アバンのフルコース

思い出のレモンソース

 眼下に雲海が広がっていた。まるで鳥になったように、上から広く見渡すことができた。
――ああ、私は夢を見ている。
「聞こえますか、アバン」
 自分を呼ぶ声は頭上から聞えた。
「魂だけでは、話もしにくいですね。こうしましょう」
 いつのまにか、アバンは自分の足で雲海に立っていた。
「私に話しかけるのはどなたですか?」
 男でも女でもない声が答えた。
「精霊、と言っておきましょう。アバン、あなたは不思議なひとだ」
「ときどきそう言われちゃうんですよね」
 頭をかきながら、照れ笑いでそう答えた。
「……あなたのことを知る必要があります」
「私の、なんでしょう?可能な範囲でお答えしますよ?」
 精霊は、とまどったようだった。
「いえ、言葉での質問は意味がない。あなたのコアになる部分を知りたいのです」
 いきなり風景が変わった。時刻は日暮れ間近、遠くに山を望む川岸だった。崖の一部が割れて空洞ができている。空洞の中途にタープを張り、その下に石を並べ薪を組み、野宿の準備ができていた。
「ここは」
 胸の奥がうずく。そこは自分が少年のヒュンケルを失った場所だった。
「現実世界の写しです。あなたは今、ある人物を思い描いていますね。その者の写しを呼び出しましょう」
「ちょっと待って」
 精霊はアバンのためらいを無視した。
「あなたは何をしてもいい。何もしなくてもいい。すべての行動が、あなた自身を語るのだから」
 もう一度、あの別離を味合わなくてはならない?!アバンはあわてた。
「先生」
そう呼ばれた。ゆっくりとアバンは振り返った。川岸の方角から近づいてくる人影があった。
「なんでこんなところに?」
 安堵のあまり腰が抜けそうになった。紫の布の服にマントという姿で歩いて来るのは、自分と同じか、やや背の高い若者のヒュンケルだった。
「精霊が、そのう……いえ、なんでもありません」
 写しだと精霊は言っていた。ならば、本物のヒュンケルではないのだろう。実際、現在のヴィオホルン山は火山活動の結果、山というより台地に近い状態のはず。ここは現実の世界ではないのだ、とアバンは思い直した。
「今夜はここで野宿ですよ、ヒュンケル」
「では、準備をしてきます」
そう言うと、当たり前のような顔でタープの下に敷物を広げ、寝床を作り始めた。
 アバンは気を取り直した。岩の間の隙間には、高さの同じ岩二つの間に天板を渡した、簡単な作業台があった。作業台の上には、お気に入りの三角巾とエプロンまで置いてある。すべてアバンの記憶通りのようだった。
「私は食事をつくっておきましょうか」
とつぶやいたとたん、作業台の上に大量の食材が現れた。小麦、塩、ワイン、蜂蜜、オリーブ油、鶏肉、キャベツ、玉ねぎ、干しブドウ……。
「精霊様、やりすぎです。ええと、これと、これと」
 エプロンをつけ、頭の中で献立を組みながら、アバンは背後に向かって声をかけた。
「ヒュンケル、何か食べたいものはありますか?」
それは、いっしょに旅をしていた時によくしていた質問だった。たいていの場合『なんでもいいです』という返事が多かったが、まれに、希望を伝えてくれることもあった。
「あれが、いいです」
 低い声でそう言われてアバンはむしろ、驚いた。
「あの、レモンの味の」
――おぼえていてくれた。
 思わず、片手で口をおおった。そうしないと、泣きそうだった。
「先生?」
「あ、いえ。あれですね。ええ、できそうですよ」
 大きめのナスは筋目を残して皮をむき、輪切りにする。アスパラガスは穂を長めに切る。クリームチーズは角切りにしておく。
 ナスとアスパラガスは炙って火を通し、粗熱を取る。
 その間にレモンソースを作る。
「あなたは小さかったのに、こういう味が好みでしたね」
 レモンを輪切りにして絞り、新鮮な果汁を絞る。レモン汁1に対して、オリーブオイル3の量をボウルに入れ、塩を振ってよく混ぜる。
 レモンソースのボウルにナス、アスパラ、チーズを入れてそっと混ぜ、小鉢に盛り、上からあらびきの黒コショウを、ひとつまみ。
「できましたよ」
 ふと思いついて、作業台の上に手を伸ばした。
――精霊様、ここはひとつ……。
 思った通り、ワインの瓶とグラス二つが現れた。
「いいつまみができましたから、食事の前に飲みませんか」
 ヒュンケルは穏やかな表情でグラスを取り、アバンのかたわらに座り込んだ。
「先生と吞むのは、初めてだ」
 憎悪と邪気に苛まれていたあの子が、こんな顔をするようになった。それだけでアバンは胸がいっぱいだった。
「あなたは大人になったんですね」
――精霊様、感謝します。あなたの意図はわからないし、この子は“写し”なのだろうけど、それでも私は――
「覚えていますか?昔、旅の間に星と星座のことを話しましたね」
 ヒュンケルは岩肌に背を預け、暗くなった空を見上げ、うなずいた。
「あのあとオレは、よく夜空に星を探した……」
 焚火に照らされている横顔には、自分が一度失った、あの少年の面影があった。ヒュンケルが話すのを聞きながら、アバンはとても幸せな気分だった。

(初出X 2025年11/1)

いたわりのポタージュ

 森の中に、簡素な小屋が建っていた。
 おそらく現実のものではない。「あなたのことを知りたい」と言った精霊が作り上げ、アバンの意識をこの場所へ送り込んだ。この家もおそらくアバンの記憶から作り上げられたものだろう。
 勝手口を開けて小屋に入ると、そこはこの家の台所だった。調理用のストーブの前に桃色の髪の少女、マァムが立っていた。
 ふとアバンは違和感をいだいた。マァムはどこかしょんぼりして見えた。
「アバン先生! どうしてここへ?」
 ここはロモスの山奥にあるブロキーナの家の〝写し〟、とアバンは理解した。そしてこのマァムも、現実に存在するマァムのレプリカなのだろう。村人の身に着けるようなチュニックにエプロンという姿だった。
「ああ、老師に会いに?」
「ええ、まあ」
「私も久しぶりに来たんです。それでお昼を作ろうと思ったのですけど、ちょっと、失敗しちゃいました」
そう言って彼女はぽっと赤くなった。
「私、お肉を焼くとかはできるんですが、複雑な料理は苦手で……」
 ――腹ん中に入っちまえば、メシなんざみんな同じだ! こじゃれた味付けなんかオレが知るかよ……
 アバンは、記憶の中のロカの声に苦笑した。そんなとこまで似ちゃいましたか。
「では、シンプルな感じでいけばよいのでは?」
「それが、チウたちが言うには老師は相変わらず元気に病弱なのですけど、さすがに歯が以前ほどお丈夫じゃないそうです」
 あんまりおおざっぱな料理では、高齢のブロキーナの喉を通らないかもしれない、そう言いたいらしいとアバンは解釈した。
「なるほど、そういうことなら」
 ――精霊様、どうか……。
 無言の祈りに応えて、台所にはさまざまな食材が現れた。その中に、小型の鍋があった。いい匂いがしている。鍋の蓋を取ってその匂いを味わった。
「スープはどうでしょう? これ、ブイヨンですね。それにほら、かぼちゃがあるじゃありませんか。玉ねぎも、にんじんも」
 え、とマァムはつぶやいた。
「いつのまに、こんなに」
 アバンは調理ストーブの火をかきたてた。その熱と光で、静かだった台所がにわかに奮い立ったように見えた。
 ばさっと音を立ててエプロンをつけた。
「手伝ってください、マァム。蒸し器に水を入れて火にかけて。それから玉ねぎをみじん切りに」
 はいっと答えてマァムも動き出した。
 蒸し器の中が熱くなったら、小割りにしたかぼちゃを入れる。ニンジンは皮をむいてすりおろす。
「みじん切り、できましたか?」
 指で涙をぬぐいながらマァムがうなずいた。
「な、なんとか」
「深めのフライパンにバターを熱して、玉ねぎとニンジンを炒めますよ。小麦粉を振り入れて、焦がさないよう、弱火でじっくりいきましょう」
 その間にかぼちゃを取り出し、皮を取ってきれいな金色の部分をこそげ取り、鍋に入れた。
「スープ、ふたつ作るんですか?」
「いえいえ、最後に合流します。ニンジンのほうは、水気がなくなってきたらブイヨンを少しずつ入れてそのたびにまぜてください」
 かぼちゃのほうの鍋にミルクを注ぎ、塩コショウして煮はじめた。鍋の中で金のかぼちゃが崩れ、ミルクとまざり、なめらかなクリーム状になっていく。
 先生、とマァムが呼んだ。
「こんなものですか?」
「どれどれ」
 木のスプーンでニンジンのスープの味見をしてみた。
「ちゃんとできてますよ?」
 自信なさげだったマァムの顔が輝いた。
「よかった。メルルさんだったら料理上手だから、このくらい作れるんだろうな、とか、私いろいろ考えちゃって」
 アバンは笑い飛ばした。
「私はメルル嬢の料理の腕前は知らないのですが、もし料理上手だとしたら、失敗を何度も重ねたから上手なのだと思います」
 マァムは驚いた顔になった。
「まさか、先生も?」
「やりましたよ、いろいろと。でも、何か失敗をしてその教訓を未来に活かせたなら、それは失敗じゃなくて貴重な経験になります。さあ、ここからですよ」
 スープ皿を持ちだし、片側からニンジンのポタージュを、もう片方の側からかぼちゃのポタージュを静かに注いだ。濃厚な液体はまざりあうことなくスープ皿に共存した。
 細いスティックで、その表面に筋をつけていく。そして最後にその筋を横断する。
 金色と朱色のポタージュの上に、草の葉のような模様ができあがった。
「これでいい。二色のポタージュスープ、できあがりです」
「きれい! それにいい匂い」
 マァムはトレイにスープ皿とスプーンをセットした。
「老師に、先生がいらしてるって言ってきます。よかったらごいっしょにお昼にしませんか?」
 ひとの心を惹きつけずにはおかない、輝くような笑顔だった。
 ――ロカ、あなたの娘はとてもいい子に育っていますよ。強くて、優しくて、ひたむきで。あなたよりだいぶ、料理上手で。
「残念ですが、用を思い出しました。また、そのうちに」
 ――オレとレイラの娘だ、あたりまえだろ。
 という幻の声が、どこからか聞こえたような気がした。

(初出X 2025年11/2)

なつかしのバタール

 はて、ここはどこだっただろうか、とアバンは考えた。どこかの町の大きな武器屋の裏手らしい。
 このところ、アバンは謎の精霊に振り回されている。魂だけを精霊の造った舞台に送り込まれている状態だった。この店もアバンの記憶を素材に作り上げられたものらしい。だとすれば、どこかに精霊の造った、自分の知り合いのコピーがいるはず。
 武器屋の裏手は作業場のようで、職人たちがいそがしそうに動いていた。
「以上になりま~す。伝票こちらっす」
 妙に明るく、聞きようによってはおちゃらけたその声に覚えがあった。
 太い男の声がした。
「ちょっと待っててくれ。今、代金持ってくるわ」
「へへっ、どうも」
 なんとも腰の低いようすで商品を納入しているのは天下の大魔道士……の “写し”だった。法衣ではなく、商人が身に着ける袖なしの上着を着て、杖も持っていない。
 大柄な職人が店にひっこむと、アバンは背後からポップに声をかけた。
「ジャンクさんのお手伝いですか?」
「先生、なんでここに?実は母さんがぎっくり腰やっちゃったんだ」
とポップは打ち明けた。
「親父が今、医者だ薬だって大騒ぎしててさ。おれが配達を引き受けたってわけ」
 片手で自分のあごを支え、ポップは照れくさそうに目を伏せて言い出した。
「なんか、おれ、営業に目覚めたかも。隠れた才能が怖いぜ……」
 ほとんど反射的にアバンは煽った。
「よっ、さすが二代目!」
 ふん、と小鼻から息を噴き出し、ポップはあさっての方角を指した。
「営業王に、おれはなる!」
 びしっと指した人差し指の正面に、さきほどの職人が立っていた。
「あの……?」
「あっ、いえ、なんでもないです!」
 アバンとポップは、あわてて代金を受け取り、退散した。
――思い出しました。ここはテラン~ベンガーナ国境の町ですね。
ランカークスからそれほど離れていない土地で、村を飛び出したポップと二人でこの町の宿に泊まったことがある。
「なんか、懐かしいですね」
「あ~、昔から先生とふたりでアホな小芝居やってましたよね。ときどき誰かに見られたりして」
 ポップも覚えているようだった。
「どういうわけか、あなたとはウケねらいのツボが同じなんですよ」
 ツボもそうだが、自分の本心を見せないために、あえておちゃらけた態度をとる習性という意味でポップは自分とに似ている。が、ポップの場合、おちゃらけや空元気が身に付きすぎて自分でも本心と区別がつかないのかもしれない。
 だが、そのポップも油断すると本音をのぞかせてしまうことがあるのだ。
「今日はこれから?」
「あと一件、配達です。料理屋に包丁、だっけ。そのあとは、家がバタバタしてるからどこかに一晩泊ってこいって親父が」
「ほう、なるほど。あ、いいこと思いつきました。嫌じゃなかったら、同じ宿に部屋を取りませんか」
 ポップの了解を取り付けたあと、アバンは宿を選び、そこの女将と料理人に交渉して厨房の一部を使わせてもらうことになった。
「先生、その食材、何ですか?」
 厨房でポップは首を傾げた。
「小麦粉に胡桃にアーモンド、それに干しブドウとなんかいろいろ?」
「ええ。パンを焼くんです」
とアバンは答えた。
 小麦粉とイースト菌、少量の砂糖と塩を木製の捏ね鉢に入れ、水を加えてこねてパン生地を作る。
 胡桃とアーモンドは砕いて炙っておく。乾燥させたクランベリーとオレンジの皮はみじん切り。
 すべて捏ね鉢に入れ、パン生地に捏ね入れる。鉢に蓋をしてそのまま置いておく。
「あれ、焼かないの、先生?」
「発酵待ちです。だいぶかかりますよ」
 広い厨房には大きなオーブンがあった。ナッツ入りのパンは、一緒に焼いてもらうことになっていた。
 その夜アバンは何度か厨房へ行き、生地の発酵を確かめた。最後に形を整えてナイフで筋目を入れ、焼くばかりの状態にしておいた。
 翌朝、宿の食堂は焼きたてのパンのすばらしい香りでいっぱいだった。
「お客さん、こんなもんかね」
 料理人はアバンとポップのテーブルに、わざわざパンを届けてくれた。前腕くらいの長さのハードブレッドだった。
「これって」
「ナッツとドライフルーツのバタール。焼きたてをいただきましょう」
 指でバタールをちぎり、その断面をポップはじっと眺めた。
「前にも一度、これ作ってくれましたよね?わざわざ農家の台所を借りて」
 くすくすとアバンは笑った。
「あれですか。眠れなかったんですよ、私。なにせ、連れが寝言で母上を呼んで恋しがる声が、一晩中しましてね。それで、どうせ眠れないならランカークスで見たパンを作ってみようと思いまして」
 話のとちゅうからポップは赤くなって手をバタバタさせた。
「どうしてそういうことおぼえてんだ、先生はっ。ていうかおれ、そんな寝言言ってたなんて」
「その状況で正面から慰めちゃったら、あなたは平気な顔ができなくなるでしょう。というわけで、慰める代わりにふるさとの味のパンを焼くことにしたわけです」
 こくん、とポップはうなずいた。バタールを取って、スライスした。その上に新鮮なバターをのせて差し出した。
「おれん家だと、こうやって食べてたんだ。どうぞ」
「ええ、ありがたく」
 焼きたてのぬくもりがバターを溶かし、バタールの上で金色に輝いてしみこんでいった。

(初出X 2025年11/3)

ごほうびのコルドンブルー

 パプニカの王宮の一画に、オーブンやかまど、作業台の並ぶ場所があった。王宮そのものが一度破壊されているため、そこは臨時の厨房だった。数名の料理人がせっせと下ごしらえをしていた。
 厨房の隣りの倉庫の中を、まじめな顔で王女レオナが歩いていた。
「あれもだめ、これもちがうか。困ったわ」
「何かお悩みですか、姫」
 いきなりそう言われて、レオナは振り向いた。
「アバン先生。いらしてたんですか?すぐにおもてなしを」
 いえいえ、とアバンは手を振った。
「大人の事情で立ち寄っただけです。それより姫には何か困りごとのようで」
 レオナは肩を落とした。
「パプニカの復興パーティを予定しています。そのときに立食形式で参加者にお料理をふるまいたいのですけど、反対の人が多くて」
「お金がかかりすぎる、と?」
「料理長と大臣が言うには、招待客の数を絞ってそれなりの手間とコストをかけるか、無制限に参加を許可して手間とコストを省いたふるまいにするか、だそうです」
「姫はどちらを取るのですか?」
「迷ってしまって。お父様ならどうしたかしら。立派な王は、どうするべきなのか……先生ならどうします?」
 アバンはおかしそうな表情になった。
「きっと姫と同じことをするでしょう。安価な食材を倉庫に探しに来ます」
 レオナがくすっとした。
「あら、でもそれならあたし、まちがってなかったのね」
 食糧倉庫にあった樽を動かして、アバンはレオナの手を取り、うやうやしく座らせた。
「そもそも姫は、なぜ復興パーティを?」
「みんなにはこう説明しました。戦火が遠のき、これから我が国は復興に入ります。そのモチベーションを上げるためにパーティをしたい、って」
 レオナはためいきをついた。
「そうしたら大臣が言うには、『レオナ様の激励こそが最大のモチベーションとなるでしょう』ですって」
 レオナはかわいい拳で自分のひざをたたいた。
「だれが精神論を聞きたいって言ったの!メニューを考えなさい、メニューを!……って叫びたかったわ」
 厨房からいくつもの顔がこちらをのぞき見ていた。なんでもないの、とレオナが手を振ってやっとひっこんだ。
「では私からひとつ」
 レオナが顔を上げた。
「初めてデルムリン島に上陸した時、ダイ君に夕食をふるまいました。大陸で買い込んだ食糧を使ったのですが、ダイ君にとってそれは初めて食べる食材だったらしいです」
「立派な野生児だったものねえ」
とレオナがつぶやいた。
「彼がえらく感激してくれたひと品がありましてね」
 アバンは手でレオナを厨房へとうながした。背の高い男が二人を迎えた。
「これは姫様、それにお客様?」
「うちの料理長です。料理長、こちらは私の先生なの。お望みの物を出してさし上げて」
 アバンの指示で作業台の上に食材が並んだ。
「鶏の胸肉、ハム、チーズ、トマト、タマネギ、卵、オリーブオイル?失礼ですがお客様は?」
 じろりと料理長がアバンをにらんだ。
「プロの料理人ではありません。そうですね、実作業はそちらにお願いしましょう」
 当然だ、と料理長は無言でうなずいた。
「鶏むねは薄皮をとってください。トマトは湯剥きしてひと口大にカット、タマネギはみじん切りで、卵はといておく」
 料理人たちが動き出した。
「胸肉を叩いて薄くして四等分に。トマトと玉ねぎはオリーブオイルとニンニクで炒めて」
 指示は矢継ぎ早に来る。厨房の下働きも兵士も何事かと見に来た。タンタンと肉たたきで胸肉を叩く音が軽快に響いた。
「薄くなった肉にチーズとハムをはさんでください。もう一枚の肉を重ねてサンドイッチ状になったら両面に塩コショウ」
 料理人たちは一心不乱に作業している。
「フライパンを用意してください。トマトはどうです?水を足してトマトソースを作りますよ。肉の方は小麦粉をふって卵液にひたし、パン粉をまぶして」
 だんだん料理の形ができあがっていく。
「いよいよです。オリーブオイルを多めにフライパンで熱して温度がよさそうになったら胸肉のサンドイッチをいれます」
という言葉に、油のはじける音がまじった。
「両面がいい色になったらお皿に上げて、トマトソースを形よく注ぎましょう。これで完成です」
 オリーブにトマトのまじった香りが華やかにひろがった。
「おいしそう。これ、なんていうメニュー?」
 料理長が答えた。
「本来は仔牛肉のチーズはさみ揚げ焼き(コルドンブルー)ですな」
 アバンは微笑んだ。
「ダイ君は『先生のごほうび』と呼んでくれました。実はこれ、主として使う食材がハムとチーズと鶏肉なので」
「安く作れる!?」
 レオナが顔を上げた。
「料理長、これならどう?かなりの数を用意できるんじゃない?」
 料理長はうなった。
「前もってトマトソースをつくり肉の下ごしらえをして、当日その場で焼けば、うむ、いけますね」
「みんな、これでいくわ!誰でも参加OKのパーティやるわよっ。料理長、大臣と交渉するわ、ついてきて!」
 おおっとその場がわきたった。
 レオナがふりむいた。
「先生、ありがとうございました」
「どういたしまして。食糧争いをしていた兵士くんたちに、ごちそうできそうでよかったです」
 レオナはあっけにとられた。それはパプニカが滅亡に瀕した時の辛い記憶だった。
「どうして、そんなことまで」
 アバンはにこにこしたまま、くちもとに人差し指をたてた。
「ないしょです。それからレオナ姫、あなたはもう立派な女王だと私は思いますよ」

(初出X 2025年11/5)

お祝いのスライムケーキ

 鬼面道士のブラスはプルシャンブル―の上着を着て、手に銀のトレイを持っていた。トレイにはマカロンやカヌレが盛りつけられ、とてもおいしそうだった。
「ほれ、おすそわけじゃ」
 いつものようにニコニコとブラスじいちゃんは笑い、お菓子のトレイを差し出した。
「どうしたんじゃ?おあがり」
 おれ、食べてもいいの?と言おうとして、言葉が出て来ないことに気付いた。
「ピー、ピキ、ピキ」
 どこかで音楽が鳴り、話し声がたくさん聞こえた。
「今日はパーティなんじゃ。遠慮せずにひとつ取りなさい」
 すぐ横でスライムベスがトレイに近寄り、器用にマカロンをくわえ上げた。
 スライムベスもじいちゃんも、とても大きく見える。ダイは足元を見て、ぎょっとした。ピカピカの床に映っているのは青いスライムだった。
――おれスライムになっちゃった!
あわててジャンプしたが、ぽてぽてと音がしただけだった。
――わー、どうしよう!
 いきなり身体を持ち上げられた。
「おまえ、どこから入ってきた?」
 ダイを掌に載せて見下ろしているのは、今の自分より小さな男の子だった。
 その手の上から、ダイは周囲を見回した。お城の中の大きな部屋だった。天井からキラキラする大きな灯りが吊ってあった。
――みんなおめかししてるし、笑ってる。
なんとなくダイはうれしくなった。
「どうした、ヒュンケル?」
 髑髏の顔がその後ろからのぞいた。
「こんなのがいたよ、父さん」
「おや。まあ、よかろう。今夜は人間もモンスターも共に祝う夜だ」
 ヒュンケルはダイを床におろしてくれた。
「踏みつぶされるなよ」
 じいちゃんはどこだろう、とダイは思った。さっきのマカロン、もらってこようかな。ぽてんぽてんと動き出した目の前を、小さな足が勢いをつけて通っていった。
「せ~んせ~」
 ほっぺのふくふくした女の子が、紅葉の手には大きすぎるカップケーキをつかんで突進していく。あやうく踏まれそうになってダイはあわてた。
――わぁっ
 あわてた勢いで後ろへ転がり、そのまま目の前が真っ暗になった。

 誰かが自分の名を呼んでいた。
「ダイ、おい、ダイ!しっかりしろ!」
 目を開けると、ポップの顔があった。
「あれ、なんで、おれ」
 はあっとポップはためいきをついた。
「もう~心配させんなよ」
そう言うと立ち上がり、扉を開けて外へ向かって叫んだ。
「先生!ダイが目ぇさました!」
 ダイは身体を起こしてあたりを見回した。
「ここ、ブラスじいちゃんの」
 そうだよっとポップは言った。
「ゆうべ、久しぶりにこの島で泊まることにしただろう?」
「え~っと、うん、思い出した」
「それで夜更かししてバカ話で盛り上がって、それから寝て、朝目がさめてみたらおまえが気絶してたんだよ」
 ダイは頭をかいた。
「へんだなあ。それにおれ、ヘンな夢見た」
 扉が開いた。
「おはよう、ダイ君」
 アバンが顔をのぞかせていた。
「朝ごはん、できてますよ。顔を洗っていらっしゃい」
 朝食の席にじいちゃんがいたらヘンな夢の話をしようと思ったのだが、じいちゃんはもう浜へ出かけたあとのようだった。
 アバンの朝ご飯はなつかしくて、とてもおいしかった。
「スライムになった夢ですか?」
 うん、とダイはうなずいた。
「なんか人がいっぱいいて、テーブルにはごちそうもいっぱいあった。あ、美味しそうなケーキがあったよ」
 しみじみとダイはつぶやいた。
「あれ、食べたかったなあ」
 ポップがあきれた。
「おまえ、食い物しか見てないよな」
「だって!」
 まあまあ、とアバンは言った。
「パーティのカップケーキですね?なるほど、なるほど」
 ブラス家の台所で一番大きなボウルをアバンは取り出した。魔法のような手際でたっぷりのバターをとりだし、ボウルに入れて温めた。
「先生、何を作るの?」
「まあ、見ててください」
 ボウルには砂糖と牛乳、溶き卵、粉が次々と加わった。
「そして最後にチョコレート」
 刻んで溶かしたチョコレートがボウルの中に投入される。ダイとポップが見守る中、ボウルの中にチョコケーキの生地ができあがった。
 アバンは小さなカップをいくつも取り出して中に薄い紙を敷き詰めた。
「これ、カップケーキのカップ?」
「そうですよ」
 ダイもポップも、小さな子供のようにわくわくとアバンの手元を見つめている。カップを並べ、次々と半分強までチョコ生地をそそぎいれた。
「さあ、焼きますよ」
 久々のデルムリン島なのであちこち遊びに行ってもよかったのだが、ダイたちはオーブンの前から離れられなかった。甘い香りが二人を惹きつけて放さない。
「焼けたら、しばらく置いて粗熱をとります」
「まだ食べちゃだめですか?」
 アバンは振り向いてにやっとした。
「ここからが楽しいんです。今食べちゃ、もったいないですよ」
 アバンはカップケーキの一つを取って薄紙をはがし、まな板にのせた。慎重に切り分けると、紙の三角帽子のようなコーン形になった。
 出来上がったカップケーキの上にひとつずつコーンをかぶせ、薄いピンク色のどろっとしたものをその上から注いだ。
「先生、それ、何?」
「アイシングです。砂糖と卵白を混ぜて、食紅でピンクにして水でゆるめました。見ていてごらんなさい」
 アイシングはゆっくり固まり、コーンとカップケーキを合体させていく。ポップがつぶやいた。
「なんか固まるとピンクのスライムだな」
「でしょう?そしてその上にこうやって」
 ビーンズ型のホワイトチョコレートをアイシングの上に散らす。ダイが叫んだ。
「あのカップケーキだ、おれ、パーティで見た!」
 ダイたちの前にピンクスライムのカップケーキが並べられた。
「そうですとも。さあ、召し上がれ」
 いただきま~す、と合唱して、ダイたちはカップケーキをほおばった。
「お茶もいれましょうか」
とアバンが言うのもほぼ耳に入っていない。
「はい、先生の分」
「おやおや、どうも」
 かたわらにカップケーキを置いて、アバンは茶碗を取り上げた。
「でもさ、なんで先生が、ダイの夢に出てきたケーキを知ってんだ?」
とポップがつぶやいた。
「さあ、なんででしょうねえ」
そういって優雅に一口茶をふくんだ。
「そういえば、あのパーティにハドラーもいたよ。ハドラーにどんどん美味しいもの食べさせたら、悪い事しなくなったりしないかな」
 答えようとしてポップが絶句した。たいていの場合沈着冷静でのほほんとしたアバンが、猛烈な勢いでお茶を噴き出したからだった。

(初出X 2025年11/7)

アバンのフルコース

 ベンガーナの街中に小さなレストランがあった。あのベンガーナ百貨店のある大通りから一本脇道に入った通りに面した、小さいが評判の良い料理店だった。
 この日、店は入り口に貸し切り御礼の札をかかげていた。数名の招待客だけがそのドアを入っていった。
 大きな窓から明るい光を採り入れて、ホールは輝くようだった。ホール中央には長いテーブルがひとつ。ナプキンとカトラリーが六組セットされていた。
 客たちは互いに顔を見合わせた。
「あら、みんなも?」
「おめえもか?」
ヒュンケル、マァム、ポップ、そしてダイ。兄弟弟子がそろったかっこうになった。
「あのう、あたしもいるんだけど」
「レオナ!」
 ダイがとんでいって出迎えた。
「よく来れたね!」
「お忍びよ。アバン先生のお招きだから、ちょっと無理しちゃった」
れっきとした王女であるレオナは、一人で町の中を歩くことがそもそも難しいという立場だった。
「それで、先生は?」
 レストランの給仕長が控えめに告げた。
「招待主は、別室で用があるとのことです。お客様方には先に食前酒をお楽しみください」
 お席へどうぞ、と言われて五人はテーブルへ向かった。給仕長がメニューを差し出した。
「本日の献立でございます」
 旬の野菜とチーズのレモンソース。
 金と赤のポタージュ。
 ナッツとドライフルーツのバタール。
 鶏のコルドンブルー。
 ピンクスライムのカップケーキ。
「これは」
と最初に言いだしたのはヒュンケルだった。
「前菜の野菜は、ナスとアスパラガスか?」
「さようでございます」
と給仕長が答えた。
「つい最近、同じ料理を食べた」
 え、と仲間たちが微妙な反応をした。
「というか、食べた夢を見た。昔知っていた場所へ行ったらアバンがいて、これを作ってくれた」
「おれも!このデザートだよ」
「あたしにはこのスープを教えてくれたわ」
 状況を確認しあって、五人は驚愕していた。それぞれアバンの出てくる夢を見て、その夢の中に出てきた料理が今日のメニューらしい。五人はお互いに顔を見合わせた。
 レオナが片手をあげて給仕長を呼んだ。
「アペリティフは少し待っていただけるかしら。やっぱり招待主にご挨拶したいの」
かしこまりました、と給仕長は一礼した。
「みんな行きましょう。先生はどこ?」

 何もない虚空から、男でも女でもない不思議な声がした。
「無罪放免です」
「というと?」
と聞き返したのは、アバンだった。
 そこはホールとは別の小部屋だった。部屋の窓に向かって顔を上げてアバンは不思議な声と会話をしていた。
「あなたは訴えられていたのです、悪意を持って騙し、不利な契約を強いた、と」
「覚えがありませんが。訴えは、いったい誰から?」
「魔界に住む悪魔の一族ですね」
ああ!とアバンは声をあげた。
「あの件ですか。私の弟子たちの力量を誤解した悪魔の方に非があると思います。意図的にあざむいたということはありません」
「この数日あなたの反応を見ていて、その点には納得しました。基本的にあなたは善性のひとだ。ただ、その善性を発揮するための手段はいろいろな性格を帯びていますね」
 アバンは肩をすくめた。
「手数が多い、というのはお褒めの言葉と受け取っておきましょう。さて、招待したお客を待たせているのです。そろそろ失礼しますよ」
「了解しました。最後に、この五日間ほど、あなたの意識を引っ張りまわしたことについて、詫びを言わせてください」
「どうぞおかまいなく」
「あなたの弟子たちにも」
「はい、そうしま」
しょう、と言いかけたアバンが、窓の方へくるりと振り向いた。
「“写し”じゃなかったんですか?」
「本人の意識にとって、その夢は“写し”です」
「私は聞いていません!コピー相手だから何をやっても本人たちには気づかれないと……ちょっと、本当なんですかっ!?」
「疑うのなら、あなたの弟子たちに聞いてみるとよい」
 珍しいほどアバンは動揺していた。
「えええ、全部本人たちとのやりとりだったなんて。これじゃあ私、ただのでしゃばりのお料理お兄さんじゃないですかっ」
「おじさん、では?」
「おだまりなさい!」
不思議な声はそのまま聞こえなくなってしまった。
「私は、てっきり……。ああ、どうしましょう!」
 全体的に色素の薄いアバンが真っ赤になって、両手を見事なカールにつっこんでかきむしりそうになっている。
「レオナ~、どうしようか」
「ですって。パーティの頭脳、なんとかしてよ」
「え、おれ?ここはひとつマァムに」
「そんな。一番弟子の出番でしょ」
「……」
 弟子一同は声のかけようもなく、物陰から師の懊悩を眺めていることしかできなかった。

(初出X 2025年11/7)


2025年11月1~7日 ネット上のお祝い「#いい1番弟子の日」~「#いい5番弟子の日」、「#いい弟子達と先生の日」のために書いた6本のSSをつなげたもの。最後のお話に出てくる魔界の悪魔~というのは、昨年書いた「使徒、走る」の悪役というかやられ役のことです。