起きろポップ

 ザザザ……という音が響いてくる。デルムリン島を取り巻く潮のざわめきだった。
「じゃあ、みんな、元気で!」
 一人の少年が小舟を海に押し出したところだった。少年の養父をはじめ島のモンスターたちは浜に集まって、旅立ちを見守っていた。
 そのモンスターの群れをかきわけて、走ってくる者がいた。
「ダイーッ!!」
 ダイが振り向いた。走ってくる少年は声をからして叫んでいた。
「ふ…ふざけんじゃねえぞ!」
「……ポップ!?」
 濡れた砂浜は足が沈んで走りにくい。だがポップは必死だった。
――追い付かなけりゃ、どうしても!
 ポップには、ダイに追い付きたい切実な理由があった。

 ポップはもともと朝の早いのは苦手だった。故郷の実家にいたころから朝寝坊で、よく父に怒られていた。修行の旅に出たあとも、早朝練習などもってのほか。
「……先生…」
 その朝ポップは寝床の上に座り込み、昨日失ったばかりの師のことを考えていた。
「何やってんだ!」
 いきなり誰かがそう言った。寝ぼけたままの頭でポップはきょろきょろした。
「だ、誰だ」
 この島には人間がいないんじゃなかったか?だが、部屋のすみの暗がりに二人の旅人が立ってこちらを見ていた。
「とっとと起きろ!起きて浜へ行け!」
そう言った旅人は、おそらく魔法使いだと思われた。裾の長い緑のチュニックに白い襟のある緑のマントを重ね、胸から斜め掛けのボディバッグを装備している。アバン先生よりちょっと若いくらいの年だとポップは思った。
「……なんで勝手に人の家に入ってきてんだ」
 魔法使いはふり向いて、もう一人の旅人に声をかけた。
「荷物のまとめ、終わったか?」
「もうちょっと!」
そう答えたのは同じくらいの年のひとだった。からし色のインナーの上に青い旅人の服を身につけている。赤紫のマントを重ね、額にはサークレットがあった。剣を装備しているので戦士かなとポップは考えた。
「ほら、さっさと着替えろよ」
 自分の上着を取って頭からかぶりながらポップは文句をつけた。
「あのなあ!おれは昨日、大事な先生を亡くしたばかりで……」
「知ってら。けどな、お前に同情してくれる人間はこの島にはいないぞ。めそめそしてても、誰も助けちゃくれない」
 暗に甘ったれるなと言われてポップはむっとした。
「人間ならいるぞ。ダイってやつが」
 緑の魔法使いは鼻で笑った。
「あいつはこの島を出るところだ。ダイについていけ。そうじゃないとお前、島から出られなくなるぞ」
 ポップは言葉に詰まった。アバンの力なしには、自分がどこへも移動できないのは事実だった。だが、口でやりこめられるのは我慢できなかった。
「あんな世間知らず!どうせすぐ逃げ帰ってくるさ!」
「そんなことないよ」
 戦士がそう言った。
「ポップがいっしょに行かなかったら、あの子はロモスの王宮あたりで死ぬよ。だから君を迎えに来ることもできない」
 まったくの真顔だった。
 おい、と魔法使いさえたしなめる口調になった。
 くす、と笑って戦士は、だってそうだろ?と言い返した。魔法使いはなぜかにやりとして、それから肩をすくめた。
「だいいち、今から二か月もしたら世界が滅びるからな。どっちみちお陀仏だ」
 大人二人がうんうんとうなずきあっているのを、ポップは茫然と見ていた。
「そ、そんなこと、いきなり言われたって信じられるかよっ」
 ん?という表情で魔法使いは見下ろした。こいつ、ほんとにイライラさせんの上手いな、とポップは思った。
「ハドラーに会ったんだろ?」
「会ったけど……」
 アバンの死を目の当たりにして、すっかり忘れていた。地上に魔王が舞い戻ってきたことを。
「でも、おれなんかいてもいなくても」
 バカ野郎!と魔法使いがどなった。
「ごちゃごちゃ言ってるヒマがあったら動け!おまえはランカークスに居場所を見つけられなくて世界へ飛び出したんだろうが!」
 ひゅっと音を立ててポップは息を吸い込んだ。
「なんでそんなことっ」
「知ってんだよ、おれは」
 魔法使いは家のドアをあけ放ち、海を指した。
「あの子の、ダイの隣がおまえの居場所だ。追いかけろ、どこまでもだ!」
 その瞬間、ポップは家から飛び出した。

 走るのは得意じゃない。旅に出てから自分のもろさ弱さを思い知った。それでもポップは走り、叫び、足を動かし続けた。
「ふざけんじゃねえぞ!おれをおいていこうなんて……!」
――あの魔法使いと戦士、どこの誰だったんだろう。やけにいろいろ詳しかったよな。
 砂浜が尽きて足元が海水につかる。目の前の小舟は沖へ向かって動いていた。
 船尾にいるダイが手を伸ばし、こちらへむかってせいいっぱい差し出していた。その手をつかもうとポップも一生懸命身体を傾け、手を伸ばした。
 お互いがお互いの手首をつかみあうのと、ダイが小舟の中へ体ごと倒れ込むのが同時だった。
「ポップ!」
 満面の笑顔だった。
「か、かんちがいするんじゃねえぞ」
 おまえの隣にいなくちゃと思ったわけじゃないんだから、と言おうとして、ポップは一度口ごもった。
――ダイの隣、って誰が言ったんだっけ?
 急速に記憶が薄れていく。一度咳払いしてポップは言い直した。
「あんな島にのんびりしていたくねえだけなんだからな!」
 にこ、とダイが笑った。この顔どこかで見た、とポップは思った。

 勇者の衣装のダイは、両手に荷物を持ったままぼやいた。
「ポップったら、荷物おいてっちゃったよ」
 魔法使いの衣装で変装したポップはにやっとした。
「でも杖は持ってった。あれでいいのさ」
「未来のこともばらしちゃったね、おれたち」
「心配すんな。あいつがダイの手をつかんだときに全部忘れるような暗示もかけてある」
「そんなことできるんだ。すごいね」
 へへへ、と少年の時と同じ顔でポップは照れていた。
「あいつには、いろいろ忠告してやりたかったんだ。挫折しそうな時がくる、とかさ。でもやめた。あれは自分で解決しなきゃならないことだ」
 ダイは荷物を残し、家からすべりでた。
「じゃあ、おれたちの時代へ帰ろう。早くしないと先生に見つかっちゃうよ」
「変装しても先生には即バレしそうだし、そうなったら説明がめんどくさいよな。帰るか」
 そう答えたポップは、あ、とつぶやいた。
「あれだけは言っておいてもよかったな」
「あれって?」
「おまえが五年後に、とんでもねえとこから帰ってくるってことさ」
 勇者と魔法使いの衣装の二人の姿は、そのままゆっくり薄れ、消えていった。

了(2023年10月23日 ネット上の企画「純粋と勇気」のためのもの)