい、悪いことを聞いたわね。」
そういうと、にこやかにデイルは笑った。
「いいえ、今はアリーナ様がおりますから。わたくしは幸せですよ。」
ああ、そうかとアリーナは納得する。
(容姿といい、話しかたといい、少しだけクリフトに似てるんだわ。)
道理でアリーナに対して警戒心を抱かせない。
「それではアリーナ様、そろそろ執務室のほうに戻りましょう。」
薄墨の髪を風になびかせ、デイルはアリーナに手を差し伸べた。アリーナが手を乗せると、デイルは耳元に、そっとつぶやいた。

「わたくしの夢は、アリーナ様に今のままで居ていただきたいのです。わたくしがアリーナ様の片腕となって、アリーナ様に相応しい国を作りたい…そう、姫が纏う、炎のような美しい国に、このサントハイムを…」